5 仏教におけるブラフマー
(一)原始・部派仏教時代
これまでも、度々、触れてきた様にブラフマーは仏教の護法尊としてはインドラと並んで最古参に属し、今日、ヒンドゥー教において一般的な四面像とは異なり、ガンダーラなどにおける出土品から、その当時、一面二臂の神として観念されていた事が伺える。その場合、ブラフマーは、神々の王であるインドラが王侯貴族を意識した身なりをしているのに対して、装身具の類を身につけず、髪を高く結わえ、髭を蓄えて合掌していたり、水瓶を持していたりする。かかるブラフマーの姿は、恐らくは、ブラフマーの子孫とされる聖仙(リシ)や彼等の子孫とされるバラモンの行者の姿を意識したものであろう。
又、『過去現在因果経』によれば、釈尊が誕生した際にはブラフマーは払子を手にして侍っていたとされるが、払子を手に執って仏に侍するブラフマーのイメージは、別述する通り、遠く日本に迄、伝えられる事になる。
その後、インドではヒンドゥー教勃興期に当たるグプタ朝時代において四面四臂のブラフマーの図像がスタンダートとして確立すると、当該図像のブラフマーがインドにおいて一般的に普及し、ヒンドゥー教のみならず、仏教においても導入された。この頃に確立された四面四臂のブラフマーは日本においては、別述する通り、主に密教において、そして特に護方神のグループである十二天の一員として見る事ができる。
これまでも、度々、触れてきた様にブラフマーは仏教の護法尊としてはインドラと並んで最古参に属し、今日、ヒンドゥー教において一般的な四面像とは異なり、ガンダーラなどにおける出土品から、その当時、一面二臂の神として観念されていた事が伺える。その場合、ブラフマーは、神々の王であるインドラが王侯貴族を意識した身なりをしているのに対して、装身具の類を身につけず、髪を高く結わえ、髭を蓄えて合掌していたり、水瓶を持していたりする。かかるブラフマーの姿は、恐らくは、ブラフマーの子孫とされる聖仙(リシ)や彼等の子孫とされるバラモンの行者の姿を意識したものであろう。
又、『過去現在因果経』によれば、釈尊が誕生した際にはブラフマーは払子を手にして侍っていたとされるが、払子を手に執って仏に侍するブラフマーのイメージは、別述する通り、遠く日本に迄、伝えられる事になる。
その後、インドではヒンドゥー教勃興期に当たるグプタ朝時代において四面四臂のブラフマーの図像がスタンダートとして確立すると、当該図像のブラフマーがインドにおいて一般的に普及し、ヒンドゥー教のみならず、仏教においても導入された。この頃に確立された四面四臂のブラフマーは日本においては、別述する通り、主に密教において、そして特に護方神のグループである十二天の一員として見る事ができる。
(二)インド密教
インド密教においてもブラフマーは仏教の護法尊として曼荼羅などに登場するが、単独で目立った信仰を集めた様子はあまり伺えない。この当たりの信仰の在り方はヒンドゥー教におけるブラフマーの等閑視といった事情が少なからず関係している様に伺える。
曼荼羅儀軌集である『ニシュパンナヨーガーヴァリー』では三種類の四面四臂像が伝えられているが、纏めると、以下の通り。
(ア)身色は黄色、又は白色で、右手は数珠、針、左手は蓮華、水瓶を有し、数珠と蓮華を有する手で合掌し、ハンサ鳥に乗る。
(イ)身色は黄色、又は白色、右手は数珠、傘、左手は蓮華、水瓶を有し、数珠と蓮華を有する手で合掌し、ハンサ鳥に乗る。
(ウ)身色は黄色、又は白色、右手は数珠、棒、左手は蓮華、水瓶を有し、数珠と蓮華を有する手で合掌し、ハンサ鳥に乗る。
尚、インド後期密教系の忿怒尊はしばしばブラフマーの首を手にしていたり、又、ヴァジュラバイラヴァの場合、他のヒンドゥー教諸神とともにブラフマーをその足下に踏みしめているが、かかる図像的表現は仏教教理的にはブラフマーに代表されるヒンドゥー教の教理や『ヴェーダ』の権威の否定を象徴しているものと思われるものの、成立の背景としては、やはり、その当時におけるヒンドゥー教と仏教との間の先鋭的な対立関係の存在、更にはヒンドゥー教に圧倒されつつあった仏教陣営の自らの優位性を主張する為と言う事もできる。インド密教の成就者の伝記集である『八十四成就者伝』にはブラフマーがナーガルジュナ(龍樹)を唆して自らの首を刎ねる様に仕向ける話が出てくるが、インド後期密教が行われた時代、仏教最古参の護法神であるブラフマーと言えども、上述の宗教事情を背景に、仏教との関係も友好的と言えなくなってきたのかも知れない。
(4)上座部仏教圏
上座部仏教圏において、既に度々述べてきた様に、ヒンドゥー教諸神は現世利益の神々として信仰されているが、ブラフマーもその例から漏れない。
ミャンマーの場合、図像的には四面二臂が一般的の様で、両手に各々持物を持していたり、合掌していたりしている。但し、ミャンマーの場合は護法神としての仏教寺院に迎えられ、単独で信仰される事はあまり無い様である。
ミャンマーの場合、図像的には四面二臂が一般的の様で、両手に各々持物を持していたり、合掌していたりしている。但し、ミャンマーの場合は護法神としての仏教寺院に迎えられ、単独で信仰される事はあまり無い様である。
タイの場合、ブラフマーはサンスクリット語のヴァラブラフマー(Vara Brahma)が訛ったフラフロム(Phra Phrom)と呼ばれるが、図像的には四面四臂、或いは四面八臂で、時として、そのヴァーハナであるハンサ鳥に乗る。
タイに関して特筆すべき点は、1956年にバンコクのホテルの敷地内に建立されたエーラーワン(Erawan)祠の本尊である四面八臂のブラフマーがその霊験で有名になると、ブラフマーは現世利益の神としてタイ国内において人気を集める様になった事であろう。タイにおいて人気があるブラフマーの図像は上述のエーラーワン祠と同様の四面八臂の法螺貝、数珠、書物、棒、水瓶などを持するブラフマーであり、当該図像のブラフマーはタイ人のみならず、東南アジアの華僑や中国人の間でも信仰を集めており、特に彼等の間では当該図像のブラフマーは四面仏と称され、東南アジアや台湾などの中国仏教寺院において祀られている事がある。
(5)チベット
タイに関して特筆すべき点は、1956年にバンコクのホテルの敷地内に建立されたエーラーワン(Erawan)祠の本尊である四面八臂のブラフマーがその霊験で有名になると、ブラフマーは現世利益の神としてタイ国内において人気を集める様になった事であろう。タイにおいて人気があるブラフマーの図像は上述のエーラーワン祠と同様の四面八臂の法螺貝、数珠、書物、棒、水瓶などを持するブラフマーであり、当該図像のブラフマーはタイ人のみならず、東南アジアの華僑や中国人の間でも信仰を集めており、特に彼等の間では当該図像のブラフマーは四面仏と称され、東南アジアや台湾などの中国仏教寺院において祀られている事がある。
(5)チベット
チベットにおいてブラフマーは、やはり、飽く迄、仏教の護法神として迎えられ、単独で信仰される事は殆ど無かった様である。チベットにおいて見られるブラフマーの図像はヒンドゥー教の標準的な図像と同じ四面四臂像も知られているが、寧ろ四面二臂像の方が、チベットの場合、よく見かける様である。四面二臂像の場合、ハンサ鳥に乗り、梵天勧請の事蹟を踏まえて両手で法輪を持していたり、或いは水瓶を持している図像がよく知られている。