平成最終日、平成時代とJRについて簡単に振り返る 第4話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

陛下のお言葉があり、平成もあと二時間ほどで終わり、新しい令和の時代を迎えようとしています。

一先ず、blogでも、JR時代と平成を振り返ると言うことで、変わったものについて、独断と偏見で書かせていただこうと思います。

 

昭和時代と比べて、平成時代で増えたと感じること

  • 優先座席
  • バリアフリー
  • 女性専用車両
  • 禁煙車
優先座席
優先座席は、国鉄時代のシルバーシート=高齢者の優先席から、高齢者に限らず、妊婦、負傷者など、優先的に利用できる要という意味合いで設定されたもので、阪急では全席優先席と言うことで、優先席を敢えて設けず、利用者の善意に期待したが上手く行かず、他社同様に優先席を、設けることとし、優先席はワインレッド色のモケットに張り替えているほか、他社でも優先席は、一般向けのシートと生地の色を変えるなどしていますね。
 
と言ったところでしょうか、
優先座席、バリアフリーに関しては、バリアフリー法【正式には、 高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律 】により、平成18年に制定された法律であり、この法律により、小田急HISE10000形は大規模更新時にバリアフリー対応が難しいとして廃車され。長野電鉄に譲渡されたのはご存じのとおりです。
実質17年ほどで引退したHISE10000形、
 
バリアフリー
平成18年の法改正で制定されたもので、車椅子での利用が行いやすいように、電車内に車椅子スペースの確保並びにトイレのバリアフリー対応、つり革などの高さや、色の配慮など、ユニバーサルデザインに配慮することが求められています。
ドアの開閉チャイムやドアの点字などガイド欄にはきめ細かく決められています。
 
女性専用車両
女性専用車両は、ラッシュ時を中心に運用される場合が多いですが、JR西日本ではロングシート車で、JR京都線。神戸線・宝塚線・阪和線・大阪環状線、ゆめ咲線は終日、大阪メトロでも、御堂筋線は、平日は終日、阪急は、京都線の特急【9300系使用車両のみ】平日は終日、それ以外は、基本的にはラッシュ時だけになっているようです。
埼京線のように防犯カメラまで設置する例は関西ではありませんが、女性専用車両は、男性利用者の協力もあるわけで、女性専用とは書かれていますが、体の不自由な男性及び小学6年生までの男子も乗車可能と各鉄道会社は表記しており、バリアフリーの一環で、利用を可能としています。
 
禁煙車
これが一番大きいかもしれませんね、 健康増進法 が制定されて、更に受動喫煙によるリスクを避けるためと言うことで、平成に入ってから喫煙者はどんどん追いやられていきました。
昭和時代、そして平成の初めの頃は、駅ホームではたばこの煙がモクモクと上がるような状況で、朝のラッシュ時を中心に禁煙タイムが始まりました、新幹線を含めて長距離列車にも禁煙車が、編成の中で2両から3両程度が設けられ、喫煙車の方が多かったのですが、年々禁煙席の方が多くなり、700系では、喫煙席が残っていますが、今年の改正で定期運用は2往復と言うことで、殆ど消滅した散っても過言ではないでしょう。今後はN700系の喫煙室が、唯一の喫煙場所にいなると言えそうです。
いずれにしても、喫煙者は肩身が狭い思いをしていますね。
 
さて、それでは引き続き独断と偏見で、平成になって激減したものを見ていきたいと思います。
 
少なくなったもしくは絶滅危惧種と言われる車両、サービス
筆頭は、
寝台列車
昭和62年、JR発足当時は、九州寝台特急も減ったとは言え、関西からも、「なは」、「明星」、「彗星」、「あかつき」と言った寝台列車が走っていましたし、東京からは、「さくら」、「はやぶさ」、「みずほ」、「富士」、「あさかぜ」、「瀬戸」、「出雲」、そして殿には、急行「銀河」が下っていました。
特に食堂車の改装など、魅力ある列車にするための工夫が国鉄末期から行われており、寝台列車の魅力化はピークに達していたと思いわれます。
しかし、新幹線の本数の増加や「のぞみ」運転開始に伴うスピードアップで、夜行寝台車の利用が低迷、また分割したことにより、寝台列車を新製しても、自社の走行区間が短いと運賃収入が少なくなると言うジレンマもありました。
また、上手に育てれば発展すると思われた、カートレインが頓挫、これJR九州の運転区間が下関から東小倉間であったことから、JR九州の取り分が極端に少なく、積卸の手間としての別途手当が入ったが、仕事量と比べて収入が少ないことからJR九州は難色を示し、結果的にカートレインが育たないまま消えていく運命となりました。
歴史にIFはありませんが、国鉄の分割が行われず、旅客会社が1社で行われていたとしたら、九州ブルトレもここまで衰退することはなかったであろうし、カートレインは成長して寝台列車の新しい形で育っていた可能性は十分有ったかと思います。
現状を考えれば、いくら寝台列車の可能性はあると声高に叫んでも、クルージングトレインのような形でしか残していけないように思ってしまいます。
 
他にも色々書きたかったのですが、まだまだ終わりそうにないので、また別の機会にでも書かせていただきます。
 

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日本国有鉄道研究家・国鉄があった時代

 

 

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