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AWA世界ヘヴィーウェイト・タイトル

今年のWWEのHOFには、3人のAWAチャンプスが顔を揃えた。昨年のヴァーン・ガニアに続き、AWAの象徴的人物が相次いで殿堂入りしたことで、かつて北部で旺盛を誇ったAWAの歴史は、WWEによって、未来のファンにも伝えられ続けることとなる。80年代末、WWFと戦い、WWFによりその命を絶たれたAWA。時は流れる。

 

AWAはレスリング界にあって、どんな組織だったか。ボックウィンクルの腰に燦然と輝いていた、美しいAWAベルトは、どこから来て、どこへ行ったのか。AWAタイトルについて、少し考える時間を持った。

 

SDにあるUSヘヴィー級タイトルの母体は、勿論WCWが管理していたUSタイトル。このUSタイトルは75年のJCPに由来する。それはWWEが今も公式に言っている通り。

 

ではJCPはこのUSタイトルを何処から持ってきたか。当時NWAにはサンフランシスコとデトロイトにUSタイトルがあったはずだから、自生や新設はできない。SFとデトロイトは、シカゴのオリジナルに大いに関係している軽くない王座。それを敢えて差し置いて、NWAの盟主的な立場にある最激戦区が、USタイトルを持ち、そのチャンプが、NWAレーティングの一位にあげられるというのだから、答えはひとつしかなかった。75年JCPのUSタイトルは、シカゴオリジナルの正統そのものが復活したのだと。

 

オリジナルUSタイトルは、かのバディ・ロジャース世界戴冠後、前王者オコーナーによって、カンサスに持ち出され、そのまま立ち消えになっていた。辣腕ブッカー・ジョージ・スコットは、そこに目を付けて、オリジナルUSタイトルのミッドアトランティックへの誘致をすかさず実現した。当時オリジナルを誘致するのに最も適した場所はここでもあり、同時期には、やはり重要なタイトルとなっていく世界タグ・タイトルも、スコットがシカゴものの空位を主張して、同地に取り込んだものだと言われている。今もSDにあるタグ・タイトルの母体だ。

 

NWAシカゴオフィスは、70年代にはすっかりなくなっていたが、NWA創世記は顔役のひとつだった。少なくとも53年のNWA・USタイトルのチャンプ・ガニアはここで認定され、ガニアはここで、究めてジェニュインだとされるUSタイトルの、実質的コントローラーとなった。このカニアが、シカゴからミネアポリスに、このUSタイトルを分裂させて持ち出す。ガニアがミネアポリスに持ち出した方を、本流とする見方が、当時の主流だったのではと感じている。なぜなら、これ以降シカゴものは立ち消えに向かい、ミネアポリスのものはAWA世界タイトルと名乗っていくからだ。

 

AWAタイトルの母体は、間違いなくオリジナルUSタイトルだ。それも究めてジェニュインな。カーペンティアのニアミスで生まれた、オマハ版AWAタイトルと呼ばれた分裂世界タイトルは、後にこれに飲み込まれる。ガニアは当時のNWA世界チャンプのオコーナーを、初代のAWA世界チャンプとした上で、正統な#1コンテンダーであるジェニュインUSチャンプとして、オコーナーに決闘を迫ったのである。

 

伝説のAWA世界王者ガニアは、正史上は、正式な世界王者にはなっていない。でもどうだろうか、正史上正式なUSチャンピオンとしては、ずっと居続けたとは言えはないだろうか。シカゴのUSはその後デトロイトに更に分裂し、ミネソタのものは、AWA・USタイトルとして、サンフランシスコに「更に分裂」した。シカゴに残ったNWAの本流は、セントラルステーツを経て、カロライナで復活する。しかし、正調USチャンピオンは、AWAチャンピオンだったのではないだろうか。

 

AWAタイトルは80年代末、自らのタイトル運営が困難になり、メンフィスのCWAに、運営を委託した。そのCWAは、ダラスのワールドクラス・タイトルと統一戦を敢行、“ユニファイド・タイトル”を作る。ガニアはこれを認めず、AWAタイトルだけ引き上げさせ、ラリー・ズビスコを新王者に認定。AWAタイトルは割れたと映った。

 

しかしワールドクラス・タイトルとて、基はアメリカン・ヘヴィー級タイトル。アメリカン・タイトルはオマハのタイトルのFVEヘリテイジだから、言わばAWAタイトル。“ユニファイド・タイトル”にいち早く吸収されたセントラルステーツのWWAタイトルも、これはインディアナポリスのWWAの後裔であり、インディアナポリスWWAはL.A.のWWAのブランチだから、これもAWAタイトルの一種。

 

その、L.A.のWWAタイトルは、後のNWAアメリカス・タイトルだが、85年頃にズビスコとサージが争っていたAWAアメリカス・タイトルは、このタイトルをAWAが取り込んだもの。ハンセンのもとに放って置かれた後に使われたものは、ベルトだけではなく、このタイトルそのものだったとの説もある。しかしこのタイトルも、もとはカーペンティア事件の産物だから、これもAWAタイトルの一族。

 

AWAはその後、事実上のボスであったグレッグ・ガニアと現役王者ラリー・ズビスコをWCWのボードに参加させ、ここで実質的にWCWに飲み込まれ、終わったと見られている。AWAタイトルは、この地点でUSタイトルと大合流を果したと。これが、最も納得のいく、正調AWAタイトルの終着先。不敗のままタイトルを取り上げられたボーガーのバッドマンも、後にルガーとUSベルトを争った挙句、敗れている。キングの方のタイトルは、後にUSWFタイトルと呼ばれ、WWFの協力で97年頃まで生きたが、最後あたりのチャンプのジェフ・ジャレットによってやはりそのままWWEのICタイトルか、或いはWCWのUSタイトルに、飲み込まれたと診られる。

 

AWAタイトルはUSかIC、もしくは世界ヘヴィー級タイトルの中で今も生きている。AWAタイトルを考えるなら、その結論に行き着く。アメリカの大きなタイトルに、勝手に作られたものはなく、全てに故事来歴というものがあるならば、役目を終えた分身が帰るところもまた、自ずと存在する。

 

 デール・ギャグナーのAWAをはじめ、世界を名乗るベルトは数あれど、その実質を備えるものは数えるほどしかない。しかしWWEのICとUSは、世界こそ名乗っていないが、世界タイトルも同等の、価値多きタイトルだ。この2本には、AWA以外にも多くの魂が宿る。MSWAノースアメリカン・タイトル、ナショナル・タイトル、アメリカン・タイトル、クリップラー・スティーヴンスの代名詞‥。

 

AWAの歴史も担うこととなるWWE。ECWなど、新しいタイトルを増やすのもいいが、USとICの、更なる充実もお忘れなく。そこにはロビンソンも届かなかった、ボックウィンクルの栄光も詰まっているのである。

 

 

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ダスティHOFとホースメンのDVDで思うこと

 間もなくオンストアになるホースメンのDVD。そのカヴァーには、88年の第3次ホースメンのピクチャが使われている。14年間に渡り、12種類の編成をした“エリートフラターニティ”の中でも、最強だったと言われる、代表的なエラのものだ。


 最強だったと言われる理由は、ピクチャを見れば一目瞭然。4人全員が、この業界の象徴的なゴールドを手にして笑っている。長いレスリングビズの歴史でも、4人組のユニットがベルトを独占するなど、88年のホースメンと、03年末のエヴォルーション以外にないのだ。


 今はSDでテイカーが持つベルトを手にするは、勿論生ける伝説リック・フレアー。タグチャンプのアーン・アンダーソンは、トリプルHの使う旋回式スパインバスターの創始者だ。ターリー・ブランチャードは、今で言えばダブルJのようなクラフトマン。小回りが利いて頭が切れるサラブレット。プリティボーイのフレアーとは違ったタイプの、苦みばしった伊達男で、ホースメンのスタイリン&プロファイリンな部分を、フレアーとともに担った。


 US王者ウィンダムは、今で言えばランディー・オートンか。血統書付きでサイズがあって、親父よりハンサムで。早くから期待され、若くしてフレアーと好勝負をした。しかししばらく伸び悩んだ。だがフレアーがホースメン入りさせたと同時にUS王者になり、その才能を開花させた。


 しかし、たった4人によるドミネイションのあおりを喰ったタレントは、少なくなかった。当時のJCPで優秀だったのは、その4人だけだったわけではない。フレアーによるウィンダムのホースメン入りはクリーンヒットで、誰もウィンダムUS王者論に異議を唱えはしなかったろう。しかしあの突然のウィンダム・ホースメン入り直前まで、チーフブッカー・ダスティ・ローズの頭の中にあった構想は、次のUS王者はアル・ペレツだということだったと、言われている。


 “レイティンハートスロブ”アル・ペレツは、前年まで、ダラスのワールドクラス・チャンピオン。ゲーリー・ハートとともにJCPにステップアップしてからはラリーZと共闘、顔と名前を売り、5月のUSタイトル・トーニー・ウィンへの期は熟していた。


 アル・ペレツはその仇名の通り、ラテン系のエキゾチックでセクシーな容姿。筋肉はしなやかにしなり、何よりマレンコのコーチを受けた彼は、ジャーマン・スープレックス・ピンやスピニング・トーホールドという、高度なテクニックの使い手だった。USチャンプとしてマーケティングするには、その魅力に満々ていた。また、USチャンプを経験させることで見込まれる成長や、後々への生産性も、多くのものが期待出来得た。ダスティのポリシーは十分に納得できるものだった。


 勿論アレは、ウィンダムとフレアーの作戦勝ちだった。ホースメンはこういうプロファイリングで、幾多の勝利を重ねて来た。91年のジャンプや93年のスターケード‥。ウィンダムはこのホースメン入りとUSタイトルで成長し、USチャンプ“ブラックジャック”バリーは、おそらく彼のプライムを彩った。ペレツの方が良かったとは、もはや誰も口にはしなかった。ウィンダムとフレアーとホースメンの完勝だった。でも‥。


 ダスティとペレツは新会社WCWに残れず、ダスティは古巣フロリダでPWFを興し、自身PWFチャンプに座った。ここには実力ブッカーダスティの子飼いだったハングマン・ボビーやイタリアンスタリオンなどが駆けつけたが、ダスティは彼の地のUSタイトルにあたるフロリダチャンプの座を、ペレツに与えた。ダスティがペレツをどれだけ買っていたかがよくわかる。しかし、ダラスでKVEを見事なジャーマン・スープレックスで粉砕していた彼の到達する場所は、そこではなかったはずだ。


 ダスティは今年HOFerとなった。ウィンダムはホースメンのDVDの表紙を飾る。このふたつの事象を通して真っ先に連想したのは、アル・ペレツのことだった。後にホースメンに入ることができ、タグチャンプになることができたローマより、USベルトまで手にしたマクマイケルより、間違いなくサイエントフィックだった。ウィンダムの突然の急成長の前で涙を飲んだアル・ペレツ。何よりウィンダムを向こうに回してあと一歩まで迫ったことは、USタイトル史上はおろか、ホースメン史上にも特記さるべきストーリーのはずだと思っている。


 ホースメンのDVDを手にした時、真ん中でUSベルトを提げて笑うウィンダムの陰に、“レイティンセンセーション”アル・ペレツの存在を決して忘れるな。ホースメンは、アル・ペレツほどのレスラーまで蹴散らして進撃したからこそ、偉大と言われるに至ったのである。


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90年4月のオースティンを脳裏に刻め  ミスター・パーフェクト・カート・ヘニングを想う

 カート・ヘニングについての想い出を挙げろと言うなら、それは語り尽くせない。世界で最も好きなレスラーの一人だったろうか。あれからもう、4年もの月日が経つ。


 あどけなかった80年のMSG。紅顔のプリティボーイ。ラリーの息子。彼ももういない“ホットスタッフ”とともに、アンダーカードを沸かせていた。ポートランドでのPNWチャンピオン。トム・ズィンクとのタイトル・フュード。“ジ・アックス”との親子タグで、ウォリアーズに向かっていったタグ・タイトル戦。スコット・ホールとのタグ王者デイズも感慨深い。


 87年のボックウィンクルとのAWAタイトルマッチ、タイムアップ・ドロー。あれは見事だった。カート生涯のベストバウトと言っても過言ではなかったろう。ボックウィンクルのリードも多分にあったのだろうが、この一戦のクオリティは高かった。これを評価され、間もなくAWAタイトルを手にする。ダークなシルヴァーブラウンの髪を長くなでつけた、不精髭も構わない、質実剛健な若きチャンピオン‥。AWAチャンピオンはデビュー時にカートとその周辺が描いていたゴールの風景。少々時期は早まったのだろうが、カートは立派なAWAチャンプに見えていた。ボックウィンクルに負けない、マーテル以上の。


 WWFによる全米マットの新構図とその余波によるAWAの凋落。それに伴うチャンプ・カートの苦悩については、また別の稿で書く機会もあるだろう。しかしこの時期を経たからこそ、細部を徐々に整えて完成したIC王者“ミスター・パーフェクト”は、正に完璧であったと言える。


 AWAタイトルを捨てて、WWFと契約したカート。“ミスター・パーフェクト”ギミックでその全ての才能をブルームさせた。AWAチャンプ時の少々の野暮ったさは何処へやら、金髪のカーリーをフワリとなびかせ、キレイなアゴと蛍光のイエローグリーンのシングレット。肩の筋肉の強烈な張りと盛り上がりはモノ凄く、そのフォルムは、最新のコルヴェットのようにピカピカにクールだった。90年初夏、ノーバディビートなミスター・パーフェクト32歳、完璧なパーフェクト・プライムの日々だった。


 91年の秋には、フレアーのエグゼクティヴ・コンサルタントとして付いた。NYに於ける、アーンの位置だ。ローワーバックのケガ‥‥そうあっては欲しくないのだが、ステロイドの影響という噂も流れた。IC王者ミスター・パーフェクトは至極のデキで、ローリング・ネックスナップからパーフェクト・プレックスをフィニッシュに魅せたが、フレアーやターリー、ダブルJほどの、しなやかな動きと怪我をしないコンディショニングの能力では劣った。カートの動きは、いつもキレていたとは言い難かった。回転しての受け身など、オリジナリティあふるるアイディアは素晴らしかったけれど。結果的にMr.Pは、完璧なIC王者として、フレアーのように、チャンピオンタイプのタレントとしてのプライムを、永続きはさせられなかった。ケガは‥‥ステロイドのせいだとしたら、悲しみは増大する。


 ハートとの戦い、ルガーとの戦い、マイクルスとの戦い、カラーコメンテーター、アシスタントブッカー‥‥トリプルHのマネージャー就任直後、WCWに転じ、ホースメン関連で事件を起こす。アーンが俺のスポットを君に譲ると言ったこと、フレアーが是非ともホースメンに入れようと画策したこと、そのクオリティ、ホースメン・マテリアル‥‥。そのホースメン・マテリアルの強調は、僕らにとっては何とも心地のいいイヴェントだった。“エリート・フォース”のファンの、何とも言えない優越感をくすぐる演出は、気持ちも良かった。そして一時ながら、カートのホースメンが実現する。フレアー、アーン、ジェフ、カート、マクマイケル、ベンワー‥‥ホースメン最強の時代だったろうか。


 ウォーゲームでの事件などは忘れられないが、どうしたらいいのか。ここはフレアーさんやアーンさんの指示に従う。US王者。肩の筋肉のロスは、そこに大きな魅力の要素があったがゆえ、少々マイナスにと映った。フレアーはカートをアーチライヴァルとして作ろうと頑張ったが、ウィンダム同様、それほどには育たなかった。フレアーが老いていたせいだろうか。それとも、スティングやルガー、ルードよりもコンディションが一定しなかった彼らのせいだったろうか。


 nWoでルードと共闘。ウィンダムス&ダンカンとのウェストテクサス・レッドネックス。アーンとのアシスタントブッカー連。「WWFからカラーコメンテーターで誘われているけど、もう少しアクティヴでいたい。」そう言って、オールジャパンにもやって来た。XWFを経てWWFに戻り、オースティンにはスタナーでやられた。RAWでは、フレアーやアーンとホースメンを本格的にリユナイトさせる計画もあったと聞く。でも計画は盛り上がらず、カートはいつの間にかフェイドアウトしてゆく。


 最後のWWE時代、カートはガラにもなく頑張っていた。大きくて派手な受け身、出来るだけハードに、スピーディーに動いた。リキみすぎて、空回りも目立つくらいだった。TNAで仕切り直した時も、ハリキリ過ぎたのだろうか。


 カートはもう、45歳だった。リタイアして、WWEのコメンテーターなり、エージェントなり、エグゼクティヴ・コンサルタントのジョブもあったろう。もう少し現役でいたい‥‥僕らも名IC王者パーフェクトの復活を期待し続けていたし、カート自身もそれが出来ると思っていた‥‥それだけ完全なIC王者の風景は、僕らの記憶に焼きついて離れなかったということだ。


 ヘニング。カート・ヘニング。北海の獅子王の息子。ミスター・パーフェクト。イエローグリーンのシングレットからあふるる肩の筋肉。そこにたれるカーリーのブロンド。ブルドッグのようなぶっちょう面。ジニアスと笑う顔。ヒーナンとの名調子。ツイスティング・トーネード・パンチに吹っ飛ぶバンプ。メットセンターを逃げまわった後姿。ショートレインジのドロップキック。ローリング・ネックスナップ。パーフェクト・プレックス‥‥。ノウバディ・ビート・ミスター・パーフェクト‥‥ノウ・バディ―――――――ッ!


 シングレットに白いタオルだけを持ち、勇壮なエントランス・ミュージックで登場するカートの、その笑う口もとから見え隠れするピンクのチューインガム。その姿が目に焼きついて離れない。もう見られなかろうその姿を僕らは、再び夢見続けた。US王者、まだまだだった。リヴァイヴするあのIC王者パーフェクトはまだある――それを無条件に夢見続けさせたものは何だったろうか。


 史上最高のICチャンプ、カートは世界王者には、なれなかった。AWAは制したけれど。ミック・フォーリーだの、スティングだの、シドだのDDPだのブッカーだのがチャンプになったのに、最強ICチャンプがワールドチャンプの正史に名を刻めないのか――。


 勿論リヴィングレジェンド達が、例えばムラコやパテラなどが、この先にワールドチャンプ史に名を刻めるかとなるとそうではない。カートも同様といえば同様だったろう。では何が悲しかったか。あの最高のIC王者を上回る新世界王者誕生へのわずかな期待が、完全に打ち砕かれたことへの絶望感だったのだろうか。


 カートはもういない。我々はミスター・パーフェクトを決して忘れず、次のパーフェクトの出現を夢見ることもしよう。そしてカートは、90年のDVDの中で生きている。今も最高のICチャンプ、ミスター・パーフェクト・カート・ヘニング、07年のWWEホール・オブ・フェイマー。



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Past VCR / tryout

 ‥‥ディヴィスの面影は何処へやら。勿論、ファンが望んでいるから、ろくにレスリングしないであんなことばかりしているのだろうが、ESPNのメーンとして、USAやTBSとは、とてもではないが張り合える訳はなかった。


 レイの方も、十分にマッシブしているのにもかかわらず、このような男にころころと転がされたりしていた。勝つには勝っていたが。

 後半にはブルックスが出て来て、ディヴィスを調教しているかの如く、革ベルトで殴るぞという脅しで、ディヴィスをけしかけていたが、大した演出ではない。


 コメンテーターは、ブラック・バート&ジョニー・マンテル(一度ベルトを巻いた経緯あり)や、サニー・ビーチらしき男、それにいつも何かを食っている男、それにアレックス・ポートュウ(彼はテリー・シムズとともに、GWFでは突出したレスリングをした)らが務める。各カードごとに、それにまつわる人達がコメンテーター席に座るというのがGWF-TVのスタイルのようだった。


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 クレイグ・ジョンソン
 ラリー・グリーン v バリー“ザ・ウィナー”ホロウィッツ
 ビリー・ジョー・トラヴィス v ゲーリー“ザ・ホッグ”ヤング
  付加;トラヴィス v タグ・テイラー
 スコット・プスキ v マイク・ステットン
 サム・ヒューストンwithベイビードール v ブル・ペインwithサマンサ・ペイン
 ザ・パトリオット v スコット・アンソニー


 上は93年2月ごろのものか。ラリー・グリーンは黒人のジョバー。前回はフレアー・ワナビーのマイク・レーンと闘った。この日は、WWFでは当代一の噛ませ犬だったバリー・ホロウィッツにあてがわれる。この頃のホロウィッツは、WWFをリリースされた直後ぐらいで、ここでは主役にと、やる気に満ちていた。実際、USAネットで強豪相手に売った顔は、このテのローカルでは知名度抜群で、そのカウボーイレスリングの確りとした下地と相まって、存在は光っていた。


 コンディションはいいし、スピリチュアルなアティチュードはマニアックな層にアピールするし、ヨーロピアンアッパーカットという、渋くてしかもタイミングの美しいパフォーマンスも披露できるとあって、人気を博し、ライトヘヴィー・タイトルを制し、多分に皮肉に満ちたものではあったが、それでもなかなかセンスの効いた、“ザ・ウィナー”なるニックネームを付けられて、生涯最大の脚光を浴びていた(?)頃だ。


 この日はブレーンバスターといおうか、パイルドライヴァーといおうか、DDTといおうか、とにかく頭を打ち付ける技を2種類見せて楽勝。自分の頭越しに肩を叩くアクション(コレの意味は今もってあまりよく理解出来ない)で乗りまくっていた。


 ホロウィッツはこの後まもなくWWFに帰り、元のジョバーに戻った。信頼厚きジョバー、フロリダの200連敗男ジャック・ハート。アメリカで最もやられっ振りのステキなヤツだった。


 軽量の気取り屋としては、ローカルでいい顔になっていたトラヴィスは、人気者のはずはない“ザ・ホッグ”ヤングと、頻繁に握手したりする一戦。細かな技で敗れ、ワケアリそうに去っていった。


 トラヴィスは人気者のはずはないのに、女性ファンが抱きついて来たりで、グローバルドームでの不思議な人気は盛り上がっていた。


 ゲーリー・ヤングは、ワールドクラス時代からずっと下積みの、土着の悪役だ。かつてゴージャス・ゲーリーと名乗り、フラー&ゴールデンのスタッド・ステイブルやら、アクバのデヴァスティション・インクで頭角を現し、少しだけ期待させたが、ローカルな仕事師のレヴェルを出ることはなかった。この頃は、悪友アクバの元、新鋭の悪党スティーヴン・デーンと組んでタグ・タイトルを持ち、GWFでは顔役みたいだった。筋肉は割りと立派で、ロン・スタアばりの迫力ある外観は、捨て難い魅力に満ちたローカル・ヴィラインだったのだが。


 親父サン譲りのいかつい体が、それだけでもうローカルでは異質で目立ったプスキは、ヘイトのなさが、メジャーでは厳しかった。それ以外は相当イイとは映った。この頃はまだ技のコーディネイトが幼く、クローズラインの乱打に頼っているが、ボディのキレは鋭く、顔も喋りも悪くなく、喧嘩っ早そうな雰囲気などは、大した迫力だ。一時ノースアメリカン・タイトルを与えられ、パトリオットの後のエースにと考えられたのもうなづける才能振りではあった。BigDやアリージェンツに出た後、WCWやWWFにも参戦してはいったが、メジャー・タイトルに就くことは出来なかったが。


 ステットンはスティッフそうななタイプだが、TV専門のやられ役。


 かつてメジャーJCPで、リック・フレアーとも闘ったことのあるサム・ヒューストン。ヘイトがあって、プリティボーイで、兄はスネイク・ロバーツで、妹はWWFレディスチャンプのロックン・ロビンで、親父はこの時WCWの一員。にもかかわらず、スキニーな体がマッチョに成長せず、メジャーで大成しなかった。


 この日はワイフのベイビードールを付けて、ペイン夫婦と抗争シリーズの一場面。ペインはけばけばしいギミックの巨漢のモンスター。一時ハーヴィー・ウィップルマンのマネージでWWFにも進出したが、特に目立った活躍もなく、短期間でリリースされた。


 パトリオットとアンソニーは、当時のGWFの黄金カード。時期はダーク・パトリオットが暴れている頃で、アンソニー、ホロウィッツ、ブルース・プリチャードらのGWF名物クランが、大きな顔をしていた。この日もDPとビル・アーウィン(パトリオットの味方)が乱入して来て決着。

 

 気になったのはアンソニーの小悪党振り。チェーンを巻いてのパンチなどというルールブレイキングカルチャーの下衆な演出は、あの時点でもう、GWFはアンソニーを持て余していたことの証拠。パトリオットとともども、アンソニーは程なくWCWに移っていくのだが。



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