鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していこうと思います。

随時更新予定です。


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前回は、トラック業者が荷物輸送と一緒に寝台車で人を運んだらと言うことで、
「トラック便に代わる列車の運行会社は・・・旅客会社ではなく貨物会社になるんでしょうかね。
さらに、こうした場合の車両の保有は・・・ヤマト運輸等の運送会社が保有するなんてことになるのでしょうか。 ?」
等と言う妄想物語を書かせていただきましたが、今回は、仮に新幹線で夜行寝台列車が走ったらと言うことでお話をさせていただこうと思います。
今回のお話は大いなる妄想と言うよりも、実際に十分可能性はあるのではないかと言うことで書かせていただきます。

実は、16日の朝日放送のキャストと言う番組で私が少しだけ山陽新幹線で夜行新幹線の計画がありました…と言うお話をさせていただきました。

朝日放送CAST 「なんでやねん」のコーナーでお話をさせていただきました。

全国新幹線網構想が出来た頃には、961形と呼ばれる新幹線の試作車が昭和47年中に製造されています、この車両で検討されたA個室寝台などは車両限界の大きさを活かした車両であり、30年前の設計ですから見劣りするとはいえ今でも十分使えるアコモデーションでした。

開放式B寝台車は現在の生活レベルでは敬遠されてしまいそうですね。
ここからは、大いなる妄想がスタートするのですが、JR東海はその運用に対して全列車同一定員を基準にしているため、こだま・ひかり・のぞみともに、同じ編成が投入されますし、車両不具合などの場合列車差し替えなど迅速に対応できる仕組みを構築しているため、そこに寝台列車を導入することは、定員を含めて問題となるため難しい問題があります。

と言うことで、現状では東海道区間での運転は難しいであろうということになります。
ただ、夜行バスの隆盛を考えるとき、夜間移動の需要は全くないわけではなくある一定数は存在していいます。

また、運転時間が4時間程度であれば昼行の選択肢がありそれ以上の運転時間になると夜行運転への需要が高くなると言われています。
例えば、新大阪から鹿児島中央までは約4時間なので、新幹線の出番はないかもしれませんが仮に、東京~鹿児島中央までであれば6時間半であり、仮に東京まで直通する新幹線であったならば夜行新幹線が成り立っていたかもしれません。

ということで、仮に東京を21:23に出発する、最終のぞみが23:45に新大阪に着きますので、それを受けて西明石・姫路・相生・岡山に停車させる、上り列車は広島・新岩国辺りで停車してと言うのは不可能でしょうか。

特急「みずほ」が新大阪を6時に出発して鹿児島中央に9:53に到着するわけですから、鹿児島中央に遅くとも9:00までに到着する仕組みが出来れば良い訳です。

現在は、新大阪6:20の大阪空港行きバスに乗れば、鹿児島中央駅には最速で9:18に到着できるわけで、それより早く到達できれば十分メリットはあると思われますし、実際に鹿児島まで高速バスが走っているわけですから、利便性が高まれば十分需要は見込めると思われます。

現在の最終列車を0:00までに終着駅に到達することを30分程度繰り下げて0:30まで許容し、始発も30分早めて5:30からの運行が可能であれば、最終の「のぞみ」を受けて出発する寝台列車は明石で停車、23:55発で0:18に西明石に到着できますので、ここで5時間ほど運転休止、バッテリーに空調等の最低限の機器のみを動かすことで集電による発熱を抑えることが出来れば、大きなシステムの変更等は必要なくなるかと思われます。

5:30に西明石を出発してあとは「みずほ」のダイヤに乗せて鹿児島中央には8:53に到着
同じようなパターンで、姫路・相生・岡山・広島で停車する列車を設定(広島停車の列車は日によって岩国停車することで、広島駅の構内の保守を行う。同様の理由で西明石が線路保守する場合は姫路の13番線を利用することで冗長性を持たせる。

姫路駅 12・13番線ホームを活用して夜間滞泊、滞泊時はパンタグラフを降下してバッテリーによる給電を行う

こんな案はどうでしょうか。

システム的にはATCの改修等は必要になるかもしれませんが、東京を21:23の最終にのれば翌朝の9:00までには鹿児島中央に到達できるわけで、飛行機以外の選択肢として十分可能性はあるのではないだろうか。
もちろん、本来であれば東京から乗換なしで鹿児島中央まで乗車できるのが理想であるが現状のシステムを大幅に改変できないことを前提で考えればこの方法が可能性として一番あるのではないでしょうか。
なお、車両の編成等については簡単に書かせてもらえれば、現行のN700系をベースに8両編成、3両は指定席、残り5両のうち1両がA寝台個室(1人用ルーメット方式(東京~大阪間を走り出したオール個室式夜行バスのようなイメージ))と2人寝室、ロイヤル等を設置した車両が2両、残り3両がサンライズ出雲のシングルタイプとしますが、新幹線の広めの車両幅を活かしてゆったりとした構造にするのもありかもしれません。場合によっては自由席を含めて寝台の数はもう少し少なくとも良いかもしれません。
寝台車の数が少なくなればなるほど、昼間帯での運用がやり易くなります。
寝台車は夜寝るためのものと言う発想を捨てて、外国からの帰国で時差による体内時計が狂っている人たちには、車内で寝台移動と言うのはある意味理にかなった方法かもしれません・・・。

関連 http://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/e/88fea04f4b8febbc533b81e44b13ef72 

まぁ、あくまでもできたらいいなぁ・・・ということで、大いなる妄想としてお楽しみくださいませ。
 

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先日は、思い切ってこんな形で列車を分割したらと言う話に沢山のコメントをいただき、ありがとうございました。

本日も大いなる妄想としてお付き合いいただければと思います。

国鉄時代の昭和50年代の時刻表などを参照しますと、それこそ地方都市にも多数の夜行列車が走っていたことが伺えます。
もちろん。夜行バスが発達していなかったという理由もあるのですが、特に地方都市などで寝台列車が残り得た背景には、荷物輸送や郵便輸送の関係がありました。
逆にそうした輸送需要が有ったので夜行列車が残り得たともいえます。
勿論、東海道区間などでは、荷物専用列車が別途建てられていました。

昭和50年3月 岡山駅にて撮影の荷物列車

さて、前置きが長くなったのですが、仮に再び寝台列車なり、夜行列車を地方に向けて走らせ
るのであれば、地方への荷物輸送をトラック便から鉄道に代えてもらうと言う形が一番でしょう。
実際に、佐川急便の専用特急のように鉄道によるモーダルシフトは行われているわけですから、区間によってはこうした専用列車に寝台車なり座席車を連結してみるというのもありかもしれません。

画像 Wikipedia
例えば、ヤマト運輸専用列車に何両か寝台車を連結してもらう・・・。
このままだと、乗客は貨物駅から乗ることになるので、旅客駅を経由してもらう・・・なんてことになれば夜間のドライバー不足と寝台列車の復活は可能になってくるかもしれません。

トラック便に代わる列車の運行会社は・・・旅客会社ではなく貨物会社になるんでしょうかね。
さらに、こうした場合の車両の保有は・・・ヤマト運輸等の運送会社が保有するなんてことになるのでしょうか。

ただ、これを実現しようと思うと、旅客会社に対してJR貨物のように参入できる仕組みを作る必要があるかもしれませんね。
まぁ、その辺は今後また自分なりに色々と妄想させていただきますね。

オープンアクセス自体も日本では問題が多くありそうですから・・・。(>_<)

あくまでも、大いなる妄想としてお楽しみくださいませ。
 

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今からお話しするのは、はっきり言って荒唐無稽なお話であることをお断りしておきますが、本気で寝台列車を走らせるべきだと言うのであればこうした想定外の話が有っても良いのではないかと思っています。
正直、新宿バスターミナル等を見ていますと夜間帯などではそれこそ5分おきぐらいに東北方面・信越・北陸方面、そして関西方面などに出発する高速バスを見ることが出来ます。

まぁバスよりも鉄道の方が沢山乗れるから効率的だという意見もあるのですが・・・考えてみれば東京~大阪間のバス全体の本数で考えればなるほど夜行列車として十分な需要はあると思うし、最近になって東京~大阪間で完全個室の夜行バスが運転を開始したということでJRに寝台列車が復活したらそれなりの需要も開拓できるかもしれませんが・・・。

全体で見ればどうでしょうか。
バスターミナルも新宿以外にも池袋・東京・秋葉原から出発するものがあり、終点も大阪行きのバスで限定してみても、大阪駅(梅田界隈)湊町・難波と言った具合に分かれます。

また、大阪方面のバスの場合ここからさらに和歌山・堺方面であったり、USJであったり…と細かく分かれます。

バス定員が40人の4人乗りバスとしても、東京~大阪間は満員であったとしてそれ以外の末端区間まで満員とは考えられません。
そうなってくると、新しい形で寝台列車なり夜行列車を考えようと思えば、下記のような編成になってくるのではないでしょうか。

12両編成 東京発大阪行き。
実際には、大宮始発湘南新宿ライン経由と成田始発・さらには舞浜駅始発の3編成を最終的に横浜で併結して西下、関西では京都駅で切り離して2両は定期列車に併結して奈良に、2両はそのまま京都から山陰本線を下って城崎・舞鶴まで、残り8両のうち4両は新大阪で切り離してそのままUSJに、残り4両は大阪駅を経由せずにそのまま関空まで・・・こうした多層階建ての夜行列車が出現したらバスからの転移並びに新たな需要の開拓は可能かもしれません。
ただし、こうした形になると1列車当たりの定員が小さくなるので寝台車としての運行は難しいと考えております。

まぁ、あくまでも妄想ですからね。
ただ、今回東武が提案した新型電車がこの考え方に近いんですね。
しかし・・・。こうした考え方は実は50年以上前に多層階建て列車として非電化区間の国鉄では普通に実施されていました。
その後、ダイヤが見dレた場合の問題や、分割併結の手間がかかると言った理由から減って行ってしまったのですが、これが結果的に鉄道の利用者に対してバリアを作ってしまったと言えそうです。

最近では分割併合も電気連結器等は連結を自動化出来るのですからその辺を含めてもう一度考えるべき時期に来ているかもしれませんね。
 
あくまでも、歴史のIFと言うことでお楽しみくださいね。

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堺筋線は皆さんもよくご存じのとおり、天下茶屋~天神橋筋6丁目までを結ぶ地下鉄路線であり、大阪市営地下鉄では唯一パンタ集電による鉄道として建設されています。
過去の回想記などによりますと、南海電車との直通乗り入れも検討されていたようですが、諸般の事情で結局は阪急と大阪市営地下鉄の乗り入れとされて現在に至っていますが、仮に南海電車との乗り入れが合意されていたとしたら・・・おそらくその際は、阪急千里線を改軌の上接続させていたのではないかと言われています。
実際、阪急もそこまで検討していたかは、私自身調べきれていないのですが、可能性はあったかと思います。
淡路駅も線路配置が変わっていた?
仮にそうなっていたら淡路での線路配置も大きく変わっていたかもしれませんね。現在のように梅田行きと天下茶屋行きが交互に北千里・高槻方面から走っていなかったわけですし、淡路駅の構造ももう少しシンプルになっていたかもしれませんね。

淡路駅の光景も変わっていたかもしれません。

さて、ここからかなり妄想を?働かせて・・・、もし南海電車と阪急電車が直通で走っていたらどうなっていたでしょうか。
19m級専用車両が誕生していたかも
想定される乗り入れ区間は、北千里~堺東 北千里~堺 辺りでしょうか。
阪急の車両が、堺東なり堺に乗入て、南海の6001系なり7001系が千里山まで乗り入れていたのでしょうか?
ただ、阪急は19m3ドア、南海は21m4ドアですから、ドアの位置が全く異なることとなるので仮に実現していたとしたら、南海電車に19m3ドアの専用電車が誕生していたかもしれませんね。

南海電車が堺筋線に乗り入れて北千里まで走っていたら・・・。

大阪万博が開催された1970年には意外と堺からの直通利用が多くて・・・御堂筋線の混雑緩和に役立ったなんてことになっていたかもしれませんね。
その後は、泉北航走鉄道の開通に伴い、一部電車が直接泉北高速に直通、1974年(昭和49年)頃には、朝のラッシュ時は、栂・美木多駅始発の電車は、半分は難波へ半分は堺筋線を経由して天神橋まで乗入ていたかもしれませんね。
それに伴い、泉北高速の車両は阪急に準じた19m標準車体で3ドアと車が誕生していたかもしれません。

画像 Wikipedia 泉北高速

もちろん、歴史にIFはありませんし、現状ではフリーゲージトレインによる地下鉄車両(その経済性が一番の問題ですが)が誕生しない限り、堺筋線と南海電車が直接乗り入れることは不可能ですが。
仮に、建設当時阪急と南海、大阪市営地下鉄の合意が得られて阪急は千里線の改軌を行い、南海電車も昇圧を早めて、この時期に併せて行っていたら・・・。
今の堺筋線、更には廃止になってしまった天王寺支線なども変わっていたかもしれませんね。

以上 大いなる妄想でした。

阪急京都線の車両は18.9mですが、あえて18mと表現しておりましたが、誤解を招く表現でしたので19mに変更させていただきました。
なお、南海電車も連結面間20.7mですので21mと表現させていただいております。

あくまでも、歴史のIFと言うことでお楽しみくださいね。

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私が三江線問題で本格的に活動を開始したのは、昨年の7月6日でした。

地元の方とのチャットの記録がありましたので間違いないでしょう。

こうした意味では、ログが残っていますので、それを参考に今一度私の考え方を整理していこうと思います。

 

当時のチャットのログをベースに一部文言を加工してアップさせて順次アップします。

最初は。7月6日、地元の方とのお話の中で書かせていただいた内容です。

 

当初から、残せますよ・・・的な発言ではなく。

>地元でどこまで残したい、もしくは残すべきなんだという世論を起こせるかなんです。 

ということで、地元の意識が高まることを強く期待しておりました。

本人も直接、議員さんなどにも意見を聞いてみようと質問状を送ると言っておられましたが、実際に送ったか否かは不明です。

 

さらに私からにアドバイスとして、下記のようなアドバイスをさせていただきました。

 

江津市が実は三江線の場合大きなキーになると思うんですね。 ただ、江津市は三江線の存続に関してはかなり消極的だと思われます。 それは、江津市は一貫して道路整備を国に求めてきており、特に江津市を通る山陰道(山陰自動車道)が通っていますから、どうしても関心はそちらになってしまう。 その反面、川本町や美郷町は高速道から大きく離れているため、三江線の問題は非常に大きな問題なんだろうと思われます。

逆に、邑南町は町内に山陰道のICがありますから、そこを中心に考えればよいので、あまり熱心にならないと考えています。

 

なお、上記の根拠としたのは、下記の資料です。

道路政策・道路整備に関する意見書(江津市) 国土交通省

http://www.mlit.go.jp/road/ir/ir-douro-keikaku/iken/by_pref/pdf32/871394.pdf

 

実際に、川本町や美郷町は三江線の廃止問題は大きな問題であると言う回答を後にいただいています。

 

また、予想通りと言いますか、邑南町は最初から、協議会に任せてあるから関係ないよと言う電話をいただきまして・・・・。

前途多難だなぁと思わせてくれたものです。

 

この時点で、私は三江線の存在を知っていましたが、実際に乗車したことが無かったため、先ず資料を作ろうと思い、島根県や各町村が公開している人口統計などを参考に、駅付近の人口を推測していくこととしました。

まぁ正直簡易なものでお恥ずかしいのですが、下記の図のように

駅ごとの沿線人口を5歳階級別に分けてさらに、0-15歳 16-64歳 65歳 75歳以上 85歳以上の5つのグループに分けて比較してみました。

そうすると地域によって、三江線と言うより公共交通の必要とする内容が異なることに気付きました。

20m以上の天空の駅舎、宇都井駅がある地区の人口分布をみると15歳以下が殆どおらず、65歳以上の高齢者と呼ばれる人たちが3/4を占めているわけです。

逆に言えば、安易に観光に使えるよと言っても、その前に地元の人口構成を考えれば、低床式のバスかもしくは家の前まで迎えに来てくれるジャンボタクシーの方が、宇都井駅沿線の人にしてみればより使い勝手が良いのではないかと言うことが判るわけなのですが、現在の鉄道存続派の意見を聞いていますとこうした視点が全く抜けているのかなと思ってしまいます。

 

そこで、私としては最後に、下記のようなメッセージを送っています。

 

あくまでも、大事なのは地元でどこまで残したい、もしくは残すべきなんだという世論を起こせるかなんです。 ということで、川本町や美郷町には、知り合いはいませんか? そうした方を通じて、町議会議員なり町長とコンタクト取れませんか?

まぁ、残念ながらコンタクトをとるための知り合いがいないということでしたので、直接川本町についてはアポイントを取って伺ったことを記憶しています。
川本町に行くと今度は、美郷町に三江線を利用して移動するのが困難となってしまうため未だに訪問で来ていません。

 

ただ、今後のバス化に関する考え方などを直接聞いてみたいと思っているので、一度機会を見つけて行って来ようと思っています。

 

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