先日、仕事で九州へ行った帰り道…
山陽道は距離は短いが、途中「数キロ渋滞、故障車渋滞」が発生してるとの知らせ…
中国道は距離は長いが、事故や渋滞の知らせは無し…
周囲は確実に「山陽道」へ流れ、わたくしも正直迷いました…
(山陽道の方が正解なのか?早いのか?)
その時、内なる声を信じてハンドルを切りました。
中国道回りの選択をし、結果的には想定内の時間で目的地に到着。
今回わたくしは渋滞のリスクを避け、多少距離が掛かろうと「時間」の想定が可能な道の方が確実だと確信が在った。
迷いは「判断力」を鈍らせますが、静かに落ち着いて「ある声」に耳を澄ませば最善への答えを知らせてくれる…
その声を聞かず、他の情報や流れに委ねれば「不本意」な結果が訪れ「後悔」と言う苦々しさだけが残る。
男女関係でもそう…
若かりし頃
本当に好きな人、本当に一緒の時間を過ごしたい人が居た…
随分迷いました…
(彼女と結ばれるのか?他に男が居るのでは無いか?)
結ばれるか分からない、可能性は薄そう…
悩み悩み抜き、悩みまくりましたが…
実際は「すぐ付き合える状態」の別の女性を選んだ自分…
後ろめたい、何かスッキリしない関係…
歌の歌詞♪
「寂しさ紛らすだけなら誰でも良いはずなのに……自分を偽れない」
当にその状態
寂しさは紛らわせたのですが、頭の中は常に「本当に好きな人」の事ばかり考えてる…
本心本音を偽り生きる…
女性の勘とは凄いモノで
特に浮気をした訳でも無いのに…言われた
「二兎追う者は一兎も得ずやで」
彼女にしてみれば、一緒には居るのだけど「違う女性の影」が見え隠れしてたのでしょう。
彼女とも別れ「後悔」だけが残る…
一生懸命アプローチして「本当に好きな人」に思いを伝えれば良かった…
振られるリスクを避け、振られない確実な選択をしたわたくしですが…本心本音の声を偽った結果は後味の悪さだけ。
人は選択を繰り返し生きてるのでしょうね…
上手く展開すれば喜び、失敗をすれば悔やみ反省し学んでいく。
わたくしは、この年齢になりようやく気付けた事がございます。
心の声
生き方に教科書も説明書もございませんが…
恐らく「最善」の進路を示すのは「本心本音」からの声だと思います。
人間は、その声が聞こえながらも「世間体、見栄、意地…」に惑わされる。
本心本音は、時に険しく危険と思える進路を示す感じもします。
人間社会では、ある意味「損」な状況や「変わり者」と思われる様な立場に導かれる気がする感覚に陥る事もございますが…
自分を殺し、心の声に耳を塞いで迄「群衆心理」に飲み込まれ無難な人生を歩みたいか?
世間一般の「常識」と言う思い込み、概念に疑問や違和感を感じながらも身を委ねるのか?
大多数は飲み込まれ身を委ねる…
集団意識に混じれば「楽」ですし「安心感」も得られますから。
心の声に、ある意味「背く選択」は善く無いのか?と言えばそうでも無い。
前にも書きましたが、周囲に染まり集団に流されるのが「生物」としては当然の選択らしいです。
頭を使い、考え、悩み、勇気を出し生きるのは「多大なるエネルギー」を使用する…と。
最小のエネルギー使用で「生き切る事」が生物としてはベストな選択と言う訳です。
人間界に当てはめると
(そんな一生懸命がんばっても仕方無いやん)
(そんなに色々考えてもナンも変わらんやん)
その様な考え、生き方を選択出来る人間が「子孫」を残し種を絶やさない役割を担う。
その貴重な存在の99%を導き方向性を示すのが、残りの1%の存在らしいですね。
1%の存在をきっかけに気付き学び、99%の存在が気の遠く成る程の緩やかな速度で変化して行くと…
成る程、確かに理に適った考え方です。
社会学、生物学、心理学等々も「同様」の見解ですから本当にその通りなのでしょう。
このブログにアクセスし読んで下さってる方は、きっと心の中で叫ばれる…
それが?
学者や研究者、偉いさんや文化人知識人の言う事が全てなのか?正解なのか?常識なのか?
天邪鬼でも反骨でも無い…
誰かの人生観と、貴方の人生観は違う
誰かの価値観と、貴方の価値観は違う
生まれた環境も違えば、育った境遇、生きて来た過程も違う。
全ての情報に背を向け疑う必要は無いとは思いますし、気付きや学びに成るのなら構わない。
「生きるのは自分」ですし、自分が納得し晴れ晴れした気持ちで生きる事が大切だと思う。
その気持ちで生き、結果がどうで在ろうと…
在りたい自分、生きたい人生、理想の世界を最速で映し出す術は「心の声を聞き、実際に行う事」だと思うのです。
人間社会で上手く立ち回る事と、心の声に寄り添い生きる事とは「別次元」の話。
人間社会で上手く立ち回るには嘘も妥協も必要ですし、「心の声」だけを軸に生きれば生き辛い事も確かだと思います。
バランスの問題でしょう。
全てを他に委ね流される事無く、心の声だけを軸に頑固に生きる事無く…
でもね
「決めるのは自分。自分の事は自分が決断する」
その責任の所在だけは忘れずに生きる。
責任を放棄、責任を他に委ねた選択には「逃げ道」が沢山用意されてる。
選択をしたのは「自分」なら、他に責任や原因を被せる様なマネは卑怯だし…
それを世間では「みっともない」と言う。
今でも変わらないかも知れませんが、わたくしは随分「みっともない生き方」をして来た。
周囲を気にして、表面上の自分を飾り、無理して「別人を演じる」様なモノ…
その自分で生きる人生はしんどいだけでしたが、今は違う。
自分の気持ちが乱れる様な選択はしない
それを「意識」しながら生きる様に成ってから、世界が鮮明に見える感覚に成りました。
極端な話
世界を、人間を、自分を「ジオラマ」を観る様な感覚です。
歴史年表の文字だけで無く、ジオラマも同時に見てる感覚…上手く表現出来ませんが 笑
人が何を思い、考え、何故その様な行動や発言をするのか?
そして、その結末行く末はどうなるのか?
見える…見えてしまう
当然「自身」の事も…
それは、この世界、社会、人生が螺旋状に渦を巻きながら「同じパターン」を繰り返す法則でしか無い…事にも気付ける。
春夏秋冬…
春が来たら夏が来る
夏が来れば秋が来る
秋が来れば…
冬になれば…
人間の人生、人間社会も同様
在るパターンは必ず存在し、その中を生きてる事に気付ける「着眼点」がございます。
自然に近い状態の意識の声、それが「本心本音」だと思いますし…
エゴ我欲越しの意識の声、それは自然に背く「不自然な世界」に誘われる気がします。
変な話になりました…笑
自然体で生きる事、自然体で居られる場所、自然体で居られる人間関係…
その世界、次元は存在する様です。
自然の法則の中に「人間」も生きてる以上、自然は例外や特例を認めない以上…
人生も自然に生きれば「順調」の波に乗れる
その一番の近道が「内なる声」を聞く事だと思います。
がんばってね (^^)

