鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

福祉と公共交通の視点から、鉄道のあり方を熱く語る?
blackcat こと加藤好啓です。
現在の公共交通の問題点などを過去の歴史などと比較しながら提言していこうと思います。

随時更新予定です。


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JR東日本がツァー形式とはいえ寝台列車を復活させたことで俄然鉄道ファンの間では再びカシオペアの定期運行並びに寝台列車の増備と言った意見が出ています。
鉄道ファン的には楽しい話ですが、現状を考えると寝台列車の在来線での増備は今後ともすぐには考えられないでしょう。
本当に夜間移動の需要があるので必要ということであれば、むしろ北海道新幹線にこそ夜行寝台列車を走らせてはどうだろうか。

現在青函トンネルは、新幹線と貨物が線路の一部を併用して使っていることもあり新幹線ですら140km/hしか出せないと言う問題を生じています。
また、整備新幹線として建設した区間が260km/hに抑えられているため300km/h以上で走行できる新幹線の性能をかなり殺して走っています。

そこで、ちょっとまたまたお得意の妄想を働かせてみたのですが・・・。(^^♪

案外こちらの方が、実現のハードルが低いかもしれません。

それは、新幹線で寝台列車を走らせようというよくある発想です。笑
ただ、新幹線で寝台列車という話になると、最高速度で走って途中の駅で停車すると言った意見が多いのですが、逆転の発想で200km/h程度の速度で夜間も走行することで駅での滞泊をクリアする方法を考えてみたいと思います。
もちろん夜間保守の関係もあるので、区間・時間等によって停車駅などが変更になることは有るでしょうが、基本的には新幹線が夜間も走行する。
ただし320km/hではなく160km/hから200km/h程度の速度で夜間帯は走行するというものです。

幸いJR東日本ではE1系やE4系を開発したノウハウを持っていますので、そうしたノウハウを基に新しい発想の寝台列車を開発しても良いのではないだろうか。

例えば、バリアフリー法に合わせるために1両は平屋室を設けてやるほかカーペット車などとする、更には余裕の車内高を生かして上下階に2段式寝台を設けたエコノミー寝台車や座席車、さらにはスイート・ロイヤルと言った車両を組み込んだ新幹線初の寝台特急を開発できるのではないだろうか。
そんな気がします。

新幹線の車両限界は、最大幅3400mm、レール面から4500mm、が車両の建築現秋として活用できます。

また、在来線と異なり上に行くほど丸みを帯びることがないので2階式でかつ上下段に枕木方向に寝台を作れば簡易寝台車としてLCC利用者層などを新幹線利用者に引き込めるかもしれません。

寝台列車が在来線でないといけないと言う理由はどこにあるのでしょうか。
寝台列車は客車でなくてはいけないと言う理由は有りますか?
実際に、現在残る唯一の寝台列車は、サンライズ瀬戸・出雲と呼ばれる電車であり客車列車としては団体臨時運行の「カシオペア」しかありません。

新幹線が寝台列車を追いやった的な発想ではなく、より新しい時代の寝台列車の需要という答えの一つとして、新幹線による寝台列車、考えても良い時期ではないでしょうか?
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昭和61年(1986年)というとすでに30年前ということで正直驚かされるのですが、来年4月でJRも30年になるわけです。
ちょっと信じがたいのですが、時間おたつのは早いと改めて思わざるを得ません。

当時の記録を見ていますと、国鉄が変わっていく過程というか色々な施策を打っていたなぁと思わせてくれます。

特に昭和59年に試作車が製造された100系電車の記事が目に留まりました。
今の新幹線では考えられませんが、国鉄史上最も豪華な新幹線であったと言えましょうか。

16両編成で2階立ての食堂車とグリーン車、更には平屋建てのグリーン車の組み合わせで、2階建てのグリーン車の階下は複数の個室、4人・3人・2人・1人個室とありました。

画像 Wikipedia



特に1人掛け個室車は、リクライニング角度も深くて今のグランクラスに匹敵する快適性を持っていたと言えるのではないでしょうか。
30年前の車両ですから、最新の車両と比較すれば陳腐さは隠せませんが当時の水準で考えれば決して古臭くないわけです。

画像 Wikipedia

また、食堂車の入り口付近に設けられたエッチングも秀逸で、当時の国鉄の意気込みが感じられますが、こうした伝統がJR東海には残念ながら引き継がれなかったように思えて残念でなりません。

画像 Wikipedia

実際には、ある部分は国鉄の伝統を受け継いでいると思うのですが、お客様に旅を楽しんでいただくと言う視点はどうもJR東海の中では合理性という言葉の中で埋もれていったように感じます。

JR東海にしてみれば東海道新幹線がドル箱なので、更なる収益向上と言う正常な民間企業としての進化を遂げたわけで、国鉄時代多発した架線事故などはJR東海になってからは全くなくなり、年間遅延時間が1分未満というとんでもない話を生み出したわけです。

JR東海にしてみれば飛行機運賃の弾力化などで新幹線よりも安い運賃の格安航空の就航やLCCとの対抗もあるし、さらにはリニア建設という大義名分もあると思うのですが、今一度100系新幹線に見られた遊び心の有る新幹線を導入して欲しいと思うのは私だけでしょうか。

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みなさん、こんばんは。
すみません、5月9日以来の投稿ですので、かれこれ2週間ほど開けてしまいました。
申し訳ございません、それでは早速始めたいと思います。

今回は、森原総評議長に動労が総評を脱退したことについて質問しています。。
元々はGHQの肝いりで発足した総評ですが1年もしないうちに反共を意識した組織が反戦を意識した組織になってしまったと言うことでおおいに落胆したと言われたように、左派的労働運動を先導してきたのが総評であり、それにより労働者の地位が向上したという一面がある反面、国鉄ストのように結果的には国民にも受け入れられない独りよがりのところもあったと言わざるを得ません。
総評について、wikipedia 日本労働組合総評議会から引用させていただきます。
総評結成にはGHQの強い意向が働いており、結成大会で日本共産党排除や国際自由労連への接近を内容とする大会宣言を採択し、産別会議・全労連とは一線を画する労働組合として出発した。 GHQの援助の下、反共的色彩の強いナショナルセンターとして出発した総評であったが、翌1951年3月の第二回大会で行動綱領として平和四原則を決定し、国際自由労連に加盟する議案を否決するなどして、早くも左傾・反米へと方向転換した。

引用終わり
国鉄改革のもう一つの目的で当時の中曽根内閣は戦後政治の総決算ということで総評の解体を意識していたと言われていますが、この点では動労が総評から離れたこともあって結果的には実現したと言えましょう。
国鉄分割民営化以降総評は(平成元年)11月に解体して、元々同盟系の日本労働組合総連合会(連合)に合流する形で消滅することになりました。(一部は総評センターとして残存、その後消滅)ということで、国鉄解体はもう一つの労働運動の流れをも変えたという見方をすることも出来そうです。
その辺を含めて当時の公企労レポートの記者が質問形式で取材が進められています。

そこで注目したいのは、総評は社会党案で行くと言う点です。
> 国鉄闘争は、社会党案を基本にしながら総評を舞台に闘っていくしかないと思います。貶しても意味のないことですから。

ここで言われている社会党案ですが、今当時の資料を再度集めているのですが・・・(^^♪
社会党案は以前にも書きましたが、民営化のみ、7割以上の株式を国が保有する特殊会社で分割はしない。当然、職員も首を切らずにそのまま新会社に移行する。
それでもなお赤字が出る部分に関しては国が補てんする・・・そういった案だったかと思いますが、世論では国鉄の赤字を何とかしろと言っている中で国鉄の組織をほぼ温存してなおかつ民間会社と言えども政府に「おんぶに抱っこ」の過保護な会社というのは当然のことながら受け入れられるものではありませんでした。
また、当時は野党であった公明党も分割民営化までは一緒ですが、貨物も現行の旅客会社に帰属させる…そんな内容だったと思います。(この辺は殆ど記憶で書いていますので記憶間違いがあるかもしれませんので、補足説明いただければ幸いです。)ということで、これ、また世論を動かせるほどの案でもありませんでした。
そもそも当時の国鉄改革の根本原因というのがローカル線と貨物輸送であり、ローカル線に関しては基本的には地方で処理すべしとされたわけで、その中で貨物輸送をいかにコストを下げるかと言う視点で考えられたのが貨物を第2種鉄道事業者として「線路を借りる形をとることで少しでも固定の経費を減らそうとしたわけで、貨物の場合旅客る流動と異なり広範囲の移動が伴うことも全国1本での組織を残すことにさほど異論が出なかったと言えましょう。

そういった視点を持ちながら、下記の公企労レポートをお読みいただければ幸いです。

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皆さま、こんにちは。

【同じ公労協の中で、動労と国労とが路線の違いが根底にあって、総評大会が引き金になったということになっていますが、今回、動労の公労協からの脱退をどのように受け止めておられますか】

社会党案を基本、総評を舞台に対応

動労の言い分は、総評は国労に片寄っている、雇用を守るために骨身を削っていないではないか、そういう国労に加担をして、動労を袖にしたと言っておりますが、私はそれ自体は全く間違っていると、私も総評の闘争委員会の副議長をやっている訳ですが、どちらかと言えば国労をずいぶん厳しくたしなめて、動労の意見を吸い上げながら一つのものへ纏める努力をしてきたつもりです。従って大変不満に思っています。
ただ、だからと言って動労はけしからんと言って見ても意味のないことで、問題は国鉄闘争を成功させることが、これからの総評運動、労働運動にとって一番重要だろうと、これが成功するとすれば動労も反省しなくてはならないだろうが、今の段階でとやかく言うべきではなく、まずもって国鉄闘争の成功のために全力をあげようという立場をとっております。

【公労協へも脱退通告していますが、もう説得の余地はないのですか】

引き続き、説得の立場はとって降りますが、事実上今の段階ではどうにもなりません。総評の舞台に移っています。

【動労の言い分だと、社会党案にしても、総評の決定にしても日頃従ってきたのは動労で、その決定を破ってきたのは国労ではないかと・・・】

国労自身も組織が混迷してきたことも事実ですしなんとしても雇用と組織を守るという労働基本運動本来の姿に立った方針をきちっと立てろということを言ってきた訳です。
なんとしても内部ですっきりしないとだめだということを言ってきた訳ですが、結果がああいうことになったわけですから、今度は総評段階でさらに説得をしていきますけれどもまずもって国鉄闘争は、社会党案を基本にしながら総評を舞台に闘っていくしかないと思います。貶しても意味のないことですから。

【だんだん公労協も寂しくなりますね。公労協としか何か手を打つといったことは・・・】
代表幹事の中で努力は引き続きやっていますが、見通しは極めて暗いです。
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この記事は、FBのあるページに向けて書いた内容ですが、こちらでも一部文言を修正してアップさせていただきます。
これは、三江線に対して存続運動にかかる意見に対しての私なりの回答です。

最初のとっかかりの意見が下記のような意見でした。

赤字路線に対して、JRでは小回りの利いた営業活動は出来ないでしょうから、三江線沿線を売り込む為の組織が必要だということになります。
何かしらの予算を確保して、三江線が人を呼び、経済活動が活発になるような仕掛けを作る必要があります。

ということで、JR以外の組織で三江線を守るための組織を作るべきではないかという意見でした。

その後返信があり、「単純に、景色がいいですねとか、三瓶山が見えますねとか、そういう事だけではなく、食であったり温泉宿泊であったり、文化芸能であったり、そういった沿線のモノの魅力を伝える事で利益を得る事
魅力を伝える組織を新たに作りたい、現在の観光協会などでは力不足というご意見だったのですが、正直それでどれだけお客さんを呼べますか?
というよりも、それこそここで新しい組織を作れば一時期流行した二重行政ですよ。
今ある組織を改編して強化していくのであれば無駄も生じませんが、今ある組織がダメだから別に新しい組織を作る、前の組織も残ります・・・。
仮に新しい組織を作る場合は、「古い組織は統合しますとか、完全になくします」というのが本来の在り方の筈です。そうしたリストラクチャアリング、いわゆるリストラをしてから新たな組織を作る。

 そうでなければ無駄だし、その組織が公益性の高いモノであればあるほど一部の民間企業や、一個人の意向だけで運営されるべきものではありません。


「文化芸能そのもので利益を得る」・・・これほど難しいものないんですよね。


 昔から、こうした芸術などは貴族などのパトロンがいて擁護してきたから残って来たと言うのが実情です。

結果的にそれが現在に残っていった。

 百歩譲って地元の慣習として残って来たと言う伝統芸能、これが他の県民や外国人から受け入れられるか否かというと、正直難しい。


仮にどうしてもそうした伝統文化芸能をというのであれば、そうした芸能に取り組む女子高生の物語・・・のような漫画ストーリーのような形でコラボするとかという方法がベストでしょう。

そうして、そこに三江線が絡むことで知名度を上げて同時にマニアには聖地巡りしてもらう・・・なんてことを考える。


この辺はまた別の機会に書かせていただこうと思いますが。

でも、今はそんな時期ではないんですよ。

さらに、新しい協議会を作った場合、その利益を得る人は、それこそ個人レベルから企業団体、自治体にまで及ぶと思います。

新しい組織を作ろうと言うことは、ご意見としては否定しませんし、必要であれば作ればいいと思いますが、そうした団体を地域だけで作れるのでしょうか?
少なくとも全国レベルで呼びかけないと難しいでしょう。
複数の個人なり団体が利益を得られると言いますけれど、その利益で三江線を活性化させるということですが、あくまでJRに運営させるということですよね。
どれくらいJRは潤うのでしょうか。

まして、地元の企業でなければ法人税等も収入として入ってきません、そうなると地方財政としては困るし、三江線も微々たる運賃収入の増加では困るんです。

このお話ではそうした部分が殆ど見えてきません。


沿線の観光地が潤うけど、増加分が、全て三江線の収入になるかというとはなはだ疑問ですよね。

 

現状の三江線は治験で言えばフェーズ3の状態だと個人的には思っているんです。そうした施策的な話は、いってみればフェーズ1程度の状況で実施すべきものなんです。

また、ここに来て三次市の状況しか聞こえてきませんが、広島県の三江線に関するニュースとして
  JR西日本と沿線自治体は三江線を地元が引き継いで存続させた場合、地元負担として30億円から40億円の初期費用に加え年間およそ8億5000万円の維持費が必要だとする中間報告を先月まとめました。
 これを受けて17日夜、三次市で住民説明会が開かれ、市の担当者が中間報告の内容を説明しました。
 これに対し住民からは「赤字経営や利用者の減少は他の路線でも同じことで廃止には反対だ」とか、「地元の費用負担が大きいのでJRが存続させる方法を検討してほしい」などとする意見が出されました。
 その一方で「三江線は便数も少なく不便で地元の負担も大きいのでJRのバス輸送の代替案に期待したい」とか「税金の投入はほかの住民生活の支障となるので廃止もやむを得ない」という意見も出されました。

http://megalodon.jp/2016-0518-1103-21/www3.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4005285611.html

でも書かれていますが、

「地元の費用負担が大きいのでJRが存続させる方法を検討してほしい」
「税金の投入はほかの住民生活の支障となるので廃止もやむを得ない」


まぁ、個人的には、「企業団体なり自治体なりが出資して、三江線と沿線の魅力をプロモーションする機関の設置が必要」こうしたものを作る以前に三江線はすでに死に体に近い訳で、住民の意識も三次だけに限ってみても、かなり低いと言わざるを得ません。

 

島根県の方では4月に人事異動があったとのことで三江線の件に関しては積極的にかかわるつもりはないのかもしれません。

仮に三江線に「利便性が高まる事で利益を受ける個人なり企業団体なり自治体なり」こうしたものが今すぐには私には浮かびません。

 

ここからは、私の私見というか大いなる妄想かもしれませんが、このような施設を作ってみると言う発想はどうでしょうか。

 

沿線に大規模な病院等の施設があれば良いんのではないだろうかとい発想です。
その一つの例として、「重粒子線治療治療施設」を三江線沿線に設けて見てはどうでしょうか。

 

いわゆる「がん治療の専門病院」です。粒子線治療を行える治療施設は現在14あってそのうち重粒子線治療を行える病院は5か所しか日本にありません。

http://www.antm.or.jp/05_treatment/04.html  公益財団法人 医用原子力技術研究振興財団 から引用

興味がある方はぜひクリックしてお読みくださいね。


この治療法は患部を集中的に叩けるので、従来の放射線治療と比べると、健康な組織を破壊しないでがん組織だけを叩けるといった特徴があります。


しかし、保険対象外の高度先進医療のため治療費が高い(約300万円)こともあってなかなか普及していません。
また、大規模なサイクロトロンが必要になったりしますので比較的まとまった土地を確保できることが重要となってきます。
そうした意味では、三江線の沿線に施設を作って駅を設けることで三江線も見舞客や患者以外にそこの病院で働く人たち(医師・看護師から清掃担当者まで)も利用してもらえる対象になるわけです。
もちろん鉄道を利用しない人もいるでしょうが、少なくとも列車の利用は促進されますよね。
他にも、こうした施設の場合近くに宿泊施設がないため、そうした宿泊施設も併せて開発していけば、「そういった沿線のモノの魅力を伝える事で利益を得る事」という人たちが現れるかもしれませんよね。

先ほど申し上げましたように、病院が出来ることで、そこで働く人の雇用も生まれますしそれに伴う物流なども発生します。
物流の一部をヤマト運輸が嵐電で行っているように、三江線が荷物輸送を列車で行うと形で行えれば、これまた三江線としてはメリットは出てきますよね。


さらに、重粒子線治療とそれに関連するがん専門病院を誘致(自治体主導で建設すれば)それに伴う関連施設なども生まれますよね。

これが、私の質問に対する一つの答えです。
環境が破壊されるとかいう意見も出るかもしれませんが、豊かな自然や伝統芸能だけで税収は増えますか?
地方の町村は行政サービスを継続できますか?
高齢者の補助が出来ますか?
若い人が働く場所がないのに人口の増加が見込めますか?

そして最後に、この意見はあまりにぶっ飛んでいますか?

正直、ぶっ飛んでいますよね。
馬鹿げていますよね、でもこれくらいの大胆な発想をしないと綺麗ごとでは三江線の存続なんて夢のまた夢だと思うんです。

 

夢想的過ぎますでしょうか?

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すみません、1週間ほど開けてしまいました。
番外編の2回目、これが本当の最終回になります。

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和歌山電鐵1周年の記念フォーラムが和歌山市内で開催されました、場所がどこだったのかよく覚えていないのですが、和歌山市民会館だったかと思います。

そこで、休憩時間に私の写真は予定通り流されたのですが、私が昼食を終えて帰ってくると、両備の広報担当者が私を探しているとのこと。

取材は一応、和歌山電鐵の了解はあるし、クレームを言われることは無いと思いつつも少しだけ不安を感じながらも担当者の方が来られるのを待ちました。

 両備の広報担当は女性の方で、「たま駅長」の写真が流されているのを見て、社内報に使わせて欲しいので許可してもらいたいという申し出でした。

 こちらとしても、当時はプロとして活躍していたわけではないのと、社内報に使いたいと言うことで、単なる自己満足としての写真ではなく、評価していただいたわけですから承諾することにしました。
特段断る理由もなかったですからね。
私はその時に両備にお担当者に伝えたことは、
「画像はご自由にお使いください。 ただし、撮影者のクレジットだけお願いします。」
「blackcat」でも「加藤好啓」でもどちらでもよかったんです。
きちんと撮影者のクレジットさえ入れてもらえば。
こうして、その場は別れ、後日「たま駅長」の画像からさらに厳選した画像をCDにして送ったのでした。

そう言った理由で「たま駅長」の画像はひとまず私の手元を離れることになりました。

社内報は送ってくれませんでしたが、評判が良かったのか車の雑誌などに私の写真が取り上げられたのでということで、掲載された雑誌を何誌か送っていただきました。
 いよいよ私が写した写真が一人歩きを始めたのです。

ただ、お願いしていた撮影者のクレジットは一切掲載されていませんでした。

ここで私の写真が終わっていればそれまででということだったのですが、この写真はこれだけに止まりませんでした。

同じ年の7月ころ、再び広報の方から連絡があり、和歌山電鐵で「たま駅長」のデザインはがきを売りだしたというのです。
 それまでも、たま駅長、の他2匹の猫といちご電車などが描かれた絵葉書を売っていましたが、今回は1000部限定で「たま」オンリーの絵葉書を作ったということでした。

当然、その原画は私が撮影した写真を使っていただいたわけです。



たま駅長

その時のはがきの一部がこれ、ここにはありませんが、たまが首を傾げて舌を出している写真があったのですがこれが一番人気だということで。
ただ、この時ももらったのは菓子折り一つだけ。

この絵葉書が出た夏ころから、「たま駅長」の人気が出始め、秋には下敷き、ノートなども「たまグッズ」として販売を始めたのです。
その時の絵柄は、絵葉書の画像をそのまま流用していたものであり、間接的には私の写真が使われたことになるのでした。

結果的に、私の写真が両備グループに取り上げられ、それが結果的に和歌山電鐵の「たま」を全国区に押し上げたそのお手伝いの一部ができたのかななどと考えています。

ただ、好意的に考えればそうですが、少なくともこれって私がプロの写真家ですと最初にい言っていたらどうなっていたでしょうか。

すくなくとも、絵葉書を出した時点で両備グループは、私に対してきちんとした形で契約なり交渉をすべきだったのではないかと今でも思っています。

これに関して、私は両備からは報酬を一切いただいていませんし、今後も請求するつもりはありません。だから、ここまで自由に書けるのですけどね。

どちらにしても、自身が手がけた写真がきっかけになったか否かはわかりませんが、結局時期を同じくして「たま」がブレイクしたわけですから多少なりとも影響はあったのかな?と思っています。

恨み節を両備に言うつもりはありませんが、個人的には改めて「和歌山電鉄」と一緒に仕事をしたいと思っています。

貴志川線の写真集なんかを出したいので・・・。

まぁ、ここまで書いても何のアクションも起こしてくれないかもくれないけれど、何かアクションを起こしてくれると嬉しいです。

和歌山電鐡さん、ご連絡待っています。

そして、皆様最後までお読みいただきありがとうございました。


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