分割民営化前後の国鉄からJR その流れを眺めてみる。第2話 | 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

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福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していきます。
随時更新予定です。

JR各社1年目の決算

参照した資料は鉄道年鑑1989年版によりますと、昭和62年4月から63年3月までの輸送実績ならびに決算表が出ていました。

交通年鑑 1989年版 P58 JR関係から引用

 

上記の表を元にグラフ化したのが以下

昭和62年度新幹線実績昭和62年度在来線輸送実績

新幹線を持つ本州会社は、3社とも新幹線の輸送量は計画を上回ったものの、在来線は西日本だけが計画にわずか届きませんでしたが、新幹線での東海の実績が計画よりも10%以上伸びているほか、東日本では在来線の輸送実績が、5%程上回っています。

この要因として、新幹線利用が増えた背景にはバブル期に入り活発な経済活動で人の移動が多かったことが窺えます。
こうした好調な輸送実績を経て、JR各社の決算は度のようであったのか、更に見ていきたいと思います。

決算表ですが、いわば企業の通信簿なのですが、これで見ると東海と西日本双方、営業損益ベースで見ると5億円程度しか変わらないわけです。
東海は新幹線で殆どの収入を叩き出しているのに対して、西日本は在来線、それもローカル線が多く、新幹線の輸送量で見れば東海の半分ほどしかありませんので、かなり不利と言うことになります。

その上、営業外費用が東海と比べると西日本がかなり大きいわけで、東海の232億円に対して、西日本は717億円となっています。
この理由は営業距離というスケールの差で、西日本も東日本同様に営業距離が長くその割り振りで長期債務が多くなると言う結果となったわけです、その反面。JR東海も西日本も新幹線は自前の財産では無く、新幹線保有機構の資産であり、JR各社はリースで借りていると言う形となっていました。

この方式では、JR東海は不利になるものの。輸送量が少ないJR西日本や、昭和57年に開業したばかりの東北・上越新幹線を有する東日本にしてみればリースになることで、負担が軽くなることから有利となり、経営の安定には寄与するとされていました。

当初の計画では、30年間保有機構が新幹線を保有し続けることで、JR各社の輸送量によってリース料が3年ごとに可変する事となっており、東海はリース料の負担が大きいとは言え長期債務の負担が少なくてすむという結果となりました。
東日本が、首都圏という非常に大きな基盤を持っていたのに対して、発足当初の西日本では近畿圏特に東海道・山陽区間が主な収益源であり、USJも開業していませんので今よりもアーバンネットワークと呼称する区間の輸送量は遙かに小さなものでした。
西日本が、各社が新車として特急車両を開発したのに対して、西日本が221系電車を最初に導入したのは、そうした危機感の表れでもありました。

新幹線保有機構とは?

 

新幹線保有機構は、JR各社の収益調整装置的な要素があったもので、JR発足当初はJR各社は新幹線を運用するものの、新幹線事態はJR各社の保有ではありませんでした。
JR東海を例に取れば、新幹線車両はJR東海へ帰属していますが、「東海道新幹線」は、JR東海の保有では無く新幹線保有機構から借りているリース物件と言うことになります。
ただし、日常のメンテナンス(線路等の補修もJR東海が行う)は旅客会社が行うこととされていましたし、下図を見ていただくと判りますがリース料の総額は決められており東北・上越新幹線、東海道新幹線、山陽新幹線全てで一つの新幹線のリース代として計上しており、総額は変わらないものの輸送量の増減に応じてリース料の割り振りが3年ごとに変更されるされていました。
当然のことながら、東海の輸送量が増えればその分東日本・西日本は軽減されることになり、収益調整装置として働くこととなります。

当時の運輸相の感覚では、国鉄(新生JR)の株式上場は難しいだろうというのが当初の思惑でしたので、そうした収益調整装置を設けることで、大きく設けることも無い代わりに赤字を出さないようにして貰うという思いは強かったと考えられます。

更にこの話は続きます。

 

 

 

こちらでも、新幹線保有機構のお話をさせていただいておりますので、併せてご覧くださいませ。