Charlotte rite (1)
我々の偉大なキング、リック・フレアーが、キャリアの重要な一ピリオドを迎えようとしている。フレアーの、忘れえぬライヴァル達・・・最大のライヴァルだったとして、ターリー・ブランチャードを取り上げたが、ことリング上ということに限れば、最もオモシロイ攻防を見せたのは、それは、リッキー・スティムボートだったと言われている。
70年代後半、フレアー、スティムボート、ヴァレンタイン、スヌーカらを中心に、ミッドアトランティックが爆発する。人口32万人ほどのシャーロッテで、1万2千人収容のシャーロットコロシアムが、毎回ソールドアウトになった。NBAのバスケットボールゲームが3千人くらいしか集められない時代にだ。人口35万人ほどのグリーンズボロでも、1万6千人収容のグリーンズボロコロシアムが、毎回満員になった。リッチモンドのリッチモンドコロシアム1万2千が、ノーフォークのスコープコロシアム1万2千が、トロントのメープルリーフガーデン1万2千が、軒並み満員になった。人口700万のNYの、2万2千のMSGが、バックランドでなかなか満員にならなかった時代にだ。
皆がフレアー対スティムボートを観に来た。或いはフレアー対ヴァレンタインを。或いはまた、スティムボート対スヌーカを。フレアー対スヌーカ、フレアー対パイパー・・・シティの人口の5%もの足をアリーナに運ばせた。それは社会現象だった。カナダやNYのバッファロまで加えた、当時最大の興行地域は、3グループに分かれてのものでしか賄い切れないほどだった。
ミッドアトランティックはNWA王者の派遣を、取り立てて必要としなくなった。少なくともビジネス的には。ミッドアトランティックのNWA脱退の噂は確かに飛んだ。クロケットはブラフ的に、我々はNYへ行けば、50万人の観客を動員出来ると豪語した。ブッカーのジョージ・スコットが、マッチメーカーのジーン・アンダーソンが、全米制覇の野望を秘めるオレィ・アンダーソンが、ゴージャス・ジョージのような人気者になりたいと言っていたリック・フレアーが、NWAに無言の脅しを掛けた。
そしてクロケットは、若干35歳で、NWAプレジデントの座を手に入れ、リック・フレアーは世界王者になることを取り付けた。そのミッドアトランティック躍進の、起爆剤となったのが取り分け、フレアー対スティムボートだった。76年、無名の新人だったスティムボートは、誰ぞのミステリーパートナーとして突然現れ、フレアーをアンダーショーツ一丁に引ん剥いて、リング下に叩き落す破格のデビューをやってのけた。
89年のWCW発進時にも、全米ネットでそっくりそのままリメイクされ、03年にも、トリプルHがビッグパパパンプでオマージュしたコレは、現代にも続くTVでの派手なアングル作りの、プロトタイプを提出していたのだろう。そしてその企画一切を取り仕切ったのが、MACW当時のブッカー、ジョージ・スコットだった。
ジョージ・スコットは、弟サンデーとの、高名なフライング・スコット・ブラザーズの、ワールドタグティームチャンピオン。デトロイトやシカゴをはじめ、ロジャース全盛時代のMSGでも常連だった。スコットは70年代初めにミッドアトランティックでブッカーになるのだが、凄い勢いでここを改革していく。イースタンステーツと言われていた同エリアとそのタイトルを、ミッドアトランティックと改称したのを皮切りに、現在スマックにあるUSタイトルを、ミッドアトランティックに復活誘致したのも彼なら、現在WWEにあるワールドタグティームタイトルの1つを、ミッドアトランティックに復活誘致したのも彼である。
理路整然なのは勿論のこと、レスリングの歴史やタイトルの行方にも詳しかった。おそらく彼には、信じて疑わない、到達点の風景があった。ロジャース全盛のMSGをミッドカーダーとして見て来た彼の信念。そこ行けば、どんな夢ものユートピア。バディ・ロジャース全盛のMSGの理想郷。まるでブルドーザーのように、理想に向かって突っ走った。
そのスコットが、ロジャースに指名したのがフレアーで、ロジャースの宿敵のアントニオ・ロッカ役に必死で探して来たのが、24歳の新鋭、リッキー・スティムボートだった。南米産のエキゾチックでセクシーな足技使いのロッカに対し、やはりエキゾチックでセクシーな、日系のカンフー使い。フレアー対スティムボートは、泣く子も黙る辣腕が、自信をもって提出した、新時代のロジャース対ロッカだった。<続く>
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