毎朝、通勤通学のラッシュ時間帯に一組の親子を見かけます。


改札口の柵を跨いで改札の外に母親が、改札の中には小学校2・3年生位の女の子が、

会話をするわけでもなく、ただ寄り添い立ち尽くしている、そんな光景を毎朝見かけます。


女の子は学校生活があまり楽しくなく、それを知る母親がギリギリの時間まで一緒に寄り添う、

お二人のそういった光景を毎朝見かける私は、勝手ながらこのように解釈して改札を通り過ぎます。


自身のお腹を痛めて子供を産む「母親」には、男である父親とは異なる強さがあるように思います。

男女、年齢を問わず「子供」には、そういった「母親」を「最後の拠り所」としておきたい願望があるように思います。


いずれ訪れるであろう親離れ、子離れの時間まで、その長さは一生のうちのほんの一部ですが、

このほんの一部の時間が、その後の人生に与える影響はとてつもなく大きいように思います。


かけがえの無い「最後の拠り所」としての「母親」を持たない小生は、

最初の大きな第一歩を踏み出す勇気を持てるまで優しく見守っているあの「母親」が持つ強さが、

笑顔で手を振り学校へと登校していくあの女の子のほんの少し先の明るい未来を導き出している、

そんな毎朝の光景へと変わっていくものと心から信じているんです。


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