いきなり逆打ち?三番~一番札所へ巡礼

 

 

 

坂東眞砂子の小説に「死国(しこく)」と言うのがあって、勿論原作は読みましたし、後にサスペンス映画化され、それも何度か観ました。

 

それは四国八十八箇所の霊場巡り(お遍路)を逆打ち(さかうち=逆の順番から巡礼)すると、死者が蘇る~~と言う内容を含むものでした。

 

それとは何ら関係が無いし、そんな事を意図した訳ではありませんが、時間的な配分や、予定外に急に伺う事になった事から、こういう事になってしまいました。(笑)

 

と言う事で、今回から何回かに分けて長い月日のお付き合いとなる、四国八十八箇所霊場巡りの紀行録を残しておきたいと思います。今回はとても長い文章になってしまいました。

 

 

と言う事で、もはやこの四国八十八箇所の霊場に就いては、ここで詳しく説明する必要は全くないと思われますし、もう既に何回も巡礼されている方もおられますので、その起源や意味については省略したいと思います。

 

何より最初に書いておきますが、この巡礼については私はまだまだ全くの素人であり、かじり出したばっかりですので、生意気な事は申しません。ただ自分が訪れた紀行として、記事にして残しておきたいだけです。(笑)

 

と言う事で、仕事で訪れた徳島に宿を取っていた関係で、出来ればこの巡礼の基番である第一番札所を皮切りに訪れたかったのです。

 

 

しかしながら、その一番札所が実は公共交通機関で行くのに、やや(かなり)不便な所から、時計との相談で、最も行き易い(駅などから近い)札所を、最寄り番号の札所で探した所、今回の逆行(逆打ち)、三番~一番へと言う流れになってしまったのです。

 

と言う事で第一回は、第三番札所(亀光山・釈迦院「金泉寺」)から、第一番札所(竺和山・一乗院「霊山寺」)へと逆打ちになってしまったお話です。

 

訪れた事がある(徒歩で)方なら直ぐに判ると思いますが、この八十八箇所の霊場は、四国一円にまたがっていますが、各県内には所々に集まって札所があるエリアがあります。

 

 

今回は最初の駆け出しと言う事もあり、多くを一気に願わず、取り敢えず半日位で動ける範囲で動いた~~と言う状況です。徳島県から時計回りに四国全体を廻る巡礼の旅が本来なのですが、そこで偶然順番の最初の部分にいた訳ですから、一応は最初は番号の若い順に~と考えるのが普通ですよねぇ~。

 

と言う事で本来なら一番から伺いたかったのですが、やむを得ません。まず宿を出て徳島駅からJR高徳線に乗り、「板野」駅に到着。そこから先ずは第三番札所の、亀光山・釈迦院「金泉寺」に向かいます。この間は駅前を出て、のんびりと集落の中を歩いて行きました。

 

おおよそ15分くらいで、最初の一枚目写真の様な山門(仁王門)前に着きます。そして正面にある本堂にお参り~~。その右手にある太子堂と観音堂にも参拝~~。数名のお遍路さん(姿の方)に逢いました。中でも、深く一例をして一人でまた遍路を続けられる姿に感動しました。若き女性でしたが~。

 

 

さてその三番札所から戻る事、二番(日照山・無量寿院「極楽寺」)札所へ~~。この間は3Km程の行程~~。緩急の殆ど無い断層に沿ったなだらかな道。ゆっくり歩いても50分くらいで着きます。

 

先ずは3番札所から出る(二番札所から三番札所に入る)道は、2枚上の写真の様に標識に沿って近道がある様なので、そこから出ました。

 

沿路の古い町並みや、所々にあるお遍路さん用の矢印を逆行して歩きます。殆どの分岐路には札所番号とそれまでの距離が書かれており、実に親切である事に驚きます。

 

 

そして到着です。日照山・無量寿院「極楽寺」です。朱塗りの山門(仁王門)は、駐車場の入口に近い所にあり、古びた古刹とは余り思えませんでしたが、その奥の境内は意外と広く、鍵の手に折れ曲がった先の階段を上った先に本堂がありました。

 

この寺院は大きな宿坊も備わっており、本堂の正面左側の建物がそうでした。綺麗な宿泊施設でした。ここでお遍路さんは疲れを癒すのでしょうか。

 

そしてその本堂右手には、大師堂もありました。丁寧に一礼して両手を合わせ参拝。阿弥陀如来様は、小さくでしたが、ちゃんと見えました。

 

 

さてその二番札所から、今回の最後の一番札所(竺和山・一乗院「霊山寺」)に向かいます。二番札所を出たら、一旦県道を横断し、暫くはまた長閑な民家の間や、田畑の中を歩くのですが、下写真の様に街道筋には少し離れた場所に、案内の石門がありました。

 

逆行しているので、後ろ向きに門を越える形になってしまいます。寺院からは少し離れた所にあったのですが、この石柱を越えると、昔は全て寺院の境内だったのでしょうか。傍には小さな地蔵もありました。

 

 

そしてここからはまた民家や畑の続く道を少し歩きます。ここでも何人かの巡礼の方とすれ違いました。

 

本当に長閑な景色でしたから、この一番札所と二番札所の直線距離はほぼ1Kmと言う、巡路区間の中でも最も短い方なのですが、趣のある感じの行程です。

 

ここで思ったのですが、巡礼するにはやはりあの白衣や杖は必需品だと・・・・。ただ逆打ちする行程では、あの格好はし辛いのかなぁ~~とも思ったり~~。

 

 

車で巡礼されている方も多く見受けましたが、その方々も駐車場で車から降りられたら直ぐにその場でちゃんとお遍路姿になり、そして二人同行・・・・これを守っておられる姿を見て、せめてこの白衣や杖、そして簑傘は必要だと実感しました。

 

小さな川を越えてやがて民家の中の路地を左(北側)に折れると、間違いなく一番札所の案内石柱が見えました。よしよし~~という感じでホットしました。

 

 

そして更にしばらく住宅街や旅館(民宿?)のある古い街並みを過ぎると、正面にこの第一番札所(竺和山・一乗院「霊山寺」)の立派な山門が見えて来ます。

 

八十八箇所あるこの巡礼の旅をここから始めると言うのにふさわしい、山門前に飾られたお遍路さんの人形~~。最初は遠目に見て、本当のお遍路さんが立っておられるのだと思ってしまいました。

 

山門をくぐって境内に~~。残念ながら本堂は改宇中でした。

 

 

立派な寺院です。流石に第一番札所の風格でしょうか敷地も広く、ここから全行程1460Kmの長い道のりを巡礼する、その前の精神統一をする場所だったのでしょうか。

 

「明治の庭」と呼ばれる、太子堂の北側にある庭は、これから遍路を始める人々達への発願の地を象徴していると言われています。ここにも白衣をまとい、両手を合わせたお遍路さんがおられました。

 

 

多宝塔・太子堂も歴史ある建物で、応永年間と言いますから1400年前後の建造で見応えがありました。

 

ここでは時間のある限り、ゆっくりと参拝させて戴きました。平日だったにも関わらず多くの参拝者がおられ、また観光バスや、巡礼の支援をする団体が仕立てたマイクロバスなども多く見受けられ、流石にお遍路さんの多さに驚きました。

 

山門前の傍に売店があったのですが、そこではお遍路さんの必需品とも言える多くの携行品や作法書き、また杖など色々と販売されていました。

 

 

私は生半可な気持ちで(他の全国の数ある札所巡りと同じ様な気楽な気持ちで)この霊場巡りに足を突っ込んだのですが、この四国八十八箇所霊場巡りだけは、他の巡礼と事なり、服装や装備にまで、そして作法まで本格的なスタイルで行わないと・・・・と言う、心が引き締められる思いになりました。

 

こんな事なら、最初から準備周到で始めれば良かった・・・・と少し後悔。まあ今からでも遅くないのですがね。そんな思いで今回の数箇所の遍路は終わりました。

 

まだまだ路は長いです。関西から四国に出向ける回数は極限られています。今後どれだけ巡る事が出来るのでしょうか?。長い文章にお付き合い下さいまして有り難う御座いました。

 

 

 

 

リンゴりんごいちごいちご

 

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