月曜日と木曜日はジュース作りの日に定めてる。

そして、これは一度の野菜ジュース作りセッションに使う野菜の一部だ。

 

 

 

直接仕事術とは関係はないが、僕は野菜ジュースが好きだ。

 

好きというか、人生に欠かさない要素の一つだと思ってる。

忙しくて、野菜ジュースが作れない日々が続くと、調子が崩れてしまう。

 

空腹感が続いたり、お肌の調子が乱れたり。

 

逆に、ゆっくりジュースを作る時間が取れる日は、全体のバランスがよくなる気がする。

 

ストレスが吹っ飛ぶというか、身体が軽くなる。

不思議な癒し効果がある、野菜ジュース作りは。

 

集中力も上がって、

指がキーボードを打つというより、

その上に舞い上がっているような感覚になる。

 

この感覚は、野菜ジュースハイになってるということになるのか?

そうすれば、僕は野菜ジュース依存症かもしれない。

 

 

 

 

月曜日と木曜日に野菜ジュースの日に定めているのは、火曜日と金曜日はゴミの日だからだ。

 

本当は、ジュースの粕は全部コンポストしたいが、今の畑では収めきれない。

1.5平米の小さな畑なので。。。

 




月曜日と木曜日とはいっても、

仕事が忙しくてできない日も多いので、

よく火曜日や金曜日の早朝に起きてジュース作りをしている。

 

癒しどころか、時間と清掃車の音を気にしながら、1ミリでも多く作りたいという焦った気持ちの方が先走りしてしまう。

 

今日は午前中に仕事が落ちついたため、

久しぶりにゆっくり野菜ジュース作りが楽しめた。

 

ミュージックアプリで、よく聴くラテン系ポップをBGMに、お昼から、野菜ジュース6Lを作った。

 

野菜ジュースに肝心なのは、やはりジューサーだ。

 

飛行機のエンジン音にも思える煩さで、

野菜を瞬殺するハイスピードジューサーもあれば、

ゆっくり時間をかけて野菜をプレスする、

コールドプレスジューサーもある。

スロージューサーとも言う。

 

僕のジュース物語は前者から始まったが、

この15年以上はスロージューサーを使っている。

 

時間はかかるが、ジュースの味も質も日持ちも違う。

 

6Lとなれば、始めから片付けまでは、

1時間半近くかかってしまう。

 

ジューサーはゆっくり回るので、

一度に入れられる野菜に限界がある。

 

「ジュース作りに90分なんて無理!」と、

思う方も多いかもしれないが、

時間に求める価値、時間に見いだす価値は、

人それぞれだと思う。

 

その時間は心身のリセットができる時間だとして、僕は大変価値のある90分だと思っている。

 

そう言えば、冒頭に野菜ジュース作りは直接仕事術とは関係はないと書いたが、ここで訂正したいと思う。

 

心身のリセットに思える時間として、

集中力アップに資する栄養素として、

日頃のストレスを忘れさせてくれる存在そして。

 

僕は人間翻訳マシンを目指す上で、

そして、果てしなくキーボードをカチャカチャ打つ人として、

野菜ジュース作りは僕にとっては、一番の仕事術だと言えるかもしれない。

 

 

作業がすべて終わって大量の野菜は、このようにすっきり収まる。

 



 実は、ジュース用の水筒は5本しかないので、あと1Lは、昼間のうちに全部飲んじゃった。


作った日のご褒美だ😄

 

 

 
 
 

 

Pt1はこちらです。

 

4月

 

日本では4月と言えば、新年度、新卒、新生活。

「新」が付く表現の数々。

 

僕がニューヨークを去って、

日本に人生のやり直しを求めたのも

2002年の4月だった。

 

大学院以来、3年ぶりの日本だ。

 

最初に留学で日本に来たときは、

はじめて行く場所が故郷のように感じた

「ただいま」というか、いるべき場所に

辿り着いた感覚だった。

 

しかし、今回は新卒が、知らない街に新生活を

始めるときに感じる不安という気持ちが強かった。

 

仕事を辞め、国と家族を離れ、

勤め先が決まっていない中での再来日。

 

フリーになることを選んだ自分だが、

ゼロからスタートをすることは、

想像以上の重みを感じさせられる。

 

しかし、人生のレールを自ら脱線し、

ノープランで海を渡る決断は、後悔していなかった。

 

ニューヨークでの3年のスパルタ生活、

その間に得た業界のノーハウとコネを強みに、

フリーの翻訳家という道を選んでいた。

 

フリーとしての自立

 

選んだというか、これから築く。

そういう状況だった。

 

前の会社からの依頼に頼りながら、

少しずつ、日本での客づくりに必死だった。

 

頼りになったのは、前職で得た様々な経験だった。

 

一からお客さんを開拓する経験はなかったが、

とったお客さんは何を求めているが、

どんな仕事を納品すれば喜んでもらえるか。

 

会社員時代のそういったノーハウは、非常に役に立った。

 

翻訳という職業は、言葉がわかっているだけでは、

仕事にならないからだ。

 

案件を受注から納品やアフターサービスを管理するプロジェクトマネジメント。

クライエントとのやり取りの中でどのような情報を提供すればよいか、

逆に、どのような質問をすればよいのか。

 

ある意味、専門知識以上に、ビジネスセンスが必要ともいえる。

 

また、お客様の組織が大きくなればなるほど、ニーズや条件が増える。

その接客や対応の知識やセンスなしでは、

せっかくチャンスをくれたクライエントか二度と戻ってきてくれることはない。

 

そういう意味で、ニューヨークでの3年間は厳しかったが、

そのスパルタがあっての今の自分だと、今でも思う。

 

 

日本に戻ってきたのは、2002の4月だったが、

しばらくはほぼ貯金暮らしだった。

 

お客さんがついてくれない数か月。

この時期のストレスは身体に毒だ。

 

自分の選択は間違いだったのか。

夢をあきらめなければならないのか。

 

選んだ道を捨てて、とりあえずお金になる仕事を選ぶか悩んだ。

どこかの会社に就職するか、英会話教師になるか。

自立と持続にはたまにプライドを捨てないといけないのか。

 

そう悩んでいるうちに、半年が経とうとしていた。

 

もう限界だと感じ始めたころに、

ポツンポツンと国内の案件が入るようになった。

 

そして、2003年の春ごろには、複数の会社の安定した関係ができ、

フリーの翻訳者としての自立できると確信した。

 

むしろ、当時はグローバル化が加速していて、

知らないうちに仕事が選べるようにまでなった。

 

 

フリーとしての道を選ぶことは、

組織に縛られない、自らの意思で事業を営む自由は得られるが、

同時に組織力に頼らずに、

営業・生産・管理・経理の全ての責任を背負う意味でもある。

 

注文が入る時の処理

納品が遅れたら時の対応

ミスをしてしまってお客様と向き合わないといけない時。

 

組織力無しでは、うまくいった時こそ、

こういった処理に起こりうるトラブルに、

つぶれてしまうしまうことがある。

 

トラブルを回避する方法は様々だ。

ミスをしないこと。

納期余裕を持つこと。

失敗も自信を持って謝ること。

 

僕が思う一番の回避策は、選択と集中だ。

 

2003年から軌道になり始めた、

フリーの翻訳家としての道。

僕はこの選択と集中の概念は、

理解していなかった実施できていなかった。

 

ひたすら安定と安心を求めて、

ありとあらゆる仕事を受けていた。

 

しかし、数年続いたこの状態に起爆剤となったのは、

2008年の4月に入ってきた一本の電話だった。

 

 

(続く)

 

 

 

 

 


日本語にあって英語にはない。
これは日本語の魅力でもあり、難しい点でもある。
言葉や表現を直訳しても、伝わらなかったり、場違いだったりすることはよくある。
ご存じの通り、僕は翻訳者として活躍している。たまには日本語翻訳をしたり、本も日本語で出版されたが、主に和文英訳が仕事の中心だ。
この翻訳プロセスはもちろん、日本語を英語にすることだが、単純に直訳すれば良いというわけではないケースの方が、圧倒的に多い。
何故なら、日本語は自由な言語だからだ。そして、日本人はきっちりしている国民だと言えると思うが、文書となると、意外にもルールを守りたくなくなるのも、日本人だ。
20年翻訳として活躍してきた者の、あくまでも個人意見ではあるが。。。
血液型選手権でいうと、急にA型メンバーがO型チームに寝返るような感じ。余計わかりにくいか。。。
このルールを守りたくない傾向に関して、人間、廃盤になる?」では、僕が日本人にロマンチストが多いと書いた。
その投稿にも書いたが、それは日本語に魅せられる理由の一つではある。しかし、間違いなくこれは日本語が世界で、最も難しい言語だと言われる理由の一つでもある。
例えば、同一会社の同一の文書から上がった書類を見ても、担当者によっては、翻訳原稿の扱いやすさは様々だ。

僕が思う翻訳という役割は、言葉を訳するだけではなく、書いた人の想いを伝える仕事だと思っている。
原稿を書いた人の立場や状況。訳文を読む人の立場やニーズ。直接クライエントから言われなくても、文字にはこういう情報が隠されている場合がほとんど。
僕はこれを言葉の声と呼んでいる。
翻訳とは、一旦お客様の声をお預かりして、それを別の言語で新しい声として生まれ変わらせること。これが翻訳の本来の役割だと、僕は意識している。
特に技術が進んで、機械翻訳やAI翻訳が普及しつつある今は、翻訳が単なる直訳を超えていかなければならない。でないと、本当に人間が廃盤になってしまうのかもしれない。
翻訳家として目指すべきものは、お客様の声を届ける専門家だ。

それが僕の仕事だが、その仕事の中で、よく英語として面白い課題や疑問点に出会う。
これから、そういった面白いと感じた英語の課題を、ワンポイントEnglishとしてハイライトしていきたいと思う。
今日のワンポイントEnglish | 「炎上」

このSNS時代に誰もが聞いたことがある用語、

 

「炎上」

 

この間、あるコンサル会社の翻訳案件で、

マーケティング部門の失敗から起きる「炎上」に関連する原稿の翻訳をした。

その原稿の中に「炎上」という言葉が数回出たが、その時に思った。

いつも、「炎上」はどのように英語で表現しているのかな。

意外と意識したことがなかったかも。

 

GoogleさんやWikipediaさんに聞けば、

「Flaming」という言葉が出てきて、なんなりとそれを裏付ける説明も書かれている。

 

しかし、僕は何となくしっくりこないよね。

だから、ここで断言させて頂く。

「炎上」 = 「Flaming」だけではない!

 

逆に、このご時世では、Flamingという表現使われるケースが、

減っていっている気すらしてしまう。

 

Wikipedia等で解説される「炎上」=「Trolling」とは別に、

この用語が使われているケースは、以下のような意図もある:

1)社会の怒りを買った場合、若しくはネガティブな反応を巻き起こした場合

2)インターネットを通して意図的な晒し行為や風評被害を巻き起こす場合

 

炎上の正しい英語表現と使い分け

 

日本語でいう「炎上」には、

インターネットで紹介される「炎上」=「Trolling」以外に

上記の二つの状況は考えられるので、

状況に合わせて正しい表現を選ばないと、

伝えたいことがうまく伝わらない可能性がある。

 

ここで、もう二つの解説を紹介しよう!

 

1)怒りを買った時の「炎上」

Outrage【名詞】

例:広告に使われた映像が差別的だと指摘され、一時期SNSでは炎上となった。

Video used in an ad was noted as being discriminatory and caused outrage over social media. 

このように、ネガティブな意味で炎上状態になった場合は、「outrage」が使われることが多い。

 

2)意図的な晒し行為や風評被害を巻き起こす「炎上」

Trolling【動詞】

例:ラーメン店で行列に並んだが順番待ち中にスープが売り切れたことを不服に思い、SNSでその店に対する炎上を図った。

A man dissatisifed that a ramen noodle shop ran out of soup while he waited in line was trolling the shop over social media. 

 

このように、同一の言葉には英語となれば、

複数の候補がある場合は珍しくない。

 

状況に合わせて、正しい候補を使ってこそ、

言葉が生きてくると思う。

 

さて、次回のワンポイントEnglishでは、

仕事の場面に役立つ表現を紹介したいと思う。

 

良かったら、フォローしてください。

気になる点があれば、コメントにどうぞ!

 

 

 

 

 

選択と集中ができるようになったのは、

様々な経験をしたからだと思う。

 

 

 

 

1万時間の法則

 

人は何かになりたいからと言って、

なれるものではない。

 

1万時間の法則というのがある。

何かの専門家になるには、

10,000時間の努力が必要だとか。

 

1万時間はどのぐらいのものなのか?

例えば、1年365日ある中の300日に

1日1時間の勉強をすれば、

約32年頑張ればその分野のExpertと

呼ばれるようになるということだ。

 

1日2時間なら、約16年

1日4時間なら、約8年

1日8時間なら、約4年。。。

そして、1日10時間なら、約3年というざっくりした計算になる。

 

考え方は様々だ。

そもそも、1万時間の法則をどう思うかも含めて。

 

だが、一般論としていえるのは、

勉強や努力や経験で、

ある程度の知識やスキルを積み上げないと、

何か「できる」とは言えないだろうし、

世間からもそうは見てもらえない。

 

12歳で日本語を勉強し始めたが、

大学に入って本当の「勉強」というものを知った。

 

授業、アメフト、バイト、そして音楽活動で、

朝から夜まで時間ぎっしりだったので、

毎日夜中に4時間ほど勉強を取ってた。

 

睡眠は1日4時間と日中の15分の昼寝だけだった。

このスパルタ生活を2年続けたが、

そのおかげで日本への留学ができた。

 

一年の留学の後、4年生として大学に戻って、無事卒業した。

そして、すぐに大学院で日本近代文学を研究するために日本に戻った。

 

ある出会いの影響なのか、大学院は途中で辞めた僕は、

就職すると決めて、アメリカに帰ることにした。

 

出身地のシカゴに可能性は感じず、

ニューヨークに辿り着いた僕は、そのうちある翻訳会社に入った。

 

当時のニューヨークはインターネットバブルの真っ最中で、

街はお金と希望、そして野望に満ちていた。

 

1999年はグローバル化の第3波の真っ最中でもあり、

グローバル展開に力を入れている企業も急激に増えていた。

自由で開放的、何でも可能に感じる頃だった。

 

グローバル展開の大きな壁は言葉。

 

今や翻訳ソフトや通訳アプリで、プロ翻訳者や通訳者がいなくても、

ある程度のコミュニケーションが取れる時代ではある。

 

しかし、20年前はそういったアプリやソフトもなく、

ものを調べたいときは、まだ太くて重たい辞書を引くか、

余裕があれば、当時流行っていた電子辞書を使うか。

 

何といっても、原稿が手書きのファックスとして入ってくることが、

まだまだ当たり前の時代だった。

 

そんなアナログ時代におけるグローバル展開の

最前線にたっていたのは、言葉のプロである、

翻訳者や通訳者だった。

 

グローバル化をもたらしたのはインターネットの普及ではあるが、

グローバル化を可能にしたのは、言葉の壁を崩してくれる、

翻訳者や通訳者だと言っても過言ではない。

 

しかも、翻訳業界自体はこの20年で急激な成長を見せ続けているが、

当時は小さな業界で翻訳会社も翻訳者もそれほど多くなかった。

 

需要の供給のバランスなんてなかった

 

そんな時代に、僕は翻訳業界に入った。

言えば、需要の供給のバランスが崩れていて、

猫の手を借りてもどうにもならない状態が当たり前だった。

 

朝から普通に出勤しても、帰れる状態になるのは、20時や21時。

金曜日は新規依頼が集中するので、友達と約束事はしないのも、僕たちの中で

一つの暗黙の了解だった。

どうせ約束を破ることになってしまうので、

友達に怒られないために、金曜日はあきらめることが多かった。

 

週末でもセーフではなかった。

当時のニューヨークと言えば、世界の経済の中心だった。

会社も多く、その会社を世話する弁護士や金融機関も多かった。

そして、この会社同士の訴訟も良くあることだった。

 

ベイツ番号の悪夢

 

ある金曜日、訴訟関連の大型案件が受注された。

月曜日までに56000文字の翻訳を納品しなければならない。

通常なら早くて3週間の案件を2つ日間で。それも週末に。

 

こういう無理な案件は初めてではなかったが、

規模は、20年以上の経験で一番厳しい仕事だった。

 

この仕事をこなすには、20人以上のチームを組んで、

役割分担で攻めることになったが、特につらかったのは、

数箱で運ばれてきたプリントの一枚ずつに、

ベイツ番号をスタンプで押していったことだ。

 

 

今や考えられない作業だろう。

 

そして、その作業のためにその金曜日は、

家に帰らずに事務所の床で寝たことだ。

 

ニューヨークにいた3年間は、

このつらい思いや無理な仕事は数々経験した。

 

回りには「よくそんなところで働くね」と、

言われるのもよくあることだった。

 

確かにスパルタの毎日だった。

日本でいう、ブラック企業だと言われても、

頭を縦に振るしかないのかもしれない。

 

しかし、僕はその会社はブラック企業だなんて思わなかった。

 

好きなことをやっていたからか?

好きな分野ならどんなことで耐えてしまうのか?

好きな分野なら、会社にどんな扱いをされても良いのか?

スパルタによって、得るものがあれば、それでもブラック企業なのか?

 

スパルタとブラック企業の線引きはどこに。

これについて、もう少し考えていこう。

 

(続く)

 

 

 

1990年代のインターネットの普及が

もたらした世界規模の大変化、

情報のデジタル化そして、

4th Wave(第4波)グローバル化。

 

そして、その変化による新しいコミュニケーションスタイルと、

ビジネスにおける機会とリスク。

 

このいった課題は、

去年の7月に僕が行った+Value プロジェクトのセミナー、

「+VALUE(プラス・バリュー)セミナー(第1回)~ポストコロナを戦うための新戦略~」にて、

細かく紹介させていただいた。

CNET Japan等複数のメディアにもピックアップして頂いた。

 

100年寿命と言われる今は、

複数の世代を渡って、

複数の媒体を通して、

様々な経験や価値観を持った幅広い世代の人々が、

公私ともに交流・協力することは当たり前になってきた。

 

ある意味、今世界が目指すSGDsの一つ、

目標10「不平等をなくそう」を実現させるための基盤ができているといえるほどかもしれない。

情報と知識における不平等が、貧困・飢え・差別など、

様々な社会問題の原点だともいえるからだ。

 

ちなみに、2021の12月に行った+VALUEセミナーの第2回では、

SDGsがどのように我々の生活や将来に影響を与えるか、

というトピックスをカバーした。

 

 

このSDGsの目標でも目指しているように、

インターネット普及、データのデジタル化、

そして、グローバル化が可能にしているように、

社会は、人が立場や世代を渡ってやり取りできる時代に突入している。

 

インターネットとデジタル化による、情報への平等なアクセス。

 

同時に懸念しなければならないことはあると思う。

アクセスによる情報の取得。

確かに、それによってものを知る機会は平等にある。

知識を得ることは誰でも許されている。

 

知恵とは

 物事の道理を判断し処理していく心の働き。

 

 

「知る」だけはすべてではない。

情報を正確として効率的に使う知恵の大切さを訴える必要もある。

 

これに気付かさせるエピソードがパン作りにあった。

 

今や誰もが使うYouTube。

本当に素晴らしいクリエイターが多くて、

テレビに遜色ないクオリティとエンターテインメント性のあるコンテンツが、

見たいときに、探したいものが直ぐに見つかる、

素晴らしい配信プラットフォームのひとつだ。

 

料理においても、綺麗な画質で、

丁寧にレシピや手法を教えてくれる動画もたくさんある。

 

長男がそういった動画の一つを見て、

少し難易度の高いイタリアンの揚げパン、「フリッテッレ」に挑んでいた。

 

息子はこの時代がもたらしてくれる情報へのアクセスをうまく利用して、

様々な分野において、自分の料理の腕を磨いている。

時には父親に挑戦的な態度で「味見してみ」と言いに来るほどだ。

 

そんな息子がのパン作りの始めに、

僕は息子が冷蔵庫から出したドライイーストの扱い方について、

「そのイーストの戻し方だけど。。。」と、一言教えてあげようとすると、

 

息子が、

「大丈夫、YouTubeにレシピがある。」

 

とあっさり立ち入り禁止扱いをされてしまった。

 

まさにレシピという知識がスマフォのおかげで手元にあるし、

よそからの関与は不要だ、と言われる瞬間だった。

 

「そうですか」と、少しやるせない気持ちで、

ホームオフィスに戻る僕に、
「Siri、タイマー2時間設定して。

了解しました。2時間のタイマーを設定します。」と、

余裕のある会話が流れてきた。

 

 

今日の翻訳案件は、メーカー様の社長あいさつ。

事業を取り巻く環境と会社の姿勢を、

投資家・株主・お客様に伝える大切な道具の一つだ。

 

Siriのタイマーに合わせて作業をしていたかのように、

納品が終わったタイミングとほぼ同時に、

息子がオフィスに現れ、僕に聞く。

 

「これは、どうしたら膨らむの?」

 

「それはな」と、

「ドライイーストには戻し方というのがある。

それを説明しようとしていたけどな。」

 

別に、僕はこの展開を待っていたわけではないが、

まあ、知恵を共有する機会が回ってきたという気持ちはあった。

 

水の温度とか、熱湯で温めたタオルとか、

外気温だとか。

 

直ぐに手に入る知識に、

経験や失敗の回数から得る知恵の大切さを

息子にアピールする機会となった。

 

ごく当たり前のことかもしれないが、

情報が直ぐに手に入る時代、

リモートが対面を、共有が伝達を

置き換えつつあるこの時代に。

 

改めて知恵と知識の差を認識する大切さを

考えさせられるエピソードだった。

 

日々こなしている仕事の案件からだけ言えば、

様々職場でも、同じようなエピソードが起きているだろう。

 

知識の取得だけでは、専門家と言えないし言われない。

SDGsの趣旨が実現となれば、世の中には、

ますます、知識を持った社会への成長が続く。

 

ただ、同時にすべての世代が持つ知恵をも、

それに対する受け入れと共有するマインドもないと、

不平等を無くすどころか、

むしろますます格差社会へと発展しかねない。