できれば本に埋もれて眠りたい -41ページ目

「日の名残り」ボタンの掛け違い

イシグロカズオ日の名残り
周囲の人やネットで見ていても「日の名残り」の評価がだいたい高いので驚いています。
読み方が悪かったのでしょうか。
なんの前情報もなく読み始め、執事の回顧録のような話と分かるといつのまにか、ロアルト・ダールの「あなたに似た人」のような痛烈な一撃があると思っていました。
実は、巨万の富を蓄えているとか。スパイであるとか。裏社会の権謀により主人を支えているとか。陳腐ですが。

その一貫して抑えた語り口調もたくらみがあってやっているに違いない。
そう、思っていたのですが・・・。

内容は、正当な執事と大英帝国の落日とほのかな恋を書いたものでした。
最後まで。

悩んでいます。

執事の実直な性格を通して描いた、人生の機微に通じたハートフルな小説か

大英帝国の夕日・本当に信じることができる執事・仕事人のこだわり・仕事人のふと見せる人間性などを描いたエンターテイメントか

実は、最後までたくらみをみせず、あえて退屈な執事をエンターテイメントに仕上げた非常に意地の悪い作品か

いや、もしかしたら、その3つをあわせたものかもしれない。

村上春樹にしてthe Novelといわしめたスコット・フィッツジェラルドのたとえば「グレート・ギャッツビー」が、理解できないように(「理解」といっている時点で間違っているような気がする)この作品もその範疇にはいるのかもしれません。

そういえば私は人生に美しさを求めたことはさほどないような気がします。
そういった部分に焦点を当てた小説なら、なるほど奇妙な違和感も理解でします。

最近思うのは、人によって求めるものが生来違うのだな、ということです。
たとえば、私自身には、本能の次に強い欲求は「知りたい」ということかな、と思っています。
それが人によっては「美」であったり「和」であったり、同じ気持ちはもっているものの、優先順位が違うのかなと。

ただそこに決定的な断絶があるわけではなく、優先順位の問題であるとも思うので、いずれ違うものも楽しめるのかな、と淡い期待も寄せています。

まだ時間がかかりそうですが。

「山に彷徨う心」 古井由吉の入門書なんでしょうか

有名なブックガイド、福田和也の「作家の値打ち」で最高点96点をたたき出した「仮往生伝試文」。
じつは「作家の値打ち」で古井由吉という作家を知り、いきなり「仮往生伝試文」を読んでみたのですが、今まで読んだことがなく読む手がかりもうまくつかめませんでした。
そこで再チャレンジ、エッセイや芥川賞受賞作品「沓子」も入っている「山に彷徨う心」を読んでみました。

エッセイは大分読みやすく、また初期の作品のためか、現実と夢想の間を行き交う得意技もあまり駆使されず、読みやすかったです。
読みやすい分、自然に夢想に入っていくありようが、なにかめまいにも似た感覚で押し寄せ、つい、実際自分の感じたことのあるめまいとダブり、まるで異世界がいつでも自分のまわりに広がっているような感覚におそわれます。

まるで、善も悪も微妙にたゆい、なにか微細なことですべてが変わってしまう世界が、自分とずれて存在し、たまに交わることがあるかのように。

それがエッセイでも変わらずあり、ちょっとした触れてはいけない未知の世界のようです。

なんとなく編集者の意図も感じられます。読者とお共通の話題になりそうな「山」を持ってきて、エッセイから小説につなげる。そして古井ワールドへの掛け橋とする。

実際、他の本も読めそうな気がしてきました。
この感覚を覚えて、また「仮往生伝試文」にチャレンジしたいと思います。

あのライアル・ワトソンの書く伝記

アフリカの白い呪術師ライアル・ワトソン
ライアル・ワトソンは「スーパー・ネイチャー」や「未知の贈り物」など、ニューサイエンスの旗手として日本でも一時期非常に有名になった人です。
動物行動学の博士号や心理学などの多くの学士号を持つ博識と、その博識を自分の知識として再構築して、まだ科学の光の届かないあいまいな境界を理知的に照らすことを得意としています。
上記の2冊も非常に面白い本なのですが、「アフリカの白い呪術師」は、自作でも非常に人気のある作家にして、「僕はこの本を書くために今まで本を書いていたのかもしれない」のようなことを言わしめた本です。

内容は、ある若いイギリス人が一人でアフリカの原野に向かう。塩とナイフだけを持ち、そこでの暮らしにあこがれて。
そこで暮らし様々なことを学んでいくうちに、荒野に住んでいる人とも交流を持っていく。そこで彼は、彼自身が持っているたとえば蛇に対する能力と呪術的な才能を開花させていく。

人類発祥にまつわる話と、呪術に造詣の深いライアル・ワトソンだからこそ抵抗なく書けた本だと思います。

呪術、ときくとすこし胡散臭く思えますが、これを精神世界の多様性ととらえ、それが実行力のあるものとして生活に根付いているのなら、むしろ我々の精神世界の薄さのほうが恥ずかしくなります。

アフリカの人類学的な面白さと民俗学的な知識の重なりを、アフリカに受け入れられたイギリス人を通してみることで、アフリカ自身を他の地域と様々な部分で独自のどの地域より高度な文化をもっていることを、身近にわかるこの本は、実に刺激的でした。

またこの本で挿画の面白さを知りました。
いままでは、挿画なんて邪魔なだけかと考えていましたが、お互いに掘り下げあう挿画と文章の関係は実にいいものです。
どの本にも、こんなにいいものなら挿画が少しでもいいのでほしくなります。

手元に置いておきたい本の1つですね。

火宅の人

「火宅の人」の上を読み終わり数ヶ月が経ちました。

図書館で上下モノや巻数の多く出ているものを読むときは、いつもまとめて借りるのですが、今回はちょっと初めての作家で読みきれるか心配だったので上だけ借り(上しかなかった)、読み終わったあと、下を借りに行くと、ない。
何度いってもない。
あれはいったい何なんでしょうね。続きモンの途中の巻がないなんて、ページの半分とか何分の1とか破れている本と一緒じゃないですか。
図書館というのはそんなにも簡単に本がなくなってしまうのでしょうか。

で、「火宅の人」ですが、これはもう私小説の塊のようなものです。
家族がいる。静かな奥さんと数多くの子供。一人は障害をもっている。しかし愛人ができた。主人公は、家族も愛人も等価に思いを寄せている。

まだ上までしか読んでいませんが。

しかしこの状況というのは、実に人間らしい欲にまみれているように見えます。
周りにあるもの全部を求めている姿は、その時代で自分の器でやりたいことをやっているんだなぁ、と。
周囲を省みなければ、子供のように素直。

欲、というものは悪で、たとえば世間体の観点から壇一雄を否定することは簡単ですが、欲というのはやはり行動の原点だったりするので、これを否定するのは行動をとめることになりかねません。

人間であるなら欲を否定せず、うまく折り合いをつけていく、これが人間のあるべき姿なのかな、と最近は思ったりします。

まあもちろん、自分の欲が人の欲に影響を与えるときは、それなりのリスクを背負う必要がでてくるので、当然コントロールは必要とは思いますが。

そう思うと、やはりこの数十年にしろ、もっといえば人らしきものが出始めてからその限界はそう変わっていないなぁと思ってしまいます。

さて、下ではどう締めくくってくれるのか、今日も図書館に行ってみたいと思います。

同時進行

ここ最近は同時進行で読んでいたものは、
中島らも空のオルゴール」読了
舞城王太郎山ん中の獅見朋成雄」読了
白川静+梅原猛呪の思想」読了予定
三島由紀夫金閣寺」読了予定
ほかにも断念したものがいくつかありますが・・・

空のオルゴール」は、何でしょうか。締め切りにでも追われていたのでしょうか。並の落ちぐらいしかなく、らもさんらしい現実へのキレがありませんでした。
しかし読みやすいので、つい、数日で読んでしまいました。
そこはさすが。口当たりのいいものはお手のものなんでしょう。

山ん中の獅見朋成雄」は、話題の舞城王太郎モノが読みたくて、とりあえず図書館にあるものを借りてきました。

ただ、こうやって借りやすい本、というのは人気のない本、ということで失敗したりすることは、よくあります。
まだ、村上春樹を読んだことがないとき、とりあえず最初に手に取ったのが「中国行きのスローボート」でした(第一印象は「よく分からない」)。
ちなみに今、もし村上春樹の入門書を進めるなら、ストーリーと世界観のバランスの取れた「羊をめぐる冒険」です。

で、「山・・・」ですが、文章は好きです。金城一紀の「GO」を思い出しました。こういう率直な感じは好感が持てます。
しかしストーリーは、今よくある「シリアスな話をスパイスにした読みやすいファーストフード」といった感じなのでしょうか。前半の疾走感は気持ちよく読めたのですが、後半のシリアスなテーマになると、それから学ぶべきなのか、スパイスとして楽しみべきなのか・・・。きっと軽食、ということでいいのだと思ってます。「阿修羅ガール」「好き好き大好き・・・」で、フルコースを楽しみたいと思います。

呪の思想
漢字研究の第一人者白川静と人気学者梅原猛の漢字対談。
どうも白川静梅原猛のあこがれらしい。
漢字を研究する、ということは、中国史・日本史にとうぜん通じることになり、その語られる幅の広さに興味深々。編集も凝っていて、写真(甲骨文字のリアル写真をはじめて見た。字がちっちゃい)や註が充実しています。
多分読了できると思います。

金閣寺
初めて三島由紀夫を読んでいます。
これから読み始めるのがいいのかどうか分かりませんが、一応名作と聞いていたので。
まず驚いたのが、読みやすい。美文で古文調な部分もありますが、1文1文、また話のつなぎ方も丁寧で、奇人の執念を描いている割には、読みやすいのが印象的ですね。
「最後の一文が決まってから第一文を書き始める」派で有名完璧主義者で、開高健の「輝ける闇」について「全部想像で書いたのなら認めるが・・・」といっていたので印象はありよくなかったのですが、とりあえず最後まで読んでみたいと思います。

犯罪者の底

パトリック・ジュースキント香水
19世紀の汚わいにまみれたパリで、私生児として生れ落ち、人間らしく扱われず育っていくある男が、自分の香水作りの才能に気が付き、磨いていく。
彼自身は、人生に対しては、香りから派生する妄想にしか興味がなく、山にこもり妄想に浸るが、自己破綻を起こし、究極の香りを求め、ある貴族の少女を狙う。
ラストがここ最近読んだ小説の中でも指折りの圧巻でした。
また、山での妄想シーンは他の小説では見たことがないものでした。
耽美な文章で、汚わいを描き、暴力犯罪小説というよりは、谷崎江戸川の描く異端猟奇小説といった感じです。

ただ、この主人公のことを思うと、ただ彼自身が社会にうまく適合できなかった救いようのない話、ともいえます。

一時期、犯罪モノにハマったことがあります。
それは、より凶悪な犯罪であればあるほど、人とは違ったなにかを持っているのではないかと思い、興味を持ったからです。
犯罪系コリン・ウィルソンや戦争犯罪ノンフィクションモノ。大量殺人サイコモノ。
しかし、結論としては、犯罪者は結果として犯罪を選んだ、ということです。
犯罪者の抱える問題に共感を持つこともありますが、解答が犯罪では、解答じゃないじゃないですか。
なんとなくそう思うと、犯罪モノを読みたいという強い欲求は収まりました。

こういっては何ですが、人はだれでもそういった闇に興味を持つかと思いますが、問題は闇の詳細ではなく、そこに片足を突っ込みながらどうしていくか、ということだと思います。

香水」はもちろん面白い小説ですが、不適合者がなんとかなる小説も読みたいものです。

佐藤亜紀「バルタザールの遍歴」

今はなき、六本木ヒルズのビレッジバンガードで書店員おすすめ、とあったのが
佐藤亜紀バルタザールの遍歴
パトリック・ジューキンス
香水
でした。
香水」は圧巻でした。

しかし、今回は「バルタザールの遍歴」にしましょう。

舞台は第一次世界大戦前夜のオーストリア、主人公は貴族の息子で二つの魂が一つの肉体をしています。
これだけややこしい設定なのに、設定におぼれず、その高い現代史の知識(といわれているがよく分からない)に振り回されずにしっかりと背景とし、戦争さえも退廃をまぎらわす材料にしているあたりが、なかなかいい。
その実に男らしいざっくりとした文体とは、他の作家には見られないものがあります。

現代史や幻想小説が好きな人はおすすめ。
最初の数行を読んで、あらすじを読んでOKなら楽しめます。

ただこれは処女作なので、最新作はどうなっているんでしょうか。

毒舌は有名です。
こちらのサイト ですこしその片鱗がみえます。

福田和也と組んだ「皆殺しブックレビュー」はいつか読みたいと思ってます。

--追記--

AMAZONにリンクを張りました。

佐藤 亜紀
バルタザールの遍歴

内田百閒の自由

内田百閒の「第一阿房列車」という旅行記を読んで驚きました。
まず、旅行記なのに、たんに列車に乗るだけで、特に行き先には興味がないこと。
そして、旅行中も「あれがいい」よりも「あれが悪い」みたいな話が多い。
じゃ、何で旅行に行くんだろうと思いますが、よーく読んでいるとなんだかやっぱり旅行がすきなようなんですね。

お連れの山系さんとの掛け合いは、うまがあっていないようで、あれだけあわないのは、やっぱりあっているからかなぁ、と思います。
しかし、お連れさんと、あんなにかみ合わないのも珍しい。

そして、一番驚いたくだりは、途中、お連れの山系さんが列車内でクイズをだすんですね。
で、百閒先生も考える、でも分からない。
で、どうなるかといえば、そのまま。解答もなしで終わりです。

いやぁ、びっくりしましたね。そんなのありなんだ、いったかんじです。
しかし、逆に今のエッセイとか旅行記は「行きたい場所がありました。行ってきました。感動しました」みたいなお約束事をしっかり守っていることに気が付きました。

感動しなくてもいい。なぞに答えなくてもいい。
うーん、昔の人の方が自由だったなんて。
なんだか恥ずかしい。

雑誌、読んでますか。私はSIGHTぐらいです。

今、定期的に購読している雑誌は「SIGHT」だけです。
ちょうど分かるぐらいの内容とそこそこの新鮮味と筋がとおっているので、季刊ですが楽しみにしています。
毎回、1回目に読むのは書評とレストラン評と家評です。

その書評が別冊となったのが
日本一怖い!ブック・オブ・ザ・イヤー2005
です。べつにたいして怖くはないんですが。

ざっと、文芸(高橋源一郎×斎藤美奈子)、エンタメ(北上次郎×大森望)、アメリカ(藤原帰一)、ビジネス&サイエンス(山形浩生×稲葉振一郎)、コミック(荷宮和子×南信長)、の分野を紹介しています。
編集部5冊が話題の本、対談形式の場合は各人5冊推薦本を選んで、評します。

文芸に関しては、今年の書評は「蹴りたい背中」から離れられないようです。
古井由吉の「野川」が、相変わらずの夢想と現実をさまよっているようなので興味あり。
また中沢新一対称性人類学」書評だけではよく分かりませんが、とにかく対称性、という言葉を便利そうにつかっていました。面白そう。
舞城王太郎好き好き大好き超愛してる。」うーん、ごろがいい。
アフターダークについても書いてましたね。困ってましたが。

ほか、エンタメは、幅の広い大森望が狭い北上次郎を説得するように本を選んでいる辺りが面白い。

コミックが、これがまいりました。
南信長のほうは、ぼちぼちなものを選んでくるのですが、荷宮和子のほうが、これが全然退屈で。頭はいい人なんですが、もうちょっと心を広く持ってくれても、といつも思っています。SIGHT編集部もそろそろ考えたほうがいいんではないでしょうか。

拾い物は、島田雅彦のインタビュー。
思ったよりまじめに答えていて、今の文壇での立ち位置を考えて、発言をしているようで、力強くも理知的で面白かった。
評論とかも機会があったら読んでみようと思います。

切り口から見える世界 俳句とは何か

山頭火著作集 あの山越えて大山澄太

詩や俳句や短歌はあまり読みません。
しかし、たまに読むとびっくりするようなものに出会うので、結構「驚き分野」として、大事にとってあります。

で、有名な山頭火の本を読む機会がありました。

この本は、山頭火の昭和5年から約2年ほどの間の、九州での行乞日記です。


焼き棄てて 日記の灰の これだけか

まだ奥に家がある牛をひいてゆく

一人でいて濃い茶をすする

投げ出した足へとんぼとまらうとする


うーん、この情景描写、まいりますね。

日記なので句以外にも、色々書いてあります。
興味深いのは、この時代はお遍路さんや旅商人などが多く、宿で多くの人と同宿となり、今ではよく分からない世界が広がっていて、なかなか面白い。

年老いた体、雨の日も続く毎日の行乞、他人からの喜捨、年老いてなお続く辛い旅をありのまま句に詠み、そのあまりの自己憐憫に太宰治に似た憂鬱さをおぼえますが、やはり句がいい。
光ってます。

俳句や短歌は、乱暴にいってしまえば、小説の物語の展開の驚きや、一瞬の情景描写の鮮やかさを、短い文章で切り取るところか、とやっと山頭火俵万智で理解しました。

ちょくちょく読んでいこうと思います。

詠むことはできませんが。