✿別れと出会いの上京✿

テーマ:

初めてブログを書くヨーキイです

 

本名に「清」が入るのですが、いつの間にか、これが私のニックネームになったみたいです

 

私の仕事は理学療法士

 

この仕事は、リハビリーテーションを日常的に行うので脚力が必要になります

 

そこで、子犬と散歩しながら筋トレしようと、3年前にゴールデンレトリバーのオスを飼った

名前を、マーチェイという

 

上京し、1軒家で一人と一匹という生活が始まった

 

毎朝、マーチェイは決まった時間に私を起こし、体力づくりのジョギングから始まる

 

彼氏探しより、犬との生活に夢中な私に変貌した

 

私はある日、ストーカー被害に遭ったことがある

 

つかみかかろうとされたところを事前に私の犬が吠えて知らせてくれた

 

もう少しで襲われるところだった

 

おぞましい目だった

というより万人から気持ち悪がられる顔だった

そういう趣味の人は、目つきが普通ではない

 

それ以来、

悪習・悪癖を

目つきや全身から放っているのに、気付かない人間ほど怖いものはない

という鋭利で正確なセンサーがONになるようになった

 

 

それから数週間後、兄に執拗に心配され、兄は仕事が転勤になったと言って

兄が一緒に住んでくれることになった

 

実は、兄はこんなことのために元の仕事を私のために辞めていた

 

私は、嬉しいよりも強く、兄の人生計画も壊したストーカーに憤りが増していた

 

しかし、数ヶ月で兄は結婚し、また私は一人と一匹になる

 

それから、父が心配し上京

しかし、その父も1年しないうち、母を一人置いておけないと母の病気を機に帰郷

 

再び一人と一匹の生活に

 

ある日、またも

私は後ろから怪しい男性に後ろからはがいじめにされ、「キャー」と叫んだとき

 

「コラっ」と声がしたかと思うと、知らない男性が助けてくれた

 

ストーカーは暗闇に遁走


 

私は助けてくれた男性に不思議な感情が芽生えていった

 

犬に夢中で仕事が多忙なのにだ

 

これが恋愛の始まりになるとは知らなかった

 

それから結婚

 

しかし、はじめっから、意見の食い違いばかり

 

半年で離婚

 

別に喧嘩わかれというわけでもなく、お互いに一緒にいる時間もほとんどなく

結婚の意味がわからなくなっていたのだろう

 

また、一人と一匹の生活が始まる

 

私はなぜいつもこうなのだろうと落ち込んだ

 

私は、思い切ってその慣れ親しんだ場所から引っ越しを決める

 

多分、ストーカー被害の不安が大きく心にもたげていたからだ

 

引っ越すお金もそれまでなかったが、ぎりぎりの財力のなか、思い切って引っ越した

 

ある日のことだ

思いがけないことがあった

 

道で偶然、別れた元夫と再会

 

「会いたかった」と声がハモった

 

それから、お互いに変わったいた電話番号を交換

何度も会った

 

お互いに驚くような本当の良さを、お互いが初めて知る期間になった

 

私たちは、寄りを戻した

 

聞けば、元夫は小さな会社を興していた

 

何もかもが感動の連続だった

 

一緒の生活が始まった

 

が、その翌日、私の飼っていた犬のマーチェイが亡くなった

 

私は1週間、毎晩のように泣いた

 

肩を震わせて泣いている私を慰め続けてくれたのが彼だった

 

それが幸せな結婚生活の再会だった

 

しかし、1年後、夫に肺癌と糖尿病が見つかる

ショックのあまり、犬のマーチェイがいなくなったときよりもはるかに大きな悲しみに沈んだ

 

若さ故に急激に進行する癌と闘い、夫は一命は取り留めた

 

今は私が家計を支えている

 

それでも、なぜか私は不幸とは思わない

 

夫は、人を安心させる力がある

 

身体は病んでいても、周囲を明るく包む人なのだ

 

あの明るさは、いったいどこから来るのだろうと皆が魅了されるほど

 

きっと私が思うよりうんと強くて優しい人なのだろう

 

私は、そういう人といっしょにいられるだけで幸せを感じる

 

馬鹿なのかも知れないけれど、価値観は人それぞれ

 

 

結婚前は、アクセサリーばかり興味があった

 

夫がくれたアクセサリーらしいアクセサリーは、唯一ピンク色のピアス

 

 

それは付けずに、いつもケースにしまってある

 

それが「夫の命」の次に大切な宝物

 

ピンク色のピアスをじっと見ているだけで

夫の助かった命のことで胸いっぱいになり、涙が自然にあふれてくる

 

私はあまりアクセサリーや旅行に欲がないのかも知れない

 

私のアクセサリー好きな友だちに、贅沢できない私に同情してか、

別れればと提案されるけれど、それは卑怯な生き方になる

 

というより、どんな苦労をしても決めた人といたいというのが、正直な気持ちになるのかも知れない

 

何が素敵と思えるかは、その人の人生観によって全然ちがう

 

本当にダイヤモンドのように魅力のある輝きを放つ道とは、

苦しいけれども、その建設に情熱を燃やすことのできる道なのだと思う

 

苦しいけれど、情熱を燃やせる道こそが、途中に何があってもその人にいちばん合っている道と思う

 

私は私が魅力に思う、わが道を行きたい方です

 

あなたはどんな人生が好きですか?

 

 

 

✿ヨーキイ(^o^)

 

 

 

 

世の中にはおつむが弱いだけでなく、恐ろしい看護師がいるとは、怖いです

 

どんなに八つ当たっても、あやめるなんて最低で恐ろしい、残酷この上ないです

 

人の命を何だと思っているの?

 

普通は怪我させたって、たとえ過失でも償わないということはあまり聞かない

 

これが常識人の通常の反応であり、振る舞い

 

もう一度問い正したい!

 

人の命をなんだと思っているの?

 

(以上 ✿Beepencils 一同✿ つづいて、あるメンバーの詩になります↓)

 

『命の詩』

 

命、それは神様からもらった命

神様がつくった最高の宝

 

どんなに病んでいても命は命

最も価値がある宝

人には創ることのできない宝

 

たとえ自分の命でも壊す資格はだれにもない

 

人の命に軽重の評価をつけるのは、たとえ自分にもできない

 

ましてあやめるのが平気、怪我させるのが平気

 

という人は、“閻魔大王よりも人を裁く権限がある”と錯覚した、天よりも高く慢心した恐ろしい癖のある人以外にいないと言いたい

 

そして、今はどんなに栄耀栄華や人気をきわめていたとしても

そのうち、かならず社会から一生蔑まれることだろう

 

とうぜん、命を、簡単に切り捨てることができる資格は、国にもない

 

一人の人には家族がいる

 

親がいる

 

友人がいて、育てた人がいる

 

1つの命には、傲慢には見下すことのできない温かい思い出がつまっている

 

人には喜怒哀楽がある

 

それに余り流される人は医療従事者に向かないことがある

 

人は、たとえ今は怒っていても清らかな思い出がある

 

 

だからこそ、尊い価値がある

 

看護師をするなか、それが命の本質と感じてきた

 

 

 

その命の、想像もつかないほど重い価値も、未来も、一瞬に断てることほど恐ろしいことが、ほかにあるだろうか

 

家族や仲間との楽しい未来があったはず

 

あやめるとは、その命という、何にも変えられない未来を、一瞬で消す行為でおぞましさの頂点だ

 

自分を管理できるのは運命でもなければ親でも友人でもなく、自分だけだ

 

人生は悪くも正しくも生きられるが、それを管理できるのは誰でもなく、あなただけだ

 

今日、「あやめるという発想の、一瞬でもある人は、甘えていると思う。精神が自立できていない人だけよ」と姉が言っていた

 

でも、ふつうにお話しできるなら、みな心だけは大人として自立できる、できないと思うのは思いすごし

 

一瞬の判断で、地獄を生き続けたい人だけが、そんなおろかなまねをする

 

 

刑事モノで観てもわかるように、それほどおぞましがられて誰からも信用されないことはない

こうしたドラマは「おぞましいから近寄らないで」と青ざめられて一生を過ごすのだけは選んではいけないと言いたいのだろう

 

 

「あやめる」ということは、ふつうなら、想像すらはばかってしまうのが正常の人の感覚であるはず

わたしは使用もはばかるほどだ

 

その日からゾンビや鬼よりも怖い存在となり、

償っても一生が終わっても「おぞましさ」は永久に消えない

 

 

永遠に消えない地獄はないことを常識的にみなが知っている

 

 

人は、男性の体でも、かなり脆い

 

命は想像以上に脆くて儚いものと、知っておくべきと思う

 

その分、医療にたずさわる人なら、丁寧に丁寧を重ねてちょうど良い

 

慎重に次ぐ慎重さ、入念さが一瞬も欠かせないのが、医療従事者たる人間性でなければならないはず

 

患者さんを観察していくと、

すべての人は病をもっているから心も病んでいる場合はいくらでもある

 

機嫌不機嫌もある

 

ただし、もらったあなたの命も、授かったあかちゃんの命も、友だちの命も大事にするように、

 

同じように、医療家ならば他者の命を大切にすべきと思う

 

 

それは看護学校で習ったことではなかったか

 

命とは、副産物ではない

 

元来、処すべき者の命でないかぎり、不要な命も消して良い命もない

 

命とは、基本的にはみな必要があって、この国に、この時代に生まれてきた

 

それは人をあやめる目的ではなかった

それは人を怪我させる目的ではなかった

 

人から有り難いと言われることこそが、生まれた本来の目的であったことを噛みしめながら一生を生きたい

 

反対に、何を勘違いしたのか、そういう恐ろしい行為に出て、人生を踏み外す人がいる

 

悔やんでも悔やみきれない苦悩と後悔と地獄を味合わないように、

そのあなた自身を管理できるコントロールセンターの主導者は、あなたしかいなかったというのに

 

「命は必要でなければ生まれてこないとさえ言えるかもしれない」と、ある偉人が語っていた

 

だから、だれにも他者の命も自分の命も、

生かす責任はあっても、あやめる責任も義務もありはしないのだと強く強く伝え続けていきたい

 

そして、この一生でこの考えの人たちが何人増やせるかが、私の人生の、1つの価値に置きたい

 

ナイチンゲールの三重苦での苦闘、

ニーチェの思想は、

看護師として昔の歴史ではなく、今に生きる教訓であり、私たち看護師の今日もいつの日もめざす目標でなければならない

 

私たちは、常に心して、患者さんの命を大切に扱う日々でありたい

 

 

 

作詩(作文かしら?)  ホタルンの舞 でした😃

 

 

 

 

 

神奈川県にある危険な「整骨院」が敗訴、それなのに平然と営業中

 

これは単なる風評や噂ではございません!

 

国民のみなさまのお身体を守る重要な予防喚起

 

 

時代は今やマッサージブームです。

そこで国民ならすべての人が用心すべきことがあります。

 

医業類似行為の元での事故被害は、

因果関係が出難いことで事故の隠蔽が平然と行われ、被害者のほとんどは泣き寝入りです!

 

どういことなのか?と言いますと、

 

こうした不正な行為に悪気を感じない人たちが国家資格を行使することで、

既成の社会制度やこれまでの法律では、容易に規制・救済できない人権軽視の社会の仕組みが生まれてしまったわけです。

 

同時にその伏線では、国家規模の非常に強大な権力を今日の日本から生むことにもなりました。

 

これまでには容易に解決できない、全国規模的な違法健康保険請求の問題すら起きているから、おどろきです。 

 

そして、同時に、これは多くの健康保険組合にとっても、あたまの痛い大問題です。

 

それは、常態化を越えて全国で益々大規模化し、よく現状を知る良識ある国民や行政の間では詐欺と位置づけられ、厳重な処罰が下される時代を迎えました。 

 

整骨院や整骨院による施術ミスにおける被害者やその関係者、のみならず、社会の治安を守るはずの権力をもっている警察や弁護士の間からも、水面下では怒りに近い爆発的な感情が沸き起こっている状況が見えてきました。

 

要するに警察や弁護士でも、なかなか手に負えないケースの事故を意味しています。言い換えれば、事故は因果関係の立証ができて初めて事故として立件できるわけでなのですが、それが取りにくいのが手技による事故なのです。

 

日本でもこんな杜撰なことがあるのかと、初めて知る方は疑いをあらわにするほどです。

ですが、これらは紛れもなく日本で起こっている深刻な人権問題なのですよ。

 

私たちの徹底的な調査で、公的な協力体制のお力を得られ、裁判で負けても経営中の神奈川県の危険な整骨院情報を入手

 

神奈川県の①辻堂ラポール整骨院、②ビオス整骨院が国で禁止している手技を首に施し、

重篤な被害を出している事実をつかみました(H29年冬に敗訴)。

 

その院長のフルネームを調べるなか、

 

※①は、 成相裕康氏という人

※②は、原寿幸氏という人が浮上しました。

 

ところが、どれ1つとして事故の時期や詳細は掌握しきれていませんから、それについては引き続き、匿名専門家や匿名被害者によるご協力があれば幸いです。

 

こちらで被害を知ってもらいたい、全国の整骨院・接骨院で、同様の被害に遭った匿名被害者のご協力もあれば嬉しく思います。

 

成相裕康院長につきましては、当人の務めた前職場で指導していた内部の人の証言を、私たちの独自ルートで入手。

 

それは以下で、

「(成相氏は)ほかにも3人に怪我を負わせている」との情報です。

 

また、内部の人は「代表者と会社の看板を変えれば、大丈夫なんですよ」と

賠償や重大な責任から平然と逃げる立場を取っていることも判明。

 

あきれるのは、現行の日本の法律では被害者を出しておきながら会社経営のできてしまうこと。 

これでは被害者当事者の立場からするなら、「あり得ない」という思いになるはずですよねッ!

日本の法律って、遅れているんですねー。

 

ただし、これはそう簡単に逃げられる問題ではなさそうです。

 

なぜなら、

怪我の後遺症がひどい被害者の一部は、

社会復帰ができていないほど深刻である事が周辺者の証言からも浮上し、

私たちのもつ公的な機関からの情報ともほぼ一致しており、このまま世間や国が黙っているとは考えにくいからです。

 

また、元警察のかたからのお話しも聞くことができ、

「マッサージや整体は国家資格を所持しないで違法な行為をしているところが多い。法律で裁けないところ、法律で救済されないマッサージや医療機関には、うかつに行かないこと。勉強不足の人がバカを見ることになる。一生台無しになる。」と、重々しい口調が、印象的と感じました。

 

 

そして、最後に、

 

「これは1つの事件として扱いたいくらいだ。法律で逮捕されないから良いってもんじゃないだろ。それじゃ済まされない問題だ。

まったく医師なら医師免許剥奪となっているとんでもない事だ、人間をなめている。

 

こんな卑怯な人間がいるとは、親の顔も見たいよ。

 

良識がある万人があなたがたの危険予防の喚起に同調するだろう。

 

一人の人間には、誰もが育ててきた人というのが存在する、支えてきた家族がある。

 

一般的な処分ならば、逮捕されていてもおかしくはない件だ」。

 

「一生を台無しにした罪を償い、被害者側の立場に立つことくらい、なにゆえ自己責任においてできないのか。

又聞きした私だって、それが常識だろうがと過失を犯した人間たちに怒鳴ってやりたい心境になるよ。

 

良識・常識のかけらさえないことを疑う悪どさだな。これはまさしく放置して済む問題じゃない、放置すればするほど世論が批判を高めるだけ高め、おさまりのつかなくなる、卑劣な人権侵害の一種だ。

経営者として謝罪という良い選択肢がありながら、神経が普通とは思えない。まずそう考えるのが一般的な経営者の思考だし、社会人として当然存在していなければおかしい。

そういっても、遅れた日本の法律を背負わされている警察も辛いところだ、私も警察を長年やってきた者として、手出しができないなんて悔しい。

いいよ、自然の世論がどれほどなものか観ていると良いよ。

猫を路肩でひいてあやめた程度に誇示つけて、向こうもその被害者を必死に放置しているのかも知れない。が、相手は人間だ。

まあ、これほどまで被害が大きいと、統計上から推し量ると、まず簡単には済まされないだろう。

世論が動くのは、これからだ。すべてはこれからだ、大変だぞ。世間は、これらのことについてもっともっと重く扱って良いんだよ」

 

との怒り心頭のご意見も飛び出しました。

 

 同時にこの元警察官のかたの、一人を大事にする気高い意志は見習わなければいけないと

医療従事者として感じました。

 

全国の被害者の放置されているみなさんがこれを読んで、ほんの少しだけでも気持ちが癒やされたら良いな、と思っています。

 

① 整骨院や接骨院で、健保を使って違法マッサージを受けて詐欺を逃れている人たち、

 

② 禁止行為や危険な行為に罪の意識を持たない柔道整復師、

 

③ 整体行為で怪我させてしまったのに、犯罪から逃げている恐ろしい人たち、

 

④ 労働力が残っているのに賠償責任から逃れることのできる遅れた法律、

 

  その下で救済を求めている多くの国民の声、自殺者を出し続けている民主主義じゃない日本

 

⑤ 脱法マッサージをしている人間たち

 

わたしたちは元整骨院の従業員として、どれも清く正しく改めてほしいです。

 

 

上記を教えてくださったみなさま、ほんとうにありがどうございました。

ならびに、真に勇気ある内部告発の証言に対し、最大の敬意を表します。

また、被害者みなさまにはこの場をかりて、心よりお見舞いの言葉をもうしあげます。m(_ _)m

 

看護師と理学療法士の集い

(「悪い柔道整復師がもうこれ以上ふえたらダメでしょ」で意気投合。

「女性の力で、この日本を経済優先ではなくって人権最優先の安心できる社会にしたい♪」が合言葉)

 

ps. 私たちが尊敬する人、ナイチンゲール、ジャンヌ・ダルク

これからもゆうきをもって注意喚起をしてまいります❤

 

Bee pencils 一同