正直どーでもええわw


小澤一郎とか、いつまでこんな守銭奴を日本の政治の軸として捉えているのか。


金銭・金満政治、農民・土建屋を中心とした土民の組織票に支えられた昭和からの生き字引に、

情けない我が国のマスコミは、朝からその判決の行方に右往左往するアホさ加減。


現況が自民党政治に嫌気がさし、政権交代を望んだ結果としても、

民主党内で、その昭和期の自民党的政治手腕を今も尚実行しているのは、

この小澤一郎なる、自称日本人とその周辺のユカイな仲間達であり、

その言動は決して許しまじき行ないなのである。


あのブザイクな風貌に、聞くに耐えないあの声色。

「カリスマ」とは程遠いあの自称日本人が、未だにまだ何らかの形でチカラを持てているのは、

「カリスマ」とは真逆の「カネ」という臭気が、あの醜い風貌からプンプンとするからに違いないのだ。


古代中国の時代、劉邦にはその勢力と質が情けなくとも「カリスマ」があった。

その妻の人とナリは別としても、次代を切り開くにはこの「カリスマ」が必要であった。


小澤一郎なる自称日本人には、すでにそれがない。


それがないとは、すでに日本の次の時代を切り開く力がないことを意味する。


小澤一郎なる自称日本人に、すでに日本の次の時代を切り開く力がないということはつまり、

新たな次世代の日本の政治の軸を、我々の目線で捉えなければならない時期が来ているということだ。


小澤一郎なる自称日本人とその子飼いが、この日本という国において、

忘れ去られる忘却の彼方へと葬り去る過去の汚物として、「処理」される時が来ているように思うのだ。


新たな次世代の日本の政治の軸の変化は、私が忌み嫌う「団塊世代」という汚物を、

忘れ去られる忘却の彼方へと葬り去る、その良い転換点の象徴として歴史に刻み込まれるだろう。


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