はじめまして

薬剤師志望の💐Hanatone(花トーン)です。

 

きょうは表題の疑問を

反社会的思想について調べているmAdさんに聞き、

投稿もお願いしてみました。

 

以下はとってもめなお話に

なります涙

 

 

「mAdです。

 

さて、宗教は何のためにあるのでしょうか?

言うまでもなく「人の幸福」のためです。

 

しかし、個人の幸せのためでも、また、故人のしあわせのためでもありません。人々の幸せのためです。

 

しかも、非常に多くの人たちのために存在しなければ全く意味は有りません。

 

では、政治は何のためにあるのでしょうか?

 

これは、非常に多くの人たちのためをはるかに越えて国民の幸福のために存在しなければなりません。

 

そして、金持ちか貧乏かを選んではなりません。

 

無宗教者の私が、

神仏を信仰する敬虔な両親や叔父に連れて行かれた先で、子供時代に牧師や住職や宗教の会長に教えて貰った印象的な言葉を思い起こします。それはどこであっても共通して、

 

〈人々の人権を踏みにじってまで、自分の幸福を打ち立ててはいけません。と教えていました。

 

これが、とてもこころに響きました。

 

今になって、それをおこなっているのなら、最早宗教や政治ではなく、宗教や政治の名を借りた詐欺集団であり、マフィアとしてしか機能できなくなる危ぶなかっしさが先行しているのだと思います。

 

1990年代、某教会はメディアで壺やアクセサリーや絵画や教義が書かれた分厚い本などを法外な高額で、信者に売りつけ社会問題になっていた反社会的集団です。

 

 

宗教と政治という、

双方の利権集めと票集めの目的が合致した先で、

国民利用という形で共鳴した一部とは言えない複数人から、

強い洗脳力と反社会的な断れない規律で

信者を生み出し続け、あるいは教団に縛り付け続け、

その高額な甘い汁を吸うことに味を締めた

腐敗した人間ばかりを生み出す結果となったのだろう。

やがて、その利権まみれの悪循環は、

それに抗議する正義感のある人間を長年生まないまま、

社会問題の病巣を今まで拡大し続けきたと分析する」と語る

人を幸せに導く宗教とは何か、

マフィアとは何かを趣味で研究する知人もいます。

 

 

 

またある人はこう言いました。

「社会的善悪の基準を思想に明確に堅持していない

人間ほど、立場の高低に関わらず

高額な利権に目がくらませされ易いのでしょう。」と。

 

 

 

あるいは、もう一人の私の知人は、

その社会道徳が低い国は今後も

それらの利権に潰されやすい病巣を

はらんでいるのでしょうか。

それを明確にめざめせるものがあるとすれば、

道がどんなに遠いくても、その善悪を明確にするための

教育しかない。

 

生命維持や正常な精神維持の危機を招くほどの

反社会的思想を

その教育によって見分ける能力を獲得できる。」と。

 

 

 

高い布施を信者に要求し生活を破産させられ国民の生きる権利である基本的人権さえも奪ってしまうことも横行したこの霊感商法なる違法性または存在自体が、公安に監視され取り締まられ、宗教法人から外されるべきだと、世間でもたいへん噂になっていた。

 

 

 

そこに政治献金が行われ続けていたことは、本来色濃い違法性が、広く世間で違法性を薄めてしまうとんでもない行為です。

 

 

 

本来なら、国民の幸福生活を創らなければならない政治がそれを許し野放しにし、それだけでなく日本の社会にとてつもなく広く助長させてしまった行為が、献金のみならず、この教会と交流するという行為に反映されてしまったのは紛れもなく事実であったのでしょう。

 

 

 

ビッグネームを持っていればいるほど、

そうした許してはならない反社会的な者を許せば、それに従って影響力を受ける国民も多く生まれ、世間では急速に広く深く社会悪が浸透し、国全体の考え方の傾向あるいは文化にもなってしまうという緊張感は必要です。

 

 

 

もしも、

小さな山にある無人の山小屋の火事の消防活動を極小さな自治体が

サボったとしても国民にあまり目立たず

それほど多くの人にはサボる習慣にはなりにくいですが、

関東圏からはよく見える富士山の山小屋の火事で

国ぐるみで消防活動を

サボったとなれば、非常に多くの国民に目立ち、

自分もサボろうと魔のさす国民は多くあれわれるでしょう。

 

 

 

よりにもよって、今回はその源泉が政治という、

民主主義の発信源であるべき存在でしたから、

これだけ根深く冷めやらない社会問題として

多くの国民が問題提起されているのではないでしょうか。

 

 

 

「民主主義を壊す最たる行為に

 

こんなにも長い年数政治のだれからも廃止抗議の声が

 

声高に上がらず野放しになってきたことはまた日本社会を民主主義とは違うものに変えてしまい兼ねない日本人全体にかかわる思想の慢性病になっていやしないだろうか。

 

みなやっているから、やる。皆許すから、許したい。

政治家が許すから国民である私も許すという政治家やその政党支持者がいれば、今後の日本は大きく道を踏み間違え、日本の民度は下がり、文化も連動して質が低下し、

国民の暮らしにくい社会が全国的に現出されかねない。

 

 

 

日本の国民は、欧米並みに政治に対して何が正しいか間違っているかを言葉やSNSで表明したら良くなる国だ。

だから発信力のある若者を先頭に、政治の悪には公平であるべきなのだろうと考える」

 

と一人の海外メディア関係者の方もいましたが、

日本社会を立て直すのにそのしっかりした識別観がここまで問われた時代はないように思えてきます。

 

 

 

私は若い頼もしい皆さんのお話しをオンラインを通じて多く聞いて感動してまいりました。

今後のより良い日本に、

これまでになくそうしたこれからの若い皆さんには

特に期待を寄せております。

皆さま、お読み下さいまして、ありがとうございます。

 

正直、私には、とてもむずかしかったです(笑)(*^^;)

 

マッドさん、お読みいただきましたみなさん、

ありがとうございます。

m(_ _)m

 

 

Beepencils

Hanatone