救急救命センターってテレビで時々特集されているけど、泊り込み?で患者の立場で見ると全然違います。
救急救命センター独自の決まりごとやスタッフの人間模様なんかを垣間見ることができ、新鮮でした。
お世話になったスタッフの方々に感謝です。
使用禁止
病室にNさんの主治医U先生がやってきた
。Nさんの病状は今ひとつ落ち着いていないようで、十二指腸の穴もまだふさがっていないようだった
。(Nさんは手術せずに内科的に治療していた。)
U先生は機械をいじったりチューブを見たり、色々やっていたのだが、後ろを振り向いた。
と、突然、私の横の空きベッドを指差して、私に聞いてきた。
「このベッド、なんで使用禁止なの?
」
ベッドには「使用禁止」と書かれた紙が貼り付けてあった。
(スタッフでもないのに、そんなこと知るか!)
「さぁ?
」
すると、こんどはNさんの処置で忙しく動き回っていた看護師さんのSさんに向かって聞いた。
「ねぇ、ねぇ、なんで使用禁止なの?
」
「知りませんよ!キャスターが壊れているかなんかじゃないですかっ!
」
Sさん、ちょっとイライラしながら冷たく応えた。
「ふ~ん
」
U先生、納得したのか去って行った。
U先生は、ちょっと天然系
だった。
私の退院後の話で、あとでNさんから聞いた話だが、Nさんが食欲が出てたのに、まだ食事
できなかった時、U先生がNさんのところに来て言った。
「ボクねぇ、昨日、こんな厚いステーキ食べたんですよ!おいしかったですよ!
」
U先生の親指と人差し指の間は2センチくらい開いていたそうだ。
Nさん、口では「はい、そうですか
」って言いながら、
さすがに「コノヤロー
」って思ったそうです。
ストレスで十二指腸に穴を開けたのに、余計にストレスが掛かるっ
てもんじゃぁありませんか!
まぁ、Nさんも無事穴がふさがって退院し、その後も快調でよく呑んでいる
らしいからいいけどね
。
力関係
病院で力の強い順をというと、まず、医師で次に看護師というイメージだが、
救急救命センターで観察
を続けていると、どうもそうとは言い切れないらしいことがわかった。
医師の中でも序列がある。センター長、部長、医長、医員、研修医なのだが、この序列ははっきりしている。研修医の先生も患者から見ると「センセイ
」なのだが、どうやら「センセイ
」ではないらしい。包帯の巻き方が悪い
とか、心電図の機械の電極をつける位置が悪い
とか、しょっちゅう叱られているのを目にした
。
看護師の中でもやはり序列があった。1年生
とそうでないのでは全く違った。十二指腸穿孔で食事の摂れなかったNさんは中心静脈に針をさして栄養を摂っていたが、血糖値の検査で指先から血を取ることになっていた。その日は看護師1年生
のIさんが採血用の針を持ってやってきたが、なかなかうまく行かない
。なんとか作業を終えて戻って行ったが、しばらくすると戻ってきた。
「ごめんね、失敗した
からもう一回取らして!」
人の良いNさんは嫌な顔もせずに
「はい
」
と手を出し、Iさんは再挑戦した。
Iさんが戻って1時間ほどして看護師7年生のFさんがやってきた。
「成功させに来た!
」
「えっ?
」
病室の3人は一斉にFさんを見た。
「ごめんね、1年生だから、怖がって思い切りが悪くて・・
」
Fさんはさっさと針を刺し、見事に成功させたようだった
。
・ ・・それっきり針を持ってくる人は現れなかった。
・
私がシャワー
を浴びた日、ベッドからナースセンターの方を見ると、固くなって小さくなっている
Iさんとその横でIさんの方に向かって不機嫌そうな顔
でカウンターに肘をついているFさんが見えた。
FさんがIさんを叱ってるのかな
?!
シャワーを浴びてご機嫌だった私は思わずニッコリ笑ってFさんに手を振った
。Fさんはそれに気付いて笑って手を振り返してくれた
。どうやら重苦しい空気が和んだ。ホッとした
。1年生は立場が弱いようだ。
研修医と看護師の間での序列も面白い。
ベテラン看護師の方が研修医よりも立場が強いのだ
。
私たちの病室に居た研修医I先生はある日、病室を出たところにワゴンを置いて作業している看護師のHさんに呼ばれた。
「I先生、お手すきぃ?
」
「はい、なんですか?
」
「これ、手伝っていただける?
」
「はい、いいですよ。
」
かくしてI先生はガーゼ交換時のセットを整備する手伝いをさせられた。研修医でない他の先生がそんなことをしているのをみたことがない。
とすると、ここ
での序列は
センター長、部長、医長、医員、看護師(1年生を除く)、研修医、看護師1年生といったところだろうか・・。
シャワー
事故からかれこれ3週間、一度もお風呂
に入っていない。毎日身体を拭いているものの、やはりお風呂
に入りたい。せめてシャワー
だけでも浴びたい。そんな欲求がだんだん強くなっていった。
トイレにはウォッシュレットがついており、こちらはよいのだが、いくらなんでも3週間は長い。上半身はゴシゴシこすれるが、赤紫色に腫れあがって熱をもっていた腿(受傷部は脛だが・・・とにかく足先から付け根まで見事に腫れ上がっていた!)は強くこすれず、白い膜が張ったようになっていた
。ひざから下は洗ってもらうこともあったので、それほど気にならなかったが、気持ち悪い。なんとかきれいにしたい。それで
作戦を実行した
。
比較的発言権のある看護師さんが病室に来たときを狙って、まだ歩けない同室の患者とトイレ
の話をしたのである。
「ここのトイレ
にはウォッシュレットがついてるよ。お風呂に入れないから、いいよ。でも、やっぱりお風呂
には入りたいよね。あのウォッシュレットを見てると、あれで全身、洗ってやろうかっ
ていう衝動にかられるよ。」
看護師さんが振り返った。
(しめたっ!)
「シャワー浴びる?」
「うんっ!」
めでたくシャワーが浴びられることとなった。
救急救命センター
には患者が自分で入れる浴槽がない。浴槽はあるのだが、火傷治療用の薬を入れた消毒用の浴槽しかないのである。
浴室の奥にあるシャワーの前で、椅子に座り、タオルに石鹸をつけて身体をこすった
。気持ちいい
。死ななかったが、生き返った気分だ。シャワーを掛けると、おぞましい光景が目に入った
。つけた石鹸の量から考えると、どう考えても石鹸カスではない白いカスが排水溝に一杯なのである。タオルを洗い、もう一度石鹸をつけて身体をこすり
、シャワーを掛けた。汚れがひどい場合は二度洗いに限る
!やはり排水溝に白いカスがたっぷり溜まった
。さすがにこれではひんしゅくをかう。とはいえ、掃除できるほど動けない
。仕方がないから、しばらく水を流し続け、白いカスが流れるのを確認して一安心した
。
病室に戻ってドライヤーを掛けると、本当にすっきり
した気分になれた
。入浴というのは人間をリラックスさせてくれるものである。
病室模様
ある日の午後、面会時間、同室のSさんのご兄妹が面会に来られていた。
Sさんも交通事故で重体だったが、だいぶ安定していた様子で、私たちはすっかり打ち解けていた。
みんなで話をしていたのだが、事故当時の話になった。私は
跳ね飛ばされたときにアスファルトに叩きつけられたものの、咄嗟に受身をとって頭をかばい、衝撃をうまく逃していたようで、車にまともにぶつかった左足を除いてはかすり傷程度だったのだが、それはちょいとばかり武道経験があるからだろうという話になった。と、Sさんの妹さんがSさんに言った。
「おねえちゃんは?」
「私はバスケだから・・・こう!」
と、酸素マスクの下から言い、ひじを張り出した
。爆笑
となった。
しばらくして、救急車が入ってきた。Sさんのお兄さんが「新入りですよ!」と言った。家族も患者が安定してくると余裕が出てくる。そして、そうなのだ。その頃、私は病室の主のようになっていた。
救命救急センター
では患者の入れ替わりが激しい。心筋梗塞など入院して来た患者さんでも約1週間~10日で退院していく
のだ。3週間を超えるとなるとかなり長い入院ということになる。さらに、長期入院の患者の場合、入院当初は意識がないか朦朧
としているかが多いのだが、私は当初から意識ははっきり
していた。つまり入院中、ずっとコミュニケーションをとれる状態だったのだ。主のようになってしまうわけである。
ただ、こういう状態が続くと退屈
で仕方がない。Sさんのお兄さんが立体木製パズルを持ってきてくれた。元々、パズル好きなので、ご機嫌
になった。何とか組み立てると
、今度は組木箱細工のパズルを渡された
。箱を開くとやつだ。チンパンジーの愛ちゃんに挑戦!食事
もそっちのけで熱中
してしまった。
リハビリ室
リハビリ室から初めて呼び出しがあった日、装具を着けた状態で車椅子に乗せられ、本館のリハビリ室に行った。看護師のFさんが車椅子を押してくれた。リハビリ室までの道々、売店や自販機の場所など教えてもらった。
リハビリ室に行くと、担当のT先生は平行棒のところに車椅子をつけた。
「これを持って立ってみて」
平行棒を頼りに立ち上がった
。
「足を一歩踏み出して」
平行棒の上で手の位置をずらしながら、歩を進めた。
端から端まで歩けた!
方向転換をして、反対方向から戻り、車椅子に腰を下ろした。
T先生は松葉杖を持ってきて、私をもう一度立たせた。
杖の長さを調整して、使い方を教えてくれた。
平行棒での歩き方が松葉杖での歩き方の基本となるらしかった。
ぎこちなくではあるが、自分の行きたい方向に自分の足で歩けた
。
その日はほんの少し歩行練習をした後、関節を曲げる練習をした。
膝は90度近くまで曲がるようになっていたが、足首はビクともしなかった
。
足首の関節を曲げようとするT先生の様子がおかしい
。
「怖いなぁ・・・」
「何で?たいしたことないんでしょう?H先生はたいしたことないって言ってたけど・・。」
「(救命救急)センターでだろう?!言っちゃあ悪いけど、あそこは死に掛けの人ばっかだから・・
・。本館の病棟でなら、この骨折はかなり重傷なんだよ。ボキボキに折れているだろう?!すぐに処置をしないと足がダメになってしまう可能性があったから
(救命救急)センターに送られたんだから・・・。」
「えっ、そうだったの
?!」
初めて知った。確かにZ線写真を見るとボキボキだったが、周囲の患者さんが大変な状態の人ばかりだったから、自分はたいしたことがない
と思い込んでいた。少しショックだった
。
「脛骨は髄内釘を入れていて固定されているけど、脾骨も折れていて、こっちはグラグラ
のままだから・・。」
「それはどういうこと?」
「足首を曲げると、脾骨も動くから・・・」
「つまり、あまり動かせないってこと?」
「そういうこと・・・。」
リハビリ室では杖を使っての歩行練習と関節を柔らかくする最低限の訓練が主だった。
その日のリハビリメニューが終わると、看護師のFさんが迎えに来てくれた。お土産に松葉杖を持たせてもらった
。「リハビリ室を出て、救命救急センターに帰るには・・。」と、帰りには道順のおさらいがあった。
「MR室の表示を
目印にしてくださいね。」
「関係者以外立ち入り禁止
って書いてるよ」
「大丈夫、関係者だから
」
「関係者?!・・・。
」
救命救急センターの病棟に帰ると、歩行器がやってきた。病棟内は歩行器でヨチヨチ
歩き回れるようになった。そして、翌日からは毎日のリハビリの帰りに自販機で新聞と飲み物
を買うのが楽しみとなった。
リハビリでは後日、松葉杖で階段の上り下りの練習もしたが、2階まで上るだけで汗だく
になった。相当、体力が落ちているらしかった
。
装具
手術からちょうど1週間経った日の午後、
ウトウトしていると、人の気配がして目
を開けた。研修医のI先生と白衣ではない知らない人が居た。
「装具の型を取るよ。」とI先生。
「どうするの?」
「大丈夫ですよ、横を向いて足を投げ出してください。
」知らない人が言った。
わけもわからず横を向き、ベッドから脚を投げ出した。
包帯が外され、サランラップが巻かれ、紐が脚に沿って置かれた。
?????
次に、紐の上からなんだか湿った包帯のようなものを巻きつけられた。
?????
巻き終わると、手でしごかれた。
脚はまだ腫れており、ちょっと痛かった
。
しばらくすると、湿った包帯のようなものが固まった。
湿った包帯のようなものはギプスだった。
紐を引っ張ると、ギプスがパックリと2つに割れた。
「型は取れましたから、出来たら持ってきます。」
知らない人は装具屋さんだった。
1週間後、装具が出来た。
主治医のH先生が装具屋さんとやってきた。
装具屋さんが装具を装着してくれた。
まず、筒状で伸縮性の布を脛に通し、その上から踝から膝までの長さで、後ろに切込みがある脛の形のプラスチックの筒をはめられた。マジックテープのベルトを締めた後、サンダルの付いた重そうなものを外側につけられた。外側の装具は脛の内と外に当たる部分に金属棒が2本、とその内側に前半分が開いたプラスチックの板が着いており、膝の両横部分に穴が開いていた。外側の装具の膝の部分の穴に内側の装具の膝の両横部分に付いた出っ張りを入れ、脛の前部分のマジックテープのベルトを締め、サンダルのマジックテープを閉めると、左足は完成。右には脛部分はない左とおそろいのサンダルだった。
「立ってみて!」H先生が言った。
立とうとすると、バランスが取れず、倒れそうになった
。
H先生が受け止めてくれた。
「これを着けたら、歩けるようになるよ」
嬉しかった
。
H先生たちが去った後、もう一度装具を着けてみた。
「これを着けたら、歩ける?!
」
立って、歩こうとした。
重いし、どうやって足を踏み出したらいいかわからない
。
上半身で勢いをつけて足を振り出そうとした
。
足は床に吸い付いたまま動かなかった
。
と、「先生!歩こうとしてますよ!」
と後ろで看護師さんが叫んでいた。
H先生がすっ飛んできた
。
「リハビリしてからでないと転ぶよ!今日は着ける練習だけにしておいて!
」
「は~い
」
仕方なくベッドに戻り、装具を外した。
まだ車椅子・・・・。ちょっとふてた
。
数時間たって、看護師さんがやってきた。
「リハビリ室から呼ばれました」
やったー!歩ける!![]()
シャンプーその2
車椅子に乗れるようになったある日、また洗髪してもらえることになった
。仲良くなった看護師のFさんが車椅子で浴室
まで連れて行ってくれて、そのまま洗髪してくれた。浴室
は広く、入り口から奥に向かって緩い下り
になっていた。浴槽は大きなステンレス製のもので、下のタイルに埋め込まれることもなく、置かれているだけというように見えた。浴槽の横には1リットル以上の大きさのイソジンの大きなボトルが置かれていた。浴槽の置くにはシャワー
があった。
洗髪の間、たわいもない話をしていたのだが、疑問
に思っていたことを
聞いてみた。
「ここの先生たちはみんなすごくいい体格をしているけど、それって、そういう人じゃないと務まらないってこと?
」
「違いますよ!ここは2階までしかないでしょう?!本館だと7階まであるから階段の上り下り
で運動するけど、ここに居るとしないから・・・。それと、ここでは下っ端の研修医の先生が三食
賄いをするんですよ。本館の病棟だったら、食事
ができないこともありますけど、ここだと三食きちんと食べて、運動しないから、みんなああなるんですよ。
」
洗髪が終わると、今度は脚を洗うこととなった。
Fさんはバケツにお湯をたっぷり入れ、石鹸をつけてそうっとなでるように洗ってくれた。そして今度はこんな話をしてくれた。
「ここって、処置室に運び込まれてすぐに亡くなる患者さんが多いんですよ。初めはなんて声を掛けたらよいかわからなくて、涙
が出ました。今でも辛いですよ。私も兄を亡くして、看護婦
になったんです。」
彼女は肉親を亡くす悲しみ
を知っているからこそ、余計に辛いのだろう。でも、そのために初心を忘れない看護師でありつづけてくれるだろう。いつまでもそんな看護師さんでいてもらいたい
。
洗髪と足浴が終わると、動きたくてウズウズしだしていた私は、自力で車椅子をバックさせ、ドアまでのゆるい坂を上っていった。
「(救命救急)センターの患者さんでこんな元気な人いないですよ!
」
Fさんに呆れられた。
余談だが、1年後、私は脚に入っていた髄内釘という金属の棒を抜くために本館に入院したのだが、その手術のあと、じんましんが出て、皮膚科送りとなった
。入院中の患者の場合、外来患者が終わってからなので、ほとんど待たずに診てもらえる。
診察室に入ると、
「こんにちは。」と女性の声。
「
こんにちは?」と返し、見ると、Fさんがいたのである。配属が皮膚科外来に変わっていたのだが、憶えていてくれた
。整形外科外来に変わったSさんも憶えていてくれていたが・・。私って記憶に残りやすいタイプの患者らしい・・・
。
診察してくれる医師を尻目に、ついつい昨年の思い出話や同室だった人たちの近況を報告するなど話し込んでしまった。診察が終わり、診察室を出ることとなった。松葉杖を使っていたので、Fさんがドアを開けてくれた。診察室を出ようとすると、
「また来てくださいね。
」
「病院はもういいよ。
」
「そうですよね。
」
すっかり普通に生活できるようになった今、Fさんにここまで回復した
と見せたいと思う、今日この頃である。「再会させて!」って探偵ナイトスクープにでも出してみようかな?!
リハビリその3
主治医のH先生は端座位(ベッドに横向きで脚を投げ出して座ること)をとると、重力で脚が下に行くから膝が曲がるようになる
と言った。だから、端座位がとれるようになると、食事
は横向きでベッドから脚を投げ出してとることにした。
膝が曲がらないのは面白い。脚をブラブラさせている(救命救急センターのベッドは寝台面が高い)はずなのに、左足だけは前に突き出ている。なんだか可笑しかった
が、食事
の間、脚を下ろして座っているだけで左足はどす黒く浮腫んでいった
。
ここで、考えた
。端座位だと脚も下りるが血も下がる。それで浮腫んで辛くなる
。これを90度回転させたらどうだろう?つまり、端座位の姿勢のまま後ろに倒れるのである。すると、脚は重力方向に下りるが、水平より高い位置で止まる。それなら、血は下がらないから浮腫まない。浮腫まないなら辛くないから長時間できる
。足を動かす練習と一緒にこの方法でヒマさえあれば膝を曲げる練習をした。
この先、当分の間は右足と腕の力で身体を支えていかなければならない。ベッドで動かないで居たら、肝心な右足も腕も筋力が落ちて、なかなか動けないだろう
。だから、筋トレ
もした。500ミリリットルのペットボトルに水
を入れてきてもらい、それをタオルで右脚に巻きつけて上げたり、下ろしたり。さらに、ベッド上でプッシュアップを繰り返した。
主治医のH先生曰く、「そこまでやるのはレスリングの選手で手術の次の日からスクワットを始めた人以来だ
。」
練習の甲斐があり、約1週間で90度近くまで曲がるようになった
。異例の早さだったらしく、看護師さんからは口々に「普通は痛がって、自分からリハビリをやろうとはしないんですよ。」とか、「自分でやる気になってやるとこんなに早いんですね。」と言った。
リハビリは工夫と継続ですよ!
リハビリその2
何とか足が持ち上がるようになって、まだベッドから降りられない時のことだから、手術から5日くらい経った頃、朝の回診で主治医H先生、その下のH先生と研修医のI先生がやってきた
。ガーゼ交換の後、いきなりI先生が「曲がるか?」と足を持ち上げて膝を曲げようとした。
![]()
「イタイ、イタイ!
」
思わず叫んだ。
「曲がらんわ。ケツが上がってる。55度だなぁ。」と主治医H先生。
そして「CPM!」と続けた。
「CPM!」その下のH先生が復唱した。
CPMって何?誰も教えてくれなかった。
しばらくすると、看護師のSさんがワゴンを押してやってきた
。
ワゴンには白いボアのベルトがたくさん付いた機械が乗っていた。
「ウサギさん
・・・。今日からこれで膝の曲げ伸ばしの練習をします。」
「???」白いボアが確かにウサギさん
のイメージではある。
Sさんは、ワゴンからはみ出しそうな大きさのその機械を抱え上げ、ベッド上に置いた。
枕もとから電源を取り、寝た状態の私の脚を持ち上げた。
そして、ボアのベルトの上に脚を置き、また違うボアのベルトで固定した。
何かを調整し、スイッチが入れられた。
低い機械音とともに足の裏が押された。圧縮機!
少しずつ膝が曲がる。痛い!
また緩んで伸びた。それが10分程度続いた。
「はい、じゃあ今日はこれで終わり。ウサギさん
、置いときますね。」
と、Sさんは脚を機械から外し、機械をワゴンに移しながら言った。
このウサギさん
がCPMという機械だった。
少しずつ角度を大きくしながら毎日、10分くらいずつ、2回程度CPMにかけられた。
焼肉
ある夜
のこと、消灯前にトイレに立った。
救急救命センター
ではナースセンターが真ん中にあり、それを取り囲むように病室が配置されている。病室といっても、壁やドアで仕切られていることはない。ほとんどの病室は単に、カーテンで区切られているだけである。
幸い、私はひどい骨折だったとはいえ、救急救命センター内では重傷度が低く、奥から2番目のドアのある病室だった。トイレ
は、階段付近にあった。ナースステーションのカウンターに沿って一般病棟を横切り、ICUの入り口を通り過ぎてやっと
辿り着く遠い道のりであった。
その日もナースステーションのカウンターに沿って一般病棟を横切り、ICUの入り口を通り過ぎ、階段付近に辿り着いたとき、なんだかすごくいい匂いがした。トイレ
から出て、階段付近を通ると、やはりいい匂いがした。焼肉だ
!でも、なぜ?当たり前だが、焼肉なんて病院では食べられない。娑婆のにおいを感じた。
ナースステーションの前に看護師さんがいた。
「焼肉の匂いがしますね。いい匂いですね。」
「そうですね。匂いますね。」
病室に戻ると黙っていられなかった。
「今、トイレに行ったら、焼肉のにおいがしてたよ。」
「いいなぁ。」
「許せないよね。
」
「ホント、ホント。
」
その日はそれで終わったのだが、数日後の朝のことである。
処置に来た看護師さんが言った。
「この間の焼肉の犯人がわかりましたよ。
」
「誰ですか?」
「これです!」
指されたのは、研修医2年目のお笑い系の医師だった
。
「すいません。僕が犯人です。看護師さんにおこられました。すいません。
」
「おいしかったんですか?
」
「おいしかったです。すいません。
」
「よかったですね。
」
「はい、すいません。![]()
救急救命センターの医師は昼夜なく働いているのである。その激務のなかで、密かにの楽しみを味わっているのかもしれない。
