王妃 ホファンオッ(許黄玉)
インドアユタヤから伽耶の国へ来たと言われる首露王妃です。
今から彼女の眠る処へと行きます。
クジボン(亀旨峰)から直ぐのところにあります。
クジボン(亀旨峰)を降りながら撮った写真です。
参拝道が真っ直ぐ続いています。
そこを真っ直ぐ歩いてみると、横に祠のような建物があります。中を見てみると、
石塔がありました。
これは何だろう?
加耶を建国したスロワン(首露王)には金の卵から産まれたという神話がありましたが、
王妃である、ホファンオッ(許黄玉)にも神話が伝えられています。
金首露王が駕洛国を建国して、しばらく後に、臣下らが王をお伺いしながら王妃を決めるよう勧めると、
首露王は
「私がここに降臨したことも天からの命であった。よって、王妃も 天がお決め下さるはずであるから心配するではない。」
そんなある日、金海駕洛国に
長い旗を翻す赤い帆の変わった帆船が近付いてきました。
その船にはインド阿踰陀国のお姫様である許黄玉が乗っていました。
そのとき彼女は16才の美しい処女でした。
彼女は天神の命を受け遠くの駕洛国まで訪ねてきたのです。
許黄玉は、一度も会ったことのない首露王を夫に迎えるために、遠くインドから船に乗ってきたのでした。
船が始めて入港したところは、今の鹿山の海岸です。彼女が乗ってきた船には妹の許宝玉と数名の侍女と石で作った塔が乗っていました。
「私は太陽王朝の阿踰陀国の姫、許黄玉と申します。
歳は16歳です。
私が本国にいる時、父王と母后がおっしゃるには、夜、夢で天の上帝 にお目にかかったところ、伽耶国王は天より舞い降りた神聖な人物であるから、姫を送り妃とするようにしなさいとおっしゃられました。
私は父母様 の言い付けどおり船に乗り、あなた様にお目にかかることとなりました。」
許黄玉は金首露王に気に入られ首露王妃となり、妹の許宝玉は長游庵という寺を建ててそこで暮らしました。
現在の長游社がそれです。
国際結婚をした首露王は王妃許黄玉との間に10名の王子が生まれました。
首露王は、その中の二人に許氏の姓を与え、代を継がせました。
それで、今でも金海金氏と許氏は、結婚しないそうです。
ドラマチックなロマンスですね❤
先程の石塔は王妃がインドから持ってきた石塔だったのですね。
インドアユタヤから西暦48年、王女16歳のとき、船に乗り、伽耶の国へ首露王王妃として嫁いで来る。これって大変な事ですよね。
そして、この石塔は、
王妃が遠いインドから伽耶の国まで無事に到着できるようにと、祈りを込めた石塔だったんですね。
さて、インドのアユタヤってどこ
今のインドのアヨーディヤであると言われてます。
アヨーディヤーの名は「難攻不落の都城」を意味し、古代コーサラ国の初期の首都とされ、叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公ラーマ王子の故郷としても知られる。
この町を中心とした地域はかつて、アヨーディヤーの名をとって「アワド」という歴史的名称で呼ばれ、古来より数々の王朝がこの地を領して栄えた。
またタイの古都アユタヤ更にはインドネシアの古都ジョグジャカルタもアヨーディヤーの名に由来する。
Wikipedia から
こんな処からどうやって?
幼い姫がどんな経路といかなる理由で、はるか遠い韓半島まで来るようになったのか
色んな事がベールに包まれています。
今、韓国では伽耶国の金首露王と 許黄玉の出会いをダイナミックに再現しています。
祝祭も催し、テーマパークではミュージカルも上演されています。
インドから来たお姫様、大歓迎ムードです。
全アジアの人々の出会いを記念して「希望と跳躍」を象徴しながら新しいアジアに向けて進むよう 願う気持ちで選ばれたとありました。
夜はその祝祭に行きます。
続く~✌