サラスヴァティー1 | 徒然草子

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1 概要
サラスヴァティー(Sarasvati)はヒンドゥー教の女神であり、今日、ヒンドゥー教において智慧、言語、学問、音楽の女神として信仰されており、又、ジャイナ教や仏教においても人気のある女神である。
以下、かかるサラスヴァティーやその信仰等に関して概観してゆくことにする。

2 ヴェーダ時代
サラスヴァティーは最古のヴェーダである『リグ・ヴェーダ』にも登場する起原の古い女神であるが、上述の通り、今日においてもヒンドゥー教をはじめ、ジャイナ教、仏教において根強く信仰されている。
ところで、サラスヴァティーとは水(saras)を持する者を意味し、元来はサラスヴァティー河と呼ばれる川を指していた様であり、その神格化が女神としてのサラスヴァティーであった。
古のアーリア人の原郷地は南ロシアのステップ地帯と考えられており、其処は水資源に乏しい乾燥した地域であった。恐らくは、かかる厳しい生存環境を背景にアーリア人は河川を特別視する様になった様で、後にアーリア人がイラン系とインド系に分裂すると、インド系アーリア人はサラスヴァティー河を神格化した女神サラスヴァティーを崇め、一方、イラン系アーリア人は水や河川の女神アナーヒターを崇め、かかるアナーヒター信仰はイラン系アーリア人が展開したエリアにおいて比較的後世まで根強く支持された。

サラスヴァティー河に関しては、『リグ・ヴェーダ』において次の様に述べられている。
「諸川の中にただ独り、サラスヴァティーはきわだち勝れり。山々より海へ清く流れつつ。広大なる世界の富を知りて、ナフスの族(人類)にグリダ(※バターの一種)と乳をいだしきたれり。」(辻直四朗訳)
この様に讃えられたサラスヴァティー河は、現在、その所在が分からくなっているが、ヴェーダ祭儀の注釈書であるブラーフマナ文献が編纂された頃には既にサラスヴァティー河の下流域の水が枯れていた様であり、更に大叙事詩『マハーバーラタ』が編纂された頃にはサラスヴァティー河は砂漠に埋もれていた様である。
かかるサラスヴァティー河の所在地については諸説があり、例えば、アフガニスタン南部のヘルマンド川とする説とか北西インドである現在のパキスタンのパンジャブ地方やインドのグジャラート州辺りを嘗て流れていたガッカル・ハークラー涸河床とする説があるが、周辺の遺跡、人工衛星の画像探査、その他文献の記述からガッカル・ハークラー涸河床とする説が有力の様である。
その起原において河川の神格化であったサラスヴァティーは時代が下るとともにその性格が抽象化されて、その出自地であるサラスヴァティー河から離れ、河川で行われる祭儀の守護者、更には祭儀自体の執行を成就させる神となり、祭儀の成功を齎す神としての性格から敷衍されて様々な恩恵を齎す神として崇められる様になった。
又、サラスヴァティーは、ブラーフマナ文献において彼女が成功を齎すヴェーダ祭儀における讃歌の重要性との関連から言語の力を神格化した女神ヴァーチュとも習合して学問、弁説の神ともなり、サラスヴァティーは言語により神々の王インドラの精気を回復させたとされ、又、後世のヒンドゥー教においては、今日、サンスクリット語やヒンディー語の記述に用いられているデーヴァナーガリー文字を発明したと信じられるに至っている。