「百菜」霞町 & 古老肉の衣に妙あり & 料理人「周富徳に曾兆明」 | KISHO director's blog

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人生のほとんどを広告マンとしての「食」に特化して考えてきた。愛食家として、これからは新しい観点で日本の「食」を考えていきたい。
もう一つ、人生とクラブライフ「ゴルフ」だ、太平洋クラブと富士カントリークラブの日常、箱根御殿場ライフを綴る。

日赤通りのマンションに住んでいたのは丁度12~3年前の話。坂を下って、この界隈で飲んで騒いでいた時があった。広尾から歩いて来ると「香港ガーデン」を経由して霞町の交差点の一つ前の信号を左に入った一本裏の飲食街通り。


丁度「香港ガーデン」ができた頃で、周さんが連絡をとってコックを送り込んでいたのを覚えている。御存じ、伊藤ハムの素人店舗の営業開始とあって、スットコドッコイもいいとこの開店テンヤワンヤだった。今ではインテリアこそ名店のそれだが裏を知っている手前・・・・金を貰っても行く気はしない。

その点、何となく新鮮に映っている店「百菜」

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私が引っ越すと同時に出来たようだ、11年くらいと聞く。ヒルズの前の中国飯店とファサードのイメージが少し似ていて好感がもてた。このイメージは何処も結構当たりです。


シンプルで清楚な店中は、遠くにキッチンが見える安心な雰囲気。紹興酒を貰い「搾菜」でしばし・・・・メニューを見ながら考えること考えること、酒が半分に減ってしまった。

この店の特性を見つける為に考えていたが・・・「早くしなさい」の声で決定。
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「白切鶏」かなり確りした料理屋であることは、この鶏の皮を見れば分かります。味といい、素材といい、量といい、申し分なし。久々に、魯迅の雰囲気で飲み始める事が出来た。皮と身がパラつかないでバランスが良い、いい鶏を使っている証し。黄色い洋芥子が合うが、この文化は日本独自の物。しかし、誰が最初に使ったのだろう・・・・美味い事は認める。
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「古老肉」とは酢豚のことだが、酢豚と言う表現は中国には無い。変節しながら日本で進化して行った菜単で名菜。一般の料理法と大きく違うのは、天麩羅の様に揚げていることだ。それを甘酢のアンで絡めるが、カリッとして歯ごたえ抜群。思わずにキッチンを見たが、4人も入っている、狭いながら迅速に動いているのはいい事だ。
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紹興酒は一人で二本目に入り最後の〆に入っている。二人で中華料理は量との勝負で、メタボを気にしながらの吾輩は肉油系から「ネギそば」に。叉焼が少し見えるが富士山の様に聳えている・・・・ネギテンコ盛りの一品。
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いいスープを使っているせいか、さっぱりしていて美味い。この店のベーシックが見える、それは持っているスープの質だ。
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麺もゆっくり派の私どもに合う伸びない麺。同じ物を続けて食べるのが苦手な私としては、このドンブリの麺を一人で食べるなどと言うことは残酷物語に近い。3~4口で十分だが、今日は結構いけた。もう一つ、それは麺と同じくらいの量のネギだろう。
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久々の中華料理・・・・といっても、中華だけは不味い物を食べたくない、という気持ちが、私を中華から遠のかせている。ブラッと外見の店の造りだけで入ったが・・・・当たりの店、安心した。


この界隈では「北海園」か「中国飯店」だが、値段を考えると、ここの方が遥かに現実的な美味さを持っている。あとは広尾の「美味」か、飯倉の「新北海園」だ。


さておき「古老肉」が気にかかるが、粉の配合だろうと思うが、片栗粉が30%以上は入れて揚げている。カリッと感はそれで作れる。パイナップルが久しいが、懐かしい美味い物として記憶させてもらう一品となった。


15年くらい前に、周さんと酢豚をマスコミの話題にするには、と言う事で「イチゴジャム」を提案した。そのまんま使われて今日しているが、果物の持っている甘みと酸味がこの料理には殊の外合う。異色では曾兆明の「アボガド」が絶品だった。既に曾は実践女子大の授業中に心筋梗塞で亡くなったが、素晴らしい料理人だった。

一品の「料理」に色々な思い出があるが、私の場合には「料理人」に思い出がある。周富徳・曾兆明どちらにも、凄いドラマの共演者をさせてもらった・・・・感謝の思い出だ。



料理人のドラマは料理に有るが・・・・

ドラマを作れない料理人を憂う時がきている。