road to starrcade
フレアーの第一次政権は、83年6月10日のセントルイスのレイス戦で、終わる。フレアーはこの時、5日に千葉でブロディと戦い、8日に蔵前でツルタとブロードウェイをするという、殺人スケジュールを組まれている。
2日に行われたグランプリファイナル。28歳、摩天楼に昇る前の超人は、大巨人を退け、40歳の闘魂を場外に沈めた。直前に怪物、直後に元王者を知っていたあの日の少年。しかしフレアーを択びし彼には、生涯のベストバウト観戦のエンカウンターが待っていた。
トミー・ザ・ジャンボ鶴田とキングコング・ブルーザー・ブロディは、フレアーのチャレンジャー史上、最も手強かった相手。二人ともフレアーより遥かに大きく、飛び技まで操るモンスター。今思えば、一度や二度世界王者になっていて、なんら不思議ではない。しかしフレアーは、この二人に決して負けなかった。そこがフレアーの凄いところでもあったのだなぁと、今は思う。
フレアー時代の充実度。不変の看板。揺るぎない体制。ツルタやコングを相手に寸分の隙も見せないフレアーに、心底感じたものだ、フレアーは最強だと。
フレアーがチャンプの時代ならと、ことあるごとによく思う。ナッシュやフォーリーやDDPやスコット・スタイナーやシドやゴールドバーグなどに、チャンプの目があっただろうかと。テイカーやエッジや、バティスタですら。ツルタやブロディでも、チャンプにはなれなかったのだ。チャンプとは誰もが行けない場所にあるからこそ意味があったのだ。
フレアーはツルタやブロディに負けないことから、多くの珠玉の文化を生んで来た。チャンプはチャンプでない者をチャンプにしないことで、その存在にも意味を持たせる。トリプルHがゴールドバーグに負ける必要があったか。トリプルHはゴールドバーグに負けない方法を考えることで、一人の新たな名王者誕生を強力に後押しする何かを、きっと獲得出来た。オートンやバティスタに対してもまた同じ。絶対に負けないチャンプは、絶対に要る。
フレアーとツルタは、実に5回、世界戦をやっている。UN戦の雪辱を果した初戦の2ピン。ツルタが黒のトランクスに変えてきた2戦目。そして第一次政権最後の防衛戦となったブロードウェイ。ラスト10分のフレアーの一方的な攻勢。唯一度だけ、フィギュアフォーの全てを見た時間だった。フレアーが日本で見せた、至高の真骨頂。おそらく、世界各地のフレアーのファンがライヴで、一度は遭遇して来たものなのだろう。またこれを体験させて来たからこそ、フレアーは世界中にワーシッパーを得て来たとも言える。
キングコングとはセントルイスで2回世界戦をしているはずだが、一度はやはりブロードウェイをやっている。あの日チェッカーにいた誰かの大自慢が聞こえる。オレはフレアーとブロディの、ブロードウェイを観たんだぞ、と。或いはフロリダのファンは言うだろう。オレはウィンダムとのブロードウェイを観たと。また或る者はこう豪語する。私はディヴィッド・フォン・エリックとのブロードウェイを観て来たと。世界中のフレアーファンが、皆嬉々として話し始める共通言語。「オレが観た、あのブロードウェイは凄かった」・・・。
フレアーはモンスターにレスリングをさせるのも上手かった。ブッチ・リードが注目されたのは、ブルース・リード時代、フロリダでフレアーに何度もバンプを取らせるゴリラスラムを認められたからだ。メジャーではシングルのチャンプになれなかったリードだが、フロリダ王者として、或いはMSWA北米王者として、フレアーと戦う世界戦はいつも佳作以上を見せた。
ジョージアではバッドバッド・レロイ・ブラウンが、フレアー相手に一世一代の晴れ舞台を成功させている。ノンタイトルで、一度はフレアーをジャンピングボディスプラッシュで押し潰し、ピンまで奪ったブラウン。フレアーとの世界戦は、意外なほど面白かったと聞く。
終ぞメジャーでは、シングルのチャンプになれなかったドクターデス・スティーヴ・ウィリアムスも、唯一フレアーとは好勝負シリーズを残している。エル・ヒガンテがマトモに闘えたのも、フレアー戦だけだった。
nWoのナッシュ&ホール、ゴールドバーグなどは、HBKやゲームの担当だったし、HBKもゲームも、面白いアングルを見せてくれたとは思う。しかしブロックやラシュリーやヘンリーやカリ、バティスタも含め、フレアーだったらどう扱っただろうかとは、あのブロードウェイを観て来た人達なら、どうしても思ってしまうところではあるのだ。
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