表題は、1月30日(月曜日)の日本経済新聞の記事である。

以下、記事から全てを引用する。


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富山市で開かれている日教組の教育研究全国集会は2日目の29日、「子どもたちが発信~震災から見える子供の権利」と題したシンポジウムで中高生らが震災や東京電力福島第1原発事故への思いを語った。

原発事故で福島県南相馬市から新潟県新発田市に非難している中学校3年の小林慧君(15)は「父から『原発が爆発した』と言われて逃げた。非難の呼びかけはなく、政府に見放されたのかと思った」と訴えた。


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日教組とはすでに言わずもがな、教師の組合であり、そして常に非権力側に付いてきた「日本」に忠誠を尽くせないでいる哀れな団体のことである。そしてこの団体にいる教師に洗脳され、勉学に勤しむのが我が日本の戦後66年の歩みとなった。この団体のドン輿石なる、テレビがデジタルに移行しその哀れな風体がより鮮明に描かれることとなる「自称日本人」は、現在の政権政党の中枢に何かの掛け違いで鎮座しているわけだが、それであれば日教組という曰く付きの団体が、政府批判なるものも二の足を踏むはず、と考えてしまうのは間違った図式となってしまうのが今般の記事なのだ。つまりこの団体は、「日本」という国そのものに嫌悪感のみを抱き、また己の持つ稚拙な価値観と「日本」という国のもつ美意識との融合が出来ない非常に短絡的な思考の下でしか存立できない哀れな団体なのだということが、この記事により改めて白日の下に晒されることとなった。


日本は言論の自由が憲法で保障されている。

故に、小林慧君(15)の発言や気持ちが間違っているとは思わないし、むしろ率直な意見だと思う。

しかし、日教組という団体が開く集会の下でこのような訴えは、記事を読む側の者として少々違和感を抱いてしまう。

また、このような集会を少年の口を介して相変わらずの行動を行う日教組には、閉口を禁じえない。


建設的見地を下にした、「日本人」というものの「情操教育」の実現を願うばかりだ。


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