夏の暑さを「昨年よりも暑い」と感じてしまうのは、
年を重ねたからだと考えるには、まだ若すぎるのかもしれない。



暑い日差しが赫赫と照りつける木々に、
セミの声がけたたましく鳴り響く最中を、
ハンカチ片手に汗を拭いながら境内を厳かに進み、
そして恭しくご神前に礼をする。

都会の真ん中に位置するはずのその場所なのに、
この空間だけは異次元の世界のようで、
ただただ、黙して語らず、
我々の今日の繁栄を導き給うた英霊に対し恭しく礼をする。

行為として見れば、ただそれだけのこと。



このところ毎年のように重く感じるようになった暑さに対する不快感と、
8月15日を境にした諸処の行ないに対する不快感は、
「たまらなさ」を二乗してもまだ足りない不愉快さへと誘う。

免疫が付きだしたはずの「謝罪と賠償」なる言葉が、
やはり免疫では打ち崩せない体内の拒絶反応を呼び起こしてくるのは、
先天的な患いを快楽へとある意味における進化を果たした朝鮮人が発したものばかりではなく、
今や国際的にも日本人として認知されている「沖縄県民」が同然の言葉を日本語を使用して発するからである。



戦争というものは、国家が起こすものである。
日本が日本として負けてしまったが為、湧き出されるあの汚泥のような思想は、
もし仮に日本が日本として勝ってしまったら、彼の地で湧き出されるその物質は、
とても澄んだ淀みのない無着色なものへとなっていたのかもしれない。


日本国の北の最果てだった南樺太。
来るはずのなかったソビエト侵攻により、口舌し難い惨状が南樺太を襲う。
だがしかし、今現在の時代に北海道から国家賠償を、
我々が発する同言語の日本語を使用した「謝罪と賠償」を要求しているだろうか?


遠く南方硫黄島やマレー諸島、
ガダルカナルで死地と直面した日本の民間人並びに帝国軍の元軍人が今現在、
我々が発する同言語の日本語を使用した「謝罪と賠償」を要求しているだろうか?

沖縄戦での日本軍の攻勢及び地元住民をも巻き込んだゲリラ戦に米軍が苦戦を強いられ、
他の要因こそあれその延長線上に最悪のシナリオを構成させる原因の一翼を担ってしまった沖縄に、
広島や長崎の人々が、今の今までに国家賠償並みの要求を、
我々が発する同言語の日本語を使用した「謝罪と賠償」を要求しているだろうか?


答えは、すべて否である。


たとえ汚泥のような思想でも内に秘めている間は、それら一つ一つを取り上げて粛清を望むものではない。
現に日本は戦争に敗れて、自制を決め込んだ67年を過ごしてきた。
だからといってその汚泥のような思想を何らかの形で表現してしまうと、もうそこには救いはない。
もし仮に日本が戦争に勝っていれば、これらの者たちもその勝利とその派生物を享受していたはずだ。
そして、「謝罪や賠償」なる言葉なども出てこないはずである。

日本という国を共有している者は、決して戦争に負けても「謝罪や賠償」など口には出さない。
勝利した時も敗北した時でさえも、日本という国を共有する意識で感受するからだ。
そこに行動としての整合性が出てくるのである。

日本人はいい意味での潔癖性を身に纏った民族である。
行動に整合性を見出すことに美徳を見出す民族である。

戦争に勝利したからといって、耳を疑うような要求をしない。
戦争に敗北したからといって、鼻につくような要求をしない。

中には例外中の例外のような輩が出てくるのは仕方がないが、
往々にして日本人とは良し悪しにつけお行儀のいい民族なのである。


戦争というものに、国家として日本が敗北を帰してしまった事実を、
先天的な日本人としての血を受け継がない者の哀れな行動様式を見聞して、
改めてこの戦争が生み出した陰と陽の副産物に思いを馳せずにはおられない。



韓流ブームの前には沖縄のアクターズスクール出のタレントがブームを作り出した。
若い女性や男性をまず売り物にした後に、
政治がしゃしゃり出てきて暴言と妄言を繰り返すこの構図の双方の類似点は、
単なる偶然か、それとも何らかの力が作用した結果のものなのか。

沖縄がそして沖縄県民がそれを是とするのであれば、日本よりも韓国や中国を選べばいい。
直接その言葉をスローガンとして使えばいい。
なにも少々面倒くさく回りくどい、
身の丈に合わない行動様式を身に付ける必要もない。


しかし、それを実行した後に気づく日本の懐深さを感じても、それはもう遅い。
沖縄は、その実行の片足を実は上げ始めているのかもしれない。

そうなることは、日本を日本人をこれ以上汚されない為にも、仕方がないことだと私は思っている。
それはまた、押さえつけられない沖縄の沖縄人のためにも、仕方がないことだと私は思っている。



来年の夏の暑さも「昨年よりも暑い」と感じてしまうのかもしれないが、
年を重ねたが故、ある程度の知識及び経験を身に纏うことができたのだから、
それを元に現在の平和と繁栄の礎となられた英霊に対し、ただただ頭を垂れ、
8月15日という時間を、靖国という特別の場所で、日本人であることの意味を感じたいと思う。





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先日の朝ラッシュ時の電車内での話。


何気に漂ってきたその匂いは、周囲の人間を困惑へと誘い、

そして猜疑心と共に自分以外の周囲の人間へ不快度を上昇させます。


結局何者がこの何気に漂わすその匂いを、

発信させたのかは不明のまま目的地の駅で下車しました。



もしも、このお尻の一部分から発せられるガスが、

無臭の物で、だけれどもショッキングピンクなモコモコとした煙を燻らす物だったら・・・。


電車内での困惑を伴う不快は感じずにいられるのかもしれない。

プラットフォームの先端には、喫煙場所と同種のものが現れるのかもしれない。


目的地の駅から会社までの徒歩の間、

そんなことを考えながら、なぜだろうか無意識に出てしまうガスを、

そんな事はなかったものとして、無関心を決め込んで社内へと駆け込みました・・・。


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わんさかと得たい情報が出てきます。
首謀者の名前に顔写真、
その父親の名前に顔写真、
名前も相まって詮索することをソソらせる首謀者の生活環境、
そして中学校名に担任の名前に顔写真。

なぜ教育委員会や学校、警察までもがまったく被害者側に立たなかったか、
持てる想像力をフルに活用しなくとも、その近くまで辿り着ける気がします。



「いじめ」は、決して無くなるような性質のものではないように思います。
しかし必要なものは、「いじめ」の周辺に位置する者の助けではないでしょうか。
ヒトは他人の足を引っ張りもしますが、他人に差し出す手さえも持っているからです。

私の主観ですが、「いじめ」の陰湿さの比例には、「暴力」の否定があるように思っています。

表題のワードでググって頂ければわかると思いますが、
首謀者のその形(なり)を見ると、とても「暴力」的な人物には見えません。
昔で言う「番長」格な人物ではなく、良くてその周りで調子こいている大口タイプです。

「番長」格な人物は、自殺の練習等させませんし、小力な相手に暴力を振るいません。
他のクラスや他校と諍いがあったときに初めてその「暴力」を使います。
「暴力」の使い方が「番長」格であるため、他の者を求心し権力を保持します。
大口タイプのこいつを見ていると、とてもじゃないが「番長」的な動きが取れる者には見えないのです。

随分昔のことになりますが、
私が中学生・高校生時代には、陰湿な「いじめ」も端々にはあったでしょうが、
でもやはり全体的には、「番長」格な人間がいてクラス内で畏怖の目で見られていた、
そういった時代であった思われます。

日本人の極度の潔癖性が齎したものは、
こういった思春期のコミュニティーさえ崩壊させていった、
調子こいた大口タイプの陰湿な「いじめ」を台頭させたものとなったように感じます。

クラブ活動を頑張る一部の者を除いて、教師並びに生徒がクソだらけの我が母校は、
中学高校と男子校であったため、殴り合いの喧嘩は日常茶飯事でした。
中学生が高校生と食堂で大立ち回りをするなど、その日々は今思い出しても微笑ましい限りです。

私は中学から高校までの6年間、クソだらけの母校に通いました。
しかし、高校から入ってくる者が中学校卒業と同時に現れます。
この高校から入ってくる者と高校入学の4月に私が揉め事を起こしました。
すると、助けに入ってくれたのは我が学年の「番長」格の者でした。

私のいた時代は、まだこういった者が残っていた、そういった時代であったと思います。



ビーバップ世代の私にとって、こういった輩は即効で死を選んでもらいたいと思います。
どうせこの先生きていても、
他人の足を引っ張りはするでしょうが、他人に差し出す手は持てないでしょうから。
どうせこの先生きていても、仕方ないのです。

え?人権?
こんなことする奴にそんなものあるはずないでしょw

興味がある方は是非ググってみてください。
そして可能であるなら、その情報を恒久的に残すべく拡散してください。
いま大切なのは、大層と思い込んでいる政治レベルな話なんかよりも、
こういった一人一人の日本人としての「質」をこそ問いていかなければならないと思うんです。




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最近痰がからんで、夜中に息苦しくなり起きることがしばしば・・・。

生憎の年齢のせいなのかもしれません・・・。


やだやだ、と地団駄を踏んで抵抗しても、

人間、1年に1歳は歳を重ねるのは、

数少ない、人間が持つ公平性なのかもしれません・・・。


先日薬を購入し、飲んでから就寝すると、

夜中の息苦しさによる不快は無くなりました。


しかし、ここに来て新たな不快が加わることと相成りました。


梅雨の到来です。


ジメジメ、ジメジメと、

スッキリ竹を割ったような性格を持つ私めには、

このウザったい季節は大の苦手です。


でも、梅雨は時間が解決してくれます。

1ヶ月半もすれば、梅雨空とはおさらばできます。


職場には、男のくせにウジウジ、ウジウジした輩が、

大層な幅を利かせて、その不快を蹂躙させておりますが、

1ヶ月半もすれば、梅雨空のごとくおさらばできればいいなと思っております。


ちなみに購入した薬は、カイゲン咳止め錠でしたけど・・・。


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休日の朝に洗濯機を回す人も多いはずです。

その回っている洗濯物を、しばし眺めている方も多いのでは?


一週間の汚れを水しぶきを上げて洗われていくその光景は、

結構な癒しの成分があるのではないのかと錯覚してしまいます。


明日からまた始まる一週間が脳裏の片隅にありながらも、

休日の朝に洗濯機を回せるこの平凡さとその錯覚は、

恒久ならざるやもしれない平和の一時代のほんの一ページに過ぎないのかもしれません。


私自身に「家電に例えると」と問いかけられれば、

私自身は「洗濯機」と答え、

その心は、「少々うるさいけど、存在とその行動で他の物を綺麗さっぱりと整理できるから」と答えます。


現在の日本人には、

幕末のあの時代を過ごし経験したことが嘘のように、

農耕民族特有の寄らば大樹の影だらけの日陰だらけで、

リーダーシップがないと嘆息し、

独裁的でエゴイストだとまたまた嘆息する、

民族としての危機的状況が迫っているように思います。


相変わらずの論調がテレビやネットで堂々巡りをしていますが、

洗濯機で回されている洗濯物が綺麗さっぱりと整理されていくように、

今日本が抱えている様々な問題がいずれ綺麗さっぱりと整理されていくことを望みます。


ところで、あなたを「家電」に例えるとなんですか?


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2年前の本日5/17に、アメーバブログに初めて投稿しました。

それまで違うサイト上で、携帯からブログを書いていましたが、

本格的にブログをはじめようとした2年前の本日5/17に、アメーバブログに初めて投稿したのでした。


他の地域では分かりませんが、

ここ関西では、政治の話というものがいささか遣りづらく、

小石を蹴れば、どこぞの某(個人、団体問わず)に当たってしまうくらいに、

その世界が狭く感じ、大局的な見地によるブログ発信ができればと思い投稿し始めました。

(政治以外の話をすることの方が、実は多いというのはココだけの話ですけど)



バーチャルな人と人との繋がりの中に、人の温度を初めて感じる出来事がありました。

昨年の3/11東北地方太平洋沖大地震がそれです。


茨城地方に住んでいた一人の「ゆとり世代」がいるのですが、

震災後、連絡が取れない時間がありました。

その後、3/11中にナウで連絡を取ることができたのですが、

この出来事は、アメーバで知り合った者の間を強く取り持つ、

そんな大きなきっかけとなったように思います。


私個人としては、

新潟で暮らす事となった、この「ゆとり世代」や、

新潟で暮らす、この「ゆとり世代」の暴言を柔らかくかわすサウナ好きの社長や、

長崎で暮らす、年齢不詳で、性別さえ実は闇の中のクリリンや、

大阪で暮らす、旅行好きで外交的なマドモアゼルや、

千葉で暮らす、日に日に言葉遣いの荒さに磨きをかけることに定評のある同級生や、

東京で暮らす、そのむかし実は、やんちゃしていたのではと思わせるサービス業社長や、

愛知に暮らす、下尻の評価がめっぽう辛く、下ネタの返しを問うてくる人や、

兵庫で暮らす、鏡の前に立つ時間がそれなりに長く、毎日ブログ更新を頑張っている人など、

2年間で、ご紹介できなかった人々も含め、

多くの人々と何らかの形で接しさせていただくことができました。


全国ニュースを見る時、全国の天気予報や台風情報を見る時、

全国各地で何らかを頑張っている人々のお顔やブログ内容を思い出させます。

それだけでも、人生の豊潤さを感じることができました。


改めて、御礼申し上げます。

ありがとうございました。



私のブログはほぼ100%、「暴言」により構成されているのですが、

「辛辣」さを求めた結果、出るわ出るわの「暴言」の数々となってしまいました。


「辛辣」さは、ワンセンテンス、つまり一言で言い表すことこそが、

その究極の到達地点だと思っているのですが、語彙力のなさからまだまだ道半ばの状態です。


また、大局的なお話を極論をもって展開する成分が100%含まれている私のブログなんですが、

「おめーの言っている内容、意味わかんね」

というご批判を多く、というか毎回頂戴しております。


小学生の頃から作文が苦手な私は、

自分の主義主張を展開することはおろか、

人に何かを響かせる文章を書く事など大それたことであると、

強く気づかせられる2年間でもありました。



この2年間は私にとって結構しんどい(||´Д`)o時間でした。

この後の時間がどういった日々になるのか、まだまだ見当もつきませんが、

しんどかろーが、たのしかろーが、頑張って逞しく生きていきたいと思っています。

アメーバと共に!


今後共、できる限りお付き合いくださいますよう、

改めてよろしくお願い致します!


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本日5月15日の40年前、沖縄が日本に戻ってきた。

本土にも及んでいたアメリカによる占領政策の最後を飾る沖縄返還は、

日本の有史以来の一つの大きな転換点となった。


しかし、薩摩に占領され、太平洋戦争に負け、日本に返還される長い時代を歩んでも、

沖縄に住む人間には、ある種の被差別意識があるように思われる。



沖縄の基地問題が一向に進まない大きな一因には、

日本国には、軍隊を有さない自衛隊という存在があるからだ。


問題が、アメリカ軍の基地が沖縄の広範囲にあるだけ、

という物理的要素のみに限定できない要素を多分に含んでいるからである。


この現在の沖縄の問題をクローズアップするとき、

憲法改正に伴う日本軍創設の機運や方向性を示される一端が何もない以上、

沖縄の産業とまでなった在米軍基地問題は、何ら解決へと向かわないだろう。


現在の政権のこれら問題に対する矛先は、

日本の防衛を丸裸にした上で、中国や韓国、北朝鮮、ロシアという脅威を、

身銭を稼ぐ娼婦が短絡的な欲望を受け入れるがため路上に立つ、

その姿を日本国として行うという惨めな姿へと落とし込むことに他ならない。


順序として、まず地位協定の見直しから始め、同時に憲法改正に伴う日本軍の創設、

これらの工程をクリアにしてから初めて机上に載せられるのが、米軍基地問題なのである。



沖縄の持つ被差別意識を解決する道筋は、ただ単純に教育の質を変えていけば事足りる。

なんせこの被差別意識は、その教育の質で蓄積していった最たるものだからだ。


「日本に巻き込まれた戦争である」と、堂々と口にするその態度は、

沖縄が、未だに日本に同化せず、琉球のままでいる明白な証拠である。


日本に併合されず、中国や朝鮮(そんな力はなかったが)に併合されていたら、

と、少しは無い頭をひねり、逞しからぬその想像力を働かせれば、

「日本に巻き込まれた」などと口にする馬鹿な沖縄県人は、もう二度とこの世に現れないだろう。


沖縄の、沖縄人による琉球文化が、未だに継承できているのは、

紛れもなく日本国のおかげなのだから。


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法治国家だからこそ必要なものに、逆説的ながら超法規な存在があってもいいような気が持てる、

そんな時代に今、この日本という国は立ち位置を変えつつあるのではないのかとそのように感じます。


一人もしくは一集団だけの、二人もしくは二集団では多過ぎる、そんな存在が実在していれば・・・。


依頼者が発する怨念、遺恨に、その存在の心が震わせられた時、

依頼者の持たされたその荷物を、ゼロにできなくとも少しでも軽くしてあげられる、そんな存在がいれば・・・。


世の中には、死ななくてはならないのではなく生きていてはダメな輩が、往々にして肩で風を切り生きています。

それは、罪を犯したその者の存在だけではなく、そ奴らの身内にも範囲を広げて言及できます。


この親にして、この子あり。


古今より言われるこのフレーズに陳腐さが宿るのは、このフレーズの事象が洋の東西を問わず、

至るところで目に出来、我々の日常の中に入り込んでいるからです。



江戸時代という時代、この時代を恐ろしい時代であったと解釈する馬鹿左翼思想の者も多いですが、

この時代には、復讐が合法に行なわれ、その成り行きを奉行所が精査する、

今の時代と異なり、もちろん一長一短なところはありますが、人の血が通うそんな時代だったと思います。


何かと言えば外国の諸制度と比較し、日本の日本らしさばかりが消えていく昨今、

グローバリゼーションは経済にだけ留めておけばいいものを、

逆に言えば、日本の日本らしさで他国を比較し続けてきた明治維新以後のそのツケが、

日本の日本らしさばかりが消えていく、そんな馬鹿らしい時代へとなり果てたように思うのです。



とは言うものの、私が知らないだけでこういった裏稼業が、実は存在するのかもしれません。

まさかYahooで検索できたり、検索したページに辿るとフリーダイヤルが掲載されていたら、

もはや裏稼業とは呼べない、明らかにオープンに設定されているものとなってしまうからです。


血なまぐさい事に蓋をしてしまうことに定評のある現代の我々日本人ではありますが、

どこかの八丁堀に行ってみたり、どこかの新宿東口に行ってみたら、

そういった依頼者に心を震わせられたその存在が、実はその役目を人知れず実行しているのかもしれません。


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家族を持たない小生なんぞが偉そうに出しゃばるのも何なんですが、

表題の「家族サービス」なんぞをせっかくの連休中に、

その家の家長がせっせと汗を流すその姿を色々なシチュエーションで見ますと、

何と言いますか・・・、何か気の毒だなと感じるのと同時に、

今の世の中の一つの幸せを形にした、羨ましさなんぞも感じてしまう複雑な心境を持ちます。


今年のGWはカレンダーの配列のおかげで、9連休の超大型連休の方もおられるでしょう。


その長さに比例して、家族が持つ良い思い出の量が増大していて、

その長さに比例して、家長が背負い込む満足度の高い疲労が明日にはすっかりと癒えている事を切に願います。


仕事以外の疲労は御免被りたいと感じる小生には、

その家の家長がせっせと汗を流すその姿を色々なシチュエーションで見ますと、

独身生活のピリオドがまだまだ遠い遠い未来の夢の産物でしかない事を自覚せずにはおられない、

そんなことを感じながら、目から汗を流し今久々のブログを書いているんです・・・(T_T)。


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正直どーでもええわw


小澤一郎とか、いつまでこんな守銭奴を日本の政治の軸として捉えているのか。


金銭・金満政治、農民・土建屋を中心とした土民の組織票に支えられた昭和からの生き字引に、

情けない我が国のマスコミは、朝からその判決の行方に右往左往するアホさ加減。


現況が自民党政治に嫌気がさし、政権交代を望んだ結果としても、

民主党内で、その昭和期の自民党的政治手腕を今も尚実行しているのは、

この小澤一郎なる、自称日本人とその周辺のユカイな仲間達であり、

その言動は決して許しまじき行ないなのである。


あのブザイクな風貌に、聞くに耐えないあの声色。

「カリスマ」とは程遠いあの自称日本人が、未だにまだ何らかの形でチカラを持てているのは、

「カリスマ」とは真逆の「カネ」という臭気が、あの醜い風貌からプンプンとするからに違いないのだ。


古代中国の時代、劉邦にはその勢力と質が情けなくとも「カリスマ」があった。

その妻の人とナリは別としても、次代を切り開くにはこの「カリスマ」が必要であった。


小澤一郎なる自称日本人には、すでにそれがない。


それがないとは、すでに日本の次の時代を切り開く力がないことを意味する。


小澤一郎なる自称日本人に、すでに日本の次の時代を切り開く力がないということはつまり、

新たな次世代の日本の政治の軸を、我々の目線で捉えなければならない時期が来ているということだ。


小澤一郎なる自称日本人とその子飼いが、この日本という国において、

忘れ去られる忘却の彼方へと葬り去る過去の汚物として、「処理」される時が来ているように思うのだ。


新たな次世代の日本の政治の軸の変化は、私が忌み嫌う「団塊世代」という汚物を、

忘れ去られる忘却の彼方へと葬り去る、その良い転換点の象徴として歴史に刻み込まれるだろう。


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