the Enterprising HORSEMAN (4)
<前回から続く>
SWCW崩壊後、ジョー親父やポッフォ親父は引退し、アダニスのタイトルは忘れ去られ、ブロディはSWCに戻り、マッチョマンはミッドアメリカへ転戦して行くが、ターリーは、JCPと契約、すぐさま、NWATVタイトルを制した。わずか1年後には、ぶっ潰そうとしたNWAの最大カンパニで、NWAのタイトルを持っていた。NWAやJCPにしても、ターリーの腕っ節は、アレを引いても余りある魅力に満ちていた。ターリーはスターケード84で、いきなり王者として、かつてフレアーと名勝負を展開したリッキー・スティムボートを迎え撃ち、やはり好勝負をした上で、テーズ譲りの?バックドロップなども繰り出し、TVタイトルを防衛している。
日増しに声が強くなって来る。次期NWA王者候補は、ターリー・ブランチャードだと。テッド・デビアシーを蹴落とし、エリック兄弟を振り切り、安定飛行に入ったかに思われたフレアーに立ち塞がったのは、1年前まではNWAを潰しに掛って来た、ヴィンス・マクマンになっていたかも知れない人物だった。これは遂にターリーが、ダラスの鼻を明かした瞬間でもあった。
実際ターリーはフレアーへのNO.1コンテンダー視され、一時は単独断トツの、唯一の次期王者候補となった。あの頃のことはよく憶えている。フレアーファンが、最も危機感を覚えた時期。ターリーはデビアシーやエリック兄弟よりも、質感を伴ってリアルに、王者論壇に聳え立っていた。
ターリーとフレアーは、何度かタイトルを賭けて戦う。不思議と目立たない、ローカルな会場で。TXNでもこのカードを観たことはないから、アメリカでもTV放送はされなかったのかもしれない。されていれば、youtubeなどへupがあっていいはずたが、それもないということは、やはりなかったのだろう。しかし、おそらくテストケース的に、割りとまばらに、フレアーとターリーは、多分十数回程度、シャーロットなどを含めたハウスショーで、世界戦をやっている。フレアーが勝ったケースが数度あったと記憶する。ターリーのDQが多かったとも記憶する。しかしこれは、本格的なフュードに発展はしなかった。
ターリーは、散発的にフレアーに挑戦する間も、世界TVチャンプとして、或いはナショナルチャンプとして、ダスティ相手に大フュードを受け持った。バッシュ85の締めのカードは、ターリー対ダスティの、世界TV戦インサイドケージだった。そのバッシュでTVタイトルを卒業したターリーは、その脚で遂に、USタイトルを手にする。
ターリーはこの時期、唯一の次期王者候補としてヤル気になっていたと聞く。スーツを身に着け、プライヴェイトショーファを雇い、ドラッグもキッパリ断ったという。フレアーファンが、最も背筋を凍らせて脅えていた一時。
ガクガク((((゜д゜;))))ブルブル だ。
何にかくも怯えていたか。それはターリーがまず、フレアーと同タイプだということだった。ハンサムな技巧派で、ラフファイトとダーティプレイとトリックプレイに長け、ローブを纏ってストラットを踏む。なんとなればターリーは、フレアーに取って代わり得る存在であると、誰よりもまず、フレアーファンが認識していた。そして何よりも、フレアーのファンはターリーが好きだった。フレアーのファンは世界で二番目に、ターリーを尊敬していた。
だから怯えていた。世界で最も偉大な二人のレスラーが、あの時期に、潰し合いをするのではないかということに。お互いにトリックの通じない相手だ。戦えば勝つにせよ負けるにせよ、ただでは済まない。互いにキャリアを縮めるような神経戦を強いられる。時はWWFがレッスルマニアを爆発させて、JCPやフレアーや世界ヘヴィー級タイトル自体が、風前に曝されている時節。世界王者とUS王者が潰し合うのは、リスクが高すぎると。
もちろんフレアーvs.ターリーの究極を観てみたいという気持ちはあった。今のWWEでなら、ゲーム対HBKのように、この戦いをいくらでも選択し得る。しかし当時のフレアーの倒すべき相手の筆頭は、ハルクのポピュラリティだった。対抗するためには、フレアーの相手はマグナムやダスティの方がベターとの判断は、あらゆる面から見て、妥当なものだった。自身がプロモーター代行だったターリーにも、それは痛いほど分かっていたはずだ。
大敵ハルクを倒すために、言わばアナザーディメンションで潰し合っている場合ではなかった。唯一の次期王者候補と目されていたUS王者ターリーは、大局的見地に立ち、世界王者への道を自ら閉ざし、ハルクを倒すために、フレアーと共闘することを選ぶ。つまりそれが、Ⅳホースメンの結成であろう。<続く>
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the Enterprising HORSEMAN (3)
<前回から続く>
そして更に、噂が飛んだ。ジョージアのオレィ・アンダーソンが、この、新しいNWA構想ともいうべきものに、参加するべく口説かれていると。
当時ジョージアのオレィは、同じNWA傘下のWWFテリトリー、ペンシルヴァニアへの進出が、NWA内で問題視されていた。地元アトランタの全米ネットを取り付けて、サウスウェストと同じ野望を持ち、「ジョージアオフィスは、ハーリー・レイスを世界王者とは認めない」と血気盛んだった頃だ。
ジョージアは参加せず様子を伺っていたようだったが、ジョージアの背後にJPCがいたのは明かで、だとするなら、サウスウェストとJCPも、何らかの接触を持っていたとしても不思議ではない。サウスウェスト一派が躍動した数ヶ月、偶然にもその時だけ、フレアーはタイトルを降りているのである。
お家の一大事に、レイスがベルトを欲したからだと、当時は言われた。フレアーはミズーリ王者として援護射撃をしたが、矢面には立たなかった。キングコング・ブロディを引き抜かれて、テーズとファンクの協力のもと、USAネットでキールに乗り込まれているのである。NWAが本気で一丸なら、アトランタとその後ろ盾のJCPが、フレアー前面に、WTBSでチェッカーで迎え撃つべきだったはずだ。
JCPはサウスウェスト一派の動向を、見守っていたフシがある。元々アレは、自分たちが5年前に書いたプロットである。やったらどうなるものかと、ターリーにやらせてみたフシも伺える。ターリーは新人時代にカロライナで修行の経験があり、このジョーの息子の底知れないポテンシャルに、オレィやフレアーが一目置いていたとしたら、頷けないハナシではないと思うのだ。
色々な面々の思惑が渦巻く、当時の総本山セントルイス。レイス派SWCは、10月、もう既にこの頃は実質、WWFが握っていた、当時のIWGP王者ホーガンを、AWAのガニアからのブックの形で、キールでレイスとのNWAタイトル戦を組み、遂にマティシックGSWEを蹴散らした。マティシックは最後にこう言って去っていったという。「次回からは、WWFがこのセントルイスを楽しませてくれるでしょう」と。USAネットはWWFに買われ、この日レイスとタイトル戦をやったホーガンは、翌年、WWF王者として、GSWEのような立場で、セントルイスに乗り込んで来た。あの15年戦争が始まった時は、セントルイスの戦争が終わり、SWCがホッと一息ついて間もなくだった。
ターリーはUSAネットでの、新NWAでっち上げ構想には敗走した。しかしターリーは最初から、これが成功するとも思っていなかった面も見て取れる。NWAベルトそっくりのアンディスヒューディッドベルトは、あまりにもニセモノ過ぎたし、アドニスにホームズ戦を口にさせたのも、実現不可能を見越したパフォーマンス。ターリー本人は、ニセモノベルトにもホームズにも、一切かかわろうとしなかった。何をしたかというなら、ファラ・フォーセットの彼氏とフュードし、そして、あの、伝説の、スパイク・ヒューバーとの戦いで、名前を全米に知らしめたことだった。
独立狼たちが、USAネットで総本山に乗り込んだ一連で、何を最も憶えているかというなら、それはターリーとヒューバーがやった、サンアントニオスタイルのテキサスデスマッチ10本勝負の凄絶であろう。観たわけではないが、こんな無謀なことをするヤツがいるのかという当時の衝撃は、決して忘れられない。ギミックマッチではない、本当のレスリングのデスマッチを教えてくれたのは、本物のハードコアレスリングレジェンド・ターリーだった。どちらかが10fallを先取するまで、延々と戦いは終わらないという、本当の意味でのレスリングのデスマッチ。付き合わされたヒューバーも大変だったろうが、サンアントニオにターリー・ブランチャードという、エクストリームなことをする奴がいると、全米が知った瞬間だった。<続く>
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the Enterprising HORSEMAN (2)
<前回から続く>
1つの州に、というよりも、1つの縄張りに1つのオフィス、というのが、当時のNWAの掟。テキサスには元会長アドキッセンが、ダラスとフォートワースを中心に仕切り、睨みを効かす。ヒューストンのポール・ボーシュは、NWAにも顔を効かす一方で、MSWAと協定し、AWAとも友好した。
MSWAとAWAが、裏で、というよりもほぼ表で堂々と、NWAと通じていたのは周知の事実。独立系と言われていたグループは数あれど、WWAがAWA系で、ICWもシークとつるんでいたことを考えるなら、本当にほぼ独力で踏ん張っていたのは、当時サンアントニオのサウスウェストだけに見えた。そしてそれはまた、ターリーの、メジャーなチャンプへの道を閉ざすのではないかとの危惧も意味した。
ダラスでは、三男デイヴィッドが、ほぼ世界に就くことで、ハナシがまとまりかけていた。アドキッセン元会長の夢。デイヴィッドはテキサス・タイトル、フロリダでサザン・タイトル、そしてミズーリ・タイトルを制し、フレアーにも連続挑戦を開始した。
ジョーがダラスのマッチメーカーとしてターリーに肩入れしたとして、エリック王国でデイヴィッドを倒し得たかどうか。もちろん我々はターリーを応援しただろうが、スポータートリアムの黄色い声援が何を物語っていたか、それはジョー親父でなくとも容易に判断出来た。
実力者ターリーに、世界への道は最初から無かったのだろうか。否、そうではなく、システムを根底からひっくり返すことで、機会は平等になるという思考回路。ターリーはヴィンセント・ケネディよりも先に、NWAをぶっ潰すことを考えていたかもしれない。少なくとも一番最初に、実際にNWAの首に手を掛けたのは、間違いなくターリーだった。
実はNWAを潰そうという動きは、内部からもかつて脈動した。70年代後半のJCP。若きネイチュアボーイを中心に起こった“レッスルマニア”。人口35万程度のグリーンズボロやノーフォークの、1万超級のアリーナが、連日満員になった。JCP内部ではジョージ・スコットが、NWAを抜けて全米に進出するべきだとの、強行論を口にしたと聞く。ビジネスとして何を選択したらいいかの答えは、既に出ていた。旧式のNWAシステムは必ず古新聞になる。このままではNWAは、いずれどこかに寝首を掻かれる。次のアイホーンは、よりパワフルになって、間違いなく現れるー。
それを本気で最後まで分からなかったのは、ダラスのアドキッセンとセントルイスのオコーナー一派の、NWAの主流派と言われた連中だったか。本気で最後まで、保守本流を貫いたNWA一族は、実際にダラスだった。
NWAの寝首を掻こうとしていたのは、サウスウェストのターリーだった。あの事件の、全ての糸を引いていたのは、プロモーターのジョーではない。若干29歳の若頭、ターリー・ブランチャードだ。現在RAWを流すUSAネットを、一番最初に取りつけたレスリング・オーガニゼイションは、サウスウェスト・チャンピオンシップ・レスリングだった。だからターリーは順調に事が運べば、ヴィンス・マクマンになっていたかも知れない人物なのである。
ターリーは全米ネットのUSAで、伝説の王者ルー・テーズより、必殺のバックドロップを伝授されるシーンを、特別プログラムとして流した。そして83年6月、テリー・ファンクを参加させた上で、NWAベルトのイミテーションを作り、アンディスピューディッド世界ヘヴィー級王者決定トーニーと銘打って、ヒューストン・サミットで、大々的なショウダウンを開催した。
USAネットの、SWCWの元に集う、独立系の雄達。ICWのポッフォ親子が遂に動き出し、セントルイス・レスリング・クラブを独立した、マチニクの子飼いビューロクラット、ラリー・マティシックの新会社、グレーター・セントルイス・レスリング・エンタープライズも、待っていたかのように参加を表明した。<続く>
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the Enterprising HORSEMAN (1)
リック・フレアー史上、最大のライヴァルは誰だったか。言われるようにホーガンだったか? 或いは実質的に15年戦争を戦い合ったVKMだったか? リング上で最も好勝負を展開出来たリッキー・スティムボートだったか? NWAタイトルを巡る大敵レイス? ダスティ? デビアシー? WCWでのネメシスは、スティングだったか。
しかしもっと本質的な意味で、誰がリック・フレアーに代わり得る存在だったかを問うに、つまり、誰がリック・フレアーのファンを、リック・フレアーの代わりとして納得させられるのかと考えた場合、それは、ターリー・ブランチャードだったと思っている。
ターリーは、カウボーイ・ボブ・エリスとともに、ハンサムなことで有名だった親父、ジョー・ブランチャードの息子として生まれる。ジョーは、血の気の多いタイプだったが、同時に技巧派で頭も切れ、ダラスのワールドクラスなどでは、マッチメーカーも任されていた。
親父譲りのプリティボーイ振りと頭脳明晰振りの息子ターリーは、ウェストテキサス大フットボールティームのQBとして活躍。ジョーはターリーの期待以上の成長振りに、目を細め続けたことだろう。何しろ本人は名門ティームのQBをやりながら、プロレスラーになることばかりを考えていたというのだから。
ジョー親父は思っただろう、この息子なら、自分が決してなれなかった、NWAチャンプになってくれるかもしれないと。しかし当時のテキサスで、そう思っていたのはジョーだけではなく、ジョーのボスだったジャック・アドキッセンも、5人の息子達に、同じ思いを託していた。
ジャック・アドキッセンは、ご存知フリッツ・フォン・エリック。アイアンクロウで全米を席巻し、ダラスに一大帝国を築いた。ダラスはエリックランドと言われ、後にアドキッセンは、NWAプレジデントにもなった。そのエリックでも、AWAチャンプにはなったが、NWAタイトルは獲れなかった。
ジョーが、無謀とも言われたテキサスレスリングウォーに踏み切ったのは、エリック絶対主義のダラスに対し、エリックの息子以上の才能ターリーに、世界チャンプになるための、よりよい環境を整えたかったからだと、言われている。
程なくターリーは、ダイナミックデュオで、軽いご挨拶。しかしブランチャードの息子は凄いと業界に知らしめるには、それは十分過ぎる会釈だった。サンアントニオ在住の、マイケル・ヒッケンボトム少年の受けた衝撃は、想像に難くない。ダラスのエリックスやヒューストンのマスカラスとは違う、ハンサムでクールな、悪役のヒーロー。毒々しい色のマント。間違いなく、HBKの原典がここにある。
ハンサムでクールな、ヒールの主役を称える地はこの当時、AWAのボックウィンクルとカロライナのフレアーぐらいのもの。もちろんターリーは、歳の近いフレアーをライヴァル視し、また参考にもしていた。ジノ・ヘルナンデスとのスーパーデュオは、フレアーとヴァレンタインのニューブロンズを意識して作ったものだ。
ジノとのデュオでの、有名な牛の皮のストラップの、SWCW「ワールド」タグティームタイトル。フロリダのテリー・アレンを見つけてここに連れて来て、マグナムの基礎を作ったのもターリーだ。レスラーとしてブッカーとして、ターリーはカウボーイと空軍の街で、腕を着実に磨いていく。 <続く>
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WCW & its titles (8)
<前回から続く>
豪華なチャンプ陣。オリジナル・ワンマンギャング・ロン・ガーヴィン、オールアメリカンボーイ・ボブ・ループ、ダスティ・ローズ対ターリー・ブランチャード、そしてダブルAにスタニング・スティーヴ。ジェリコにベンワーにブッカーT。ロード・スティーヴンにビューティフル・ボビー。約20年に渡って、米マットを華麗に彩った。しかし突然、2000年の春頃に、クレイジー・ジムを最後のチャンプに、消えた。
消えたのはルッソのカオスの時代で、ジャレットにすべてを賭けるという政策のもと、リスク回避のために敢えて、シドからタイトルを取り上げるというあからさまな暴挙をした時と、同時期。
AOLタイムワーナーはあの時代もう、WCWの売却先の検討に入ってたろうし、TBSで放送しなくなるとならば、TBS放送で始まったワールドTVタイトルはすでに整理の対象のリストになっていたろう。改めてワールドTVタイトルとは何だったかというなら、それは、テッド・ターナーのネイションワイド・ケーブルTVでWCWの親会社、TBSでの放送を機に誕生した新概念のワールド・タイトル。そしてWCWとは、WTBSで始まった番組名で、TBSがつくったレスリング・カンパニーの名前。つまり、WCWとはTVそのものであり、ワールドTVタイトルとはWCWそのものを象徴するものだった。
WCWには本物のワールド・レスリング・タイトルがあったが、ワールドTVタイトルはそも、そのWCWの前段階で、ワールド・タイトルの代わりを務めたスペシャルドローイング。そしてWCWは時として、ワールド・タイトルとWCWタイトルを共存させた。そして実は本来は、WCWタイトルと世界TVタイトルは、同根。ルッソにそれが分かっていたかどうかはともかく、WCWはシドからWCWタイトルを、世界タイトルからスプリットした上で取り上げ、WCWタイトルと世界TVタイトルを同質だとした上で合流させ、結果TVタイトルはあの時消えたのではないかと思うのだ。世界TVタイトルに正式にWCWタイトルと名乗らせ、世界タイトルとして史実に加わらせるために。
だから、シド以降、ジャレットやアークエットが就いたタイトルは、スプリットされた方のWCWタイトルの方であり、つまり、あの時無くなったTVタイトルの方だという論理。なぜならTVタイトルの方こそ、WCWが自由に出来るWCWタイトルそのものだったからだ。WCW、ましてやルッソなどに、本物の世界王者からチャンピオンシップを取り上げる権利はない。to be the MAN, you gotta beat the MAN, whoooh である。公的タイトルは、リング上のピンのみでしか移動しない。
Z-MANやマイケル・ウォールストリートやMr.#1ダフルの歴史はどこへ行ったか? スコット・スタイナーがWCWチャンプの時に、スティル・ワールドチャンプのシドの、ワールド・タイトルと併されたと考えればいいのであろう。だから世界TVタイトルも、SDの世界ヘヴィー級の中に収められている。
言ったように、シモンズやヴェイダーの持っていたWCWタイトルは、緊急で困って、慌てて作ったタイトルだ。しかもWCWという会社だけが認定するタイトル。実体は、ワールドTVタイトルそのものだし、ワールドTVタイトルの方が歴史がある分だけ、ベターとすら映る。
フレアーは、オレがWCWであり、オレがレスリングだと言った。フレアーがレスリングだということに異論があろうはずもないが、WCWを代表するともいうべき、その象徴的人物は誰かと問われれば、それは世界TVチャンプとして、“WCWタイトル”に実質最長期間輝いた、アーン・アンダーソンであると、我々は答える。WCWがホースメンの国家であり、ホースメンがフレアーと世界王座を守って来た騎士団であるならば、WCWは、“ペイルライダー”に率いられた軍隊だったと思っている。
WCWとそのタイトルズという題目で長々と書いてきたが、取り合えずそんなところにまとまった。別に結を出すためにやってきたわけではなかったが、結果頷けるハナシだったとは、思わないだろうか。
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