鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

昨日に続き、少し書き加えさせていただきます。

電気通信省が、省庁という枠から、公社という組織を目指した点は省庁としての組織よりも、公社への移行が優位制があると判断したわけですが、国鉄と電電公社では一番大きな違いが一つありました。

更に興味深いのは、電電公社と政府の距離感にもあったように感じます。

その辺りを中心に解説していきます。

 

公社化を目指したのは、電話業務の近代化

 

電気通信省が、あえて省庁から公社へと舵を切ったかというと、加入電話サービスの積滞( 電話サービスの滞留 )に関する課題を解決するため(当時は申込みから半年、長いと1年以上かかることもあった)をいかに早く解決させるかという問題がありました。
今では各家庭に固定電話ではなくスマートフォンしか持たないという人も増えていますが、昭和時代は自宅に電話が1台というのが一般的でした。それでも、昭和40年代初頭(1965年頃)では、電話が設置されていない家も存在したのです。

 

民間企業であれば、需要があれば市中から借り入れてでも設備投資するなどして事業を発展させて行きますが、省庁の場合は予算ありきで動くため、限られた予算の範囲でしか電話工事も交換機などの更新工事もできないと言うジレンマがありました。

 さらに、電話業務は非常に独占性が高く、他社が介入することは有りませんでした(実際に交換機への接続などは電電公社民営化まで認められていなかった)。

 このように、電電公社は国鉄が他の交通機関【私鉄、バスやトラック】と競争しなくてはならないのに対し、電電公社の事業は郵政事業同様に独占性の強い事業だったのです。

そこで、電電公社としては、より柔軟な資金調達という部分だけに注目し、自ら公社化へのカジを切ったのです。

独立採算性が求められる反面、独自の資金調達が可能なこと、さらに、国鉄と異なり先ほども申し上げたとおり、独占市場であったことから、自由度は大きくなるのでした。政府保証の電電債券を発行できることで独自の資金を集めることができる点も特徴としてあげられるでしょう。
実際に昭和27年に公布された、日本電信電話公社法法律第二百五十号(昭二七・七・三一)では、第62条で「電信電話債券を発行することができる」というメリットを受けることができたのは大きかったと言えます。
 (借入金及び電信電話債券)
第六十二条 公社は、郵政大臣の認可を受けて、長期借入金若しくは一時借入金をし、又は電信電話債券を発行することができる。
こうして、電電公社として公社化したことで、電信電話債券の発行などで、より柔軟な運営ができるようになったのです。

 

公社が発行する債券は、大きく分けて二つ

 

公社が発行する債権は、公募債と非公募債に分かれ、非公募債の一つに、 加入者電話債券が有りました。

これは、電話加入者が電話設置の権利を得るために購入が義務付けられたものです。

さらに、一般の公募債は、長期が10年、中期が5年・7年というものがあり、他にも割引債というものもありました。

割引債は最初から利息分を差し引いた金額で販売するもので、例えば10万円の割引債券であれば、1年の利回りが10%であれば、9万円支払えば一年後に10面円が返ってくるといった債券でした。

 

電電公社はライバルがいない独占事業

 

昭和30年代には、トラックの台頭や、ローカル線においてはバスの進展で、国鉄のローカル線ではトラックに近距離輸送の荷物を奪われ、旅客輸送においても並行して走るバスにその足を奪われることで、ローカル線の果たす役割は大きく減少していった。国鉄は他の交通機関との競争を余儀なくされ、さらに初期投資の大きい鉄道建設などの費用も自前で拠出しなければならなかった。運賃でまかなえない部分は鉄道債券の発行などで行わなければならなかったことと比べると、電電の場合は、基本的にライバル企業と言えるものが存在せず、完全な独占企業であったことも注目すべき点であったかもしれません。

しかし、実際には経済の発展に伴い電話の設置要望は増大していくこととなり、その資金を確保するために導入されたのが、電話加入権とも言うべき、 加入者電話債券だったのです。

昭和35年には 「法律第64号(昭三五・四・二八)で、電信電話設備の拡充のための暫定措置に関する法律」が施行され、

法律第六十四号であり、その目的として

第一条には、以下のように書かれている。

 

第一条 この法律は、加入電話、加入電信等に係る公衆電気通信役務に対する国民の需要の急激な増加に対応し、加入電話又は加入電信の加入契約の申込者等による債券(日本電信電話公社法(昭和二十七年法律第二百五十号)第六十二条第一項の規定により発行する電信電話債券をいう。以下同じ。)の引受けに関する暫定措置を定めることにより、当該役務に係る公衆電気通信設備を急速に拡充するための資金を調達して、すみやかに国民の当該需要を充足し、もつて公共の福祉の増進に寄与することを目的とする。 

 

当初は昭和48年3月31日までの時限立法であったが、その後延長され、最終的には昭和58年3月31日に廃止されている。現在では考えられないことだが、こうした加入者に半ば強制的に債券を買ってもらい、その資金を原資とする方式を採用したのです。 


電電公社と郵政省

 

電電公社と郵政省はGHQによる郵電分離が最初のスタートであることから、国鉄や専売と同じ土俵でスタートしたいません。さらに電電公社の場合は、当然のことながら公社のメリット・デメリットを十分に理解した上での判断であったことは間違いなく、政府に対してもうまく立ち回っているようにも見えます。

前述のとおり、**法律第六十四号(昭三五・四・二八)**で「電信電話設備の拡充のための暫定措置に関する法律」を成立させたことで、資金調達に関する法律を制定できたことが挙げられます。

この法令では、第2条第1項に以下のように記述されています。

    (加入電話加入申込の場合の債券の引受け)

    第二条 加入電話の加入契約の申込み(三十日以内の加入期間を指定してするものを除く。以下「加入電話加入申込」という。)をした者は、日本電信電話公社(以下「公社」という。)がその加入電話加入申込につき承諾の通知を発したときは、公社が定める期日までに、次の各号の区分に従い、それぞれ各号に定める額を払込額とする債券を引き受けなければならない。

加入申込者に対して強制的に一定額の債券を引き受けさせており、これにより機器類の更新のための費用を自前で確保できたのです。

国鉄が、運賃収入の中から、ひいては民有車両方式を採用して不足する車両の調達を図ったり、市中での鉄道債券の発行などで賄ったことなどとは異なる方式でした。

国鉄が、当時何かにつけて国鉄一家と行って政府からも疎まれていたようにも見受けられ批判に晒されている中で、電電公社に対してはさほどの反発はなかったように感じます。

さらに、これは主観でしかありませんが、電電公社が通信事業を独占する中で、加入電話の積滞解消を第一の目標にしたこと、さらには交換機の更改とダイヤル即時通話化などの目的を達成するためだけに注力してきた点はある意味選択と集中という観点で見たときに成功したと言えそうです。

 国鉄の場合は、1960年代までは陸上輸送においてほぼ独占状態を維持できたものの、その後は並行する道路整備などで、その競争力を低下させていったことを考慮するとその差は大きいと言えましょう。

加えて、郵政省と電電公社の関係は、監督庁が郵政省でその配下の非監督者が電電公社という形式であるとは言え、現業としての内容は大きく異なっていたのに対し、国鉄の場合は自らの鉄道輸送業務のみを行っており、運輸省は鉄道局として私鉄の監督更には道路に関しては、陸運交通、航空・船舶といった他の交通手段との連携’【運輸省との連携】が行いやすい環境であったにもかかわらず、その辺の連携がうまくいっていなかったように見えます。これは、国鉄という組織が、戦前の鉄道省時代からのイメージから抜けきれずに、鉄道省時代のようなイメージで接していた(政府に対して第二運輸省的に振る舞っていた)ことで鉄道輸送に関してもそのカラー強く出たように考えられます。

 

 


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