明けて翌朝も、AMDAネパール子ども病院の視察にでかけました。

  

まずは、病院周囲の風景から。

  

病院の前には、門前町ができていました。
門前町
   

僕が最初に来た2000年には、1,2軒しかなかったのに、10数件が軒を連ねていました。

病院門前町

  

見たら、子ども用の駄菓子屋さんや、お土産屋さんまで。

駄菓子屋

  

お土産屋さん


スパイダーマンの目が離れているのが、いかにもネパールらしい。(中国産?インド産?)

  

それから、門前町のはずれには、人力車のタクシー乗り場ができていました。

人力車

  

人力車で病院に向かう人たち。

人力車に乗ってくる人

  

この道、昔は舗装もされていなかったんですよー。

  

でも、病院ができて4年目の頃に、ネパールのある団体からの寄付で舗装されました。

  

この舗装を手がけた人たち、その団体は、誰だと思います?

  

実は、商工会議所の奥様方、女性たちのメンバーでした。

  

出産を控えた女性たちが、ガタゴト道を上下に揺られながら運ばれていくのは、妊婦さんにとっては大変なこと。早産の危険もあります。

  

そんな気持ちが良くわかる女性たちが、力を合わせて寄付を募り、自分たちでもお金を出し合って舗装費用としたそうです。

  

ある奥様は、旦那さんに、「寄付しないと三行半(みくだりはん)を突きつけるわよ!」と言ったとか言わなかったとか。

(ネパール語で、三行半というかどうかは知りませんけどね。)

  

とにかく、この病院は、ネパール・ブトワールの人たちにとっても、地域の誇りと成っている病院なのです。単に、日本の寄付でできたという病院ではない、ということなのです。(つづく)

門前町から見たこども病院

  

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バンコク、カトマンズと乗り継ぎ、ネパール国内線にて、バイラワ空港へ。あたりは、もう真っ暗。
夜の外来
   

空港には、AMDAネパール子ども病院のスタッフが迎えに来てくれていました。

  

ここから、車で1時間で、ブトワールへ。

  

夜7時過ぎ、やっとの思いで、AMDAネパールこども病院に到着しました。

  

到着したら、ドクターや看護師、事務員の方など、主要なスタッフが出迎えてくれました。

  

夜遅かったにもかかわらず、歓迎レセプション。そして、その後、早速、院内主要スタッフ(IMC:internal medical comittee)によるミーティング。
IMCミーティング
  

僕から、自己紹介を兼ねて、日本から持ってきたコンピューターとプロジェクターで、この度の訪問の目的などお話しました。皆さん、じっくり聞いて下さいました。

  

その後、今最も必要とされる支援について、お話を伺いました。

  

また、後にも話題に上がりますが、とにかく、病院は患者様で溢れ、ベッドや病室が足りない!それで、新病棟が必要という意見で一致しました。(後に、視察とともに詳しくお話しますね。)

  

IMCミーティングが終わったのが9時で、みんなで一緒にご飯を食べて・・・・

歓迎の食事

  

そして、10時から夜間の病院視察。

夜の視察

  

夜は、特に病院の問題点が良くわかるんですよ。だから、遠路で疲れていても、視察、視察。

  

救急外来は、人、人、人。
夜の救急外来

  

1つのベッドの上に、3,4人のこどもたちがのっている状態。

  

また、救急室の外、病院の渡り廊下にも、人、人、人。

夜救急、渡り廊下

  

ベンチを二つ並べてベッドにしたり、それでも足りなくて、床に寝具を引く場合も。

  

救急外来に訪れる患者さんたちは、遠くから来ているから、夜は帰れず、すべて院内に留まる形になることが、さらにベッドを足りなくするようです。

  

また、一緒に来たご家族の方も、周囲に宿泊するところは無いんです。

  

だから、ご家族の方たちも、病院の待合室、玄関ホール、廊下で寝ていました。

外来、待合室で休む人々

  

新しい病棟が必要であることが、本当に良くわかった夜の視察でした。(つづく)

  

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国際線到着から国内線の乗継までの時間は4時間。

   

そんな時間も無駄にはできません。

  

カトマンズのAMDAネパール事務所へ行って、現状報告、相談などなど。
AMDAネパール
  

山と詰まれたダンボール、中身は何でしょう?

コンドーム

  

AIDS撲滅基金から送られた大量のコンドーム、でした。

  

あっという間に時間は過ぎて・・・・

  

AMDAネパールの事務局長と合流し、再び空港へ。

  

途中、車の中から、一瞬の観光。ボタナートの目。

ボタナート

  

そして、国内線でバイラワまで。

飛行機

  

機内は2列で、立つと頭が当たります。そして、鼓膜保護のコットン耳栓。

  

でも、何といっても、この景色!

  

夕日に映える、ヒマラヤの絶景。

ヒマラヤ

  

生きてきて良かったと思える瞬間です。(つづく)

  

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先週、13年目の阪神淡路大震災の日、強行軍でネパールを訪問してきました。

  

早く報告しようと思いながら、ネパールから帰ってきたら、案の定始まった、下痢と嘔吐。

  

いつもネパールに行くと、どんなに気を付けてても水にあたるのよねぇ。よほど、水が悪いんだろうね。(シャワーの水も、茶色いものねえ。)

  

その後、体力が落ちたところに、こどもの風邪をもらって、この1週間は結構大変でした。

  

でも、いつもどおり、日曜、月曜、水曜、金曜と当直してたら、いつの間にか治ってきたみたい。風邪のウイルスの方が嫌がって出て行ったんだろうね。

  

で、遅ればせながら、数回にわたって、ネパール行きの報告を。

  

13年目の阪神淡路大震災数日前、ネパールに向けて出発!

   

故障続きのロイヤルネパール航空はあきらめて、タイ航空でバンコクまで。

  

日本を出たときは真冬の寒さだったのに、バンコクは日中33度の暑さ。えーっ!真冬の格好で来たのにねえ。

  

そして、空港近くで一泊してから翌朝のタイ航空でカトマンズまで。

  

カトマンズは、日本の秋ぐらいの感じでしたね。3つの季節を経験したみたいでした。(これが風邪の原因だったのかも。)

  

カトマンズは、やはり喧騒の中。

人、人、人

  

すれすれで走っていく車、車、車。鳴り続けるクラクション。
道路は大混雑
  

そして、車の間をすり抜けていく、人、人、人。

  

乗り合いバスも満杯。

乗り合いバス

  

見つけた!5人乗り!

5人乗り

(一人落ちた瞬間でした。)

  

道端で露店を出してるこどもたち。

道端で商売する子ども

  

みんな一生懸命に生きてる、ネパール、カトマンズの風景でした。(つづく)

  

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(今、タイのバンコク国際空港です。初めて過ごす、海外での1月17日でした。AMDAネパールこども病院で過ごす阪神淡路大震災の日。やはり、走り回った一日でした。ネパールこども病院で、スタッフの方々、そして、外来に来られた患者様が、外来前に、私の挨拶を静かに聞いて下さいました。そして最後に、そこに居られた全員が黙祷し、拍手と握手、励ましの言葉を頂きましたので、ご報告いたします。その挨拶文の日本語訳です。)

皆さん、おはようございます。

私は、日本の兵庫県神戸市から来ました、江口貴博といいます。

昨年9月から、連医師の後を引き継ぐ形で、AMDA兵庫県支部の支部長をしております。

今日、こうして皆様にお会いできることをとても喜んでいます。

お会いできたことは、本当にうれしいことなのですが、今日は、私にとって、そして、私たち兵庫県や神戸の人にとっては、特別な日です。

今日、この1月17日は、この病院ができたきっかけとなった、阪神淡路大震災がおこった日なのです。

13年前の今日、神戸を未曾有の大震災が襲いました。

多くの家やビルが倒れ、何百箇所で火災が発生し、そして、6434人もの人が亡くなりました。

ライフラインは失われ、都市機能は麻痺しました。

でも、日本全国、世界各国からの援助により、神戸は復興できました。

そして、そのお礼をしようとできたのが、このAMDAネパールこども病院でした。

しかし、今なお、家族を亡くした人の心の傷は癒えません。

今日一日、日本の神戸は亡くなった方への祈りに包まれます。

そして、AMDAネパールこども病院では、40万人もの患者様が訪れ、そして、2万人近くもの新しい命が誕生しました。

それは、皆さんのお力一人ひとりの尽力と、ご協力によるものと感謝しています。

でも同時に、すばらしい治療にもかかわらず、SCWHでは、治療の甲斐なく失われたこどもたち、お母さんたちがいます。

そういった、地震で亡くなられた方々、そして、AMDAネパールこども病院で治療の甲斐なく亡くなられた、こどもたち、女性たちのために、皆さんと一緒に、祈りを捧げたいと思います。

静かに目を閉じて祈りを捧げて下さい。

黙祷。

皆様の、ご協力に感謝いたします。ありがとうございました。

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朝の挨拶

まもなく当直があけますねー。


昨日の休日当直は、夜は起こされなかったので、ラッキー!


睡眠十分で、今日は頑張れそう。


このまま、伊丹空港発のバスで関空に移動し、いざネパールに向けて出発です。


でもねえ、毎週月、金曜日と隔週の水曜日、そして時々日曜日と当直してるでしょ。当直医って、なかなか代わりがいないのよね。


それで、今回も、金曜日の当直を休みにできたのみなので、14日月曜、20日日曜の間の、15日から19日までの休みでの強行日程。


当直先からネパールに行って、帰ってもすぐ当直って感じですね~。


まあ、それでもこんな時期に休みがとれるのは、渡り鳥変則勤務のおかげなんですけどね。


とにかく、頑張って行ってきます。


帰ってきたら、また報告しますねー。ではでは。


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いよいよ、ネパール行きが迫ってきましたねぇ。

 

年末年始の喧騒と、脳外科医の激務の合間に、旅行会社と航空券の手配やら、宿泊の手配やら。

  

またまた、ネパールのスタッフともやり取りをしながら、強行日程でのネパール行きを計画しています。

  

それで、昨年末、関西国際空港発カトマンズ行きの航空券をとろうと考え始めた時のこと。

  

インターネットで検索したら、おやおや、ロイヤルネパール航空が休航?!

  

また、得意の故障かあ?

  

そういえば、最初のネパール行きの時も、出国手続きをして、機内で散々待たされた挙句、「今日は飛びません」って、出国取り消しになったよなあ。

  

そして、泉佐野のワシントンホテルから、「今、ワシントン」って電話したら、嫁さんがびっくりしてたっけ。(その記事はこちら

  

調べてみたら、2機ある機体を、両方同時に点検に出したらしい。

  

記事を読むと・・・・

  

ネパール航空、機体が足りずに国際線の運航停止

12月18日16時32分配信 ロイター

  
 [カトマンズ 18日 ロイター] ロイヤル・ネパール航空が、航空機の定期点検のため、来年1月まで運航を停止することになった。同社幹部が18日に明らかにした。
  
 同社は国際線用に2機しか保有していない。そのうち1機は、エンジントラブルを起こして過去数カ月にわたり飛行停止となっているが、別の1機にも定期点検が必要となった。
  
 同社幹部のNageshwar Raya氏は「われわれには国際線用の代替機がない」とコメント。その上で「1機の準備が整う1月1日から運航を再開する」と語るとともに、3月までには2機とも通常運航が再開できる予定だとした。
  

  

1機ずつ、出しなさいよ!

  
  

そして、その下にあった、過去記事のニュースがこれ。

  
  

ネパール航空、機体の不具合受けヤギ2匹をいけにえに

  
2007年 09月 5日 15:52
  

 [カトマンズ 4日 ロイター] 国営ロイヤル・ネパール航空は4日、保有するボーイング757型2機のうちの1機に技術的な不具合が出たことを受け、ヒンドゥー教の空の神をなだめるため、いけにえとしてヤギ2匹をささげたことを明らかにした。

  

 ロイヤル・ネパール航空は過去数週間、この不具合のために何便かを運航中止にしなければならない状況だった。

  

 当局者によると、ヤギは2日、同国唯一の国際空港であるカトマンズの空港で、問題の発生した機体の前で、ヒンドゥー教のしきたりにのっとっていけにえにされた。

  

 同航空会社の幹部は「機体の不具合は直り、運航を再開した」と語った。不具合の内容については説明しなかった。

  

おいおい、ヤギがかわいそうで無いかい?

  
  
ヤギには罪はないと思うんですけど・・・・
  
でも、いけにえで直るとは。凄いなあ。
  
  
その記事に付いていた、ヤギの写真がいかにも寂しそう。
ヤギの写真
   
恐るべし、ロイヤルネパール航空!
  
そんな怖い飛行機、乗ってられないので、この度は、タイ航空でバンコク経由で入ることにしましたとさ。おしまい。
  

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バングラデシュ・サイクロン被害に対する緊急医療支援活動 6

  

昨年(2007年)11月、大型サイクロン「シドル」がバングラデシュ南部に上陸した。AMDAは、大きな被害が発生した直後より、バングラデシュ支部を中心に、本部やネパール支部が、協力団体である日本・バングラデシュ友好病院などとともに被災者への支援を続けていた。
  

AMDAバングラデシュ支部は、カナダ支部からの義援金を元に、12月13・14日、1,000人以上の死者を出し、最も影響を受けた県であるバルグナ県ブカボニア村(Bukabonia Village, Barguna District:首都ダッカより南に
200キロ)で、150枚の毛布を被災者に配布した。同県では12月中旬から冬が始まり、最低気温は10度前後まで下がるとされており、防寒具を所持しない被災者への支援が求められていた。今回の毛布の配布により、避難生活が続く被災者の感冒など呼吸器系疾患の予防に繋がると考えている。
  

バングラデシュ政府は、同サイクロンの被害に対する緊急救援の段階は過ぎたことを表明した(食糧・災害管理省災害管理情報センター 12/26 Situation Report)。この表明を受け、AMDAは、緊急医療支援活動を終了することとし、今後は、バングラデシュ支部が被災地を訪れて調査活動を行う予定にしている。

  
【活動開始日】
11月17日、AMDAバングラデシュ支部が緊急救援を開始


   

【第一次・第二次緊急医療支援チーム】
計22人
(医師4人・医療補助員4人・調整員4人・アシスタントコーディネーター10人)
<第一次>
館野 和之 調整員 AMDA本部職員  岡山市在住
谷口 敬一郎  調整員 AMDA本部職員  岡山市在住
AMDAバングラデシュ支部 調整員2人
日本・バングラデシュ友好病院 医師2人・医療補助員4人
AMDAバングラデシュ支部、日本・バングラデシュ友好病院
    アシスタントコーディネーター10人
<第二次>
AMDAネパール支部 医師2人


    

【第一次・第二次チーム 活動地】
パトゥアカリ県ミジャガンジ郡
   チョーカリ村、カクラバニア村、デウリ・スベドゥカリ村 他
(Charkhali/Kakrabania/Dewil Subedkhali
 Mirzaganj Upazila, Patuakhali District  首都ダッカから南へ約150km)


  

【第一次・第二次チーム 活動内容】
1.巡回診療
2.経口補水液(ORS)と医薬品(抗生剤・鎮痛剤・抗原虫剤・駆虫剤・皮膚薬他)の投薬、配布
3.水質浄化剤の配布
4.米など非常食の配布
5.子どもへビスケットや古着のセーターの配布   他


   

【被災状況】
11月15日夜、バングラデシュ南部に上陸した大型サイクロン「シドル」は、南部沿岸部を中心に甚大な被害をもたらした。
12月18日政府発表では、死者3,363人、行方不明者871人、
負傷者55,282人、全壊家屋56万軒。


   

【AMDAバングラデシュ支部】
1998年甚大な被害をもたらした洪水の緊急救援活動をきっかけに、1999年より保健医療、小規模融資(マイクロクレジット)、職業訓練から成る農村総合開発事業をムンシゴンジ県ガザリア郡で行なっている。2004年7・8月の洪水被害に対しても、本部と連携して緊急医療支援活動を実施した。


   

【協力団体:日本・バングラデシュ友好病院】
日本の大学院に留学していた医師3人が創立者となり、1994年4月首都のダッカに設立された。現在は100床の総合病院に発展し、バングラデシュにおけるAMDAの災害拠点病院であり、AMDAバングラデシュ支部の事務所の所在地でもある。
  

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明けましておめでとうございます。

  

といっても、今年は2日のみが完全な休みで、1日は当直明け、3日は往診でスタートし、4日からはいつものように徳島で日勤当直してましたから、いつもの日常のまま新年を迎えた感じです。それでも、いつもと同じように、神戸の氏神様である「生田神社」に初詣には行ってきました。これをしないと、新年を明けられませんから。

  

そして、新年最初の週末も、ボランティアで幕開けしました。

  

1月5日には、AMDA兵庫県支部の1月定例会があり、新年早々にも関わらず、AMDA兵庫県支部のメンバーが集まりました。また、AMDA本部からも、新しく分離独立した「AMDA社会開発機構」の鈴木代表、そして、AMDAの「魂と命のプログラム=ASMP」の参事、難波氏も駆けつけて下さいました。(ASMPについては、また後日ゆっくり説明しますね。)

  

そして、何より今回の定例会は、お客様がたくさん。

  

最初は、僕のボランティアの一番の理解者、高野山蓮花院の東山御住職。新年のお忙しい中、高野山で3時までご用事があったのに、それから神戸まで駆けつけて下さいました。本当にありがとうございます。

  

それから、「一ノ宮巡拝会」の関口会長。御住職といっしょに、壱岐やモンゴルでの元寇の敵味方鎮魂、韓国での豊臣秀吉朝鮮出兵の敵味方鎮魂などを成し遂げた人です。

  

お2人は、今回は、2009年1月17日に予定している、現地AMDAネパール子ども病院での阪神淡路大震災および子ども病院で亡くなったこどもたち、お母さんたちの合同慰霊祭」のための打ち合わせに参加してくれました。

  

(その準備もかねて、1年前のこの1月17日、僕がネパール子ども病院に行って、打ち合わせをしてくる予定なんですよ。年末年始の脳外科の仕事の合間に、航空券の手配などなどその準備で、大忙しの毎日です。)

  

それから、僕の医学部時代の同級生で、絵本作家の「すずキよしひろ」通称、すずっくん)も参加してくれました。

  

今年の11月2日、AMDAネパール子ども病院が10周年を迎えるにあたって、絵本を作ろうってことになり、その絵本の創作に関わってくれることになりました。

  

今回、絵本のおおまかなストーリーを聞きましたが、本当に楽しみな内容でした。反響を呼んだ、「クリスマスイブのブー」に負けず劣らず、面白そうですよ。ネパールの子どもたちも、気に入ってくれるかな。

  

議論は、多岐に及び、3時から7時まで和気藹々と、延々4時間も続く内容の濃い新年最初の定例会となりました。

  

終わった後は、近くの神戸南京町の裏通りにある「雅苑酒家」で、円卓を囲んで新年会&懇親会。

  

安くて美味しい中華料理を食べながら(裏通りの方が美味しかったりするよね)、お互い、初めて会った人同士とは思えないほど、打ち解けた会でした。

  

人と人が出会うのは、偶然の出来事。でも、必然的に出会っているような、そんな気がした、新年早々のAMDA兵庫県支部の集まりでした。

  

明けて6日の日曜日は、こどもたち3人と嫁、家族全員で京都まで。どうして冬の京都かというと・・・・

  

京都劇場で開演中の、劇団四季のミュージカル「ユタと不思議な仲間たち」!
ユタと不思議な仲間たち
  

長男は、劇団四季のほとんどすべてのこどもミュージカルを見てるんですよ。本当に、ミュージカルが大好きです。

  

次男も、大好きな「アニー」とはまた違うミュージカルを楽しんでいました。

  

2歳になったばかりの三男は、ディズニーオンアイス以外では初めてのミュージカル観劇デビュー。

  

でも、食い入るように見てましたよ。これなら、また連れて来れますね。集中力はあるようです。

  

夜は、自宅近くの新しい焼肉屋で、焼肉パーティー。正月早々、また太ったなあ。

  

今年も、脳外科医にボランティアに子育てに、頑張って行きますね!ではでは。

  

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いよいよ大晦日ですねー。

  

で、僕はというと、現在、病院で連続当直中。

  

今年は、定期の月曜、金曜の当直に、第五日曜の臨時当直が入り、28、30、31日の当直で、仕事が終わるのは、1月1日の朝9時。

  

病院で越年するのは、久しぶりのことです。

  

それも、今日は救急当番

  

大晦日の救急当番は、それはそれは、めちゃめちゃ忙しいんですよ。

  

以前、この病院で、同じ条件で、90人近くの救急患者を診たことがあったなあ。

  

みんな、病気は年内で納めたいんでしょうね。

  

それが、夜中12時を超えると、ぴたっ、と患者さんが減るんです。

  

新年早々は、病院にかかりたくない人が多いんでしょうね。

  

このように、国際医療ボランティアの裏側で、日本の医療の隙間産業として働いている人間と言うのは、年末年始は働き時、ということですね。

  

「あなたの心の隙間を埋めます」っていうと、笑うセールスマンみたいですけど、そんな感じです。

  

で、もう一人、ボランティア関連で、海外で越年している人が。

  

AMDAネパールこども病院の設立の立役者の一人、ドクター孤島こと、O先生。

  

いつも、緊急災害や国際紛争の現場で、緊急医療に世界中を回っている、僕の尊敬する人です。

  

今回は、「これからの国際医療ボランティアは、スペイン語だ!」という言葉を残して、スペイン語の語学研修に、コスタリカに行っています。

  

僕は妻子持ちなので、そうそう簡単には海外に行けませんが(といいながら1月中旬ネパールに行ってきますが)、そういう意味では、うらやましい。

  

O先生、ブログを書き始めたそうなので、紹介しますね。

  

名前は、「オグリンの旅ブログ」

  

みたら、語学研修の話だけではなくて、病院見学の話や、国立公園や大自然の話、日本料理店の話やら、コスタリカでの日常の話もまじえて、本当に楽しいブログです。

  

アドレスは、

http://ameblo.jp/ogurin-tabiblog/

です。

  

一度、訪ねてみて下さいね。

  

さあ、大晦日の救急当番へ、突入!

  
「ネパールこども病院で麻酔中の、O先生」
麻酔中
  

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