3月17日JRのダイヤ改正に伴い、関西に唯一残っていた寝台特急「日本海」が定期運行を終えます。

高度成長を支えた輸送手段の代名詞でもあった「ブルートレイン」が、関西から消滅することになります。


私が子供の頃の贅沢な旅行手段の一つが、このブルートレインを利用したものでした。

あの頃はまだ全国各地に新幹線はなく、東海道以外にも長距離列車が幾多もありました。


旅先の目的地に向かう一手段に過ぎないツールといえばそれまでになりますが、

この客車でしかも寝台が付いているブルートレインという乗り物の旅情は、

一つ一つの停車駅をコツコツと止まりながらも猛スピードでないにせよ確実に旅先へと旅客を運んで行き、

一つ一つの停車駅をコツコツと過ぎていくに伴う景色の変化を旅客に楽しませながら、

旅というものが決して目的地での周遊のみでないことを私達に提案し続けてきたように思います。


かつての日本人の趣向に、とても向いた輸送手段だったように感じるんです。


私ごとでは、寝台特急「あかつき」に2度ほど長崎旅行で乗車し、

東京出張帰りに、寝台急行「銀河」を5度ほど乗車したくらいで、

寝台特急「日本海」に乗ったことは、「いまのところ」ありません。

ちなみに、この「あかつき」も「銀河」もすでに廃止されています。


ブルートレインは、旅情という目には見えないものを、乗車に必要な費用では計れないサービスが付いた、

「のぞみ」に代表されるような列車では決して味わえない、人間臭さがある乗り物だったと思うのです。


寝台特急「日本海」は定期運行を終了するわけですが、でも今日も多くの乗客を乗せて一つ一つコツコツと、

途中の停車駅で乗客の乗降を繰り返し、猛スピードではないにせよ確実に目的地へと乗客を運ぶそのけなげさは、

日本人が忘れかけている大切な何かを、私にもそしてあなたにも問いかけているように感じるのです。


いずれ時間にゆとりが出来るであろう近い未来に、臨時列車となった寝台特急「日本海」に会いに行こうと思います。



武士の魂
寝台特急「日本海」(wikipediaより)


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昨日久々に痛快なニュースが飛び込んだ。


中井洽・衆院予算委員長の衆院第1議員会館(東京都千代田区)の事務所に12日、 切断された手の小指とみられるものや脅迫状が入った箱が届いたことが、 警視庁への取材でわかった。同庁が脅迫容疑で調べている。
麹町署によると、小指のようなものは瓶入りで、脅迫状やナイフ(刃渡り約8センチ)、 DVD1枚とともに靴の空き箱に入っていた。脅迫状には血の手形が押され、 「皇室を政争の具にした」「天誅(てんちゅう)が降りるものと覚悟せよ」などと 書かれていた。差出人は右翼団体幹部を名乗っており、広島県内から発送されたとみられるという。(朝日.com)


三重県伊賀上野なんぞで生を受け社会党などに所属したその者の出自自体が汚らわしい父を持つ中井洽が、天皇及び天皇制に異をその腹黒い気色の悪い心中で包み隠すことなく持つのはすでに自明で、こういった極右の政治団体から何らかの圧力を受けるのは時間の問題であった。


菅直人なる自称日本人がまだのうのうと息をしていること自体が不思議なわけだが、この者も含めた彼ら極右団体の何らかのリアクションを起こさないというならば、極右団体に対し失望の念を禁じえなかっただろうし、またその存在意義すら忘却の彼方へと葬り去られていたかもしれない。


痛快とは表現したものの、こういったことは本来の民主主義国家の下ではあまり行儀の良い行動ではない。

しかし、こういった行動自体が今必要とされている世の中へと、この国が徐々に変貌しようとしているのだ。


日本の歴史は、決してキレイごとの連鎖の果てに今があるのではない。

しかし、天皇が国政を壟断し、暴虐の限りを今現在尽くしているわけでもないのだ。


極東の恥部である韓国が、何かといえば日本を目の敵にするが如く、何かといえば天皇及び天皇制を目の敵にする一部の汚らわしい出自の者が要ることを忘れてはいけない。彼ら自称日本人の言動には、どういった形にせよ、何らかの制裁を与えなければ絶対にならないのだ。


それは、当人に向けられる、必然性も見出さない。


最後に、これら行動を全て是とするものではないことを付け加えておく。


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防げた孤独死に助けられた幼児虐待を、己の責任の所在さえも淡々と書類だけで処理を行い、人にモノを教える立場の覚せい剤教師に、性癖さえも知能が低い者を対象とするロリコン職員、禁煙ルールを客に強制しながら、地下鉄駅構内で職員によるたばこの失火騒動、東北地方大震災で防災無線で最後まで非難を訴えていた若い彼女の死の責任を、一切問われないし取らない老いぼれ上司。


少しネット上で拾えば、わんさかと出てくる「地方(痴呆)公務員(笑)」どもの業務内容。


ここ関西では、「京都市職員逮捕」だとか「大阪市職員逮捕」などの見出しは、すでに日常茶飯事。

どちらも「被差別部落」が大いに関わり、保健局とか環境局、水道局など、その者達の出自や生い立ち、やもすればその外見までもがくっきりと想像できる、そんな気持ち悪い日常の現実が、ここ関西にもある。


しかし一番気持ち悪いのは、当人以外のだれも処分の対象とはならないことだ。

防げた孤独死に助けられた幼児虐待では、誰も処分の対象とはならない。


厚顔無恥にも甚だしいことだが、その対応を行う担当部署の者が平然と粛々と取材に応じる。

京都市職員や大阪市職員に至っては、日常化しすぎていてその時々の対応を追いかけるほうが難しい。


交番なるものがその町の至る所にあるからこその安全神話と言われて久しくなる我が日本国であるが、

都市計画から市民の生活、福祉、雇用、そして防災を担うこれら「地方(痴呆)公務員(笑)」の己の使命を考えなければならないはずのその脳みその思考停止は、犯罪率が上昇することに伴う安全神話崩壊と並列できるわが国の危険な状態を表しているように思える。


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毎朝、通勤通学のラッシュ時間帯に一組の親子を見かけます。


改札口の柵を跨いで改札の外に母親が、改札の中には小学校2・3年生位の女の子が、

会話をするわけでもなく、ただ寄り添い立ち尽くしている、そんな光景を毎朝見かけます。


女の子は学校生活があまり楽しくなく、それを知る母親がギリギリの時間まで一緒に寄り添う、

お二人のそういった光景を毎朝見かける私は、勝手ながらこのように解釈して改札を通り過ぎます。


自身のお腹を痛めて子供を産む「母親」には、男である父親とは異なる強さがあるように思います。

男女、年齢を問わず「子供」には、そういった「母親」を「最後の拠り所」としておきたい願望があるように思います。


いずれ訪れるであろう親離れ、子離れの時間まで、その長さは一生のうちのほんの一部ですが、

このほんの一部の時間が、その後の人生に与える影響はとてつもなく大きいように思います。


かけがえの無い「最後の拠り所」としての「母親」を持たない小生は、

最初の大きな第一歩を踏み出す勇気を持てるまで優しく見守っているあの「母親」が持つ強さが、

笑顔で手を振り学校へと登校していくあの女の子のほんの少し先の明るい未来を導き出している、

そんな毎朝の光景へと変わっていくものと心から信じているんです。


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おい!!

いったい何なんだ!!

このバレンタインデーなるものは!!


世の婦女子がポイポイと『義理チョコ』を配り、

世の殿方がホイホイとその蜜に惑わされる。


たく、救いがたい世の中だな、おい!


そもそもこのような広がりを見せたのは、お菓子メーカーなんぞに踊らされているわけなのだが、

百歩譲って、本命にチョコレートを渡し愛の告白なんぞを女性側から切り出す・・・、

そのスタンスはそれで良いとしよう。


問題は『義理チョコ』なるモノの存在だ!


貰って、封を切って、口に運んで、歯ごたえを感じて、そこで、

わさびだのからしだのの辛さが利いたチョコレートなら、

「うわ~、カラ~!!これ『義理チョコ』やんけぇぇぇぇ」

というノリ突っ込みも一酔狂なやり取りでオチもつく。


しかし実際は、

とてもまろやかで、トロ~っと口の中でとろけて、そしてとてもビターなおいしいチョコレートなのだ。


こんなもん『義理チョコ』とちゃう!!

こんな悲しく落ち込む気持ちを奈落の底まで一直線に叩きつけるチョコなんかないわっ!!


そしてこの『義理チョコ』を渡すときの女性陣の涼しげな目線!!


涼しすぎるっちゅうねん!!

今、真冬!!そんな視線を頂戴せんでも十二分に体感温度は氷点下やっ!


もうやめて!世のモテナイ男性陣のライフはゼロよ!!


よって、本年限りで『義理チョコ』の配布を禁じる法案を私は提案するものである!!


『義理チョコ廃止論』、

それは本日だけ特別に許された、憲法改正論を論じるよりも世の男性には切実な問題なのであ~る!!


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この日本には、「自由」という言葉が大好きな者が多くいることだろう。

しかしこの「自由」なるものには、「責任」という言葉が必ずついて回ることを承知しなければならない。


先般、東京電力が事業者向けの電気料金値上げについて各事業主に通知を行った。

東京電力曰く、東京電力という事業者として料金設定は義務であり権利であると。


「料金」なるものは、マーケットがあって初めて成立するものだ。


ほぼ独占状態の産業の主で、高額な公的資金さえ分け与えられるこの時局の東京電力に、

事業者としての料金設定が義務であり権利などと、どの面が吼えるのかと言いたくなる。


「自由」に行動したければ、「責任」は常に付きまとう。

これは、「大人」と呼ばれる者の所作であり、「子供」と呼ばれる被保護者の所作ではない。


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先日ファミリーレストランで時間を過ごした。

多数の小さなお子さんを連れた母親達が後から入店し、1時間ほど私と同じ空間で共にすることになるわけだが、

子供達は食事が終わると、談笑に熱を帯びさせている母親達を尻目に店内を闊歩し始める。

時に走り回り、時にレジ横のおもちゃを座り込んで吟味し、時にかくれんぼをし・・・。

私以外の客達は、概ね自身が子供だった頃を思い出すことなく、不快感を露に醸し出していた。


1時間ほどして多数の小さなお子さんとその母親達は席を立つ。

そしてもちろんのこと、恐らく父親達が持つ能力で稼いだであろう資金で、母親達が会計を済ませ店を後にする。


残ったその空間は、あの騒ぎが嘘だったかのような静寂が辺りを支配する。


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逆説的だが、「自由」とは何らかの「制約」があってはじめて成立する。

無法図にも不文律が存在し、そして「責任」と「自由」が後からやってくる。


「自由」を履き違えた我々日本人は、「自由を謳歌する」などと、そのボロボロの羽を広げて平気で表現する。


結婚をしないまま、子供を作る自由。

あまつさえ、その子供を育てる精神力又は経済力がないからといって、吸殻のように捨てる自由。

外出することさえ億劫となり、生活そのものを放棄し、物理的にも精神的にも自身に閉じこもる自由。

卑屈になりきって、己の命さえ自らで断ち切ってしまう自由。


これら全てを合法でやりきっていける、この国の「自由」とはいったい何なんだろうか?


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明治時代初期、わが国にあった階級社会は制度上消えてなくなる。

その後、農民や商人などが権力を蓄えていく。

その最たる象徴は、西武グループの堤家である。

戦後の焼け野原をいい事に、宮家、華族の土地を買いに買い漁る。

たかだかの近江商人風情が、今や大企業なるステータスをその手中に収めた。


現在もこの企業が存立すること、

すなわちこの国の「自由」なるものの履き違え方が、現在にも大いに有効であると証明するところ大である。


農民階級や商人階級の権力保持謳歌が顕著に現れた終戦後、

この国は人間の価値判断さえも財布の中身や権威のみに委ねてしまう馬鹿な国へと成り果てた。


邨社会よろしく、そろばん勘定よろしくといったところなのだろうが、

「日本」という国のそもそもの伝統は、そのような下衆な風習を下に築き上げていったものではない。


「日本」に棲む「日本人」という道徳教育の根幹は、

邨社会のような卑怯を是とするものではなく、そろばん勘定のような打算を是とするところではないはずだ。


旧士族たちよ、立ち上がれ。

「侍」という言葉と行動が、この冬空の公園にひっそりと植わっているあの枯れ木のような存在とならないうちに。


毅然さと理性をこの国に取り戻し、あの騒ぎが嘘だったかのような静寂をこの国に取り戻そうではないか。


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が、歩いている途中で出たときには、出した本人でさえその対処には戸惑います。


必要以上に靴音を立ててみたり、

「おならって!」と、心の中で強く自分に突っ込みを入れてみたり、

とりあえず後ろの人のリアクションを、耳を澄まして感じてみたり、


と、その対処も人それぞれで違うはずです。


かくいう私目は、まだ最良の対処方法を見出せずにいます。

もしよろしければ、最良の対処方法を授けていただけると明日から気が楽なんですが・・・。


寒い中を帰宅早々PCの電源を付け、お尻の辺りをキュッとさせながらブログを書いているんです。


おならが出ることは、いいことだ!!


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世の中には何かと「人権」という言葉を口にさえすれば、

己の生命と存在が保証されるとでも思っているおめでたい輩が我々人間社会に寄生している。


しかし、世の中には「人権」などという生易しいありふれ過ぎた言葉ではある意味において救いきれない、

その者等とは対岸に位置する場所で生きている私には吐き気を感じさせる社会の屑が多数存在している。


①自分よりも弱い対象を苛めに苛め抜いて、結果として殺しそして時に遺棄する者。

②我が子が犯した犯罪を事も無げに傍観を決め込み、そして自身の所在のみを正当化する者。


①は昨今のトレンディーである児童虐待、動物虐待、同級生殺傷など。

②は池田小学校殺害事件、光市母子殺害事件など。


こういった者共は、死ななければならないのではない。


生きていてはだめなんだ。


生きている術を取り上げられた彼等の未来には、一つの答えしかそもそも用意されていない。

どんなに自殺者数がうなぎ上りに上昇しようとも、こやつ等のような自殺はこの国の浄化を見出し賞賛にさえ値する。


該当するものは、今すぐ死ね。


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表題は、1月30日(月曜日)の日本経済新聞の記事である。

以下、記事から全てを引用する。


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富山市で開かれている日教組の教育研究全国集会は2日目の29日、「子どもたちが発信~震災から見える子供の権利」と題したシンポジウムで中高生らが震災や東京電力福島第1原発事故への思いを語った。

原発事故で福島県南相馬市から新潟県新発田市に非難している中学校3年の小林慧君(15)は「父から『原発が爆発した』と言われて逃げた。非難の呼びかけはなく、政府に見放されたのかと思った」と訴えた。


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日教組とはすでに言わずもがな、教師の組合であり、そして常に非権力側に付いてきた「日本」に忠誠を尽くせないでいる哀れな団体のことである。そしてこの団体にいる教師に洗脳され、勉学に勤しむのが我が日本の戦後66年の歩みとなった。この団体のドン輿石なる、テレビがデジタルに移行しその哀れな風体がより鮮明に描かれることとなる「自称日本人」は、現在の政権政党の中枢に何かの掛け違いで鎮座しているわけだが、それであれば日教組という曰く付きの団体が、政府批判なるものも二の足を踏むはず、と考えてしまうのは間違った図式となってしまうのが今般の記事なのだ。つまりこの団体は、「日本」という国そのものに嫌悪感のみを抱き、また己の持つ稚拙な価値観と「日本」という国のもつ美意識との融合が出来ない非常に短絡的な思考の下でしか存立できない哀れな団体なのだということが、この記事により改めて白日の下に晒されることとなった。


日本は言論の自由が憲法で保障されている。

故に、小林慧君(15)の発言や気持ちが間違っているとは思わないし、むしろ率直な意見だと思う。

しかし、日教組という団体が開く集会の下でこのような訴えは、記事を読む側の者として少々違和感を抱いてしまう。

また、このような集会を少年の口を介して相変わらずの行動を行う日教組には、閉口を禁じえない。


建設的見地を下にした、「日本人」というものの「情操教育」の実現を願うばかりだ。


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『私は幼い頃ミキハ○スのモデルをやっていた。その後いろいろな経緯を辿り、高校時代に組んでいたバンドで作った曲が、某有名人歌手のセットリストに載った。その後いろいろな経緯を辿り、今サラリーマンをやっているわけだが、先日出社するなり部長に呼び付けられる。そろそろ所帯を持ち身を固めろと言うのだ。部長の手にはお見合い用の豪勢に彩られた写真がある。聞けば、京都市左京区に佇む豪勢なお屋敷に生を受けたご令嬢で、家系図を辿れば、旧宮様に繋がるとか何とか言うではないか。そんな一日がスタートした矢先、今度は私が以前より進めていた高額案件の受注に成功したと部下から報告があった。その受注祝いにその夜、部長共々で市内の高級料亭に行くことに。そこでは松坂牛のすき焼きが出るわけなのだが、そのタレに使う卵を割れば黄身が二つ出るではないか。そんなこんなで胃袋も満たし寒い夜空を見上げつつ帰路に着こうとしたのだが、社のマドンナ的存在の部下から週末にデートのお誘いなんぞを受けてしまう。私は、週末などと言わずにこれから行きつけのショットバーにでも繰り出してオールでもしよう、等と浮かれ気分で提案し二人並んで歩き出したその瞬間、寒い夜空で足元が薄暗く気づけなかった開いているマンホールというブラックホールに足元を取られ落ちていく・・・』、そんなところで夢から醒めたんだ・・・(しょぼーん)。


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