日本の真南3000キロ、北緯7度30分の太平洋上の約300の島からなるパラオ共和国。珊瑚礁内海の複雑な地形はダイビングのメッカとしても知られています。
アメリカ軍は戦況を有利に運ぶためパラオに進軍、1944年9月ついに島は戦場となります。敵の300艘の戦艦に対し日本軍は12000名の兵士があるばかり、もとより乏しい武器・弾薬・食料を補給する術すらない文字通りの玉砕戦でした。
中川州男大佐率いる日本軍はパラオの原住民を別の島に疎開させ持久戦に持ち込みますが同年11月末、“サクラサクラ”の電報を発し玉砕したのです。
ぺリリュー神社には米軍二ミッツ元帥による日英2文が記されています。
“Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.”
(この島を訪れるもろもろの国の旅人たちよ。
あなたが此の国を通過することがあらば伝えてほしい。
此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を…)
第2次世界大戦後、この国を占領(occupy)したアメリカは日本文化の影響を徹底的に壊します。南洋神社は取り壊され、学校の二宮金次郎の銅像も引きずり降ろされました。しかし、パラオの人々は心の中では勤勉の精神を教えてくれた日本人を敬い日本統治時代を懐かしんでいるのです。その証拠にパラオ人の8割が姓名のどちらかに日本式の名前をつけています。疎開した原住民の死者はゼロ。これがパラオの真実です。
1994年パラオはアメリカから独立(independent)します。国旗制定を一般公募した結果,日の丸を真似た今のデザインに決まったという経緯があります。パラオの国旗の満月は中心からズレています。日本に失礼だからという理由で故意にそうしたのだそうです。パラオの人たちの慎み深い態度が読み取れます。
パラオの国旗はかつて日本の統治下にあった国で日の丸を模して国旗がつくられるほど日本が尊敬されていたことを教えてくれる証拠なのです。
私はパラオを訪れるときにはまず慰霊碑でお祈りをします。これが亡き父の遺言でもあるからです。