to be the world Strongest man | HWD+e

to be the world Strongest man

 ガニアキャンプでのフレアーは、それこそ全く無名の若者。同期には何と、2人のオリンピアンやヴァーンの息子などがいた。特にフレアーと同部屋だったケン・パテラは、ミュンヘン前からガニアに熱心に誘われ続け、やっと口説き落とされたという期待の星だった。フレアーが最初に意識したライヴァルは、パテラではなかっだだろうか。


 パテラは、ミュンヘンを経てデビューした時、既に30歳。知名度と屈強な体躯で、クリス・テイラーなどとともに、フレアーに比べると、スムーズな船出。オクラホマでビル・ワッツを追い込み、その勢いでMSGでブルーノ狩りに挑んだ。しかし五輪の怪力は、斜陽と言われていたブルーノとのパワー合戦に敗走。直後に入ってきた、元カナダリーグのフットボウラーで、ボディビルダーのスーパースター・ビリー・グレアムに、ブルーノの首を譲った。


 スーパースター・ビリーに完敗した格好の傷心のパテラは、ミッドアトランティックに入ってくる。しかしここで見たものは、USチャンプとして、次期世界王者の座を揺るぎないものにしかけていた、キャンプのルームメイトの、かつての無名の若者だった。パテラはここで、変身を決意する。


 当時のミッドアトランティックは、ファッションでも切先。スティムボート、スヌーカ、フレアーと、皆ボディビルダー紛いの筋肉美をしていた。それはスーパースター・ビリーの裂いた道の行き先に敏感だった、ジョージ・スコットが推進していたものでもあるが、当時こういう地は他になかった。


 最新の器機による最新のウェイトトレーニングと、最新のサプリメンテーション、そして少量の?ダイナボル? ブルーノに土を付け、1ヶ月でペドロに敗れたアイヴァン・コロフを、ハートパンチの狼男とは違う方向に導いていたのも、ここでの充実したトレーニングによる変身である。


 パテラはここで、ミッドアトランティック・タイトル、ジョン・スタッドとのティームでミッドアトランティック・タグタイトルなどを制しつつ、徐々に変身を完了。79年晩秋にNYに戻った時には、全く別人といってもいいくらいの、ニュー・ケン・パテラに生まれ変わっていた。


 ウェイトリフター体型だったパテラは、ギリシャ彫刻を三回り位大きくしたような、見たこともないような凄い体をしていた。特に肩、腕、そしてサイ。ウェイトリフターのベースに整えたハードな筋繊維は、正に300ポンドの、鋼鉄の塊。髪はブロンドのカーリー。そしてあの、スリーピースのコスチューム。今でもあの、パンツとジャケットと短いマントのスリーピースは、秀逸のリングコスチュームだと思っている。そしてそれをチョイス出来たパテラのセンスと、それを着こなせたパテラのブリリアンスは、見事だった。


 変身してからのニュー・ケン・パテラの活躍は目覚しかった。すぐさまパターソンからICタイトルを奪取。すぐ後には所変わってNWAの総本山セントルイスで、ミズーリ・ステイト・チャンプにもなった。当時のミズーリ・ステイト・タイトルは、NWAレイティングの2位にランクされていたから、パテラはWWFとNWAのレイティングの上位に、同時に顔を出すという離れ業をやっていたわけだ。これをやってのけたのは、記録上、この時の二冠王パテラしかいない。


 パテラとフレアーは、パテラが何度目かのミズーリ・チャンプ時に、キールの3本勝負で世界戦をやっているが、おそらくそれ以外で、ビッグショーでの対戦はなかったはずだ。しかしこれはシリーズで見たかった対決だった。両者があの衣装で向かい合うだけで、エクストラヴァガンザを観に来ているという醍醐味を満喫出来たことだろう。


 フレアーの、最初のライヴァル、ケン・パテラ。パテラを継承する者が現れてもいいはずだが、アーシディやカズマイヤやヘンリーで簡単にそうはならないのは、パテラが、ストレングスとブリリアンスのハーモニーを奏でられた、史上でも稀有な存在だったからだ。そしてそれは、やはりフレアーやサージやローズを生んだ、ガニアキャンプの成せる、共通の旋律だとも、やはりどうしても、思わざるを得ない。


 IC王者で、WWEでもレジェンドのパテラ。キャンプのルームメイト。この時期、顔も見たいものだが。


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