最高の教科書、偶然の賜物 & 『経済成長の起源』6 | Hiroshiのブログ

Hiroshiのブログ

今後不定期投稿となります

ようやく『経済成長の起源』を半分くらい読み終えたが、これは教科書としては最高だと思う。


これまで読んできた歴史学的経済学の本を中立的な立場でたくさん紹介している。気が付いただけでも、


『国家はなぜ衰退するのか』や『自由の命題』のアセモグル。


 『地中海』のブローデル


『10万年の世界経済史』のクラーク、


『銃、病原菌、鉄』のダイアモンド、

 

『イスラム世界はなぜ没落したか』のルイス。

 

『われらの子供』のパットナム

 

『コロンブスからカストロまで』のウイリアムズ


いずれも此処で超〜お薦めの1冊とし、かつ私に大きな影響を与えた本だ。


残念なのは半分くらいが、昔のblogと共に記録が失われた事だがガーンえーん それでも記憶に残っているので、よしとしよう。

 

 

 

 

<内野谷古墳群探索>

金曜午後から、これまでの乙金山の西側、福岡平野を見晴らす側の反対、東側の古墳群とされるものを探してみた。黒矢印の場所。

 

 

ここは貴船の狭い扇状地の側面に面し、古墳の場所としては良い場所とは思えない、おそらく小豪族の古墳かと思われたが、自宅に近いのでとりあえず探索してみた。

 

GPSとGoogle mapそれにDBの地図を頼りにそれらしき場所(赤矢印)に近い道路沿いに車を止め近くの人に尋ねてみたところ。これ以上の幸運とは滅多に遭遇しないと思われる人に出会った。

 

曰く、この地区には昔は9軒しか家がなく、自分の家は数百年前から此処に住んでいて、今では9軒のうち残っているのは2軒だとか。その後、新たに家が沢山建てられたが、いずれも地元の人ではなく、また宅地造成に伴い、山の上に伸びる道路や水路も変えられてDBにある小道=下のDBの地図の古墳の下に山の上の池に伸びる(画面左下方面)小道があるが、今は無いとか。通ったのは赤線の道。

 

 

 

水路をまたぐコンクリート橋?を越え、道無き道を案内して貰う。

 

これはとても知らないと無理! そして昔、札所のあったと言う場所に案内して貰う。

 

古墳ではないが、恐らく古墳の跡にそれを受け継ぐように建てられたものだろう。

 

かつては建物が急斜面に建てられていたが、今は崩壊して建物の残骸が残るのみ。残骸を手に取る写真のおじさんが案内してもらった方。感謝感謝です。

 

かつての古墳の石室の石材と思われる石碑には何も刻まれておらず。ま、それはそうだが。

 

残念ながら古墳そのものではなかったが、その跡と思われる遺跡を発見したのは偶然の賜物

 

帰りに地元のデパート?により軽食を摂る。写真は屋上からの風景。

 

 

 

 

 

『経済成長の起源』6

著者は「制限的政府」の出現こそ、ヨーロッパの政治制度が産業革命に向かっていく際に起きていた最も大きな変化だという。p111

 

これは支配エリートの権力が制限された政府のことを意味し、それが数千年にわたり僻地、遅れた地帯であるヨーロッパが先進国を次々生んだ理由だとするみたいだ。

 

確かに、中東やインド、そして勿論中国。とりわけ中国は数千年にわたり継続して世界の最先端を走ってきた国。それが只この数世紀だけ遅れをとった。习氏の掲げる『中国梦』はその復活、再現、当然の想いだ。

 

しかし、今の中国は「制限的政府」とは言えないだろうから、この理論だと将来の更なる発展には限界があるということになるが、さてどうだろう? いずれ、この理論の真偽が問われることになろう。

 

話を元に戻すと、其れ故、著者はマグナカルタ(1215年)の重要性を指摘する。p114 

 

これはこれまで様々な分野で言われてきたこと。そしてこれを示す指標に著者は議会の活動頻度を図3-8と、p116 国民一人当たりの税収の変化を退避させる。図3-9 p119 

 

これを見るとイングランド、ネーデルランドの議会開催頻度が1100~1700年にかけて右肩上がり、(ネーデルランドは1400年から急増)、それに対し、ポルトガル、フランス、スペインは1400年がピークで、そのあとは逆に低下気味。税収は確かに1700年まではイングランド、ネーデルランドでは右肩上がり。そしてフランスは1800年以降急増。つまり革命後(1789年)に上昇したことになる。

 

まとめとして、法の支配を維持し、財産権を保証する制度は投資を呼び社会の発展に寄与するとする立場。だからソ連崩壊後のロシア、「アラブの春」後の多くの中東諸国ではうまく民主制に移行できず、其れゆえ経済的成功も得られなかったという論調のようだが、p127

 

さてどうだろう? ならばあの中国のこの数十年の脅威的発展はどのように説明出来るのか? 十分に納得出来るものではない。

 

とにかく、私にとっては、この直近数世紀の中国の遅れが逆に不思議なのだ!