KODAMA814の手帳 再出発応援

KODAMA814の手帳 再出発応援

素晴らしかった! 

最後に思える人生を。

自分の意思で動ける間は「困難」「苦難」「快楽」「愉快」全てを受け止める。

世の中に影響されずに「自分の道」を歩いて行ける術を実践したいと思っております。

(^_^)






 




先日の14日に「53歳」に到達しました。

53回も夏を生きて来たのか…と感慨深い思いに浸ると同時に人生とは「同じパターンの繰り返しの世界を生きてるに過ぎない」と改めて確信に至る次第…

朝が来て、夜になり、又朝がくる…
春を迎え、冬がきて、春が訪れる…

その自然界の仕組みの中に生きるの「人間の人生」も同じなのでしょうね。

こうすれば「どうなる」
どうすれば「こうなる」

人との関係、お金の事も流石に53年も生きて居れば学習は出来る。

更に言えば、感情や気持ちがどの様に影響を与え状況を映し出すのかも分かる。

人、場所、状況が異なるだけで「やってる事は同じ」と気付かれてる方は少なく無いと思います。

争えば、妬めば、憎めば、諦めれば、後回しにすれば、認めれば、尊重すれば、感謝すれば、怠ければ、夢中になれば…

失敗し、後悔し、傷つき…
学び、学習し、活かし…

何時の間にか「全ては想定内」と思える様に成る。

ある意味

仕向ける事が出来る。

確かに「他人の心」をどうこう操作する事は不可能かも知れませんが、自分の世界を「意図的」に映し出す事は可能なのは確かの様です。

ただ、その能力を使用し辛くするのは「他者、他我」との交わりなのも事実。

群れの意識、群れのしきたり、群れの常識非常識は「強力な影響」を及ぼすのも確かです。

大多数の人間は、その影響力をまともに受けて洗脳感化され生きて居るのでしょう。

意図的に人生を構築する代償は、群れで得られる「安心感」を脱し無くてはいけない事。

ナニかを得るには、ナニかを手放す必要があるとは「なるほど」と思えますね。

巷では「他人の気持ちは分かり得ない」と言われますが、本当にそうでしょうか?

その人の行動から「今、何を考え思っているのか?」は丸見えではございませんか?

妬みなのか、嫉妬なのか、反感なのか、意地悪なのか、感謝なのか、思い遣りなのか、善意なのか…隠せるモノでもございません。

内面の意識や考えを隠し通せる程、人間は高度な事は出来ませんし…

行動、表情、雰囲気に全てが表される。

把握済み想定内の世界を生きるとは、その様な「心の映し」がイヤでも見えてしまう世界なのかも知れませんね。

年齢とは、人間が「目安」としてる数字に過ぎないと思うのです。

53歳だから、70歳だから「人格が優れてる」「人生経験が豊富」とは言えない…

50歳で在ろうが60歳で在ろうが、学習して来なかったで在ろう人は存在します。

とっくの昔に学び学習し、卒なく物事に向き合える人ばかりでも無い…

(凄いな、随分学んで来られたんだろうな…)

そう思える方も居れば

(何時まで幼稚な考えやねん、中学生かよ…)

そう思える方も居る。

その都度、我に返る事がございます…

自分はどうなのよ?

それ程、人は普段日常「我を忘れた状態」で無意識に生きて居ると実感出来る次第。

「他人は鏡」とは言い得て妙…

本当に不思議な世界でございます。


53歳に成った自分が思う事…

(気持ちに正直に生きたいな…)

それは思います。

世間に良い顔を示す為だけに生きたく無いですし、世間からの評価体裁を気にし過ぎた生き方も眼中から薄れてる…

世の中を見渡せば、案外「時間潰し」の為に働いたり色々してる人間の多さに気付く…

目標も目的も無く「其の場凌ぎ」で生きる姿に覇気も英気も見当たらない。

だからどうと言う事も無い。

自分のやれる事や出来る事は一生懸命やりたいですし、それ以上でも以下でも無い。

他人をどうこう思う様に、もわたくしもどうこう思われて居るでしょうから 笑

わたくし自身、適当に生きてる事は自覚していますから。

それで良い…自分の人生だから

城巡り、夜景撮影等々…

ずっと「仕事が全て」と信じて出来なかった事や後回しにして来た事も楽しめてる。

心穏やかに過ごすには、経済的に不自由しない為には…

流石に学習はして来た 笑

そして…

一番「心の中」に抱いてる思い

自分も他人も関係無く、心を支えれる存在で在りたい。

何がしたいのか、何をどうすれば良いのか…

分からないまま人生を歩まれてる方も沢山いらっしゃっると思う。

人生そのモノが荒れてる状態、手の付けようも無い状態迄陥った方もいらっしゃっると思う。

人間関係、経済面、将来の不安、過去の記憶
当事者は勿論、関わる親族や関係者の気持ち

身内もそうですが、実家隣の年下の男性も「引きこもり」です。

その男性、かつては「某回転寿司屋の店長」まで勤めたのですが三年引きこもってた。

この夏から再度働き出し、親御さんも随分安心されて本当に良かった…

その様に「何でこんな事に成った…」「どうしてこんな人生に…」と嘆かれ閉塞感を感じて居られる方も世の中にはいらっしゃっる。

わたくし自身

目茶苦茶で人として最低な生き方をしてる年月がございましたし、自分でも訳の分からない状況に陥ってたのは分かってました。

自分も苦しかったですが、親族や友人にも心配を掛け迷惑も随分掛けて来た…

その様な状況の方が、今現在も悩まれ迷われ苦しんで居られると思うと…

人生を諦めかけた時、何もかも放り投げたくなった時に…

(あのオッサンも一生懸命生きとる。アイツも必死なんや…自分も何とか)

そう思われる様な「最後の支え」「進路を示す灯台」の様な存在で在りたいと思います。

具体的に何がをする訳では無く…

ただ存在するだけで、誰かの何かの支えに成る自分で在りたいと…心から思います。

わたくしも常々思うのですが…

物理的物質的なモノも大切ですが、やはり人間は「心」の部分が最も大切だと思います。

生きる事に疲れ、過去を悔やみ、未来に絶望して居た時…本当に「死にたい」と思ってた。

そんな時、ある女性が何時も家に来てくれて寄り添ってくれてました。

既婚者でしたが、金銭面で無く、性的な事も無く、お節介でも無く…

ただ普通に、ご飯を作り、一緒に食べ、話を聞くだけでしたが…

手首を見れば傷だらけでした…

わたくしは、その方が「居てくれただけ、関わってくれただけ」で助かりました。

そして、わたくしが精神的に立ち直れた時…

自然とその方との縁も終わった。

99人に疎まれ煙たがられても構わない…

ただ、1人でも構わないですから

「出会って良かった…居てくれて良かった…」

そう思われる様な存在で在りたい…

53歳になった自分が心から思う気持ちです。

困難な出来事や不運な出会いも人生には付き物だと思います。

人を恨みたく成りますし、自分以外に責任を押し付けたくも成る…

自分の自信も失いますし、自分の無力感に腹立たしく成る時もある…

でもね

その経験を放置せず、向き合い、糧にしてしまえば「人」として向上出来る。

逃げて、目を背け、あやふやにしたまま年齢を重ねても「同じ困難、不運」は付き纏う。

受け止め、学び、学習をしたのなら…

きっと、何時か、誰かのお役にも立てると言うモノ。

出来事も出会いも、確実に「必然的」なのは間違い無い世界の様です。

自分の受け止め方

雨が振り、喜ぶ人も居れば嘆く人も居る…
光を好む人も居れば、闇を好み人も居る…

何をしても、共感も反感もございます。

皆さん、一度位経験が在ると思いますが…

必死に真剣に一生懸命生生きてる時、周囲の視線や評価など気にしなかった筈です。

嬉し涙も出れば、悔し涙も出る…

その時の感覚を、人は何時しか忘れてしまい「要領」だけで生きる様に成る。

他人が、世間が、景気が、時代が…

一番「楽な選択」の他責を行使する。

自分の事をさて置いて…ね

他人と言う「鏡」を通し


自分を見た方が良い

それが大切では無いかと思います。

己を知れば「未熟」な面も見えますし、言ってる事とやってる事の「不一致」も分かると思います。

人の事をとやかく言う自分が幼く恥ずかしく思えると同時に、謙虚な気持ちにも成れるのではございませんでしょうか?

やる人間は黙って居てもやりますし、やらない人間は綺麗事を言ってもやらない。

自分自身は如何でしょうか?


何が言いたいのか分からない内容、読んで下さりありがとうございます。



がんばってね (⁠^⁠^⁠)



粗煮を作りました (⁠ ̄⁠︶⁠ ̄⁠)⁠

今の会社に入ると同時に借りた店の「看板メニュー」と決めてた品です。

とある寿司屋の職人さんから教えて頂いたレシピを忠実に再現して見ました。