釈尊が生きていた紀元前5世紀のインドはアーリア人とドラヴィダ人の混血が進み、バラモンの間においてもドラヴィダの宗教観念が入りつつあり、又、農業の生産力が向上し、商工業も発達して都市文明も発展しつつあった。かかる状況下において各地で共和制の国家や王政の国家などが登場し、相互に競合していたが、次第に強力な軍事力と豊かな経済力を誇る専制的な王国が強大化してゆき、やがて、周囲の弱小国家を次々と併呑していった。
上述の様に社会構造が大きく変動してクシャトリヤやヴァイシャが力を有する様になり、伝統的なカースト制の階層が揺らぐ様になると、古代インドにおいて嘗ての素朴なアーリア人の部族社会を背景にしていた聖典『ヴェーダ』の宗教的権威はそのままでは通用しづらくなりつつあった。
かかる時代状況の中で『ヴェーダ』に捉われない様々な思想が登場する様になるとともに、それらの思想の主唱者達は自説を公に発表し、互いに討論して交流を持った。仏教の開祖釈尊もその様な時代に登場した自由思想家達の一人であったし、ジャイナ教の開祖マハーヴィーラも同様であった。
仏典によると、この時代に登場した思想は62通りであったと言うが、それらの中でも有力な六つの教説を六師外道と呼んでいる。無論、此処で外道とは仏教以外の思想のことを指している。
さて、六師外道の一つにプーラナ・カッサパの教説がある。彼の教説は後述する主張により、道徳否定論とも呼ばれ、又、仏典では非業(アキリヤヴァーダ)と呼ばれている。
プーラナ・カッサパはスードラの出身と言われている。カッサパはバラモン系の姓であるから、母はバラモンの家系の者であり、父はスードラの出と見られる。彼はスードラとして主人に仕えていたが、ある時に主人の家から逃亡した。その際に衣服を奪われてしまい、以後、彼は全裸で過ごしていたとされる。『ダンマパダ』では彼は釈尊に論破されて自殺したと言い、又、『有部破僧事』では、現在、地獄にいるとされている。
さて、彼が説いたとされる教説は次の通りだったと言う。
霊魂は不生不滅の恒常的な存在であり、一方で道徳的因果律なるものは存在しないから、善業善果、悪業悪果なるものは有り得ない。それ故、人は如何なる行為によっても自身の霊魂はその影響を受けることはないと言う。
以上の事を踏まえてプーラナ・カッサパは、人は他人や他の生き物を殺したり、虐待したり、或いは虚言、略奪、強盗、姦通、追剥等の一般的に反道徳的、反倫理的と看做される如何なる行為を行ってもそれは悪を為したと言うことはできないし、又、祭祀、バラモンへの布施、克己、禁欲、真実語等の一般的に推奨される行為を行ったからと言っても善を為したは言えないとされる。
以上がプーラナ・カッサパの教説であるが、恐らく、彼の教説は道徳的虚無主義とでも言うべきものと思われる。一見、悪徳を推奨している様にも見れなくもないが、彼の教説は霊魂と業の関係を完全に分離することによって『ヴェーダ』の権威を正面から否定することに主眼があると思われ、その結果として上述の様な教説が導出されたと思われる。