先日のお話会に参加してくれた Kさん。
心友でもあります😌✨
素敵な記事を書いてくれました🎵
⬇⬇⬇
世界と自分との分離を感じれば感じるほどに苦しむ。
握りしめた感情をふわっと放すだけで
世界が変わる
ただ。ただ。起きることが、起きている
理由なんて、何もない
自分に何も(コントロール)できることはないんだ
だから
わからない、答えもない、あるがまま、不完全で完成されてて完璧を求める必要もなく
だってそれがすでに完璧だからという
AKANEさんが伝えてくれた非二元の教えに
本当に救われて。
肩の力がすーっと抜けた
『怒り』という感情に
よく振り回される Kさん。
彼女は、大前提として
その『怒り』には原因がついていて
罪悪感が付いていると信じています。
息子が~~したからイライラ😡⚡=原因
怒鳴り散らしてしまった私は最低😢💨=罪悪感
信念としては多分
怒り = 悪
みたいな感じかなぁ~、と💦
さて、
でもそもそも『怒り』って何でしょうか??
何だか知らないけど頭や体が熱くなってギューっと力が入り、ワナワナするような不快なエネルギーに対して
『怒り』というラベルを貼ったものですね☝
たぶん。
それと、『私』がくっついて
私が怒っている。
になるんですね。
これは個人的なストーリーです( ´∀`)
AKANE💫がお伝えしていることは
この『私』が『怒っている』の、
『私』=行為者 も
『怒っている』=感情 も
現象であり、変わりゆくエネルギーだよ~
と言うことです😊
個人の『私』には
信念だの 考え方だの 価値観だの 生い立ちだの
ぐっちゃりくっついているけど
その『私』っていう自己意識も
ひとつである生命の表現に過ぎないんです。
『私』も 世界(現実)も 感情も思考も
表面的には在るけど無い。
在るのは
ひとつの生命エネルギーだけ。
そのひとつの生命エネルギーが
あらゆるものに形を変えて現れているんだね。
先程の
怒りという感情が湧いたとしても
『怒り』という感情自体に苦しみはついていません。
でも、その怒りが、『私』のものであり、『私』に対して起きていると感じると、それは苦しみになってしまうんです😵
とたんに私のストーリーになってしまう🌀
「起きていること」と個人の『私』をくっつけるから
または、「起きていること」と『私』の間に分離があると思っているから
苦しみになってしまうんだ。
でもどうしても私たちは、
個人の『私』というフィルターを通して世界を見るから
全てが自分と離れて見えるし、全てが自分に起きているように見えてしまう💦
だからね、
『私』という行為者はいないことをまず見抜いた方がいいかな、と思う。
それは日常で起きていることをよく見つめていくことで気づけると思うな。
自我の考えなしでも
起きていることが ただ起きているということに気づきが起きればいいんだよ😌🌟
そこには
原因と結果もついてないし
考えや価値も正解も付いていなくて
中立な事実があるだけだよ☝
そこに気づきが起こると
分からないこと 知り得ないことが
恐怖じゃなくて 安らぎになるんだなぁー🌟
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