知っている。
理解している。
この両者は、似ているようでかなり違います。
やや混同されて使われる傾向もあるこの2つの言葉。
両者の違いはどんなものがあるでしょうか?
【辞書】
知っている>
その物事に関する情報を得ている、知識として持っていること。
理解している>
物事の仕組みやその意味するところなどを論理によって判断しわかること。
相手の立場や気持ちをくみとること。
とあります。
もちろん両者には重なる部分も多いと思いますが、明確に違う部分は、応用できるかできないか。
特に物事の仕組みを論理的にわかっているという部分です。
理解している状態は、仕組みがわかっているから、守備範囲が広いし、変化に強い。
当然、我々トレーナーも含め、現場で使えるかどうかは、知っていることよりも理解していること。
大腰筋という言葉を知っていることよりも、大腰筋について理解していることが求められます。
大腰筋という筋肉がどこにあってどこの骨にくっついていて、ということを知っているだけでは、現場では使えません。
重力下での動きの中でどんな役割を担っているのか、そこにどんな物理法則が作用するのかまでを”理解”していなければ選手のパフォーマンスアップには貢献することは難しい。
あの人のことを知っている。
あの人のことを理解している。
の違いは大きい。
理解とは。
理を解くこと。
理(ことわり)は、物事の法則、原理、道理、メカニズム。
これを解いてこそ、「理解」。
理解しているから、理を解いているから、つまり原理や法則をわかっているから、そこに応用が利きます。
逆に「知っている」で留まっているものは、いつもスタティック。
フォーム、外見に目が奪われる。
ピッチングモーションのメカニズムを理解していれば、リリースポイントで無理やり肘を上げろ!とはならない。
高速で動く、方向転換する、外力に対応する、ための身体操作のメカニズムが理解されていれば、30秒も体幹を固定したまま動かないようにするタスクを課したりしない。
身体操作の理を解くことができていれば、トレーニングという「手段」には必然性が生まれます。
もちろん、どんなことでも最初は知る、知っているという状態から始まります。
学校のテストも、知っているかどうかを問うものもあるし、理解しているかを問うものもある。
要は「知っているフェーズ」で留まらない、そこで留まっていることに気づくことが重要です。
自分は何を理解していて、何を理解できていないか。
*知っているか理解しているかをチェックする方法は下に。
自分がいま持っている知識は、「知っている」フェーズで留まっているものなのか、それとも「理解している」フェーズまで到達しているのか。
これは言葉の定義ができるかどうかとも思考回路として結構近いので、理解できているかどうかはその言葉が定義することができるかどうかを考えると見えてきたりします。
例えば、「体幹が強い」とかを定義しようとすると、知っているレベルなのか理解しているレベルなのかが見えてきます。
僕の場合はこんな感じで定義しています。
『「ブレない体幹」を獲得するために。』
https://ameblo.jp/bodysync/entry-12320380858.html
お読みいただき、ありがとうございました。
全てはパフォーマンスアップのために。
中野 崇
追伸
トレーニングだって、同じです。
コモドドラゴンを知っているのか、コモドドラゴンを理解しているのか。
理解していれば、選手の反応や目的によっていくらでもコモドドラゴンのアレンジバージョンは生み出すことができるはずです。
同じトレーニングを指導していても、知っているレベルの人と、理解しているレベルの人ではその効果は大きな差が生まれます。
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