W杯、グループリーグから非常に面白い戦いが続いていますね。

やっぱりトップクラスの選手たちの身体操作には目を見張るものがありますし、新たな発見も起こります。

 

そしてW杯は、日本と世界の差を考察する絶好の機会。

普段あまり意識しない人も、世界のサッカー見てますし。

 

 

 

僕がこのW杯で感じるのは、日本のサッカーと欧州のサッカーの差は、確実に開いているということ。

日本のサッカーも進化していると思いますが、その進化のスピードそのものに欧州とは差がある。

 

https://mainichi.jp/articles/20180618/dde/035/050/033000cより

 

 

競技の進化のフェーズとして、模倣があり、その後は必ずイノベーションが起こらなければなりません。

 

 

 

これは模倣側が逆転するための必須要素。

 

 

 

つまり、サッカーが上手くなるために必須である「本質部分」は真似して獲得つつ、それと同時に「その国だからこそできること」を生み出さなければならないということです。

 

 

 

模倣側から、”Amazon”が生まれると、逆転が見えてくる。

(本質獲得なしのAmazonは、虚像ですが)

 

 

 

しかし、そもそもその模倣自体が簡単にはできないぐらい差が生まれていると感じるのは僕だけではないでしょう。。

(というか、模倣そのもののレベルが、上っ面の模倣にとどまっている感すらある。)

 

 

 

そこには育成レベルでの指導スタンスや育成システム、指導法なども含んだ、深部の差があります。

*例えば日本だとまだ怒鳴るかどうかが議論されるぐらいの低いレベルでしかないというのが象徴的かもしれません。

 

 

 

また、これまでこのブログでも書き続けていることですが、日本はサッカーに関する言葉や現象に対する言語化はあまりにも遅れています。

(他の欧米発祥系の競技はほぼ全てそうかも…)

 

 

 

先日、読んだこの記事にもありますが、言語化は、再現性を高めるためには必須です。

https://newspicks.com/news/3084519/body/

 

 

言語化。

目に見えないもの、現象に名前をつけて共有することは、その競技のレベルを高めていく上では欠かすことはできないぐらい重要なものです。

 

以前書いた、言語化に関する記事。

https://ameblo.jp/bodysync/entry-12248934973.html

「これが日本の”フィジカル”だ」

 

 

 

特に習得・落とし込みまでの「時間の短縮」という視点においては、甚大な差を生みます。

 

そしてその先には文化の構築という次元までこの観点は繋がります。

 

 

 

サッカーが日本で生み出した競技でない以上、日本のサッカー界で使われるあらゆる言葉は「輸入して”日本語的な解釈”をつけたもの」です。

 

 

 

だからとても解釈が曖昧になりやすい。

 

 

 

だからこそ、あらゆる言葉を定義しないと、各人が自分の理解の範囲で解釈するという現象が起こります。

 

 

 

これを放置すると、指導システムは崩壊していきます。

(だからJARTAでは指導に使う全ての言葉を定義した”辞書”を製作して認定トレーナーに配布しています)

 

 

 

話を戻して、日本サッカーと欧州サッカーの差。

 

 

 

「日本だからこそ」は必須。

でも、それ以前に、「サッカーの動き」という本質はそもそも満たされているのだろうか。

いやもっとそれ以前に、理解されているのでしょうか。

 

 

 

分析技術が世界的には非常に高くなってきているのは今回のW杯で誰でも分かったと思います。

 

 

 

分析技術が高まった。

各国の戦術も、見えやすくなった。

ここから起こることは、「この戦術を取り入れよう」という流れ。

模倣です。

その国だからこその、イノベーションを起こすための「ベース」としては重要なフェーズです。

 

 

 

しかし、だからこそ起こるのは戦術実行能力の問題

 

 

 

戦術が高度になればなるほど、それを実行するための動きの難易度も高まる。(もちろん認識力も)

 

 

 

その戦術が実行できるかどうかは、最終的には選手の動きです。

だから、戦術が高まれば高まるほど、身体操作への重要性は高まる。

 

 

 

分析技術が高まれば高まるほど、「このような動きができれば良い」という「到達点」と「今のあなたの動きはこんな感じ」という「現状」は明確になる。

 

 

 

だからこそ、現状から到達点への到達プロセスの重要性が高まる。

 

 

いかにロスをなくすか。

いかに迅速にたどり着けるか。

いかに再現できるか。

 

 

 

この辺りの勝負になっていきます。

 

 

 

ひたすら筋力を高めれば、現状からその到達点へたどり着けるのか?

ひたすら走れば、現状からその到達点へたどり着けるのか?

「正しい身体の使い方」を学べば、その到達点へたどり着けるのか?

 

 

 

残念ながら、多くの場合その論理性は、最後の最後で曖昧。

 

 

 

そのトレーニングを用いた理由は?

 

 

 

その根拠を「論理的に」示せるか。

論理性=データという解釈が多いけれど、決してそうではありません。

 

 

 

客観的データの重要性が語られるが、データは常に現象の後から生まれるもの。

 

 

 

論理性とは、まだデータで証明されていないA=Cを証明するために、あらゆる事実を用いて証明すること。

A=B、B=Cという事実から、だからA=Cが成り立つと証明できること。

 

 

 

「既存データ重視の手段」の構築だけしかできない間は、イノベーションは起こりません。

 

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

全てはパフォーマンスアップのために。

 

 

 

 

 

中野 崇

 

 

 

 

 

追伸

JARTAで用いているトレーニングロジックの多くは、まだ直接的には証明されていないA=C。

http://jarta.jp/seminars/

 

つまりAを行えばCが起こるという仮説からスタートしています。

そしてすでにCは起こり続けています。

 

例えば、怪我。

Aという手段によってCという怪我は限りなく無くすことができる。

JARTAのトレーニングシステムを導入したチームでは、どのチームでも確実にCが起こっています。

だからA=Cを直接証明してもいいかなというフェーズには来ています。

部分的には有意差を証明できるリサーチもやれていますが、なにぶんマンパワー不足です。

特に大学レベルの研究関係者の方、題材として取り上げていただけると嬉しいです。

https://jarta.jp/contact/

 

 

JARTAのトレーニング指導をご希望の方は下記から。

http://jarta.jp/dispatch/

 
 
 

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