鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

国鉄が高速バス事業に参入することを認めさせた石田禮介総裁

 

元々、国鉄バスの目的は、主にローカル輸送が主体であり、その主な目的は以下の通りであるとされていました。

  • 先行・・・鉄道路線を敷設する計画がある区間において、鉄道が完成するまでの暫定的な交通手段として国鉄バスを運行すること
  • 培養・・・ 旅客や貨物を集めることを目的に、鉄道駅から離れた町と鉄道駅を結んだもの
  • 短絡・・・ 鉄道利用では遠回りとなる2駅間にバス路線を設け、ルートの短絡を図ったもの
  • 代行・・・ 鉄道路線を敷設する計画がある区間において鉄道としての採算が見込めないことから鉄道の代わりとして運行するもの

と言う四原則がありました。

国鉄では、昭和34年(十河総裁時代)に国鉄ではこれ以外に、「補完」という概念を国鉄バスに与えようとしました。

補完は、将来的な高速道路などが誕生したときに、鉄道を補完するものとして国鉄バスにその役割を担わせようとしたものでした。

 

民間のバス事業者が名神高速道路の高速バス事業免許を申請

名神高速道路は、日本初の本格的高速道路として、1963年(昭和38年)7月16日の名神高速道路 栗東IC~尼崎IC間(71.7 km) が開業しますがこの時に、私鉄各社の思惑で、高速バスの参入の請願がなされたことから、 運輸審議会の公聴会が実施されることとなりました。
私鉄各社は、国鉄が高速バス事業に参入するのは民業圧迫であるとして反発しますが、石田禮介総裁は、昭和34年に十河総裁時代に、政府に対して、「補完」という国鉄バスの新しい役割があることを認めさせていますので、一歩も譲らず。

国鉄の民業圧迫というのは、私鉄の勝手な言い分であるとしてこれを断固拒否した結果、以下の三社による運行と言うことで落ち着くこととなりました。

ここでの、石田禮介総裁の一歩も引かぬ態度が、その後国鉄バスが高速バス事業に参入することの足がかりとなりました。
仮に、ここで腰砕けになっていたら、国鉄は高速バス事業に参入することは出来なかったといえます。
こうして、最終的には、以下の二社が民間のバス事業者として認められることとなり、ここに国鉄を加えた三社が、高速バスを運行することになりました。

  • 名鉄系(名古屋鉄道・阪急電鉄・京阪電気鉄道・近江鉄道)が出資して設立された、日本急行バス
  • 近鉄系(近鉄・南海・阪神)が出資して設立された、 日本高速自動車

これにより、国鉄はこの後高速道路には、国鉄バスによる「補完」と言う役割が与えられたわけですが、この高速道路が結果的に地方ローカル線を窮地に追いやる結果となり、国鉄では国鉄バスによる新規路線開設を見送った例もありました。

 

国鉄が高速バス開発を支援することとなった

国鉄では、昭和34年頃から高速バスの参入を目指して高速バスを開発しており、民間バス事業に先行して車両メーカーと車両を開発していたことになります。

国鉄の求める仕様はかなり高いスペックでしたが、その結果バス全体の技術の底上げを図ることになりました。
当時の国鉄は、鉄道車両もそうですし、バスに対しても独自の仕様を求めた(当時の基準ではかなりのハイスペック)ことで、自動車業界全体の底上げを図ることが出来ました。


 

参考になるblogが有りましたので、リンクを貼っておきます。

併せて是非ご覧くださいませ。

 

 

 

 

国鉄線 昭和38年8月号から引用させていただきました。
バスは、昭和37年に試作された、いすゞBU20PA改の国鉄専用の形式のようです。

 

続く

 

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