まだ現在進行形で続く、255系だらけの旅と記録。
とりあえず「記憶なおし」と謳ってさんざん勿体ぶってきた鴨川に関しては
著しく、点と点しかない極めて薄い記憶
しかないことがつくづく分かってしまった、今回の旅になった。
仰々しくやってみた割に、あまりの薄っぺらさに動きながら愕然としたというのが本音。
安房鴨川駅を降りたら滝のように記憶が出てくるかなとも思ったが、全くそれも無かったw
まあここまで縁が薄かった255系にとことん乗り、また撮れただけ良かったと思いたい。
そう明確に割り切って、この先も255系との対峙を続けていくことになる。
さて、安房鴨川駅から4月29日と5月6日で乗車ルートが明確に分かれることとなった。
4月29日→安房天津駅で255系交換の撮影後、安房小湊駅から「わかしお18号」で帰京
5月6日→安房鴨川駅から内房線へ、館山駅から「新宿さざなみ4号」で帰京
4月29日は、安房天津駅で「わかしお9・16号」の交換を撮影することにしていた。
今回のダイヤ改正から、暫定的に255系同士の交換が連日行われていたのを掴んでいたからだ。
これによって、安房鴨川駅を発つのが4月29日は約1時間半遅くなることとなった。
さて4月29日は結局安房鴨川駅周辺の昼食リサーチが不調に終わってしまい…
西口近くでそれとなく食べて、イオンで時間を潰してから、14時半前に安房鴨川駅に戻った。
「わかしお16号」発車に向けての入換作業開始がいつからなのか、調べがつかなかったからだ。
安房鴨川駅1番ホームの待合ベンチには、安房鴨川を走ってきた車両の数々の写真たちが。
当時にしても情報量が多めだった、183系時代の方向幕の写しも。
1番線は現状特急専用ホームとして機能。
ならば、なぜ「わかしお5号」は埋まってもいないのに2番線に着いた!とも思うがw
そして2番線は外房線、3番線は内房線が発着という振分け。
そう、実はこの駅は両線の都心(千葉方面)への始発という扱いから
上りしか発車しない駅
という意外性もあるのである。
さて、しばらく静寂に包まれていた構内であったが…
14:40過ぎから、俄に動き始めた。
しばらく眠っていた255系に、乗務員が乗り込み…
パンタグラフ上昇、息を吹き返した!
ドア開閉試験も始まり、出庫点検と同じ手筈を踏んでいく。
…とそこに、木更津行きE131系入線。
通常なら両側一斉に開くことはないから、これはこれで間近に見るのは貴重だったりする。
この辺りで、再度改札外に出て「太一号踏切」へ向かう。
割と駅からは歩く位置にあるので、余裕を持って。
まず14:54、先に木更津行きが発車。
そこからまたしばらく膠着状態に陥るが…
15:11。
いよいよ警笛一閃、ゆっくりと255系が動き始めた!
ゆっくりと館山方に動き出したが、4月29日訪問時には5号到着時の入換を見ていなかったので
早歩きで一体どこまで引き上げて行くのやら…と追いながら撮ったのだった。
やがて、踏切を閉ざしたまま停止。
あと2両分行けば一旦開閉できるのに…と思ったが、何かしら事情があるのだろう。
もちろん、それも踏まえて上総一ノ宮方の逆エンドにも既に運転士が居た。
停止してすぐに、尾灯から前照灯にチェンジ。
入換信号、進入番線の点灯を確認してまた動き出す!
この間、わずか3分余り。
9両編成というボリュームの割には実にコンパクト、かつ速やかに入換を済ませていった。
少しばかり英気を養って、また過酷な運用に向けて踏み出していくこととなる。