わんさかと得たい情報が出てきます。
首謀者の名前に顔写真、
その父親の名前に顔写真、
名前も相まって詮索することをソソらせる首謀者の生活環境、
そして中学校名に担任の名前に顔写真。

なぜ教育委員会や学校、警察までもがまったく被害者側に立たなかったか、
持てる想像力をフルに活用しなくとも、その近くまで辿り着ける気がします。



「いじめ」は、決して無くなるような性質のものではないように思います。
しかし必要なものは、「いじめ」の周辺に位置する者の助けではないでしょうか。
ヒトは他人の足を引っ張りもしますが、他人に差し出す手さえも持っているからです。

私の主観ですが、「いじめ」の陰湿さの比例には、「暴力」の否定があるように思っています。

表題のワードでググって頂ければわかると思いますが、
首謀者のその形(なり)を見ると、とても「暴力」的な人物には見えません。
昔で言う「番長」格な人物ではなく、良くてその周りで調子こいている大口タイプです。

「番長」格な人物は、自殺の練習等させませんし、小力な相手に暴力を振るいません。
他のクラスや他校と諍いがあったときに初めてその「暴力」を使います。
「暴力」の使い方が「番長」格であるため、他の者を求心し権力を保持します。
大口タイプのこいつを見ていると、とてもじゃないが「番長」的な動きが取れる者には見えないのです。

随分昔のことになりますが、
私が中学生・高校生時代には、陰湿な「いじめ」も端々にはあったでしょうが、
でもやはり全体的には、「番長」格な人間がいてクラス内で畏怖の目で見られていた、
そういった時代であった思われます。

日本人の極度の潔癖性が齎したものは、
こういった思春期のコミュニティーさえ崩壊させていった、
調子こいた大口タイプの陰湿な「いじめ」を台頭させたものとなったように感じます。

クラブ活動を頑張る一部の者を除いて、教師並びに生徒がクソだらけの我が母校は、
中学高校と男子校であったため、殴り合いの喧嘩は日常茶飯事でした。
中学生が高校生と食堂で大立ち回りをするなど、その日々は今思い出しても微笑ましい限りです。

私は中学から高校までの6年間、クソだらけの母校に通いました。
しかし、高校から入ってくる者が中学校卒業と同時に現れます。
この高校から入ってくる者と高校入学の4月に私が揉め事を起こしました。
すると、助けに入ってくれたのは我が学年の「番長」格の者でした。

私のいた時代は、まだこういった者が残っていた、そういった時代であったと思います。



ビーバップ世代の私にとって、こういった輩は即効で死を選んでもらいたいと思います。
どうせこの先生きていても、
他人の足を引っ張りはするでしょうが、他人に差し出す手は持てないでしょうから。
どうせこの先生きていても、仕方ないのです。

え?人権?
こんなことする奴にそんなものあるはずないでしょw

興味がある方は是非ググってみてください。
そして可能であるなら、その情報を恒久的に残すべく拡散してください。
いま大切なのは、大層と思い込んでいる政治レベルな話なんかよりも、
こういった一人一人の日本人としての「質」をこそ問いていかなければならないと思うんです。




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