DeBiasie for the Milliondoller
リック・フレアーが世界を制するに当り、最後の最後まで立ちはだかったのは、テッド・デビアシー。81年の9月までのデッドヒートは、熾烈を極めた。
有名な5月15日のセントルイス。ミズーリ・ステイトヘヴィー級戦。王者デビアシーにフレアーが挑戦する、60分3本勝負。6月の月例定期戦での、世界タイトルへの挑戦者決定戦を兼ねた。
斜陽の世界王者レイス。限界が近いと噂がしきりだった。5月15日のミズーリ戦は、事実上の、次期世界王者決定戦だと目されていた。
一進一退の攻防。一本づつをとりあったあと、デビアシーがヴァーティカルスープレックスかフィギュアフォーを決めて、死闘を制した。フレアーは最大のライヴァルとの天王山に敗北した。
6月の定期戦で挑戦権を貰ったのは勿論デビアシー。しかしデビアシーはレイスに敗走。そのレイスは、10日後のアトランタで、ダスティ・ローズの巨体に押し潰され、遂にタイトルを失う。その一週間後のアトランタで、再びデビアシーは、今度は新王者ダスティに挑むも、これに完敗。
デビアシーが2連敗してチャンスを失った後、フレアーに順番は回ってくる。8月のチェッカードーム。対ダスティ。しかしフレアーもまた、ダスティの秘密兵器のハイクロスボディに押し潰され、完敗するのだった。
翌9月にフレアーは、レイスの地元のカンサスで何故かチャンスを得、世界に昇る。レイス、ダスティ、デビアシー、フレアー ・・ 何があったのかは分からずも、結局勝ったのは、この四つ巴でそれまで負け続けていたフレアーだった。ライトタイムライトプレイス、か・・。
フレアーとデビアシーは、フレアーが世界チャンプになった後、二度ほど大きなショーでの対戦があるが、意外なほど両者の世界戦は少ない。デビアシーはフレアーが世界チャンプになった後は、世界チャンプになるのを諦めたかのように、MSWAで悪役になったり、ミリオンダラーマンのギミックを請け負ったりしていた。
ファイトスタイルも変え、フィギュアフォーを捨て、パワースラムを開発し、コブラクラッチを看板にしていった。フレアーファンには、デビアシーが世界チャンプ・フレアーの宿敵足れてくれなかったこととその変容は、正直寂しかった。
81年5月15日・セントルイス・ミズーリ・ステイトヘヴィー級戦・デビアシー対フレアー。宿命のライヴァルと言われた両者の対決のハイライト。その後16回チャンプになったのは、この決戦に負けた方のフレアーで、デビアシーは、終ぞ一度も、世界王者になれなかった。
HBK対ダブルJのICタイトルを思い出すか。世界戦だけが全てでもない。リアルなライヴァル関係というのは、時としてそういうものなのかもしれない。ICやUSでしか作れないハイライトもある。IC王者がバンクラダーマネーを欲す意味とは何だろう。
一昨年のサヴァイヴァーではティームした二人。5・15セントルイスも、世界タイトルフュードが無かったことも、とっくに過去だった。そしてその過去は、未来へと続くのだろうか。
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to be the world Strongest man
ガニアキャンプでのフレアーは、それこそ全く無名の若者。同期には何と、2人のオリンピアンやヴァーンの息子などがいた。特にフレアーと同部屋だったケン・パテラは、ミュンヘン前からガニアに熱心に誘われ続け、やっと口説き落とされたという期待の星だった。フレアーが最初に意識したライヴァルは、パテラではなかっだだろうか。
パテラは、ミュンヘンを経てデビューした時、既に30歳。知名度と屈強な体躯で、クリス・テイラーなどとともに、フレアーに比べると、スムーズな船出。オクラホマでビル・ワッツを追い込み、その勢いでMSGでブルーノ狩りに挑んだ。しかし五輪の怪力は、斜陽と言われていたブルーノとのパワー合戦に敗走。直後に入ってきた、元カナダリーグのフットボウラーで、ボディビルダーのスーパースター・ビリー・グレアムに、ブルーノの首を譲った。
スーパースター・ビリーに完敗した格好の傷心のパテラは、ミッドアトランティックに入ってくる。しかしここで見たものは、USチャンプとして、次期世界王者の座を揺るぎないものにしかけていた、キャンプのルームメイトの、かつての無名の若者だった。パテラはここで、変身を決意する。
当時のミッドアトランティックは、ファッションでも切先。スティムボート、スヌーカ、フレアーと、皆ボディビルダー紛いの筋肉美をしていた。それはスーパースター・ビリーの裂いた道の行き先に敏感だった、ジョージ・スコットが推進していたものでもあるが、当時こういう地は他になかった。
最新の器機による最新のウェイトトレーニングと、最新のサプリメンテーション、そして少量の?ダイナボル? ブルーノに土を付け、1ヶ月でペドロに敗れたアイヴァン・コロフを、ハートパンチの狼男とは違う方向に導いていたのも、ここでの充実したトレーニングによる変身である。
パテラはここで、ミッドアトランティック・タイトル、ジョン・スタッドとのティームでミッドアトランティック・タグタイトルなどを制しつつ、徐々に変身を完了。79年晩秋にNYに戻った時には、全く別人といってもいいくらいの、ニュー・ケン・パテラに生まれ変わっていた。
ウェイトリフター体型だったパテラは、ギリシャ彫刻を三回り位大きくしたような、見たこともないような凄い体をしていた。特に肩、腕、そしてサイ。ウェイトリフターのベースに整えたハードな筋繊維は、正に300ポンドの、鋼鉄の塊。髪はブロンドのカーリー。そしてあの、スリーピースのコスチューム。今でもあの、パンツとジャケットと短いマントのスリーピースは、秀逸のリングコスチュームだと思っている。そしてそれをチョイス出来たパテラのセンスと、それを着こなせたパテラのブリリアンスは、見事だった。
変身してからのニュー・ケン・パテラの活躍は目覚しかった。すぐさまパターソンからICタイトルを奪取。すぐ後には所変わってNWAの総本山セントルイスで、ミズーリ・ステイト・チャンプにもなった。当時のミズーリ・ステイト・タイトルは、NWAレイティングの2位にランクされていたから、パテラはWWFとNWAのレイティングの上位に、同時に顔を出すという離れ業をやっていたわけだ。これをやってのけたのは、記録上、この時の二冠王パテラしかいない。
パテラとフレアーは、パテラが何度目かのミズーリ・チャンプ時に、キールの3本勝負で世界戦をやっているが、おそらくそれ以外で、ビッグショーでの対戦はなかったはずだ。しかしこれはシリーズで見たかった対決だった。両者があの衣装で向かい合うだけで、エクストラヴァガンザを観に来ているという醍醐味を満喫出来たことだろう。
フレアーの、最初のライヴァル、ケン・パテラ。パテラを継承する者が現れてもいいはずだが、アーシディやカズマイヤやヘンリーで簡単にそうはならないのは、パテラが、ストレングスとブリリアンスのハーモニーを奏でられた、史上でも稀有な存在だったからだ。そしてそれは、やはりフレアーやサージやローズを生んだ、ガニアキャンプの成せる、共通の旋律だとも、やはりどうしても、思わざるを得ない。
IC王者で、WWEでもレジェンドのパテラ。キャンプのルームメイト。この時期、顔も見たいものだが。
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59th Woooooo!!!
遂に我々のキング・フレアーが、HOFerとなった。そして明日は、我々のクライスト・フレアーの、59回目のバースデイである。ハッピーバースデイを歌おう。ハッピーバースデイ・トゥ・ネイッチュアボーイ、と。ハッピーバースデイ・トゥ・ユー・Woooo!と。そしてHOFを祝し、彼の偉大さを改めて称えよう。
かつてなら、スーパーブロウルがあった。フレアーのバースデイを思い出し、改めて彼の偉大さを称える日が。彼の偉大さを思い出し、彼を称えるアニュアルのイヴェントが欲しいところだ。
この時期にキングオブザリングをやろう。リック・フレアー・クラシックの名で。マニアでのタイトル戦の最終切符を掛けて。
インダクターは誰だろう。候補は選べないほど沢山いる。とにかく、今日は我々も飲んで騒ごう。或いは教会で祈るか? 今日はクリスマスイヴだぞー。Woooo! リムジンライド、キススティーリン ・・・ Woooo!
Minn. rite
日本ツアー2日目、フレアーはブーダカンでリーガルと対戦、これを制した。
リック・フレアーのプロとしてのベースは、英流にあると思っている。フレアーがプロになるためのトレーニングを積んだガニアキャンプの、在籍当時のヘッドコーチ、ビリー・ロビンソンは、他にも多くのスターを造る。
IC王者のパテラにムラコ、サージ、プレイボーイ・バディ・ローズ、プリティボーイ・ダグ・サマーズ、ハイフライヤーズ、マイク・グレアム、リッキー・スティムボート・・・皆ガニアキャンプ全盛期、ロビンソン・ヘッドコーチの教え子。基礎をロビンソン流で叩きこまれ、それを元に、個性的なギミックをプラスさせて、ビッグショットへと羽ばたいていった。
ガニアキャンプ出身者にある特徴。それはどこか牧歌的なファンクランチとは違う、カレッジ臭のキツいフロリダのエディ・グレアム流でもなく、直線的で力強いカルガリー風でもない、抜け目なく理詰めで、流麗な香り。それは英国の伊達男と言われたロビンソンの、華麗なる、独自のフラムボーヤンスにも似た。
ロビンソンの弟子達とは従兄弟弟子に当る、ゴッチの弟子筋のNJの人等には、それはそれでゴッチ臭というものはあるから、それそのものがスネークピットということはないだろうが、スネークピット流というか、英国流が正道だと考えられていたのは、ガニアがキャンプのヘッドコーチを英人に任せたということや、エディ・グレアムがわざわざマイクをガニアキャンプに預けたこと、或いはドイツのゴッチがそもそも英に出向いたのを見れば、よく分かる。
アメリカのカレッジスタイルが、どうしてもシュート足りえないように、現行のオリンピックスタイルやその延長戦上にあるものの中に、本来的なレスリング、つまり大陸ローマ由来の、正々堂々としたグレコローマンではなく、地面すれすれに刀を滑らすが如き汚いキャッチアズキャッチキャンの蛇道を、ルールとして反映させるのが困難な側面は、どうしてもある。
だから毎年ルールが変わるようなオリンピックスタイルやカレッジスタイルに、レスリングの本流を任せられようはずもなく、そこにまた、競技としてのプロの存在意味もある。現行のアメリカのプロレスリングにも、2割ぐらいの競技性を求めてもいいと思っている。ブレンドの具合にはまた、センスを問われるだろうが。
柔術はレスリングではないし、サンボもチタオバもレスリングとは思っていない。英国のキャッチにだけ、ただのシュートとは一線を画す、独特の美意識に貫かれているレスリングの本流を感じている。レスリングしか受け入れることの出来ないレスリングファンは、それをレスリングと表現しているのだとも。アメリカのプロレスリングも、少しだけその匂いが残る、レスリング一族の1つ。シュートやオリンピックルールがレスリングの本質だと思ったことは、あまりない。そしてそのレスリングのエッセンスを、多くの弟子を通して現代のアメリカレスリングに遺した、その橋渡しをしたのが、ビリー・ロビンソンだったと思っている。
ビリー・ロビンソンは終ぞAWAチャンプになれず、ガニアにもボックウィンクルにも勝てず、最後までアメリカのレスラーに対して不満を口にしてきたが、その一方で、多くの弟子を通してアメリカレスリングにした功績は計り知れない。そしてそれに我々は、感謝以上の気持ちを持っている。
WWEはOVWと手を切るという。フロリダのスティーヴ・カーンにしても全てを任せられるのも荷が重いだろう。WCWパワープラントの時も思ったが、マイク・グレアムやグレッグ・ガニアは何をしているのだろう。ロビンソンから教わったことを、彼らが伝え遺さなくて、誰がヘリテイジできるというのだろう。
ファイターとしてのリック・フレアーを育てたのは、二人の英国人だ。ロビンソンとジェフ・ポーツ。あまり知られていないことかもしれないが、フレアーはJCPのデンで、NWAチャンプを目指すにあたり、UKからジェフ・ポーツを招き、秘密特訓を行われている。ポーツも確かビリー・ライリー・ジムと関わりがあったはずだ。今でも英流にしか頼れないという状況は、変わっていないのではないか。エンターティメントにしても、レスリングはレスリングなのだ。
次のフレアーを、誰もが期待している。それが英国人にしか実績がないのなら、次のロビンソンとジェフ・ポーツに頼ってみることも、とても重要な一手であるような気がしてならない。
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Charlotte rite (4)
JCPの76~81年、フレアーのUSチャンピオンデイズ。他にも多くの想い出のレスラー達が。ここでまとめて。
スーパーフライ・ジミー・スヌーカは、数度のUSタイトルチェンジに関った。スヌーカのジャンピングヘッドバット、ダイヴィングヘッドバットの立体技に、フレアーは倒立してのニースタンプ連発の脚殺しで、徹底抗戦したと。フレアーは特にチャンプ後期以降、この倒立してのニースタンプとジャンピングエルボードロップをほとんど使わなくなったが、反り返るほど振り幅を取った、滞空時間の長い膝は、一時はフレアーの見せ場のひとつだった。
チーフ・ワフー・マクダニエルは、フレアーの先生の一人。ガニアキャンプでもコーチを務めていた、アマレス(インディアンレスリング?)の達人であり、プロフットボウラー。エアプレインクラッシュから復帰し、ネイチュアボーイとなったフレアーの最初のライヴァルで、フレアーはこのフュードを成功させたことで、一気にチャンプ候補に躍り出たとされる。今やフレアーの代名詞となったナイフエッジチョップは、このワフーのトマホークが原型。
チーフとは、チャンプになってからも何度も世界戦をしているが、タンパの嵐の中で行われたバトルオブザベルツでの一戦は、チョップの打ち合いに雷鳴の効果音が重なり、劇的に仕上がった代表的チョップマッチとして語り継がれている。
ブラックジャック・マリガンも先生の一人。怪物と恐れられていたマリガンに、果敢に一騎討ちを挑み、フレアーはラフとガッツを手に入れて行った。このガッツを評価され、ベビー転向後には、マリガンはフレアーのボディガード役を買って出てもいる。タグを組み、タイトルを獲ったことも。HBK&ディーゼルは、これがモチーフだったとも言われる。
#1ポール・ジョーンズから学んだことも多かったのではないか。ファンフェイウァレットもルールブレイカーも巧みに使いこなす、ハンサムでダンディな、プレイボーイのカウボーイ。フレアーが現れる前、この地を、サンアントニオにおけるターリー・ブランチャードのような立場で支配していた、復活初期の代表的なUSチャンプ。クリッパー・レイ・スティーヴンスのようにバンプが上手く、派手なやられっぷりにも定評があった。フレアーが時に見せた過剰なやられ具合の反応は、ジョーンズに似ているなと思ったことも少なくない。
初めてUSタイトルを奪った相手のボボ・ブラジルは、かつてロジャースを破り、幻の世界を手にしていた男。ジョージ・スコットの狙いは、あの時奪ったロジャースの幻影を、USタイトルとともにフレアーに移動させることだったと。
そのオリジナルネイチュアボーイ・バディ・ロジャースも、フレアーと戦うために、実にフレアーの現在の年齢と同じ58歳で、旧友ジョージ・スコットの説得に応じ、しかも悪役として、シャーロッテのリングに、15年振りに復帰した。
ジム・クロケット・ジュニアとの出逢いや、デイヴ・クロケットとの友情。職人ティミー・ウッズ。アンダーソンズ、リップ・ホーク、マスクド・スーパースター、モスカ、アイアンシーク、アイヴァン・コロフ、パイパー、スゥィートエボニーダイアモンド・・・。
この時期のシャーロッテでのエピソードの一つ一つが、フレアーを形作った、欠かせない血肉に思える。全てが名チャンプを作るのに必要な、位階の順序のようにも。それぞれの課題。名チャンプへの階段。
チャンプを作るための全エトス。我々のバイブルガーデン。あの時代のシャーロッテに“ライトタイム・ライトプレイス”していた人達が、うらやましくて仕方がない。
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