再録2:私に大きな影響を与えた1冊 | Hiroshiのブログ

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今後不定期投稿となります

再録2

『21世紀の資本』は大著で記録が多すぎるので感想だけ再録する。途中の感想なのでその後、変化したこともあるが当時のままで再録。なお新しいものから古いものへと逆順番で再録する。


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ほぼ1ヶ月に渡りこの本を読み続け、そろそろ終盤に差し掛かっている。そして今、頭の中では、著者ピケティがこれから何を世の中に提言しようとしているかも明瞭となっている。

 

彼の仕事の素晴らしさはアイデアや論理にあるのではなく、

『歴史的事実はこうであった』

ということを示したことだ。しかしこれは「言うは易く、行うは難し」。 西暦1700年から現在までの膨大な財務記録や徴税記録を集め、それを解析したところに最大の賞賛が払われるべきである。これは並大抵のことではない。しかもピケティはその生データーをWeb上にOpenにして、誰でもそのデーターを元に、別の解釈あるいは結論を出しても構わないというポーズを取っている。それだけ解析に自信があるのだろう。

もし、批判があるのなら、彼の集めたデーターの「欠陥」を指摘するか、そのデーターを元に別の「結論」を示すことだろう。 この1年ばかりの間に日本で出された様々な雑誌にピケティ批判を目にしたが、いずれもそうした類のものではない。 多くは私がここで傲慢にも言い放ったように、彼の本をちゃんと読んでいないか、あるいはきちんと理解せずに、彼の提言に対する<反対>から口に出したような類のものである。 それは結構有名な経済アナリストですらそうであった。  傲慢噛ませました~(笑)

自然科学では「反証可能性」ということが重要視される。同じアプローチと論理を使い、他の研究者が、そこで出された結論を覆すことができるということが重要なのだ。  …だから、誰も追試できないSTAP細胞はダメなのだ。

いずれにせよ、この本は久しぶりの「お薦めの1冊」として間違いない。

 

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著者の面白い経験が語られていた。それは、普段私が感じること「経済学はハードサイエンスになっていない」ということと通じるもの。

曰く、
『この(2つの)論文を初めて目にした1990年代に私は若い学生だったが、論争に鄂然とした。真剣な経済学者の間で、こんな大きな意見の相違があってよいものだろうか?』p444

私もよく重要な経済的問題について全く正反対な意見が堂々と語られていることに常日頃、不満というか驚きを感じていた。
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そして今回も「経済の専門家」という人たちが必ずしもきちんとピケティの本を読まずに、あるいは理解せずにコメントしているらしいことに気がついた。ま、それはそうかもしれない、世の評論家はコメントが間違っていてもほとんど場合、間違っていたことを反省しない、それどころか口を噤んでいる。またマスコミもその点についてちゃんとした検証をしていない。
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ただしこのblogのおかげで、少なくとも誰が信用できないかは、判断する材料を揃えている。
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話を元に戻すと、著者はヨーロッパと米国の違いについて、

『文化的違いとはそもそも何の関係もないことを、再度強調しておかなければならない』と述べ、その違いが『主に人口構成と人口成長の違いで説明がつくようだ』p445

としている、まさに<人口の波>ということだろう。
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以前からこの人口の波が、イスラーム世界の原理主義も、
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西欧の近代化も、魔女狩りも、
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日本の高度成長も、土地神話の崩壊も、
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勿論、現代中国の高度成長もこれでかなり説明出来ると考えている。 
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以前、このことに経済学者や評論家が気がついていないと傲慢にも

 

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『非常な大著。まだ半分を漸く過ぎたところだが。ここで読後感を先走って述べてもいいような気がする。

先に彼が述べたように、彼が研究してきた所得や富の動学研究は多くの場合30~40年、またはそれ以上のスケールでないと認識できない。実際彼は1700年から2010年にかけて長期にわたり、大規模に研究を行っている。一方で、バブル崩壊などの短期的トレンドはその時代を生きた個人にとってみれば大きな現実であり、今日の経済学での主要テーマとなっている。 このことが多くの経済評論家やジャーナリストのこの著書に対する評価と無関係ではないような気がする。

もちろん、だんだんと本を読むにつれ、彼が明確な政策的提言(資産に対する累進性のある課税が必要だとする)を行おうとしていることは判る。しかし、それと彼の研究から出てきた結果は区別して扱う必要がある。 彼の政策的提言に反対する人々はそれ故に彼の研究そのものを否定することは間違っている』

 

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先ほど「難しい内容ではない」としたが、これは普通の人でも読めるようにと、わざとそうしてあるみたいだ。と云うのも、ピケティのCVを覗いてみるとどうやら数学で修士の学位を取っている。
http://piketty.pse.ens.fr/en/cv-en

ちなみにこのサイトを覗けば、生データーが揃っていて、経済学の専門家ならば、彼と同じ立場で再検討あるいは彼の説を否定することもできるだろう。これが自然科学で言う所の「反証可能性を保証する」ということ。
http://piketty.pse.ens.fr/files/capital21c/en/pdf/supp/
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ここに彼の研究者としての良心が現れている。

 

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ピケティの『21世紀の資本』にもこのことが重大な問題と指摘されている。(すでに10回分くらいのblog記事が溜まっているがいずれこれについてもupする予定)

結論から言えばケイマン諸島などカリブ海諸国への税金回避に対しグローバルな対策が打たれなければ格差は解決できないというのが彼の主張である。

この事件に最高指導者の親族が関わっているとのニュースは中国では消されているらしい、さもありなんというところだが、これには米国のキツイ一発攻勢が裏にあるような気がするが、どうだろう? 南シナ海や北朝鮮事情に対する強烈な牽制だと。素人の独断と偏見です。お聞き逃しくだされ(笑)

中国のGDPの2割とも言われる資産が不正に海外に流れ、
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/3649/trackback
2001年から2010年までの10年間でも、海外に流出した資金は2兆7400万ドル(約274兆円)全世界の不法資金の半分を占めるとか。
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今後の進展が楽しみ、…なんてまるで嫌中派みたいですが(汗)

ところで、長いことタックスヘイブン(Tax Haven)をタックスヘブン(Tax Heaven)だと思っていた。恥ずかしいこと。でも意味としては十分通じる、否、まさに実態を表していると思うのは言い訳か?(笑)
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1人だけ、先の『週刊ダイヤモンド』の中でピケティの本について何も語らず、自分の主張だけを述べ、それでいて評価(支持率)40%としている人がいる。誰かは言わないが、彼女曰く、『格差の固定化が進んだのは世の中のタガが緩んでいるからではないか』 と、およそトンチンカンな主張を述べているが、もしかして彼女は彼の本を全然読んでいないのではないか? 

そのほか、ピケティが人的資本を扱っていないという批判もある。しかしこれについて彼は著書の中で『人的資本はまぼろし?』として、きちんと以下のように指摘している。p231

『発展と経済成長のプロセスで増加することだと多くの人が信じている。…実際、超長期的に見た所得の資本シェアーの減少(1800~1810年の35~40%が、2000~2010年には25~30%)と、それに伴う労働シェアーの増加(同60~65%から70~75%)を見ると、そう解釈するのが妥当のようだ…』

『でも、ご用心… 現時点では適正な判断を下せる程時間がたっていない。』p232  と。

そのほかにも、ピケティは格差を判りやすく解説するのに便宜的にトップ10%、10~50%そして50%以下という区分を設け解説していく。たしかに概要をつかむには判りやすい。先日先の雑誌とは別に『21世紀の資本』に対する様々な人の感想を読んでいたら、この区分が恣意的であるとの感想を書いていた人がいた。しかし彼の本にはこれが判りやすく説明するための区分で <実際の分析にはこうした用語はなんの役割も果たしていない> p259 と明示してあった。

つまりこの人もきちんと彼の本を読んでの感想ではなく、多分何処かのお手頃解説本(実際、山のように出ている)の表面だけ聞きかじってのものだろう(笑)。実際かなり有名な評論家でもこうした「本を読んでないな」と判るような文章があり、これは「墓穴を掘るな」と感じた。すなわちこの一言でその評論家の評価が地に堕ちるということだ。 それにしても、こうした600ページを越えるような本を評論するのは大変ですね、評論家の皆様ご苦労様です(笑)。

<ToddとPiketty>
以前、以下のように書いたことがある。

『…その理由は人口学者にとって大きな謎だというが、これはすでに判っていることではないか?  …おなじ職場(ecole) のE. Toddの本を読めば書いてある。不思議なのは両者が研究分野は違ってもおなじ組織の人間だからお互い仕事の内容は知っていそうなのだが?? わざと知らないふりでもしているのかな?』 と、
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関係書籍に2015年2月23日発売のAERAがあり、そこにピケティと佐藤優氏の対談が載っていた。その中でピケティはToddを「友人」と表現している。

それならばなぜ上記の一節で「大きな謎」だと述べたのか? この対談の中でピケティはToddの解釈について、以下のようにToddを評価する。

『彼の主張は少し保守的すぎる』

問題になった点は、<思想は家族制度に規定される> かどうかという点についてであったが、おそらくそれ以外の点についても彼はToddの説に納得しているわけではないのだろう。それ故、Toddが解釈した点についても依然として「謎」だと述べたのかもしれない。

 

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著者は面白い個人的経験を書いている。それは著者が22歳で博士課程を終え、米国で職を得たこと(これは飛び級でいかに彼が優秀だったか判る)。そして3年後にはヨーロッパに帰りたいと思ったと。それは、米国の経済学に納得しなかったからだとも。何故、納得しなかったのか? ここにこの本が生まれる理由が判る。曰く、

『格差の動学に関する歴史的データーを集めようという大きな試みがまったく行われていない… どんな事実を説明すべきかさえ知らないくせに、純粋理論的結果を次々に吐き出し続けていた』

『フランスに戻った時、私はこの欠けているデーターの収集に乗り出した』

『歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている』p34

『それにパリの社会科学高等研究院にはリュシアン・フェーブル、フェルナン・ブローデル、クロード・レヴィー・ストロース…をはじめとする導きの光が多数存在していた』p35

そう、ピケティはまさに歴史研究と経済学の境界領域を研究しないといけないと決意したわけだ。そしてこの一節は、この本を私が読めると確信した一節でもあった。フェーブル、ブローデル、レヴィー・ストロースこれまでもここで何度か名前を出した巨匠。
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最後に著者は、

本書は経済学の本であると同じくらい歴史研究でもある』と述べる。p36

「この本は私にも読めるに違いない」と根拠のない自信を持った理由。