私たちが日々感じるイライラ感を悪と捉えていれば我慢して抱え込んだり、忘れようと封印してしまうことがあります。しかし、怒りを「危険」「守りたいもの」「大切なもの」「自分の価値観」「自分の本当の気持ち」「自分の理想」「自分の欲求」などを教えてくれるサインとして私たちがキャッチできれば、自分を理解するための大切な感情として扱うことができます。とはいえ、「いくら怒りは大切な感情と言われても・・・」と、なんか実感できないという方もいらっしゃるかと思います。では、「このやっかいな怒りの感情はどこからやってくるか?」について一緒に考えていきましょう!
(1)怒りを感じる時
人が怒りを感じる時には 大きく分けて2つの要素が必要です。一つは「被害にあった」という感覚です。被害とは「けがをした」「物を壊された」という物理的被害だけでなく、むしろ、「プライドが傷ついた」などの心理的被害の方が日常的な怒りでは重要な意味を持っています。日常生活の中で怒りを感じる原因の多くは「相手の自己中心的な態度」「約束の破棄、裏切り」「侮辱・無礼な態度」といった心理的被害がほとんどです。私たちは被害にあった時に必ず怒りを感じるわけではありません。例えば、親友が親の事情で突然、遠くに引っ越すことになった場合、怒りより悲しみの感情が生じやすいです。
それは怒りを感じる時には被害だけでなく、もう一つ重要な要素として「加害者の責任性の判断」があるからです。怒りの発生には単に被害にあっただけでなく、「その被害の責任が特定の他者にある」ということが必要な条件となります。自分が嫌な思いをして、かつ、誰かのせいでそうなったと感じた時、怒りを感じます。
◆怒りの認知構造
怒りの認知要素としてよく挙げられるのが、被害に関わる要素として①快適性(嫌な思いをした)②目標関連性(出来事が個人にとってどの程度大切だったか)、加害者の責任性に関わる要素として③主体性(誰が実行したか)④コントロールの可能性(避けることができたははず)が考えられます。
◆怒りっぽいのはどんな人?
「責任」というものは目に見える客観的なものではないので、人によってとらえ方が違います。先ほどの親友が引っ越して遠くに離れてしまうという行為の責任は、親友にあるという判断に基づくと怒りとなります。怒りはある意味で個人の「思い込み」に基づいて生じる感情です。
人によって「怒りっぽさ」に違いがある理由の一つは、こうした状況判断に個人差があるためと考えられています。 つまり、怒りっぽい人というのは普通の人よりも被害や責任性大きく評価しやすい人であり、反対に怒りっぽくない人はそうした要素を小さく評価しやすい人といえます。
被害や責任性を大きく感じやすい性格として知られているのがパラノイド認知です。パラノイド認知とは他者の言動の背後に自分に対する悪意や敵意を推測しやすい傾向のことです。こうした性格傾向を持つ人は、例えば、やむなく遅刻をした相手に対しても「自分を軽視しているからだ」と考えてしまい、怒りを感じやすい傾向がみられます。
◆ついカッとして……
しかし、疑問として生じるのは私たちは被害や加害者の責任性を毎回きちんと判断して、怒りを感じているのかということです。攻撃行動に関する研究によると、十分な認知処理を介さない、衝動的な怒りのプロセスが働いているためと考えられています。あらゆる攻撃行動の基盤には必ず欲求不満が存在し、また欲求不満は常に何らかの攻撃を引き起こすとされています。
◆怒りを引き起こす刺激
また、全ての不快な感情は欲求不満以外にも、攻撃を動機づけると言われています。例えば、蒸し暑い状況や騒音のある状況ではちょっとしたことでもイライラしてしまうことがよくあります。この不快感情によって生じる攻撃への準備状態と、その場の状況内に攻撃手がかり(武器など攻撃を連想される刺激)があることによって、攻撃が引き起こされるとしています。
◆判断か衝動か
あらゆる不快な状況や攻撃に関連する刺激は、無意識的で衝動的な怒りを引き起こす可能性があることになります。脳神経科学からの考えると、刺激に対して大雑把であるものの迅速に応じる自動的な情報処理回路と複雑な評価過程を経て行われる高度な認知的情報処理回路の2経路が存在することが示唆されています。現在は怒りの喚起には「衝動的なプロセス」と「判断的プロセス」が同時進行的に関わっていると考えられています。
(2)怒りをぶつける時
◆腹が立つけど……
怒りは確かに衝動的に生じることもありますが、私たちは怒りを感じた時にそれを表出することがいったいどれくらいあるでしょうか。ある調査では怒りを感じた人のうち、82.6%が言語的な攻撃へと動機づけられますが、実際にそれを実行した人は53.7%でした。また、身体的攻撃では44.4%の人が動機づけられますが、実行した人はわずか6.5%にすぎませんでした。
被害が大きく、かつ加害者の責任が大きいと判断したとしても、必ずしも怒りが表出するわけではありません。怒りを感じる時の認知的要因と、怒りを表出するかどうかを判断する時の認知的要因は異なると推測されます。
◆怒りの表出の決め手
怒りの表出を規定する認知的要因として、「自己効力」(行動を首尾よく遂行できるという信念、行動前の予測)と「結果予測」(行動を実行した後に生じる出来事についての、行動後の予期)の2つを取り上げますと、自己効力が高く、ポジティブな結果予測をした場合、怒りの行動は生じやすくなります。
◆怒りの正当性
怒りの表出に影響を与える要因がもう一つ考えられます。反応評価という要因があります。反応評価とは、特定の反応に対する「良い」「悪い」といった評価軸です。反応評価に関連した概念として、「怒りの正当性」というものがあります。
例えば、誰が何と言おうと自分が正しいと感じる時はよくありますし、逆に誰かから怒られた時でも、状況によっては「あの人が怒るのは無理はない」と感じることはないでしょうか。これはまさに正当性評価です。また、怒りという感情そのものが怒りの表出を正当化している側面も見逃せません。
自分の感情が行為ではなく、激情であることを強調することによって、個人は社会的な責任を放棄し、行為を正当化することができます。感じる怒りが強いほど、怒り表出の衝動的な側面が強まり、それに加えて実際以上に怒りを制御不能で、正当なものと考えることにつながる可能性があります。
◆キレやすいのはどんな人か
では、怒りを感じた時にそれを表出しやすいのはどんな人でしょうか。まず、自己効力が高く、かつ結果予期をポジティブにとらえやすい人が挙げられます。また、他者の攻撃的な行動をよく目にしている人、特にそれによって報酬を得ている場面をよく目にしている人は、攻撃的になりやすいことがモデリングの実験によって明らかにされています。他者の行動観察も自己効力を高め、結果予期をポジティブにとられる一因となる可能性があるといえるでしょう。
では、自分の怒りの表出を正当だと感じやすいのはどのような人でしょうか。その一つとして考えられるのは自己愛傾向です。自己愛傾向の人は自分自身への関心の集中と、自信や優越感などの自分自身の肯定的感覚、さらにその感覚を維持したいという欲求によって特徴づけられています。
(3)怒りを抑える時
◆我慢する
怒りを表出できなかった場合、私たちはどのような形で
それを収めようとするのでしょうか。怒りを我慢し続けることはかなりの苦痛を伴います。これはなんとかその時は怒りの抑えこみに成功したとしても、それが時空を超えてマグマのように「強度が高い怒り」が噴き出してくる危険性をはらんでいます。
◆怒ってなかったことにする
認知的に被害状況を再評価するという対処方略が選択することも考えられます。この認知の再評価は、新たな情報を得ることによって行われることもありますが、一種の自己防衛反応として、既存の情報を評価し直すこと(防衛的再評価)によって行われる場合もあります。
つまり、怒りたい時怒れないのであれば、自分で自分をだましてでも、「もともと怒っていなかった」ことにすれば状況自体は何も変わらなくても、苦痛を感じることは少なくなります。これも実際に自分は怒りを感じているわけですから、これを怒っていなかったと自分をだましても、後で自己矛盾を起こし、「持続性が高い怒り」となる危険性を秘めています。
(4)アンガーマネージメントとは
「怒る必要があることを上手に怒れ、怒る必要がないことは怒らないようになる」 ことです。
アンガーマネジメントは決して怒らない人になることでははありません。“怒ってもいいが大前提”です。 つまり、「怒る必要があることと、怒る必要のないことの境界線が引けるようになる人」を目指していきます。
【参考文献】
湯川進太郎(2008)「怒りの心理学-怒りとうまくつきあうための理論と方法-」有斐閣
安藤俊介(2021)「私は正しい その正義感が怒りにつながる」産業編集センター
中野信子(2019)「キレる!」小学館