内田百閒の自由 | できれば本に埋もれて眠りたい

内田百閒の自由

内田百閒の「第一阿房列車」という旅行記を読んで驚きました。
まず、旅行記なのに、たんに列車に乗るだけで、特に行き先には興味がないこと。
そして、旅行中も「あれがいい」よりも「あれが悪い」みたいな話が多い。
じゃ、何で旅行に行くんだろうと思いますが、よーく読んでいるとなんだかやっぱり旅行がすきなようなんですね。

お連れの山系さんとの掛け合いは、うまがあっていないようで、あれだけあわないのは、やっぱりあっているからかなぁ、と思います。
しかし、お連れさんと、あんなにかみ合わないのも珍しい。

そして、一番驚いたくだりは、途中、お連れの山系さんが列車内でクイズをだすんですね。
で、百閒先生も考える、でも分からない。
で、どうなるかといえば、そのまま。解答もなしで終わりです。

いやぁ、びっくりしましたね。そんなのありなんだ、いったかんじです。
しかし、逆に今のエッセイとか旅行記は「行きたい場所がありました。行ってきました。感動しました」みたいなお約束事をしっかり守っていることに気が付きました。

感動しなくてもいい。なぞに答えなくてもいい。
うーん、昔の人の方が自由だったなんて。
なんだか恥ずかしい。