知っている。

理解している。

この両者は、似ているようでかなり違います。

 

 

やや混同されて使われる傾向もあるこの2つの言葉。

両者の違いはどんなものがあるでしょうか?

 

 

 

【辞書】

知っている>

その物事に関する情報を得ている、知識として持っていること。

 

 

 

理解している>

物事の仕組みやその意味するところなどを論理によって判断しわかること。

相手の立場や気持ちをくみとること。

 

 

 

とあります。

もちろん両者には重なる部分も多いと思いますが、明確に違う部分は、応用できるかできないか。

特に物事の仕組みを論理的にわかっているという部分です。

 

 

 

理解している状態は、仕組みがわかっているから、守備範囲が広いし、変化に強い。

 

 

 

当然、我々トレーナーも含め、現場で使えるかどうかは、知っていることよりも理解していること。

大腰筋という言葉を知っていることよりも、大腰筋について理解していることが求められます。

 

 

 

大腰筋という筋肉がどこにあってどこの骨にくっついていて、ということを知っているだけでは、現場では使えません。

重力下での動きの中でどんな役割を担っているのか、そこにどんな物理法則が作用するのかまでを”理解”していなければ選手のパフォーマンスアップには貢献することは難しい。

 

 

 

あの人のことを知っている。

あの人のことを理解している。

 

の違いは大きい。

 

 

 

理解とは。

理を解くこと。

 

 

 

理(ことわり)は、物事の法則、原理、道理、メカニズム

 

 

 

これを解いてこそ、「理解」。

 

 

 

理解しているから、理を解いているから、つまり原理や法則をわかっているから、そこに応用が利きます。

 

 

 

逆に「知っている」で留まっているものは、いつもスタティック。

フォーム、外見に目が奪われる。

 

 

 

ピッチングモーションのメカニズムを理解していれば、リリースポイントで無理やり肘を上げろ!とはならない

 

 

 

高速で動く、方向転換する、外力に対応する、ための身体操作のメカニズムが理解されていれば、30秒も体幹を固定したまま動かないようにするタスクを課したりしない。

 

 

 

身体操作の理を解くことができていれば、トレーニングという「手段」には必然性が生まれます。

 

 

 

 

もちろん、どんなことでも最初は知る、知っているという状態から始まります。

学校のテストも、知っているかどうかを問うものもあるし、理解しているかを問うものもある。

 

 

 

要は「知っているフェーズ」で留まらない、そこで留まっていることに気づくことが重要です。

自分は何を理解していて、何を理解できていないか。

 

*知っているか理解しているかをチェックする方法は下に。

 

 

 

自分がいま持っている知識は、「知っている」フェーズで留まっているものなのか、それとも「理解している」フェーズまで到達しているのか。

 

 

 

 

これは言葉の定義ができるかどうかとも思考回路として結構近いので、理解できているかどうかはその言葉が定義することができるかどうかを考えると見えてきたりします。

 

 

 

例えば、「体幹が強い」とかを定義しようとすると、知っているレベルなのか理解しているレベルなのかが見えてきます。

 

 

 

僕の場合はこんな感じで定義しています。

『「ブレない体幹」を獲得するために。』

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12320380858.html

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

トレーニングだって、同じです。

コモドドラゴンを知っているのか、コモドドラゴンを理解しているのか。

理解していれば、選手の反応や目的によっていくらでもコモドドラゴンのアレンジバージョンは生み出すことができるはずです。

同じトレーニングを指導していても、知っているレベルの人と、理解しているレベルの人ではその効果は大きな差が生まれます。

 

 

JARTAのトレーニングを理解しているJARTA認定トレーナーの指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

宣伝はほぼ流れてこないJARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

科学的根拠が重要。

科学的根拠が必要。

科学的根拠があるから信頼できる。

科学的トレーニング。

 

 

 

スポーツに限らず、この科学的というフレーズは、ある種の信頼を高める表現として定着しています。

多くの人は、科学的、と言われると安心感を得ます。

 

 

 

でも、、そもそも科学的ってどういうこと?

 

 

 

科学的ってどういうことですか?

一言で言えますか?

 

 

 

ここを考えずに、科学的な根拠があるから安心、というのは、ちょっと危なさも感じるのは僕だけでしょうか。

 

 

 

研究されてデータが出されていること?

論文として発表していること?

最新マシーンを導入していること?

動きを数値化したり可視化していること?

 

 

 

一般的にはそんなイメージを持たれている方も多いかもしれません。

 

 

 

でも、結論から言うと、これらは科学的であることを証明するための「手段」の一つ。

 

 

 

僕が考える、科学的とは。

 

 

 

 

 

それは、再現性があること。再現できること。

 

 

 

膨大な人数を対象としたデータが強いのは、それだけの人数が同じ傾向を持っているという再現性があるからです。

トライアルの回数が多いデータが信頼されるのは、それだけの回数をこなしても同じ傾向が提示されるという再現性があるからです。

 

 

 

逆に、やるたびに違う値がでるような方法は、信頼されません。

 

 

 

実際、アカデミックなフィールドでは、データそのものよりも、データの取り方、データを出すまでのプロセスがものすごく重視されますし、そこが的確かがものすごく検証されます。

何度やっても、誰がやっても、再現性がある方法なのかが検証されるのです。

 

 

 

以前大きな話題になったSTAP細胞の問題でも、他の研究者が論文通りにやっても再現できなかったから大問題になりました。

 

https://thepage.jp/detail/20140521-00000018-wordleaf?pattern=2&utm_expid=90592221-90.XuDNLc76QeGwwGjZsGOLmA.2より

 

 

 

データがあるから科学的、では決してありません。

数値化できてグラフが見せられるから科学的、では決してありません。

 

 

 

研究の場を経験したことのある方はわかると思いますが、データはある程度というかかなり意図的に作れてしまいます。

(国会でも問題になりましたね)

だから本当にその通りに再現できるかが検証されるわけです。

 

 

 

どんなに分かりやすかったって、再現性がなければ、そして再現できるプロセスを構築できなければ、決して科学的とは言えない。

どんなに素晴らしいトレーニングメソッドでも、他の人でも一定以上同じことを再現できるプロセスつまり習得過程を構築できなければ、科学的とは言えない。

 

 

 

だからこそ、僕のトレーニング指導をトレーナー養成のプロセスとして落とし込んだJARTAの認定トレーナー資格は、そういう視点で検証し続けています。

 

 

 

個人差というファクターを除いたトレーナーとしての本質的な能力部分が、再現できるような教育プロトコルになっているかどうか、つまりトレーナーの能力として必要な最低ラインを超えられるようになっているかどうか。

 

 

 

個人差や相手の状況という流動性の高い部分が、それら本質という土台の上に、「トレーナーの特徴」という形で搭載することができる教育課程になっているか。

 

 

 

そこに不具合があれば修正するし、もっと良い方法があればアップデートする。

JARTAの認定トレーナーコースはそうやって2年ごとぐらいに大きな更新が行われています。

そして更新が頻繁だから、認定試験受けた方の再受講は全て無料にしています。

 

 

 

話を戻して、科学的とは。

 

 

 

A=Cが直接的にデータとして証明されていなくては信頼できない。

と考える人はとても多い。

 

 

 

けれど、A=B、B=Cの再現性が証明されていれば、A=Cは成立する。

中学校の数学レベルでやる、証明問題です。

 

 

 

スポーツの世界は、流動的かつ抽象的な現象で溢れかえっているけれど、だからこそ「その現象の中で繰り返し再現されているもの」つまり「共通項」を見出し、それを再現できるようにトレーニングメソッド化していく。

 

 

 

僕はトレーニング構築においてはそんなプロセスを科学的と定義しています。

僕がトレーニングに物理法則を基盤に置いたのはそんな理由があります。

元々が自然科学の一部である物理学では、多種多様な自然現象から再現される現象を見出して方程式化して再現性を証明してくれているので。

 

 

 

もちろん、データとして残していくことも、再現性を証明する一つの手段だから、そこは軽視せずに取り組んでいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

データを盲信して、いやもっと言うとイメージだけでトレーニングを選んではなりません。

データをとった方法、データの解釈、そして因果関係。

それらをデータ提示者が十分に説明できているか。

本当はそんな視点が必要です。

そんなの無理です、と思われた選手、それを考えるのはもちろん専門家側です。

 

専門家JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

僕がサポートしている女子サッカー選手、永里優季選手のインタビュー動画がJARTAのオフィシャルサイトに公開されました。

選手が僕のトレーニングをやっていく中で、実際にどんな変化を感じているのか。

そしてなぜ、トレーニングを継続しているのか。

 

 

 

そんな話を語ってくれました。

https://jarta.jp/dispatch/interview_nagasato/

 

 

 

 

永里優季選手の関連記事。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12244815919.html?frm=theme

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

これから少しずつですが、JARTAのトレーニングを導入している選手や監督、コーチたちの感想を動画インタビューで掲載していきます。

導入をご検討される際には検討材料にどうぞ。

あ、でもJARTA側が編集してるからニュートラルじゃないか…。

本音かどうかは、判断してみてください(^^;;

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

昨日はフットサル日本代表の皆本晃選手のトレーニング。

トレーニングしている場所で、お世話になっているサッカージャーナリスト小澤一郎さんにお会いしました。

色々相談していたら、最新の著書をいただいてしまいました。

 

 

 

 

 

僕がサッカーの本を読む理由は、コーチが伝えたい現象、そして言葉の理解度を増やして、できる限り同じ映像を観れるようにすることです。

なぜならコーチ側が要求するスキル、動きを選手に獲得するのをサポートするのは僕が求められている重要な仕事の一つだからです。

この辺りの詳細はまた別の機会に。

 

 

 

小澤さんはスペインに住んでいたので、スペインのサッカー言語のことを質問しました。

 

 

 

「日本のサッカー言語とスペインサッカー言語の、量と質の違いは?

ざっくりこんな感じのこと聞きました。

 

 

 

曰く、やはり言葉の数そのものが日本サッカーは圧倒的に足りない。

そしてその定義もかなり甘い、曖昧。

ドリブル一つ取っても、スペインにはたくさんの名前が付いている。

 

 

 

今回のW杯の成績で曖昧になりそうだから、今改めてそれを強調したい。

日本のスポーツ界は、現象を一言で表現できる重要なツールである「言葉」が足りない。

 

 

 

言葉は、たくさんの情報を一言で伝えられるツール。

言葉は、認識しにくい現象を認識できるようになるツール。

 

 

 

スポーツでは、情報の伝達速度と正確性はかなり重要なファクターと僕は考えます。

 

 

 

言葉というツールが持つことができる情報量や、記号性、これをもっと重視した方がいい。

特に、今主流になっている競技の大半は海外からの輸入品。

 

 

 

使われる言葉のオリジナルは全て外国語。

日本語訳する時点で、すでにオリジナルから質を落としている可能性もある。

日本語訳しないでそのまま使う場合は、イメージできる情報量に差が生まれる可能性がある。

 

 

 

これは輸入してきた競技のほぼ全てで起こっている現象です。

言葉の定義や現象の言語化に対するスタンスの曖昧さは、日本の多くの競技で同じ構図が存在します。

 

 

 

言葉の数が足りないと、どういうことが起こるか。

 

 

 

例えば、「ある選手のカバーをする選手の動き、さらにその選手をカバーする動き」、スペインだとこれを一言で表現できる単語が存在しています。(なんて単語か聞くの忘れました…。。)

 

日本だと、いちいちそれを文章で説明しないと伝わらない。

伝わるならそれでいいじゃないの、と思う人もいるかもしれませんが、スポーツだとこれが大問題。

 

 

 

なぜならスポーツは常に時間の概念との関係を考慮しないといけないからです。

 

 

 

例えば、

 

 

 

上記の単語の不在は、プレー中の意思疎通に使えないことを意味します。

この単語の不在は、練習中に選手に意識づけするために使えないことを意味します。

また、他の選手や試合を観戦していて見えてくる現象も変わります。

 

 

 

言葉とパフォーマンスの関係性、先日こちらに詳しく書きましたが、例えばドリブルでの動き一つ一つに名前がつけられていたら、ブログのような文章の媒体でも情報の伝達ができるわけです。

 

 

 

そして当然、選手やコーチ・選手同士が交わす会話も、かなり違ってきます。

 

 

 

例えば「今の場面はコントロールエンタードを選択した方が良かったよね。」とか。

 

 

 

コントロールエンタードという言葉がなかったら、「今のトラップはトラップの瞬間に身体の向きを変えて、ワンアクションで相DF外す動きを使った方が良かったよね。」となります。

 

 

 

現象を言い表す単語が存在している国、存在しない国。

サッカー番組や記事、そしてサッカーファン同士の会話、かなり情報量の差が生じます。

 

 

 

そしてこれは現在進行形で生じている差です。

 

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

お腹を空に向けた状態で両手と両足で支えて胴体を浮かせてそのまま保持する運動。

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

今回はサッカーを例にとりましたが、トレーナーの世界でも言語化は同じく非常に重要なことです。

もちろん何でもかんでも名前をつければ良いってことではありませんが、不規則に見える現象の中に存在する共通項を読み取り、そこに再現性を持たせるために記号をつける、すなわち言語化する。

単に関節の動きを英語に直すような名前のつけ方とは本質的に異なります。

JARTAセミナーラインナップ

http://jarta.jp/seminars/

 

 

サッカー上半身トレーニングセミナー>

初の沖縄開催(7/8)、迫ってます。

http://jarta.jp/j-seminar/soccer/

 

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

Jリーガーのご依頼が増えてきました。

一般の方でももちろんサポート可能です。

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

安定と不安定。

この日本語、どちらが好きですか?

 

 

 

ほぼ全ての人が、安定、と答えるのではないでしょうか。

 

 

 

安定している。

どっしり感。

 

 

 

不安定、つまり安定していない。

フラフラ、グラグラ。

 

 

 

動きはもちろん、行動、精神面にまでこの構図は当てはめられ、日本文化ではほぼ全てで安定が好まれます。

 

 

 

もちろんスポーツにおいても、安定が常に求められています。

具体的には転ばないこと、ふらつかないことなどです。

 

 

 

だから当然トレーニングでも安定がとてもとても重視されます。

 

 

 

どっしり感があっていいね。

腰を落とせ。

重心を低くしろ。

地面を踏みしめろ。

 

 

 

どれも、どの競技でも頻出の指導ワードです。

 

 

 

しかし、物理学的な観点に視点を移すと、安定していることは、「動く」という面ではネガティブな影響を及ぼすことがあります。

もう少し具体的には、動き出し、素早く動く、方向転換においてです。

 

 

 

日本語における安定は、なぜかそのまま重心を低くすることと結びつきます。

 

 

 

だから、安定=

 

 

 

どっしり感。

腰を落としている。

重心を低くしている。

地面を踏みしめている。

 

 

 

となっています。

 

 

 

もちろん、これらは間違いではありません。

 

 

 

 

しかし、唯一の正解でもありません。

つまり安定とはこれが全てではありません。

 

 

 

以前も書いたように、安定には大きく分けて2種類あります。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12383609670.html?frm=theme

 

 

 

どっしりした安定と、動くことでの安定。

僕は日本的安定と、西洋的安定という言葉を使って分類しました。

日本的安定は、相撲的安定といってもいいかもしれません。

どっしり動かないことに適した安定です。

 

 

 

この両者は、競技の特徴によって使い分けられる必要があります。

そして局面ごとに使い分けられる必要があります。

 

 

 

 

例えばサッカーやラグビーのような「西洋発祥」のスポーツだと、基本形として西洋的安定を使いこなすことが必要です。

 

相撲や柔道のような日本発祥のスポーツ(武道)は、日本的安定が適応します。

 

 

 

サッカーのような西洋系競技で、日本的安定を使ってしまうと、動き出しが遅い、方向転換が遅い、ストップ動作や減速動作が遅い、膝や太ももの怪我が頻発、そして腕振りが遅い、という現象が起こります。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12289213532.html?frm=theme

 

 

 

この違いを考えずに、

安定=絶対的に良いことだ。

常に安定していよう。

 

 

 

としてしまうと、パフォーマンスにつながらないということが起こってしまうリスクもあり得るということです。

 

 

 

思うに、このような現象が起こる根深い問題として、「不安定が良くないこと」という捉え方に要因があるのではなかろうか。

 

 

 

僕らは子どもの頃から学校で、家庭で、職場で、常に不安定は良くないことだという指摘を受けながら育ってきています。

 

 

 

だから、不安定ではなく、西洋的安定。

サッカーならサッカー的安定。

ラグビーならラグビー的安定。

それらを競技ごとに定義すると、見えてくるものがあるはずです。

 

 

 

どっしり安定と、本当に転んでしまう本当の不安定の間にある、グラグラしながらも制御ができている状態。

 

 

 

不安定を、使いこなそう。

 

 

 

使いこなせるようになると、重心が崩れそうになった時、それをそのままパワーに変えられるようになります。

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

この日本的安定は、日本文化で生活していると無意識に身体がそれを求める動きが染み付いています。

失敗できない、丁寧にやろう、力を出そう、という場面、日本人選手は無意識に重心を下げがちです。

まず、どんな時も目線を下げずに動けているかどうかをチェックするとわかりやすいです。

 

そんな目線のことまでトレーニング体系に入っている、サッカー上半身トレーニングセミナー。

沖縄と東京で開催します。

http://jarta.jp/j-seminar/soccer/

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

今回は判断基準の話。

仕事をしていると、AかBかを選ぶ場面って結構あります。

その時の判断基準、どんなものがありますか?

 

一般的には、

利益、名誉、人間関係、その他もろもろの損得などが多いでしょうか。

あと、生き方、人生の方針、正義感、世直し精神なども判断基準に含まれます。

 

 

 

どんな基準を用いようと、その人の価値観次第ですから、それについてとやかく言うことはありませんが、自分自身がどんな判断基準を用いているかを知っておくことは重要です。

 

 

 

そういった判断基準の一つで、あまり知られていないかもしれないけれど、ちょっと根深い問題に繋がってるなと思うものを一つご紹介したいと思います。

 

 

 

双曲割引。

人間心理における価値判断の普遍的な性向です。

 

 

 

例えば、今すぐ1万円もらうのと、2年後に2万円もらえると約束されるのでは、人はどちらを選ぶでしょうか。

 



今すぐ1万円と、2年後に2万円。

 

 


前者を選ぶ人はかなり多いかも知れません。

1万円と2万円、明らかに2万円の方が大きい額なのに、時間が遠くなると、2万円の価値が落ちています。

いや、目の前の1万円の方が価値が高くなるという方が正確かもしれません。

 

 

 

1万円の価値が、2万円を超える。

価値の過大評価です。

 

 

 

目先の利益に流されて、、というよくある失敗談にも登場する、実は非常に有名なものです。

 

 

 

時間的に目の前のものの価値・評価が高くなりがち。

なぜでしょうか?

 

 

 

これには大きく分けて二つ原因があると考えられます。

 

 

 

一つは、生物としての傾向。

 

目の前にある獲物に食いついていかなければ、他の個体に持ってかれてしまいます。

将来的な利益を期待してじっと待つような個体は、そういう世界では滅びるしかありません。

目の前の価値対象をそうやって過大に評価する傾向は、適者生存として当然に思えます。

 

 

 

二つ目は、信頼と価値の相関という側面です。

より人間的・社会的な傾向と言えます。

 

つまり、時間的に遠くなると、「本当にもらえるのか?」という疑念が起こりやすいと言えます。

遠くなればなるほど、本当にもらえるという信頼は低くなる。

 

 

 

これが2年後の2万円の価値が、今すぐ1万円に対して相対的に下にある原因です。

相手によっては、「明日渡す」ですら信頼性が疑われることだってあります。

 

 

 

生物的、社会的なこの二つの側面を刺激するこの傾向は、なかなか強力で、様々な場面での判断の要因に少なからず影響を及ぼします。

 

 

 

目の前のメリットに泳がされて不要なものを購入するケースは多いし、目先のメリットの価値を過大評価した結果、判断を誤る組織は多い。

目の前のメリットを刺激するキャッチコピーは、とても多い。

 

 

 

すぐに効果が現れる。

すぐに痩せられる。

その場で〇〇円キャッシュバック。

お金が配られる経済政策。

明日から使える技術が学べます。

すぐに効果が出るトレーニングメソッド。

今すぐ監督を変えたらチームは変わる。

今すぐもらえる1万円。

 

 

 

目先のメリットに心を奪われて、将来的に得られる、もしくは得るべき、もっと大きなメリットを失っている可能性がある。

 

 

 

僕らは自分がどんな判断基準を使いやすいか自分で理解しておいた方がいい。

どんな影響を受けやすいかを理解しておいた方がいい。

僕らはわりと踊らされがちだから。

この性向を逆手に取られてコントロールされたりするから。

 

 

 

そしてものすごく重要なことは、「今すぐ1万円」には、誰が言っても一定の魅力があります。

でも、2年後に2万円は、誰が言うかによってかなりその価値が変わる。

 

 

 

トレーニングも同じです。

 

 

 

トレーニングの本質は、そもそも試合で使われる人間の機能を考えるとすぐにわかります。

スポーツのトレーニングは、試合で活躍できるのが目的だから、試合を考えるとわかるってことです。

 

 

 

試合で使われるのは、あらゆる認識力、無意識の動きと反射系、自動化。

試合で有効なのは、これらの機能とシンクロした熟練したスキル。

 

 

 

だから「使える動き」ってのは、かなり脳や神経系が影響している。

 

 

 

こんなの、ちょっとやそっとトレーニングしたからってすぐに変化が出るわけがない。

 

 

 

すぐに成果が出る(という売り文句な?)トレーニング。。

 

 

 

今すぐもらえる1万円。

 

 

 

個人個人の判断基準だから、それを発信してもいいと思うし、その影響を受けてもいいと思います。

 

 

 

でも。

 

 

 

僕は「2年後の2万円」を信じてもらえる存在を目指します。

 

 

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

W杯、グループリーグから非常に面白い戦いが続いていますね。

やっぱりトップクラスの選手たちの身体操作には目を見張るものがありますし、新たな発見も起こります。

 

そしてW杯は、日本と世界の差を考察する絶好の機会。

普段あまり意識しない人も、世界のサッカー見てますし。

 

 

 

僕がこのW杯で感じるのは、日本のサッカーと欧州のサッカーの差は、確実に開いているということ。

日本のサッカーも進化していると思いますが、その進化のスピードそのものに欧州とは差がある。

 

https://mainichi.jp/articles/20180618/dde/035/050/033000cより

 

 

競技の進化のフェーズとして、模倣があり、その後は必ずイノベーションが起こらなければなりません。

 

 

 

これは模倣側が逆転するための必須要素。

 

 

 

つまり、サッカーが上手くなるために必須である「本質部分」は真似して獲得つつ、それと同時に「その国だからこそできること」を生み出さなければならないということです。

 

 

 

模倣側から、”Amazon”が生まれると、逆転が見えてくる。

(本質獲得なしのAmazonは、虚像ですが)

 

 

 

しかし、そもそもその模倣自体が簡単にはできないぐらい差が生まれていると感じるのは僕だけではないでしょう。。

(というか、模倣そのもののレベルが、上っ面の模倣にとどまっている感すらある。)

 

 

 

そこには育成レベルでの指導スタンスや育成システム、指導法なども含んだ、深部の差があります。

*例えば日本だとまだ怒鳴るかどうかが議論されるぐらいの低いレベルでしかないというのが象徴的かもしれません。

 

 

 

また、これまでこのブログでも書き続けていることですが、日本はサッカーに関する言葉や現象に対する言語化はあまりにも遅れています。

(他の欧米発祥系の競技はほぼ全てそうかも…)

 

 

 

先日、読んだこの記事にもありますが、言語化は、再現性を高めるためには必須です。

https://newspicks.com/news/3084519/body/

 

 

言語化。

目に見えないもの、現象に名前をつけて共有することは、その競技のレベルを高めていく上では欠かすことはできないぐらい重要なものです。

 

以前書いた、言語化に関する記事。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12248934973.html

「これが日本の”フィジカル”だ」

 

 

 

特に習得・落とし込みまでの「時間の短縮」という視点においては、甚大な差を生みます。

 

そしてその先には文化の構築という次元までこの観点は繋がります。

 

 

 

サッカーが日本で生み出した競技でない以上、日本のサッカー界で使われるあらゆる言葉は「輸入して”日本語的な解釈”をつけたもの」です。

 

 

 

だからとても解釈が曖昧になりやすい。

 

 

 

だからこそ、あらゆる言葉を定義しないと、各人が自分の理解の範囲で解釈するという現象が起こります。

 

 

 

これを放置すると、指導システムは崩壊していきます。

(だからJARTAでは指導に使う全ての言葉を定義した”辞書”を製作して認定トレーナーに配布しています)

 

 

 

話を戻して、日本サッカーと欧州サッカーの差。

 

 

 

「日本だからこそ」は必須。

でも、それ以前に、「サッカーの動き」という本質はそもそも満たされているのだろうか。

いやもっとそれ以前に、理解されているのでしょうか。

 

 

 

分析技術が世界的には非常に高くなってきているのは今回のW杯で誰でも分かったと思います。

 

 

 

分析技術が高まった。

各国の戦術も、見えやすくなった。

ここから起こることは、「この戦術を取り入れよう」という流れ。

模倣です。

その国だからこその、イノベーションを起こすための「ベース」としては重要なフェーズです。

 

 

 

しかし、だからこそ起こるのは戦術実行能力の問題

 

 

 

戦術が高度になればなるほど、それを実行するための動きの難易度も高まる。(もちろん認識力も)

 

 

 

その戦術が実行できるかどうかは、最終的には選手の動きです。

だから、戦術が高まれば高まるほど、身体操作への重要性は高まる。

 

 

 

分析技術が高まれば高まるほど、「このような動きができれば良い」という「到達点」と「今のあなたの動きはこんな感じ」という「現状」は明確になる。

 

 

 

だからこそ、現状から到達点への到達プロセスの重要性が高まる。

 

 

いかにロスをなくすか。

いかに迅速にたどり着けるか。

いかに再現できるか。

 

 

 

この辺りの勝負になっていきます。

 

 

 

ひたすら筋力を高めれば、現状からその到達点へたどり着けるのか?

ひたすら走れば、現状からその到達点へたどり着けるのか?

「正しい身体の使い方」を学べば、その到達点へたどり着けるのか?

 

 

 

残念ながら、多くの場合その論理性は、最後の最後で曖昧。

 

 

 

そのトレーニングを用いた理由は?

 

 

 

その根拠を「論理的に」示せるか。

論理性=データという解釈が多いけれど、決してそうではありません。

 

 

 

客観的データの重要性が語られるが、データは常に現象の後から生まれるもの。

 

 

 

論理性とは、まだデータで証明されていないA=Cを証明するために、あらゆる事実を用いて証明すること。

A=B、B=Cという事実から、だからA=Cが成り立つと証明できること。

 

 

 

「既存データ重視の手段」の構築だけしかできない間は、イノベーションは起こりません。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

 

追伸

JARTAで用いているトレーニングロジックの多くは、まだ直接的には証明されていないA=C。

http://jarta.jp/seminars/

 

つまりAを行えばCが起こるという仮説からスタートしています。

そしてすでにCは起こり続けています。

 

例えば、怪我。

Aという手段によってCという怪我は限りなく無くすことができる。

JARTAのトレーニングシステムを導入したチームでは、どのチームでも確実にCが起こっています。

だからA=Cを直接証明してもいいかなというフェーズには来ています。

部分的には有意差を証明できるリサーチもやれていますが、なにぶんマンパワー不足です。

特に大学レベルの研究関係者の方、題材として取り上げていただけると嬉しいです。

https://jarta.jp/contact/

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 
 
 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

僕も何度かお世話になっている月刊秘伝という雑誌の特集で、ブラインドサッカーが取り上げられました。

 

テーマは、パラアスリートの知覚に迫るというもの。

その第一回がブラインドサッカーです。

 

 

 

タイトルは、ブラインドサッカー驚異的「空間認知力」。

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

コラムを担当している藤本靖さんが実際に強化合宿に取材に来られ、僕のトレーニングや選手の動き、インタビューなどで分析されていました。

詳しくはこちら。

 

 

 

 

 

誌面に登場する川村選手は、感覚を言語化できる数少ない選手ですが、彼の話がたくさん載っています。

ものすごい内容です。

 

*藤本靖さんはJARTAでも講師をお願いしている凄腕です。

 

 

 

 

ちなみに週末は日本代表の強化合宿がありました。

今回からニューウェア。

そして新たな課題。

 

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

ブラインドサッカー選手のような、目の見えない方にどうやって複雑なトレーニングを指導するんですか?

ってよく聞かれますけど、同じです。

同じかつ、指導の本質にかなり近づかないといけない感覚。

僕が考えているそれらのポイントをまとめました。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12169243786.html?frm=theme

 

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

先日、5年生の長男の通う学童保育で、事件がありました。


その学童保育では野球が流行っていて、運動場が使える時はみんな庭球ボールを使って野球を楽しんでいます。

 

 

 

長男も、野球がしたいから「学童保育は休みたくない」というほどハマっています。

 

 

 

その長男が、その日は激怒して帰ってきました。

 

 

 

「4年生がボールを屋根に乗せたって理由で、俺たちも1週間野球禁止になったし!!意味わからん!」

 

 

 

つまり、自分たちとは違う学年の子ども達が、一緒には遊んでいない時に、ボールを屋根に乗せた。

(そもそもボールを屋根に乗せないように注意されていた)

 

 

 

その連帯責任として、「全員、1週間、野球が禁止」となったのです。

 

 

 

 

1週間は小学生にとってかなり長く、さすがに厳しすぎないかと感じたので、長男に尋ねました。

 

 

 

なんで屋根に乗せたら野球したらだめなの?

なんで4年生が乗せたのに君たちも野球禁止なの?

なんで屋根に乗せたら野球禁止は1週間なの?

 

 

 

本人が答えられたのは1つ目だけ。

屋根に乗せたらボールが取れなくなるからNG。

 



でもそれ以外は、なぜそういう罰則を与えられているのかは本人の理解という形では伝わってこない。

 

 


うーん、先生の意図が見えてこない。。

そして罰則の内容にも違和感ありです。

 

 

 

1つは、禁止という手段。

やめろと言われていることを、やってしまった場合、それを再発するのを防止する手段として禁止という選択をするのは最も手軽。

「公園でボール遊びはやめましょう」という注意を守られないから、公園をなくしましょう、と同じ。

 

しかし学童保育といえど、大人が子ども達に関わる以上、常に教育の場。

 

僕なら、ボールが屋根に乗ってしまった原因を分析して、みんなで再発を防ぐためのディスカッションをする最高の機会と捉える。

 

 

 

 

2つ目は、連帯責任。

これは日本のスポーツの世界でも非常によく使われる手法です。

今回のケースでは、連帯責任を負わされた側である長男は、なぜ連帯責任なのかを理解していませんでした。

 

連帯責任の名目は、チームとしての当事者意識や、いわゆるチームワーク。

 



いじめやいたずらなど、周りで見て見ぬ振りをした場合は、連帯責任も理解できる。

制止しなかった側も大きな意味では加害者たり得る。


 

しかし連帯責任を採用する場合は、「なぜ一緒に責任を被るのか」を本人達が理解していることが最低限の条件であり、そうでなければ連帯責任制をとる意味はない。

 

 

 

小学5年生ならば、確かにもう連帯責任は意味がわかる年齢になってきています。

確かに、チームスポーツは試合の勝敗は連帯責任方式で決まりますし。




しかし、それが本人の理解という形では伝わっていない。伝える意思が感じられない。

いきなり「全員禁止」とだけ伝えられたと。

 

 

 

そして1週間という制裁期間はやっぱり長すぎないか。

 

 

 

 

というわけで。

 

長男は理不尽だと感じる、納得できていない、というので、「君たちが今言わないと、また同じことが起こるよ」

 

 

 

とだけ伝えました。

あとどうするかは、本人たちが決めることです。

 

 

 

このような構図は、スポーツでも起こります。

ルールと理解の関係。

 

 

 

スポーツである以上、ルールは守るべきです。

当然、誰もが思っているでしょう。

 

 

 

ではスポーツではなぜルールは守るべきですか?

 

 

 

それは怪我を起こしたり、ペナルティによって自分のチームが不利に立たされるからですね。

 

 

 

そして個々のルールも同じく、なぜそのルールがあるのかを理解しておくのは、思い切ったパフォーマンスを発揮する上でも実はとても重要です。

 

 

 

ルールだから、守るべき。

 

 

 

これははっきり言って思考停止状態です。

ルールだから守る、という理由でルールを守っている先にあるのは、イエスマンの集合体であり、もっと先には独裁政治もある。

 

 

 

 

だってルールは変わるし、変えられるから。

 

 

 

 

ルールは守るべきじゃない、という意味ではありません。

挨拶しましょう、お礼を言いましょう、靴は踏んではダメです。

こういったものも含めて、「言われたからそうする」「やらないと怒られるから」ということが動機になっていることが多すぎないかと思うのです。

 

 

 

なぜ、挨拶した方がいいのか。

なぜ、お礼を言った方がいいのか。

なぜ、靴は踏まない方がいいのか。

 

 

 

それを理解してやるのと、理解せずにやるのとでは「将来的に」雲泥の差が生まれます。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

上半身に特化したサッカートレーニングのセミナーを、東京と沖縄で開催します。

W杯、上半身の動きに着目してみると、新たな発見ありますよ。

https://jarta.jp/j-seminar/soccer/

 

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。

 

 

 

 

 

 

 

今日からロシアW杯ですね。

今回は盛り上がっていない、ワクワクしない、日本代表は無理だろう、期待できない。

そんな話をよく耳にする今大会。

 

 

 

僕の場合は、今大会がいつもと何か違うっていう感覚はありません。

 

 

 

いつも通り、世界のトップクラスのパフォーマンスが観れる。

ひたすらそれが楽しみです。

 

 

 

もちろん日本代表は応援しますが、今回は期待できないかと問われると、これもいつも通り。

身体操作・フィジカルレベルの視点だと、やっぱりFIFAランクとの相関は感じるし、この傾向は今回に限ったことではない。(6/14で日本は61位)

 

http://www.asahi.com/worldcup/2014/gallery/140713ger-arg/gerarg08.htmlより

 

 

 

もしかしたら予選通過の可能性も期待するけれど、それが起こっても身体操作レベルによる通過ではなく、他のファクターによる勝利でしょう。

スポーツの結果はいろんなファクターが流動的に関与しますので。。

 

 

 

そういう意味で、大方の予想通り予選敗退しても、躍進して素晴らしい結果を残しても、僕の立場では結果に対する期待は同じです。

 

 

 

予選通過したとしても、身体操作やフィジカルの課題や問題点が消えるわけではない。

 

 

 

その視点で日本代表チームで気になる点としては、プレッシャーの大きい試合になると普段よりもさらに腰を落としがちなところ。

日本の選手はどうしても失敗を恐れるなどプレッシャーがかかると、腰を落としがち。

 

 

 

まず「安定」を求めます。

トレーニングも含めて、安定を好みます。

 

 

 

どしっと止まる。

こんな感じを求めるコーチやトレーナーは多い。

でもこれは相撲的な安定。

 

 

 

僕は、サッカーでの安定と相撲の安定は明らかに違うと断言したい。

断言したいからします。

 

 

 

サッカーでの安定と相撲の安定は、明らかに違う。

 

 

 

サッカーでの安定は、どしっと踏ん張れる安定ではなく、頭の位置の変化に対して足が踏み換えられることによって頭が動かないこと。

 

横から押されて頭が右に倒れそうになったら、両足が素早く右に動いてくれること。

そしてそういう動きには腕など上半身操作は必須。

 

 

 

トレーニングで求められる安定も、やっぱり相撲的。

低重心安定。

または、静止的安定。

多くのケースで、ピタッと止まれることに価値を置きすぎかも。。

 

 

 

同じ安定という言葉だけれど、目的によって中身が異ならなければ、パフォーマンスアップには繋がらない。

 

 

 

ものすごく使われる「安定」(+腰を落とせ)という言葉。

スポーツ界では、ずっとずっと「どっしり安定」と「動きながら安定」が混同されたまま使われてきた。

というより後者はそもそも認識されていないケース多し。

 

 

 

もう「日本的安定」「西洋的安定」みたいな別の言葉を使って分類した方がいい。

 

 

 

言葉の不在は行為の不在。

 

 

 

安定にも種類がある。

 

 

 

安定か不安定か。

 

 

 

この二元論だから、日本文化ではみんな安定をとる。

 

 

 

そして日本文化における安定は、低重心安定・相撲的安定・日本的安定。

手や足など末端を高速で動かそうとすると、まずどっしり感を欲しがる。

 

 

https://www.jiji.com/jc/worldcup2018?s=v4&id=wcfb20180012より

このなんでもないような場面の差は、実はかなり大きい。

 

 

https://worldcup2018.yomiuri.co.jp/news/922/より

本質は細部に宿る。

ジョギングレベルの動きにも、かなり大きな差が存在しています。

 

 

 

高重心を使いこなすべき西洋スポーツを、低重心系の僕らがやるのであれば、、やっぱりこの構図のままでは苦しい。

 

 

 

4年に1度のW杯。

 

 

 

重心の高さ、上半身の動き、という視点で観てみると新たな発見があるかもしれません。

新たな発見に役立つかもしれない参照→

https://ameblo.jp/bodysync/theme-10103036397.html

 

 

 

あとめちゃマニアックな人向けには、”軸足の動き”に着目してみると面白いかもしれません。

理由は、またいずれ。

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

©︎Kaoru WATANABE

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

追伸

重心が下がってしまうと、パフォーマンスはいろんな場面で、もしかしたら気づかないレベルで少しずつ落ちます。

疲れやすくなったりもします。

これは腰を落として(重心低くして)ダッシュ&ストップするとわかると思います。

前に進むのに、止まるのに、それぞれ腰の位置が低くなると大きな力が要求されるからですね。

→日本人選手の場合、膝やハムストの怪我もここらへんが必ず関与します。

 

「大事な試合でなんだかいつもよりも疲れやすい…」のはこういう原因も可能性ありです。

心当たりある、解決したいと思われる方は、サッカーにおける上半身操作の記事を読んでみてください。

きっと活路があります。

https://ameblo.jp/bodysync/theme-10103036397.html

*上のリンクと同じです

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 

 

 

 

JARTAのオフィシャルLINE@

友だち追加

 

たくさんの方にご登録いただきありがとうございます。

大した内容ではありませんが、日々僕が感じたことを書いているこのブログの更新情報、僕が主宰するJARTAのオフィシャルブログの更新情報を配信しています。

不定期配信ですので、通知が便利だなと思われる方はぜひ友だち登録してみてください。