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Charlotte rite (3)

 US王者時代のフレアーの、忘れ得ぬ宿敵と言えば、スティムボートの他にもうひとり。ザ・ハマー・グレッグ・ヴァレンタイン。ロジャース対ジョニー・ヴァレンタインは50年代の構図だが、ニューブロンズは、フレアー対グレッグ・ヴァレンタインを引き出すための、ジョージ・スコット産のプロダクトだったと言われている。


 ジョージ・スコットの中では、50年代の黄金カード、ロジャース対ヴァレンタインは、ありきの答え。ロジャースとヴァレンタインも、たしか一時、NYでUSタグを獲ったことがあるよう記憶している。それもあってスコットは、フレアー&ヴァレンタインのティームをプロデュースした。ニューブロンズというネーミングは、後のフリーバーズのバディ・ロバーツとジェリー・ブラウンの名タグ、ハリウッドブロンズに由来した。


 力を入れて造ったから、これは受けた。ジョージ・スコットがここで復活させたシカゴ産の世界タグティーム・タイトルは、このニューブロンズで、新たな命を吹き込まれた。ブロンドの長い髪、ローブ、エルボードロップ、フィギュアフォー。若くて野望を胸に秘める二人が、競い合うように暴れる風景は受けた。このティームもまた、フレアー対スティムボートとともに、あの時代のミッドアトランティックを描写する時の、ひとつの象徴となっている。


 ニューブロンズの解散と、その後の両者の、血で血を洗うと言われたフュードは、ニューブロンズ結成前からの決まり事。しかしニューブロンズはあまりにもクールだったがゆえ、この解散を残念がるファンも多く、凄絶なフュードにのめり込めない面もあったと聞く。が、時は両者に、NWAタイトルレースでのショウダウンを迫った。自身がNWAチャンプになれなかったジョニー親父の悲願もまた、グレッグをチャンプにすることだった。グレッグが親父の宿敵の技をフィニッシュに選んだのも、タイトルレースで一歩も引かない意思の表れだった。


 両者のフュードは引くほど凄かったと聞く。フレアー対スティムボートの華麗さとはかけ離れた、殴り合いの死闘だったと。何時もDQ混じりの不透明決着で、実際勝ち負けの決着は、着いていないとも。フレアーがタイトルレースを制したことで、フレアーが勝ったようなことになってはいるが、両者の抗争自体は、その後も続いた。続いたままグレッグがWWFに移り、今も決着はない。少なくともグレッグのファンは、フレアーに負けた憶えはないと、そう思っている。


 とはいうものの、フレアーのいない場所に行けば、我々は安心して彼を思う存分楽しめたように、WWFでは、彼のフレアー的魅力は爆発した。MSGでのバックランドとのブロードウェイ。インターコンティネンタル・チャンピオン。ホーガンの弟分を、生涯唯一のビッグタイトルに導いたのも、彼の功績である。


 WCWでも一時、スレーターとのタグでUSを制したり、WWNでノースアメリカン・チャンプを名乗ったり・・・因みにそのノースアメリカンタイトルは、かつてオハイオにあった、AWAタイトルのこと。今でもインディーのブッキングを受け付けているとも聞く。


 元IC王者でUS王者で、2つの世界タグを制したグレッグ・ザ・ハマー・ヴァレンタインは、押しも押されぬ、WWE・HOFer。ここで思いださなくても皆覚えている。しかしグレッグとフレアーのあのグラッジに決着が就いていないのは、意外に知られていない。あの黄金のベルトを賭けて、タイトル戦をやっていないことも。


 ヴァレンタインはスティムボートと並ぶ、フレアーの若き日の代表的ライヴァル。リユニオンのメンバーに相応しい。この顔合わせも是非、実現させて貰いたく思う。


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Charlotte rite (2)

<前回から続く>


 スコットのどうだという表情が、今でも浮かんで来そうだ。スコットの世界制覇の確信が、今でも手に取れる。ジョニー・ヴァレンタインの役を、そのまま息子のグレッグに引き継がせ、新たにジミー・スヌーカという個性も参入させ、スコットは70年代のミッドアトランティックに、50年代のニューヨークの舞台を、新しいキャストで再現してみせた。


 全米に轟くジョージ・スコットの威光。そのスコットのストラクチャの中核に、日系の若者が居た。長い黒髪、筋骨隆々の体躯。フライングメイヤー一発が、ショウイーな大技として絵になった。フライングヘッドシザース一振りで、アリーナの蜂の巣を突いた。そしてあの、サイクロンウィップと言われた、ジャンピングアームドラッグ。ただの巻き投げをスーパーパフォーマンスに仕上げた。ドロップキック、バックハンドチョップ、ダイヴィングブレインチョップ、ハイクロスボディ、リヴァースフルネルソンツリー。


 最高のベビーフェイスは最高品質のパフォーマンスを売る。100mをどれだけ早く走れるかの、純粋なパフォーマンスだ。シンプルなレスリングをスーパーパフォーマンスにしたから、最高のベビーフェイスと言われた。最高のベビーフェイスには最高のベビーフェイスに対する、最高級の敬意を払わねばならない。


 ベビーらしいベビーというのは、実はいそうでいない、稀有な存在。物語のヒーローだからこそ、ベビーの称号を得る。ヒーロー役に対して、自分が少しでも目立とうなどとしては台無しになる。ベビーを圧倒的に目立たせ、その純粋な能力をフルに発揮させ、尚且つその中で自らも自然に目立てるヒールにだけ、チャンプの資格がある。リック・フレアーはその過程で、チャンプとしての腕を磨いて来た。


 ジョージ・スコットには、スティムボートのような存在が、チャンプにとっての高壁の課題であり、最難のテーマであり、同時に究極の素材であることが分かっていた。だから長らくスティムボートは、スコットの切り札だった。


 スコットはMACWを出た後、WWFの全米進行に参画。パイパー、オーンドーフ、ヴァレンタイン、そしてスティムボートを、JCPから引き抜いた。87年、ハルクとアンドレのポンティアック。あの歴史的な10万人の観客の前で究極の名勝負を披露したのは、スコットの切り札の方だったではないか。


 89年、WCWの発進。ブッカーとチャンプの座を独占するフレアーが、まず最初にハナシを着けたのは、スコットだった。スコットをWWFから取り返し、スコットは、WWFからスティムボートを引き抜き返した。ルガーやスタニング・スティーヴに対しても、スティムボートはキングメーキングの切り札として立ちはだかってもくれた。


 スティムボートは誰とでも好勝負をしたわけではない。しかし相手によっては究極を見せた。フレアーを目指そうという者は現れる。それはHBKでありトリプルHであり。しかしスティムボートと出逢うのは難しい。それを見抜いて引き合わす、ブッカーの力もまた。


 リック・フレアーをネイチュアボーイにした男、ジョージ・スコット。彼もまたスティムボートとともに、フレアー史に欠かすことの出来ない人物であリ、この時期に思い起こして欲しい名前の1つである。


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Charlotte rite (1)

 我々の偉大なキング、リック・フレアーが、キャリアの重要な一ピリオドを迎えようとしている。フレアーの、忘れえぬライヴァル達・・・最大のライヴァルだったとして、ターリー・ブランチャードを取り上げたが、ことリング上ということに限れば、最もオモシロイ攻防を見せたのは、それは、リッキー・スティムボートだったと言われている。


 70年代後半、フレアー、スティムボート、ヴァレンタイン、スヌーカらを中心に、ミッドアトランティックが爆発する。人口32万人ほどのシャーロッテで、1万2千人収容のシャーロットコロシアムが、毎回ソールドアウトになった。NBAのバスケットボールゲームが3千人くらいしか集められない時代にだ。人口35万人ほどのグリーンズボロでも、1万6千人収容のグリーンズボロコロシアムが、毎回満員になった。リッチモンドのリッチモンドコロシアム1万2千が、ノーフォークのスコープコロシアム1万2千が、トロントのメープルリーフガーデン1万2千が、軒並み満員になった。人口700万のNYの、2万2千のMSGが、バックランドでなかなか満員にならなかった時代にだ。


 皆がフレアー対スティムボートを観に来た。或いはフレアー対ヴァレンタインを。或いはまた、スティムボート対スヌーカを。フレアー対スヌーカ、フレアー対パイパー・・・シティの人口の5%もの足をアリーナに運ばせた。それは社会現象だった。カナダやNYのバッファロまで加えた、当時最大の興行地域は、3グループに分かれてのものでしか賄い切れないほどだった。


 ミッドアトランティックはNWA王者の派遣を、取り立てて必要としなくなった。少なくともビジネス的には。ミッドアトランティックのNWA脱退の噂は確かに飛んだ。クロケットはブラフ的に、我々はNYへ行けば、50万人の観客を動員出来ると豪語した。ブッカーのジョージ・スコットが、マッチメーカーのジーン・アンダーソンが、全米制覇の野望を秘めるオレィ・アンダーソンが、ゴージャス・ジョージのような人気者になりたいと言っていたリック・フレアーが、NWAに無言の脅しを掛けた。


 そしてクロケットは、若干35歳で、NWAプレジデントの座を手に入れ、リック・フレアーは世界王者になることを取り付けた。そのミッドアトランティック躍進の、起爆剤となったのが取り分け、フレアー対スティムボートだった。76年、無名の新人だったスティムボートは、誰ぞのミステリーパートナーとして突然現れ、フレアーをアンダーショーツ一丁に引ん剥いて、リング下に叩き落す破格のデビューをやってのけた。


 89年のWCW発進時にも、全米ネットでそっくりそのままリメイクされ、03年にも、トリプルHがビッグパパパンプでオマージュしたコレは、現代にも続くTVでの派手なアングル作りの、プロトタイプを提出していたのだろう。そしてその企画一切を取り仕切ったのが、MACW当時のブッカー、ジョージ・スコットだった。


 ジョージ・スコットは、弟サンデーとの、高名なフライング・スコット・ブラザーズの、ワールドタグティームチャンピオン。デトロイトやシカゴをはじめ、ロジャース全盛時代のMSGでも常連だった。スコットは70年代初めにミッドアトランティックでブッカーになるのだが、凄い勢いでここを改革していく。イースタンステーツと言われていた同エリアとそのタイトルを、ミッドアトランティックと改称したのを皮切りに、現在スマックにあるUSタイトルを、ミッドアトランティックに復活誘致したのも彼なら、現在WWEにあるワールドタグティームタイトルの1つを、ミッドアトランティックに復活誘致したのも彼である。


 理路整然なのは勿論のこと、レスリングの歴史やタイトルの行方にも詳しかった。おそらく彼には、信じて疑わない、到達点の風景があった。ロジャース全盛のMSGをミッドカーダーとして見て来た彼の信念。そこ行けば、どんな夢ものユートピア。バディ・ロジャース全盛のMSGの理想郷。まるでブルドーザーのように、理想に向かって突っ走った。


 そのスコットが、ロジャースに指名したのがフレアーで、ロジャースの宿敵のアントニオ・ロッカ役に必死で探して来たのが、24歳の新鋭、リッキー・スティムボートだった。南米産のエキゾチックでセクシーな足技使いのロッカに対し、やはりエキゾチックでセクシーな、日系のカンフー使い。フレアー対スティムボートは、泣く子も黙る辣腕が、自信をもって提出した、新時代のロジャース対ロッカだった。<続く>


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the Enterprising HORSEMAN (6)

<前回から続く>


 それから2年半、噂が飛んだ。スラムボリー93に、ターリーがやって来ると。フレアーが帰って来てホースメンがリビルドされるのだ。ファンは実現期待の気持ちを込めて、ターリーが現れるというムードを盛り上げた。果してやって来たのは、・・・ ポール・ローマだった。アリーナは“We Want Tully”の大コールに包まれたという。


 ビショフか誰かにブックされただけのローマには気の毒な面もあったが、ファンが待っていたのはこの、タイトル的には何の実績もない、WWFからのドリフターではなかった。かつてフレアーの右腕としてホースメンを仕切った、世界で2番目に偉大な男だった。ドラッグをやっていたとしても、彼とのコアな時間は、消し去れようはずもない。ヤングスタリオンがホースメンマテリアルにないことなど、ナイツオブホースメンには分かり切っている。ホースメンはビジネス上の普通のユニットではないのだ。


 一年後、スラムボリー94。前年暮れに、チーフブッカーの座に返り咲いたフレアーは、遂にターリーをブックした。ターリーのリタイアから3年半、それは我々からの、せめてもの引退試合のプレゼントだった。テリー・ファンクとのレジェンドマッチ。流石のホースマン振りで、久々とは思えない動きだった。これが実質、メジャーでの最終戦となっている。


 ターリーはWCWで出来る力は残っていなかったのかもしれないが、これを機に、マット界に復帰。ECWでダグラスと、ブロードウェイの好勝負をやったあと、クロケットの新会社、WWNで、マッチメーカーに就任したりする。NWAチャンピオンシップレスリング。肩の筋肉がげそりとしていたとはいえ、どうせやるならば、世界王者ではないNWA王者ターリーは、あそこであって然るべきだったと思っている。どうせ死なない亡霊の管理。ホースメンによるマットワールド支配体制の完備。WCW入りさせないのであれば、せめてターリーにあのままNWAを仕切らせておけば・・・今だからこそ言える結果論のようなものになってはしまうが・・。


 ブッカー・フレアー体制下のWCW。水面下でのやり取りもあったろうクロケットのオポジション形式は不成立を余儀なくされ、結果ターリーもフェイドアウトして行く。後年の復帰。牧師との兼業かつ、布教とヴォランティア半分のマット活動。たまに、NWA・USタイトルを拵えてみたり、ホースメンぽいことを弄じたりするのは悪ガキの名残。


 ロードエージェントとしてWWEに入ってきたのは、CCW経由でのダスティの尽力か。JBLとの今になっての蒸返しで、当時のターリーのしたことを責める気持ちには、我々にはなれない。ターリーはフレアーの重要ピリオドになくてはならない人物。レジェンドコントラクトはしているといい、フレアー関係のDVDではすっかりお馴染みでもあるが、オリジナルホースメンのメジャーなシチュエーションなリユニオンには、おそらくこれが、最後の機会になるはず。これはあってしかるべきなのではないか。


 髪もすっかり無くなり、往年の“クール・バッドガイ”振りも大分失せたが、今でもやはり、ハンサムなターリー。表題のthe Enterprising HORSEMAN とは、ターリーが呼ばれていた、ニックネームのひとつ。たしかPWI誌のピンナップに、そう表記されていた記憶がある。USAネット、ヒューバーとの10本勝負、マグナムとのIQ・・・ ターリーはいつも我々の何歩か先を行っていた。無茶、無謀、いつも危険と背中合わせを包含しつつ。ターリーの行く所諍いもトラブルも付き物。しかしまたそれが、黙示録の赤い馬の魅力でもあった。


 JJやオレィなどと、イヴェントでなど再会もしているターリー。インディ系ではまだ元気に戦っている。リック・フレアーの重要ピリオドに欠かせないキャストのひとり。「史上最大の大巨人に、本当の意味で勝負を挑んだ唯一の男」。ケネディとMVPが悪企むというのなら、聞こえて来ていいはずだ、レッドホースマンと蒼褪めた馬の嘶くサウンドが。おそらく今、フレアーファンの誰もが、それを強く望んでいる。聞こえないなら聞こえるまで我々がまた叫ぼう。“We Want Tully”と!!


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the Enterprising HORSEMAN (5)

<前回から続く>

 ターリーはスターケード85が終わったあたりから、フレアーらとの共闘路線を鮮明にして行くが、そのホースメンを組む前の、最後の次期候補時代とも言うべきUS王者最終時に、スターケード85で、生涯のベストバウトを残している。有名な、USタイトル・アイクイットマッチ・インサイドケージ、vs.マグナムTAだ。


 アトランタとグリーンズボロのダブルロケーションで配信された同大会の、グリーンズボロ側のメーンだった。突き付けられたマイクを通して響き渡る、野獣の怒号。say it! NOwwwwwwww!! 声も出ないベイビードール。初めて観る形式のド迫力に、目は釘付けだった。シンプルに究極を求めるレスリングのデスマッチ・・・ターリーの真骨頂だった。


 前年と同カードで、タイトルチェンジもなかったフレアー対ダスティをジョージアへ追いやって、JCPの本拠地グリーンズボロを務めたUSタイトル・アイクイット・インサイドケージ。この年のスターケードのメーンは、こっちだったかもしれない。フレアーとの世界戦を実質封じられ、ホースメン後はタグマッチが主になっていくターリーの、代表的シングル戦として記憶されている。ブラッドバスのDVDで観れる。観ておくべきと思う。


 この大役も、世界タイトル挑戦と引き換えに、フレアーが譲ったものだと解している。ターリーはここでUSタイトルを失うが、誰が目立ったと言って、この日のスターケードで、最も独壇を制したのは勿論、オリジナルハードコアレジェンドのターリーだった。スターケード85は間違いなく、ターリーのためのイヴェントだった。


 ターリーはこの伝説のUS戦を最後に次期世界候補を卒し、フレアーらと共闘していく道を選ぶ。ホースメンの正式結成とされているのは、86年6月のチャールストン・サウスカロライナらしいが、ターリーがフレアーとのフュードもその決着も無しにフレアーと戦わなくなったのは、これを機としている。


 ダブルAがホースメンに参加した理由も、ターリーの場合と同じ。ターリーとアーンは、世界ヘヴィー級タイトルとその王者フレアーと、そのカントリーを守るため、自身が世界王者になるという事を犠牲にしてくれた。我々こそ、あの2人に借りがあるというのである。


 ターリーはその代償として、ホースメンのNO.2、つまり、世界で2番目に尊敬されるレスラーとして、我々の崇意を集めた。主にアーンとのティームで、ワールドタグティームチャンプとして活躍。スターケード87では、ロード・ウォリアーズの最後の挑戦を見事に退け、ローディーズとの戦争に遂に勝ち切った。WWF移籍後も、WWFワールドタグティームタイトルを獲得。個人としてではなく、ティームとして2つのワールドタグティームタイトルを獲った、最初のタグティームとなる。ダイナミック・デュオで世に出てブレインバスターズとして実質終わったターリーが、タグティームのクラフトマンという世間的評価を得ている由縁は、なるほど見合う実績に裏打たれている。ターリー&アーンこそ、タグティーム版のフレアーであり、グレイテストタグティーム・オブ・オールタイムだと、我々は何の疑いもなく言える。


 しかし世界やホースメンから距離を置いた場は、再びターリーに緊張感を失わせたのか、WWFでターリーは、事件を起こす。ドラッグ癖の再発。若い頃ヘロでしくじっていたターリー。コーク。アウトだった。WWFを追われる。アーンはWCWに復帰したが、ターリーは戻れなかった。理由はやはり、WWFを追われたことと同じだったろうか。


 AWAのガニアは、親父ジョーを、AWAプレジデントとして招聘。AWAの再興をターリーに託すのではないかとも言われた。が、これも実現せずに、ターリーは反省と出直すためか、ノースカロライナで牧師になった。

<続く>


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