山本周五郎と沢木耕太郎の接点
たしか「さぶ」だったのではなかったでしょうか。沢木耕太郎が「深夜特急」の中で、ぼろぼろになった本を読んで、たまらなく日本を感じたのは。
その話にひかれて、読んだところ、最初から
「小雨が靄のようにけぶる夕方、両国橋を西から東へ、さぶが泣きながら渡っていた。」
と泣けてしまいます。表紙とあわせて。
いい表紙です。
もう、この1行だけで、「さぶ」を読んだ気になってしまいます。
「雪国」の有名な1行目もよいけれど、この1行もかなりいい第1行です。
そのこともあったので「樅ノ木は残った」を手にとると、これはまた、権謀渦巻く政治話の中に、誰にも理解されない「忠」の話になっています。
誰にも理解されない「忠」とは何なのかと、考えてしまいます。
あまり意識はしていませんでしたが、実は日本らしい作家なのかもしれません。
「栄華物語」も読みました。
これもなかなかいい。田沼意次も悪くない。
もう少し他も読んでみます。
生活の実感としてのタクシードライバー、梁石日
不況になると増えるのがタクシードライバーと、よく言われます。いつでも募集をしているし、とくに経験がなくてもはじめられるし、というので、「クビになったらタクシードライバーでもやるか」なんて話がありますね。
しかし、これはこれでしんどい職業らしいです。
梁石日の「タクシードライバー日誌」によると、
まず、歩合制+会社のピンハネによる薄給。
ずっと座っているという悪環境と長時間の労働時間と精神的緊張。
危険も伴う。
昔は文学も目指していた梁石日が、一攫千金の怪しげなビジネスで濡れ手に粟どころか借金を背負って夜逃げ。
それではじめたのがタクシードライバーだったそうです。
そして梁石日は、家族を養うため、借金を返すため十数年、タクシードライバーをすることになります。夢見るまもなく。
そこで彼は、やっとバブルのころの悪癖も落ち、「生活」というものが骨身にしみてわかったきた、とのことです。
まさに、頭、ではなく、体、で。
その後、地に足がつき、あの巨編「血と骨」が生まれました。
人の生の温床から生まれ出た、理不尽が生きているような主人公。
家族を殴り、近所を脅し、誰にも理解されようともしない。
しかし、その激しい行動と生命力の溢れた姿。
それは、上っ面ではなく、理屈ではなく、人の生の、場合によってはすべてを奪いかねない生活という暴力、それを知ってこそ、現れた怪物なのだと思います。
生活していくうちにたまっていく、あの澱のようなもの。
それが、この時代は理不尽な暴力となり、今は内向的な無気力になっているように思えます。
さて、映画は、まだ見ていませんが、どうなんでしょうかね。
私のプリニウス
澁澤龍彦翁のプリニウスの偏愛録。
紀元前の作家プリニウスが書いた「博物紀」をランダムに紹介する形式をとっています。
その夢想ぶりを楽しむように
「海ウサギと海の動物たち」では毒を持った海ウサギの話、
「きけい人間」では足が革ひものようなアフリカの種族について引用しています。
古代作家の幻想(本人は博物紀なので大まじめ風?)に浸るのは、なかなか面白くはあります。
紀元前の作家プリニウスが書いた「博物紀」をランダムに紹介する形式をとっています。
その夢想ぶりを楽しむように
「海ウサギと海の動物たち」では毒を持った海ウサギの話、
「きけい人間」では足が革ひものようなアフリカの種族について引用しています。
古代作家の幻想(本人は博物紀なので大まじめ風?)に浸るのは、なかなか面白くはあります。
田中一村のデーモン
特に理由もなく奄美大島に旅にいったとき、偶然入ったのが、「奄美パーク 田中一村美術館」でした。
「奄美パークって・・・」と少々脱力しながら美術館に入ると、そこには、研ぎ澄まされた、凛とした空気が漂う絵画がありました。閉館までは十分時間もあり、GWの割には人も少なかったので、思う存分、絵の前に座ったりしながら、見ることができました。
久しぶりに目が覚めるというか、冴え冴えとした気分になる作品ばかりで、絵を堪能することができました。
で、俄然田中一村に興味を持ち、買った本がこ「日本のゴーギャン 田中一村伝」です。
読んでみると、これがまたすごい。
小さなころから絵画の才能を発揮していた一村は、南画を目指し、後援会もできるようになっていました。
しかし、南画に限界を感じ南画に決別し、自分の望む絵を目指しだしてから、後援会からの支援もなくなり、清貧のなか、自分の絵を目指し始めます。
でもなかなか見つからない。
やがて偶然南方を旅行した折、見かけた草木や鳥に自分の絵のテーマを見つけ、当時の日本のほぼ最南端、奄美大島に移住することを決意します。
奄美で非常に安い労賃で工員をしながら金をため、絵を描き始め、傑作が生まれ始めるのです。個展を開くことを目標とし、作品と金をためていきますが・・・。
実に日本人が好みそうな話で、実際、この伝記から入っていくと、感動が薄れるかもしれません。しかし、作品は掛値なしで、いいです。葉先一つまで一村の意識が感じられ、鮮やかな構図と描かれたものの意思まで感じられる緻密さは、そうほかでは見ることはできません。そこには彼のデーモンがあります。
ぜひ、作品を見た後で、この本を読んで、自分の目を確かめてください。
- 日本のゴーギャン 田中一村伝 (小学館文庫)
- ¥630
- Amazon.co.jp
梶井基次郎の薄霧
予備校の講師が「10代で「檸檬」を読まない喪失」について話していたことがあります。
同世代の感性で「檸檬」を読まないことは、それは青春の1つの喪失だと。
たしかに、檸檬でかかれている、漠とした、世界を覆う不安と、それに対する自分の中のわけのわからない力の反発は、同時代的には10代でしか味わえないものだろうと思います。
しかし今読んでも、そのころ感じていた未来が灰色の薄霧がかかったような感覚が蘇ります。
卓越した心象風景の描写と、ふと胸をつくストーリー。
梶井基次郎は、特に何を語るのでもなく、あのころの心象風景を短編に刻み付けた、それだけで価値のある作家なのではないでしょうか。
「檸檬」、は物語が流れていますが、逆に「蒼穹」のように瞬間を一筆で書いた水墨画のような作品こそ、この人の真骨頂なのではないでしょうか。
しかし、あのころ感じていた薄霧とは、大人の世界と隔てる境界のようなものだったんでしょうか。
同世代の感性で「檸檬」を読まないことは、それは青春の1つの喪失だと。
たしかに、檸檬でかかれている、漠とした、世界を覆う不安と、それに対する自分の中のわけのわからない力の反発は、同時代的には10代でしか味わえないものだろうと思います。
しかし今読んでも、そのころ感じていた未来が灰色の薄霧がかかったような感覚が蘇ります。
卓越した心象風景の描写と、ふと胸をつくストーリー。
梶井基次郎は、特に何を語るのでもなく、あのころの心象風景を短編に刻み付けた、それだけで価値のある作家なのではないでしょうか。
「檸檬」、は物語が流れていますが、逆に「蒼穹」のように瞬間を一筆で書いた水墨画のような作品こそ、この人の真骨頂なのではないでしょうか。
しかし、あのころ感じていた薄霧とは、大人の世界と隔てる境界のようなものだったんでしょうか。
補助線の問題、または絵と本について
絵を見るようになったのは、本を読むよりずっと後の話です。初めは絵なんて、さっぱりいいところが分かりませんでした。
それに、分かるもんじゃなくて感じるもんだ、みたいな雰囲気もありますし。
それでも機会を見つけて眺めていると、なんとなくいいな、みたいのがでてきたんです。
そこで、 「名画再読」美術館を図書館で借りてみたら、絵が少し分かったような気がしました。
「絵なんか自由に見るもんだ」という考え方もありますが、そこに分かりやすい補助線を引いて、「こういう見方もできますよ」と教えてもらえると、ずいぶんと絵が腑に落ちるようになります。
感じるだけでなく、分かるととても面白い。
本も絵も似ているな、と最近は思うことがあります。
「名画再読」美術館は、画家の強烈な個性や時代背景など興味深いことも書かれています。
一度、手にとって、気になる作品を読んでみてください。
ちょっと古いエッセイ集を読む楽しみ
日本エッセイスト・クラブ、というのをご存知でしょうか。
昭和28年以降、自薦他薦を問わず出版物として発表されたものについて、日本エッセイスト・クラブ賞の選定を行っているのですが、このクラブの選書が年に一度発刊されています。
それの、古いものが面白い。
この選書は、まさに玉石混合で、くだらないものもあれば、まったく知らない分野のことを書いていることもあります。
しかし数編、「これは」というものに出会える。
しかも、現在に近いと「臭い」部分が鼻につくことも多いのですが、時を得ると「時代臭」として立ち上ってくるので、そうか、この時代はこんなこと考えていたんだなぁ、と隔世の感に打たれます。
自分の好きな作家を探すのもいい。
とにかく、エッセイなのに現実から離れているところが、日常から離れられて、ちょっとした小旅行感が味わえます。
お勧めです。
昭和28年以降、自薦他薦を問わず出版物として発表されたものについて、日本エッセイスト・クラブ賞の選定を行っているのですが、このクラブの選書が年に一度発刊されています。
それの、古いものが面白い。
この選書は、まさに玉石混合で、くだらないものもあれば、まったく知らない分野のことを書いていることもあります。
しかし数編、「これは」というものに出会える。
しかも、現在に近いと「臭い」部分が鼻につくことも多いのですが、時を得ると「時代臭」として立ち上ってくるので、そうか、この時代はこんなこと考えていたんだなぁ、と隔世の感に打たれます。
自分の好きな作家を探すのもいい。
とにかく、エッセイなのに現実から離れているところが、日常から離れられて、ちょっとした小旅行感が味わえます。
お勧めです。
星野道夫が見ていたもの
アラスカという場所にいけば、星野道夫の見ていたものが見ることができるのでしょうか。たとえば、トナカイの角がぶつかり合って取れなくなってしまった骸骨。
たとえば、数世代前に途絶えた、誰もいない森のトーテンポール。
たとえば、風にのってやってくるように不定形な、トナカイの大移動。
こんなことを、写真や文章にしてきた人が今までいたでしょうか。
つくづく、「対象の重要さ」を感じます。
初めて本を読んだときの、突然自分の空白に文字や写真を埋め込まれたような衝撃を忘れません。
我々のまったく関連しないところで、重厚な歴史が育まれているのだということを。
「旅をする木」
「長い旅の途上」
今までになかった、いいタイトルだと思いませんか。
自分の限界を感じる作家
マイケル・オンダーチェという作家を知っていますか。映画化した
「イギリス人の患者」
(邦題は、「イングリッシュ・ペイシェント」です。配給会社の苦悩が伺われます)
で、有名な作家ですが、この人の最新作
「アニルの亡霊」
が、とてもいい。
海外に移住していた主人公は、かつて暮らし、今は敵も見方も分からない内戦下のスリランカで、ある骨の身元を探るよう依頼される。
当然、どちらかに荷担することになるので、危険な仕事なのだが、現地の考古学者と組んで、調べ始める。
非常に幻視的な文章で、それが熱帯のまとわりつくような熱気と、不条理な死が平然と横たわる内戦特有の体の内側から感じる冷気が、幻想と現実の間を行き交い、生きながらにして夢の中にいるように感じさせる。
環境が違えば、悪夢などすぐ立ち上がってくることを暗示するように。
この本にとても感動して、ほかの本も読んでみました。
「イギリス人の患者」戦場の、ある屋敷で、ある傷ついたイギリス人の患者を面倒を見る看護婦、という話です。とても美しい文章でかかれているのですが、私にはあまりに詩的な文章のため、途中からイメージがついてこなくなり、読了を断念しました。機会があったら映画を見ようと思ってます。
バディ・ボールデンをおぼえているか
レコードができる前の、天才ジャズコルネット奏者の、話。
なんだかすごく面白そうな設定ですが、これも、インタビュー、詩のようなイメージなどをコラージュのように配していて、残念ながらイメージがついていけなくなりました。
「家族を駆け抜けて」
マイケル・オンダーチェのルーツを探っていく話なのですが、家族の挿話が、まだ植民地時代の農園主の話なので、それだけで幻想的なのですが、しかもオンダーチェです。とてもドキュメンタリーとは思えないほど美しく描かれているのですが、そのイメージの統一性が途中から見えなくなって・・・。
友人と話していても、そういった幻視的イメージを楽しむ、というところがどうも私は能力としてかけているようです。
そうした、ものも読めるようになりたいので、色々チャレンジしているのですが・・・。
そういえば、安部公房も読みきれなかった・・・。
しかし、そんな私でも読めた「アニルの亡霊」は傑作です。
ぜひ、一度、ご一読を。
アル中の老人になっていてもいいと思えること
チャールズ・ブコウスキーの名短編集「町で一番の美女」を読んだことがありますか。ブコウスキーについて端的にいってしまうと、アル中の郵便局員。
それも、この世の中、アルコールでも飲まないとやっていけない、とわかってしまった郵便局員とでもいうのでしょうか。
リリカルな感性を手放さないまま、アメリカで低所得でやっていくには、酒しかなかった、そんな人です。
「町で一番の美女」は、恵まれない美しい少女と自分と折り合いのつかないアル中(もしくは無職者)の話です。
最底辺の酒場でお互いにお互いの人間らしい感性に気づくのですが、生活の波に飲み込まれてしまう。
そんな悲しい話です。
ブコウスキーのいいところは、自分を飾らないところです。アル中をやめるとか生活を向上させるとかは考えず、いかに自分を納得させる小説をかけるか、という根っこをしっかりとおさえているのです。
なので、エッセイなどは常に楽しそうで、やっぱり「惑わず」といった感じで自分を分かっているのはいいな、とつくづく思います。