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That was the Total Package! (2)

 契約上の問題で、まずWBFに入る。ところがバイク事故。ザホリアン・スキャンダルも手伝い、WWFに勇躍現れたナルシサスは、小さくなっていた。

 Mr.Pやショウンとのフュードが悪かったとは全く思わないが、最高レヴェルでもなかった。レックスエクスプレス。ヨコをボディスラム。WWFはプッシュした。が、結局レックスは、ブレットとのマニアのメーンをキメられず、タイトル戦線から脱落していく。


 ナイトロで復帰したルガー。腕のストラップもなくなっていった。メロとのフュード、DDPとのフュード、TVタイトル、NWOとの対峙。そしてデトロイトで、ハルクから遂に、黄金のベルトを奪う。5日間の、ハルクを引き立てるための玉座ではあったが。


 イミテーション呼ばわりしていたハルクにかかわらず、あの時期のWCWではほとんど、グッドマッチを観た憶えがない。じっくりオールドファッションのマニュアルをなぞるだけでも、エクストラヴァガンザが作れた面子が揃っていたのに、nWo期のWCWは、何か浮き足立っていた。


 ナッシュやゴールドバーグやスコット・スタイナーなどとは、一騎討ちなりトリプルスレットなりで、PPVのメーンも作れた色合いだが、WCWはこれらの作るべきフュードを、上手く作れなかった。ルガーやナッシュやゴールドバーグなどが、上手でなかったこともあろう。が、スティングやブレット・ハートも交えても、何一つ名勝負と言えるものはなかったように思う。残念ながら確信する。フレアーのあの時の決断の正しさ。そしてVKMやHBKの錐揉の肯定を。


 ルガーのプライムタイムは、今思えばUSチャンプデイズ。キャピタルコンバット以降、終ぞクールなルガーには会えなかった。しかしフレアーとの4回のタイトル戦は、フレアーの腕だけではない。ルガーのポテンシャルの成せた業だと思っている。それだけに、エクスプレスされたルガー政策が、今更ながら口惜しい。ルガーはじっくり育てれば、もっといいチャンプであり、よりよいチャレンジャーにもなってくれたと、思えてならない。


 ルッソは一時、ティーム・パッケージを仕掛けた。すぐに潰えたが、あのセンスは理解出来る。ナッソーでやったLODvs.フレアー&ルガーの興奮。ルガーのホースメンは良かったし、だからこそ2年位、フレアーやターリーの下でじっくり鍛えるべきだったとも思う。ただのフットボウラーとして考えるのは惜しいフラムボーヤンスがあったのは、誰もが認めるところなのだ。


 JCPにハルク的なスターが早急に望まれた背景。フレアーのライヴァルとして優秀な要件を持ち過ぎた実際。戦争のない世でしっかり磨けば、5日間の世界王者で終わるような珠ではなかったようには思う。少なくともフレアーのファンは、ホースメン的コキネスをまとったマスキュラーを、ハルクより評価していた。


 the Total Package とは、全てを兼ね備えた90年代の男、と訳された。ビリー・グレアムの進化形のハルクの、更なる進化。究極の肉体は、ネイチュアボーイの流れと合流。まるでネクタイを絞めて、都会でナイトライフを過ごす恐竜。ルガーの大流はオースティンで更に進化し、トリプルHへ流れていったと思う。フレックス・ルーザーと揶揄するフレアーのファンもいたが、ルガーを評価していたフレアーファンは、その完成形に、トリプルHを見ていたからだと思う。スーパースターとネイチュアボーイの潮流は、この先必ず合流すると。


 WCWが終わった後は、ほぼセミリタイア状態のルガー。リズとの思い出を、粉々に打ち砕いたこと。名前も出しにくい。最後にトリプルHのチャレンジャーとして現れて欲しかったけれど、そんな集中力は、とっくの昔に無くしていたか。


 フレアーとの4戦。WCW史を通しての、随一の内容。フレアー史は、近代レスリング史。であるならば、ルガーは、やはり巨星だったと思う。


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That was the Total Package! (1)

 85年、USFLから、ホーガンと同じヒロ・マツダのコーチを経て、タンパでデビュー。その足で南部王者ワフーを襲い、これに2週間の怪我を負わせる。復帰したチーフから、いきなり南部ヘヴィー級を奪取。翌年にはバトルオブザベルツ2で、フレアーに挑戦してブロードウェイをやった。


 87年にはJCPに進出、デビュー1年でフレアーと引き分けた、フレアーの大の苦手だと、仲間に入れる理由を作られ、ホースメンに参加させられる。もちろん、いずれ起こる、フレアーとの大戦争を見越した策。3ヶ月後にはUSタイトルを獲得、翌年からは、フレアーへの挑戦をアピールし始める。


 “This is the Total Package!”レックス・ルガーは、フレアーのワールドタイトル史上、その政権自体を、最も脅かしたライヴァルだった。88年7月のバルティモアバッシュでのフレアー対ルガー戦は、半年の宣伝期間を設けられた、JCP渾身のショー。フレアー対ルガーは、勿体に勿体つけられた大一番だった。例えばその間にも、スティング戦などは、通常兵器として、ハウスショーやクラッシュなどで使われ倒されていたのに対して。


 ルガーの方が商品として、上層部に重く考えられていたことが分かる。そして、実際どうだっただろうか、ルガー戦の方が面白くはなかっただろうか。


 フレアーはスティングとは手が合ったと言う。確かにフューチャーショックでのメーンは、田コロでのレイス戦の如き高レヴェルだった。しかし世界戦の緊張感に震えたのは、ルガー戦の度合いに譲ったのではなかろうか。88年にやった2回の世界戦はいずれも名勝負。フレアーのタイトル戦史上でも、かなり内容の濃かったフュードだった。特にスコープでのトゥルーグリットは、ルガー生涯のベストバウトだったはずだ。


 ルガーはトゥルーグリットの内容を評価され、翌年からはUSチャンプを本格的に任される。ウィンダムを沈め、ヘイズを返り討ちにし、スティムボート、リッチ、ピルマン、ハンセン、スパイヴィー、ニキタ、シド、ムタ・・・。全て片付けた。特に89年の、蛍光グリーンのトランクスでロングヘアの、剣闘士ローブのマッシヴな体躯で、スティムボートやピルマンらのベビーを、ヒールマナーでかわしまくるルガーは、US王者として、文句のつけどころが無い完璧さだった。89年だけを見るなら、ルガーは立派な次期世界チャンプ候補の最右翼。ハードにゴーサインを出させるに、納得できる素敵さだった。


 スティングの怪我で、ルガー政策が修正を余儀なくされたことは、今思えば遺憾の極み。ワイルドシングとキャピタルコンバットでのスティングの代打のため、悪党修行の打ち切り。この時ルガーは、次期候補としての重要な課題の真っ最中だった。ジャンピングフォーアームが通用せず、滑り落ちるフレアー。僧坊筋を強調させる都会の恐竜。ワシントンDCでのケージ戦は、2年前と同じように面白かったが、未だ2年前と同じ、でもあった。


 一年後、シドとムタを連続秒殺し、問題の事件の当事者に。「We Want Flair」の大コールの中での戴冠は、ルガーには気の毒だったと思う。が、ルガーを一度はチャンプにするなら、あの時期が限度だった。


 WCW王者ルガーは、悪くはなかったと思う。レイスを付けてシモンズとやったハロウィンもエッグドームでのチョウノ戦も、及第点のメーンを構成した。だが、WCWがあそこまでして欲したのは、ホーガン的な主役なのではなかったのか。何故かWCWは、ルガーに黒のトランクスを履かせ、悪役を強いてパイルドライヴァーまでをも付焼刃した。フレアーを追い出してフレアーを作るような矛盾。ならばルガーの、フレアーとの差が、如実に浮かび上がる。


 フレアー路線を行くなら、土台フレアーほど技巧がないルガー。ヒートしないルガー政権。そこへWWFの魔の手。ルガーは期待されたスティング戦を凡戦で終わらせた後、アレほどまでして獲ったWCWタイトルを捨てて、WWF入りする。<続く>


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road to starrcade (2)

 フレアーは世界の、全てのトップレスラーと世界戦をしたと評しても過言ではない。正に世界チャンプと言うに相応しいキングだった。


 同じガニアキャンプ出身の、ライトヘヴィー級の第一人者マイク・グレアムとは、フロリダで何度も好勝負をした。


 オレゴンへ行けば、やはり同じガニアキャンプ出身の、PNW王者プレイボーイ・バディ・ローズが襲い掛かってきた。バックランドも苦しめたプレイボーイ。元US王者。彼もいつかHOFerになってくれることだろう。


 WWFチャンプ・バックランドとも、独立記念日にアトランタで、ダブルタイトル戦をやった。バックランドもガニアキャンプ経験がある。


 サージこと、US王者でありアメリカス王者サージェント・スローターとの一戦は、カロライナやブレンダンバーンのビッグショーのメーンを沸かす、人気カードだった。


 アラバマでは当地のスーパースター、ユニヴァーサルハートスロブこと、サウスイースタン王者“ジ・イリディスティブル”オースティン・アイドルと向かい合った。アイドルもハンサムで、フィギュアフォーの使い手で、何よりフレアーと同じ、セスナ事故から変身してカンバックした男。鉄腕ビリーの進化系と言われたアイドルとフレアーのフュードは、まるでバディ・ロジャースとスーパースター・グレアムが戦っているようだと評された。


 トリニダート・トバゴでは、Jr.王者ディック・スタインボーンとも戦った。プエルト・リコではユニヴァーサル王者コロン、オーストラリアではCWA王者マーク・ルーイン、カナダではカナディアン王者ディノ・ブラヴォ。日本では、PWF王者テンリュウやチョウシュウの挑戦も受けた。AWA王者のリッキー・マーテルとも、日本でダブルタイトル戦をやった。


 AWAでは師匠であり、英連邦の王者ロビンソンの挑戦も受けている。名AWA王者ボックウィンクルとの対峙は、今で言えば正に、フレアー対HBKのムードが漂った。サザン王者キング・ジェリー・ローラーとも、メンフィスで確か一度戦っている。


 マーテルの後のAWA王者で日本の人気者、“バッドガイ・フロム・ボーガー・テキサス”スタン・ザ・ラリアット・ハンセンの挑戦も、ジョージアで2度、退けている。


 テキサスでは若い勢力の代表格、アメリカン王者やテキサス王者のフォン・エリック・ブラザース。手の平エイリアンが吸い付くのを堪えるフレアー。ディスカスパンチにもんどりうつフレアー。フレアーは若いデイヴィッドやケリーと戦うことによって、自らも成長していったようにも思う。ビリー・ジャックやテリー・ゴディ、ストーンコールドの師匠ジェントルマン・クリス・アダムス・・・リユニオンアリーナの風景も思い出深い。


 中西部では老雄ブルドッグ・ボブ・ブラウン、ディック・ザ・ブルーザー・アフィルスやマイク・ジョージ、ブルーザー・ボブ・スゥィータンらが、地元の声援とセントラルステーツ・タイトルを背に燃えて来た。


 深南部ではニューオーリンズのスーパードームなどで、ノースアメリカン王者テリー・テイラーやポール・オーンドーフ。


 マグナムは、ターリーが自身の“スティムボート”にすべく、フロリダからサンアントニオに引っ張って来た若者だが、MSWA北米王者を経て、JCPでUSタイトルを獲得。フレアーのアーチライヴァルの一人に育ってくれた。鼻を折られた?タグ王者リッキー・モートンも、フレアー戦以外でシングルであれだけやれたことはなかった。


 最初のバッシュとスターケード86での、史上最高のUS王者ニキタとの数え歌。スターケード87へのナショナル王者ロン・ガーヴィン戦タイトルチェンジ。バッシュツアー開幕戦やナッソーのPPVで闘ったホーク。シカゴでアニマルとやったノーコンテストまでが感慨深い。ヘイズとゴージャス・ジミーのフリーバーズ。ヴァーシティクラブのTV王者、ロトンドにリック・スタイナー。


 PPVという集客法が始まって以来、タイトル戦のマッチメークは変わる。88年以降はフレアーも、PPVでのルガーかスティング以外の挑戦を受けなくなっていった。そのマッチメーク法は今も基本的に続いてもいる。しかし、少なくともICやUSチャンプの経験者には、それなりの舞台での絶対挑戦権を、保障してもいいのではないか。フレアーの時代のカラフルなチャレンジャー群とその肩書きを見て、改めて今、そう思う。


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road to starrcade

 フレアーの第一次政権は、83年6月10日のセントルイスのレイス戦で、終わる。フレアーはこの時、5日に千葉でブロディと戦い、8日に蔵前でツルタとブロードウェイをするという、殺人スケジュールを組まれている。


 2日に行われたグランプリファイナル。28歳、摩天楼に昇る前の超人は、大巨人を退け、40歳の闘魂を場外に沈めた。直前に怪物、直後に元王者を知っていたあの日の少年。しかしフレアーを択びし彼には、生涯のベストバウト観戦のエンカウンターが待っていた。


 トミー・ザ・ジャンボ鶴田とキングコング・ブルーザー・ブロディは、フレアーのチャレンジャー史上、最も手強かった相手。二人ともフレアーより遥かに大きく、飛び技まで操るモンスター。今思えば、一度や二度世界王者になっていて、なんら不思議ではない。しかしフレアーは、この二人に決して負けなかった。そこがフレアーの凄いところでもあったのだなぁと、今は思う。


 フレアー時代の充実度。不変の看板。揺るぎない体制。ツルタやコングを相手に寸分の隙も見せないフレアーに、心底感じたものだ、フレアーは最強だと。


 フレアーがチャンプの時代ならと、ことあるごとによく思う。ナッシュやフォーリーやDDPやスコット・スタイナーやシドやゴールドバーグなどに、チャンプの目があっただろうかと。テイカーやエッジや、バティスタですら。ツルタやブロディでも、チャンプにはなれなかったのだ。チャンプとは誰もが行けない場所にあるからこそ意味があったのだ。


 フレアーはツルタやブロディに負けないことから、多くの珠玉の文化を生んで来た。チャンプはチャンプでない者をチャンプにしないことで、その存在にも意味を持たせる。トリプルHがゴールドバーグに負ける必要があったか。トリプルHはゴールドバーグに負けない方法を考えることで、一人の新たな名王者誕生を強力に後押しする何かを、きっと獲得出来た。オートンやバティスタに対してもまた同じ。絶対に負けないチャンプは、絶対に要る。


 フレアーとツルタは、実に5回、世界戦をやっている。UN戦の雪辱を果した初戦の2ピン。ツルタが黒のトランクスに変えてきた2戦目。そして第一次政権最後の防衛戦となったブロードウェイ。ラスト10分のフレアーの一方的な攻勢。唯一度だけ、フィギュアフォーの全てを見た時間だった。フレアーが日本で見せた、至高の真骨頂。おそらく、世界各地のフレアーのファンがライヴで、一度は遭遇して来たものなのだろう。またこれを体験させて来たからこそ、フレアーは世界中にワーシッパーを得て来たとも言える。


 キングコングとはセントルイスで2回世界戦をしているはずだが、一度はやはりブロードウェイをやっている。あの日チェッカーにいた誰かの大自慢が聞こえる。オレはフレアーとブロディの、ブロードウェイを観たんだぞ、と。或いはフロリダのファンは言うだろう。オレはウィンダムとのブロードウェイを観たと。また或る者はこう豪語する。私はディヴィッド・フォン・エリックとのブロードウェイを観て来たと。世界中のフレアーファンが、皆嬉々として話し始める共通言語。「オレが観た、あのブロードウェイは凄かった」・・・。


 フレアーはモンスターにレスリングをさせるのも上手かった。ブッチ・リードが注目されたのは、ブルース・リード時代、フロリダでフレアーに何度もバンプを取らせるゴリラスラムを認められたからだ。メジャーではシングルのチャンプになれなかったリードだが、フロリダ王者として、或いはMSWA北米王者として、フレアーと戦う世界戦はいつも佳作以上を見せた。


 ジョージアではバッドバッド・レロイ・ブラウンが、フレアー相手に一世一代の晴れ舞台を成功させている。ノンタイトルで、一度はフレアーをジャンピングボディスプラッシュで押し潰し、ピンまで奪ったブラウン。フレアーとの世界戦は、意外なほど面白かったと聞く。


 終ぞメジャーでは、シングルのチャンプになれなかったドクターデス・スティーヴ・ウィリアムスも、唯一フレアーとは好勝負シリーズを残している。エル・ヒガンテがマトモに闘えたのも、フレアー戦だけだった。


 nWoのナッシュ&ホール、ゴールドバーグなどは、HBKやゲームの担当だったし、HBKもゲームも、面白いアングルを見せてくれたとは思う。しかしブロックやラシュリーやヘンリーやカリ、バティスタも含め、フレアーだったらどう扱っただろうかとは、あのブロードウェイを観て来た人達なら、どうしても思ってしまうところではあるのだ。


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FLAIR for the GOLD

 第一次政権時のフレアーは、32歳の若きキング。同世代を蹴散らして世界を通ったフレアーは、世界チャンプとして、先輩王者をチャレンジャーとして迎えることになった。ここ20年程は、殆ど自分より年上のレスラーと戦う機会のないフレアーだが、かつては世界王者として、歴戦の兵達の挑戦を受けるフレアーというのは、かなり魅力的な構図だった。


 フロリダではフィギュアフォーの先輩、元王者ジャック・ブリスコを、パンチとフォーアームスマッシュで迎撃。コーナーへ飛び込んでくるブリスコを、ダブルニーバットのラフで退けたという。


 同じくフロリダでは元王者DFJに、以降フレアーの専売特許になろうという、ロープに脚を掛けてのエビ固めで苦しめられた。若き王者の時代、あのフレアーが、より老練だった元王者に、そんな反則テクニックでいたぶられていた過去があったというのが、今となっては何とも面白い。その後ベンワーやエディ・ゲレロに受け継がれていった、サイドスープレックスと言われたフレアースタイルのバックドロップは、ドリーが原産だ。


 ジョージアでは、正義の白覆面ミスター・レスリングⅡこと、ラバーマン・ジョニー・ウォーカーの、アマレス仕込みのテクニックと18番技、ボストンクラブに耐える日々。フレアーも若い頃、レスリングⅡそっくりのニーリフトの使い手だった。レスリングⅡのニーリフトに回転して吹っ飛ぶそのバンプは、ツイスティングトルネードに回転して吹っ飛ぶMr.PやHBKに伝えられたはずだ。


 ジョージアのアイドル、王者としては先輩のワイルドファイア・トミー・リッチとは、90分タイムリミットマッチを75分過ぎ、タイツを掴んでのエビ固めで、命からがらの防衛をした。アイアンマンマッチの原型がここにある。


 おそらく最も苦しめられたレイスからは、ワフー・マクダニエルからチョップを盗んだように、額へのニードロップを仕入れた。それは今日、トリプルHに受け継がれてもいる。ダブルアームスープレックスとキャップサイズバックブレイカーも、レイスから拝借した。田園コロシアムでやったスーパーエキシビジョン。今でもライヴのセミファイナルにはこれが模範になると、信じて疑っていない。


 エルボースタッブのやり方は、ヴァレンタインよりもダスティに似ている。84年頃までのフレアーは、チョップよりもエルボースタッブを愛用している。


 若き日の見せ場だったジャンピングエルボードロップの、そのハイジャンプの助走は、この技の名人ディック・マードックに、一番近いフォームを見せる。


 ケリーVエリックからタイトルを奪回したロールアップは、セントルイスでオコーナーから学んだ。セントルイスでオコーナーを破った一戦は、フレアーの出世作として、かつてはよく取り上げられもした。


 若い王者がヴェテランの津波から、死に物狂いでタイトルを守る風景。そこから獲得していく老獪。そしてダーティエストプレイヤーインザゲーム。王者としてもまた、全てを見せ、全てを楽しませたリック・フレアー。チャンプもまた、成長し、それを問うて行くものだと、プロフェッサー・フレアーはおっしゃっている。


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