トイレ
車椅子をGETした私は自力でトイレ
まで行けるようになった
。
はじめの日、看護師さんに車椅子を押してトイレ
まで連れて行ってもらったのだが、そこで驚いた。トイレの中まで車椅子で入っていけないのである。壁には手すりもなかった
。
仕方がないので、右は看護師さんの肩を借り、左は壁に手をやり、右足一本でやおら立ち上がってケンケンの状態で個室まで行き、腰掛けた。左足は異様に重かった
。
用を足し、戻る時もやっぱり右足でのケンケンで数メートル進み、車椅子まで戻った
。
ベッドまで戻ると看護師さんに聞いた。
「なんで車椅子で中まで入っていけないの
?」
「そうですよね。でも、ここの患者さんは基本が歩けない人ですからそうなってしまったんでしょうか?」
なんだか納得がいかなかったが、それから催すたびにケンケンをすることとなった
。
信じられますか?
救命救急センターに入院している患者が片足跳びのケンケンをするんですよ!
ずっとベッドの上だけの生活だったから、身体は重いし、左足は錘をつけているようにもっと重い。それでもケンケン!お陰で体力が付いて筋力の戻りがはやかったですけど・・。
そうまでしてもやっぱりトイレ
まで行くと楽しみがあった。ウォッシュレット
だったのだ。それまでずっと入浴もできず、熱いタオルで身体を拭くだけだったが、とりあえず・・。
このウォッシュレットのお陰でその後、もっといいことがあった
。それはまたこんど。
病院のお食事
救急救命センターに入院して2日目の昼から普通食
となった。病院の食事だからどうせたいしたことはない
。ひどいに違いない
。と思っていた。ところが、2日目の朝、看護師さんから「食事は魚
だけがいいですか?お肉
もあった方がいいですか?」聞かれた。すかさず、「バリエーションに富んでるほうがいい!」と言った。
食事はいつも冷たいものは冷たく、温かいものは温かい状態で出てきた。内容はと言うと、それほど悪くなかった
。バッテラ(鯖の押し寿司)が出たり、12月に大きなイチゴが出たり・・
。私は割合味にうるさい方だが、味も悪くなかった
。
ただ、しょっちゅう出るものには少々うんざりした
。山盛りのヒジキの煮つけだったり、切干大根の炒め煮だったり。その中でもゆで卵は病院を出てから当分食べられなかった。なぜなら、水曜日を除いて毎朝パンと牛乳、デザートにゆで卵が出たからだ。うんざり・・
。
12月に入ってしばらく経った日、十二指腸が穿孔して入院してきたNさんが同室となった。Nさんは当然のことながら、絶食
だった。その前で私は毎食普通食を食べていた。ある時、Nさんは私の方を見て言った。
「ここの食事はおいしい?」
「うん、まあまあかな。病院食としては良いほうだと思うよ。」
「どんなのが出るの?」
そこから毎食のメニュー紹介が始まった。
何日か経って、私は食事メニューを紹介して食べ始めた。
タクアンが付いていたので、それを一切れ取って、口に入れ、噛み始めた。
ボリボリボリッ
「音、立てるな
!」
Nさんが叫んだ。
Nさんもかなり調子が良くなってきて食欲も出てきて、食べたくて仕方なくなっていたのだ。
「タクアン、音立てずに食べられないよ。長屋の花見じゃあるまいし・・
。」
その時には既にかなり打ち解けていたのでお互い言いたい放題だった。
それから5年以上経った今でもNさん一家とは付き合いがあり、タクアンのことは笑い話となっている
。
車椅子
考えてみると、事故に遭ってから2週間、ベッドから一歩も降りていない。身体が回復してくるにつれて退屈
で仕方がなくなってきた。
手術から約1週間。ガーゼ交換に来た主治医H先生の下のHI先生が「足、上がる?」と聞いたので、「上がるよ!
」と上げて見せた。毎日やっているんだから、ヒョイと上がった。それを見て、H先生は「力強いなぁ。」すかさず、「いつベッドから降りられる?」と聞くと、「そろそろポータブルトイレにしてもいいかなぁ」「エッ、ポータブルトイレ?」想定外だった
。
主治医のH先生が回診に来たとき、「ベッドから降りたい!」と訴えた。
「車椅子、いけるかな」やった!車椅子
GET!ベッドから降りられる!「トイレ
だけだよ」「は~い!」ポータブルトイレを飛び越した!
しばらくして看護師さんが車椅子
を押してやってきた。「レントゲン取りに行きます。」
なんでもいいや、ベッドから降りられるなら・・・
。いそいそと無事な右足を床に下ろした。立った。お、重いッ。なんだこの重さは!宇宙飛行士が地球に帰還したとき、すぐに立てないのはこんな感覚なのかなぁなどと重力の偉大さを感じつつ、立てなければせっかくGETした車椅子が取り上げられるような気がして、必死
で平静を装いながら車椅子に座った。左ひざが中途半端に伸びたままフットレストにおさまらない。看護師さんが段ボール箱を持ってきて、それをフットレストの上におき、そこに足を乗せた。
エレベーターで1階に降りた。車椅子
のままレントゲンを撮ってしばらく待っていると、H先生がフィルムを持ってやってきた。
「ほら、ちゃんとつながってるだろう?!」
「えっ?」
まだ折れたままですけど・・。アレッ、骨の中に何かが入ってる。と、いうことはこれが今の状態?すると、骨はガタガタのまま固まるわけ?そうすると、どうなるの?片足だけ短足になるの?
「短足になったの?」
「ん~、このくらいなら大丈夫だ。」
「・・・・。」
よくわからない、これがどこまで影響するのだろう・・。まっ、終わったことは仕方がないから、とにかく車椅子
を取り上げられないようにしよう!せっかく得た獲物は逃さないのだ!![]()
病室に戻り、ベッドに移ると、車椅子
を持っていかれてしまった。「あ”~・・・・・
。」
でも、しばらくすると、看護師さんがまた車椅子
を押してやってきた。
「移る練習しますか?」
「する、する!」退屈で仕方ないんだ。一度移っているから身体の重さだけを我慢すればいい。
すぐに難なく移った。
「移ったよ!次、どうしたらいいの?」
「そうですねぇ、どうしたらいいんでしょう?」
「・・・・。」
「・・・・。」
沈黙が続いた。
「じゃぁ、ここに車椅子、置いときますから、トイレに行くとき、教えてください。」
やった、車椅子、本格GET!
トイレに行くのを皮切りに、車椅子
で幅寄せ、車庫入れなど楽しんでみた。なんだか身体が重くて、足も浮腫みだしてすぐに疲れてベッドに戻ったが、退屈しのぎの道具を手に入れてゴキゲン
だった。
リハビリその1
手術が終わって2日ほど経った日の主治医のH先生が回診でやってきた。
「脚、持ち上がるか?」
もちろん!事故に遭う直前までスポーツジムでトレーニングしていたんだ
。
「上がるよ!」
持ち上げようと力を入れた
。
う、動かない
。
ビクともしないのだ。そんなはずはない
。冷静に・・・。もう一度・・。やっぱり動かない・・・
。
その時、手術前のH先生の言葉を思い出した。
「よっぽどリハビリしないと可動域障害が起こります。」
・・・そんなはずはない・・・、関係ないはずだ・・・・
。
「まぁ、そんなもんだ。」
えっ、想定内?
H先生が行った後、頭の中のパニック
を収めようとした。
冷静に・・・。足の指は動くのだから・・・。大丈夫、動くようになる。でも、どうやって・・・
。
上には上がらなくても横になら・・・・。
脚を横にずらそうとした。でも動かない・・・
。
さらに頑張った
。
と、ニジニジと動き出した。うっ、動く!![]()
しばらくして研修医のI先生がやってきた。
「ここに力、入る?」
ひざの上をグッと掴まれた。
「入るよ。」
といったものの、力が入りにくい。それでもなんとか腿の筋肉がピクッと動いた。でも、傷口が
痛かった。
「じゃあ、こうやって腿に力を入れる練習をしてみて。そうしたら動くようになるから。」
そう言ってI先生は去っていった
。
マジメな私は思い出しては腿に力を入れる練習をした。
・・・単にヒマで他にすることがなかっただけなのだが・・。
何日かするうちに重~い脚をスムーズに横にずらしたり上に上げたりできるようになった
。
排泄の苦難
手術から5日目、自力でまともに座れるようになり、膀胱に入っていたカテーテルが抜かれた。
でも、ベッドの下にはスリッパもなく、下には降りられない。まだ
トイレにも行けないという事だ。ということで、しばらくはトイレもベッドの上で済ますことになった
。
膀胱からカテーテルが抜かれて変わったことといえば、尿意を催す度にナースコールを押して看護師さんを呼び、便器を持ってきてもらい、ことが終わるとまたナースコールを押して便器を持っていってもらうという非常に面倒くさいことになっただけだった
。
その日、尿意を催し、順当にことを済ました後、処理してもらうためにナースコールを押そうとすると、言い争う声が聞こえてきた。
「なんで管を抜くんですか
」
「自分の身体はあなたより私の方がわかってます
」
「全部、抜いてどうするんですか
」
「放っておいて頂戴
」
別室の年配女性の患者と看護師さんが言い争っているのだ。
争いは終わる気配がない
。
「どうしよう・・・・
。」おしっこのはいった便器を見つめてナースコールを押すべきか否か迷った。
救命救急センターの看護師さんは通常はいつも走り回っている
のだ。一人が患者とやりあってるとなると・・・。押すのがはばかられたが、便器から立ち上る
おしっこの臭いに背を押され、とうとうナースコールを押した。
すると、あの、患者と言い争っていた看護師さんがやってきたのだ
。
「ちょっと待てる?」
便器からおしっこがこぼれなければいい話だから・・・
。
「うん・・・」
「ゴメンね、じゃぁ、もうちょっと待って!」
「はい・・
」
看護師さんは行ってしまった。同時に
バトルが再開した。
まだまだ
バトルが続いていたが、ナースセンターに数人の気配を感じた。
他の看護師さんが戻ってきたのだ。すかさず、ナースコールを押した。
別の看護師さんがやってきて、何事もなかったかのように(その看護師さんにとっては何事もなかったのだが・・)おしっこの入った便器を持って言ってくれた。
やっと、立ち上る
おしっこの臭いとこぼれないかという不安
から開放された。
ベッドの上におしっこのはいった便器があると身体を動かすたびに揺れて、こぼれないか不安だったのだ。
それにしても、「自分の身体は自分が・・」なんてねぇ。そんな患者も少なくはなさそうだし、看護師さんって大変だ。
シャンプー その1
救命救急センターに入院していると、なかなか入浴
することができない。身体は毎日蒸しタオルで拭けるが、熱が出たりすると汗
をかく。頭は洗いたくてもなかなか洗えない
。
手術が終わってしばらくたったある日、待望のその時が来た
。
「頭、洗いましょうか?」看護師さんが言った。
「うん
、でもどうやって
」まだベッドから動けない・・。
しばらくすると、看護師さんが実験室で使う小さな製氷機くらいの大きさの金属製の四角い箱をガラガラ
押しながら戻ってきた。
「?????」
すると、看護師さんは今度はベッドの枕元にやってきて、頭の部分の柵を取り外した。
「えっ?」
「じゃあ、もう少し上に行って下さい。」
手で身体を引きずり
、頭側に移動した。
ジャージャー水の音
がする。
見ると、四角い金属製の箱の上部は流しのようになっていて、シャワーが付いている。そこに頭をセットして洗うのだ
。
「気持ちいい![]()
![]()
」
洗髪が終わるとドライヤーで乾かしてくれた。事故で死にはしなかったのだが、このときばかりは生き返った心地がした
。
重労働
救急救命センターの看護師さんたちは重労働
だと思う。
毎日のようにベッドの移動
。それも患者の異動がある度に、パズルのようにベッドの配置を変更し、新たに重症の患者が入るとなると、その前にベッドの移し変えのシミュレーションまでやっている。1人か2人が新しいベッドの上にしゃがみこみ、「せぇのぉっ
」の掛け声とともに、下から押し上げる人と上から引き上げる人で移すのだ。
ベッドの移動も大変だ。ベッドの大きさに比して通路が狭く、病室の入り口が小さいのだ。通路は何も置いていなければ結構広いのだが、様々な機器が置かれていたりして、場所をとっている。そんなこんなで狭くなった通路を大きなベッドを患者を乗せたまま引きずって移動するのは大変なことだ。
たまたま私は12月に居住?していたので、珍しい光景を目にした
。
病室のカーテン交換だ。病室はカーテンだらけだ。大きな窓にかかるカーテンと各ベッドを隔てるカーテン・・・。
ある日、看護師さんがカーテンを手に病室にやってきた。かかっているカーテンを外して洗いたてのカーテンに替えるのだとか。他にすることもなし、ベッドから動けないので見ていると、だんだん気の毒になってきた。
12月だというのに、額には汗
、そのうちに息遣いまで聞こえてきた。よく見ると、病室のカーテンはかなり厚いようだ。それに、長い
これを台に乗って、上を向いたまま外して着けるという動作を繰り返すのは、華奢な看護師さんには大変な重労働
なのだろう。学校で教室の暗幕のつけ外しをした経験からも容易に推測できる
。
思わず、「できることなら代わってあげたい
。」と言うと、すかさず、「その状態になるのはイヤです。」と返事が返ってきた。なるほど、確かに・・・
。
採血
救命救急センターではしょっちゅう血を採られる
。入院時、手術前、手術後、その他諸々。
早朝から注射針を刺されることもままある。
それは、手術が終わってしばらく経ち、かなり元気になってきた頃の話。
とはいえ、まだベッドから降りるには早すぎるというある日の早朝だった。
看護師のMさんが病室にぶつぶつ言いながら入ってきた。よく聞いてみると、
「人間には向き、不向きっていうものがある。・・・それは仕方のないことだ。」
なんのこっちゃ
と思って見ると、その手になにやら光るものが・・・。注射器・・・。逃げられない・・・。
「もしかして、注射、苦手なの
?」
「はぁ~い
。」
妙に明るい
。
「それで
・・・、今から採血なの
?」
「そうなんですよ
。」
「・・・・・・
。」
私は、すかさず左手を引っ込め、右手を差し出した。
「こっちの手は初心者向けだから、こっちにしてね。」
にっこり笑って
ゴムチューブを腕に巻くMさん。
なんだか緊張
して、Mさんの一挙手一挙動を凝視してしまった。
はっきり苦手だと宣言されてから針を刺されるのはこんなに緊張を強いられるものだと初めて知った。そして、例えこれでMさんが失敗してもとても文句なんて言えないなぁと変なあきらめを感じたのだった。
そして無事に採血は終わった。痕が青くなることもなかった。
こうやって経験を積んで看護師の方々は技術と自信とを身に付けていくのだなぁと思った。
シーツ交換
病院のベッドはホテルのベッドのようにシーツがピン
と張られている。
以前、病気で入院したときはそこまでしなくてもと思ったのだが、今回入院してみてこれにはちゃんとした理由があるのだ
と知った。
脚が動かせないものだから、寝返りも打てない
。だから基本的にはずっと上を向いて寝ている。ベッドを起こしても背中はもたれかかった状態できちんと座れない。すると、尾てい骨あたりに変に力がかかる。熱が出たりして汗
をかく。汗をかくと蒸れる。蒸れると皮膚がふやける。皮膚がふやけると摩擦で炎症を起こす・・・。
ということで、見事に尾てい骨のあたりの皮が剥け、ヒリヒリしだしたのだ。こうなると座るのが辛い
。辛くても座っていると炎症がひどくなり、寝ていても当たると痛い
。そこにシーツのしわが当たると激痛
が走る。つまり、しわをつくらないようにピン
と張るのは床ずれを起こしにくくしているということなのだ。ベッドに寝たままでのシーツ交換でもシーツをピンと張ってくれるのはありがたかった。
ベッドに寝たままのシーツ交換は、ちょっとの間、身体を横向きにされ、その間に背中側のシーツを入れ替え、横向きのときに背中に当たるくらいの場所に丸められたシーツの山をまた体の向きを戻されたときに越え、背中の下で丸まったシーツを体の下を通すように引っ張るのだ。ちなみに寝たままの状態で着替えさせられるのも同じような方法でやる。
尾てい骨のところの皮が剥けてどうしようもなく痛くなった
とき、円座のクッションを貸してくれたのでなんとか助かったが、円座が無かったら座れなくなっていたかもしれない。炎症が治まってからしばらくは着替えの度に乾いた皮がボロボロと剥げ落ちた。
面会
救急救命センターに居ると、人恋しく
なる。
救急救命センターでは面会が厳しく制限されていて家族以外は面会できない
。また、その時間も限定されている。普通の病院では、面会時間は
昼の1時か2時から7時ごろまでが多いが、救急救命センターでは
午後2時から4時の2時間だけ、その時間も1回に面会できるのは2人までとなっている。面会者は、入口の受付で面会を申し出て、バッジをもらって胸につけるシステムになっている。面会が許可されると、病棟の入口には専用のスリッパがあり、それに履き替えて手を消毒液で消毒
してからの入室となる。これは救急救命センターでも一般病棟の場合で、ICUでは制限はもっときつく、時間は1日に15分間のみ、面会者は指定のガウンと帽子、マスク着用となる。
病院での面会と言えば、普通は見舞いということで、花やお菓子
、果物などの食べ物を持ち込むことが多いが、救急救命センターでは、それも許されていない
。入口の受付の壁に禁止事項が大書されているのだ。だから、病院食に飽きて、別のもの
を・・・というわけにもいかないのだ
。
私の病室は病棟の入口近くで、毎日
午後2時になると、一斉に患者家族が無言で部屋の前を通っていった
。
家族が来ていなかった日のことだが、私はテーブルの上のものを取ろうとして、看護師さんに借りていた音楽テープを床に落としてしまった。10本ほどを積み上げていたのが、そっくり落ちてしまったのだ。当時、私は4人部屋に1人で入っていた。動けないし、どうしよう
・・・と思っていると、隣の病室の患者さんに面会に来ていた家族の人が病室を覗いて、「音がしたから・・」と拾い集めてくれた。うれしかった
。
長く居ると、別の患者さんの家族に顔見知りも増えてくる。患者同士は互いがベッドから動けないのでほとんど知り合いになることはない。弟さんが入院しているというお姉さんは毎日、私の病室の前を通るたびに顔を見せ、手を振っていってくれるようになった。人恋しいとき、こういうことは本当に慰めになる
。
救急救命センター
というある種、極限状態にあっては、人間は相互協力という一体感をもった行動ができるようになるのかもしれない。ありがたいことだった。