the Enterprising HORSEMAN (5) | HWD+e

the Enterprising HORSEMAN (5)

<前回から続く>

 ターリーはスターケード85が終わったあたりから、フレアーらとの共闘路線を鮮明にして行くが、そのホースメンを組む前の、最後の次期候補時代とも言うべきUS王者最終時に、スターケード85で、生涯のベストバウトを残している。有名な、USタイトル・アイクイットマッチ・インサイドケージ、vs.マグナムTAだ。


 アトランタとグリーンズボロのダブルロケーションで配信された同大会の、グリーンズボロ側のメーンだった。突き付けられたマイクを通して響き渡る、野獣の怒号。say it! NOwwwwwwww!! 声も出ないベイビードール。初めて観る形式のド迫力に、目は釘付けだった。シンプルに究極を求めるレスリングのデスマッチ・・・ターリーの真骨頂だった。


 前年と同カードで、タイトルチェンジもなかったフレアー対ダスティをジョージアへ追いやって、JCPの本拠地グリーンズボロを務めたUSタイトル・アイクイット・インサイドケージ。この年のスターケードのメーンは、こっちだったかもしれない。フレアーとの世界戦を実質封じられ、ホースメン後はタグマッチが主になっていくターリーの、代表的シングル戦として記憶されている。ブラッドバスのDVDで観れる。観ておくべきと思う。


 この大役も、世界タイトル挑戦と引き換えに、フレアーが譲ったものだと解している。ターリーはここでUSタイトルを失うが、誰が目立ったと言って、この日のスターケードで、最も独壇を制したのは勿論、オリジナルハードコアレジェンドのターリーだった。スターケード85は間違いなく、ターリーのためのイヴェントだった。


 ターリーはこの伝説のUS戦を最後に次期世界候補を卒し、フレアーらと共闘していく道を選ぶ。ホースメンの正式結成とされているのは、86年6月のチャールストン・サウスカロライナらしいが、ターリーがフレアーとのフュードもその決着も無しにフレアーと戦わなくなったのは、これを機としている。


 ダブルAがホースメンに参加した理由も、ターリーの場合と同じ。ターリーとアーンは、世界ヘヴィー級タイトルとその王者フレアーと、そのカントリーを守るため、自身が世界王者になるという事を犠牲にしてくれた。我々こそ、あの2人に借りがあるというのである。


 ターリーはその代償として、ホースメンのNO.2、つまり、世界で2番目に尊敬されるレスラーとして、我々の崇意を集めた。主にアーンとのティームで、ワールドタグティームチャンプとして活躍。スターケード87では、ロード・ウォリアーズの最後の挑戦を見事に退け、ローディーズとの戦争に遂に勝ち切った。WWF移籍後も、WWFワールドタグティームタイトルを獲得。個人としてではなく、ティームとして2つのワールドタグティームタイトルを獲った、最初のタグティームとなる。ダイナミック・デュオで世に出てブレインバスターズとして実質終わったターリーが、タグティームのクラフトマンという世間的評価を得ている由縁は、なるほど見合う実績に裏打たれている。ターリー&アーンこそ、タグティーム版のフレアーであり、グレイテストタグティーム・オブ・オールタイムだと、我々は何の疑いもなく言える。


 しかし世界やホースメンから距離を置いた場は、再びターリーに緊張感を失わせたのか、WWFでターリーは、事件を起こす。ドラッグ癖の再発。若い頃ヘロでしくじっていたターリー。コーク。アウトだった。WWFを追われる。アーンはWCWに復帰したが、ターリーは戻れなかった。理由はやはり、WWFを追われたことと同じだったろうか。


 AWAのガニアは、親父ジョーを、AWAプレジデントとして招聘。AWAの再興をターリーに託すのではないかとも言われた。が、これも実現せずに、ターリーは反省と出直すためか、ノースカロライナで牧師になった。

<続く>


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