韓国旅行 カヤ国への旅④ スロ(首露)王 | 韓国旅行記

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歴史、文学、伝承、民話、美術、飲食などを絡ませながら旅します。


カヤ(加耶)国がどういう国だったのか、知りたくて、金海国立博物館にやって来ました。

さて、加耶はどんな国だったのでしょうか?

1世紀から5世紀にかけて
朝鮮半島南部には
言語や風俗がそれぞれに特徴の異なる
馬韓・弁韓・辰韓の3つの地域に分かれていました。



これら三韓(馬韓、辰韓、弁韓)はまだ国の形を成してなくて、小国家または部族の集まりの状態であったようです。

そんな部族の集まりの状態から統一していき、

馬韓が百済(くだら)になり、
辰韓が新羅(しらぎ)になりました。

そして

弁韓伽耶となります。
と言いたいのだけれども、

びっくりちょっと待ったパー

この加耶は百済や新羅とは少し事情が違ったようです。

加耶は統一される事なく、小国家の集まりの連合国家のままズーッと行ったようです。

  加耶は連合国家


ここで、今回の主人公

首露王(スロワン)
の登場です。

首露王とは、連合国家であった加耶の盟主国、金官加耶の王です。

 数多の部族の集まりであった弁韓がある程度のまとまりとなり、六加耶となります。

「六伽耶」

  阿羅伽耶(今の咸安)、
  古寧伽耶(今の咸寧)、
  大伽耶(今の高靈)、
  星山伽耶(今の京山玄)、
  碧珍小伽耶(今の固城)。

 これに盟主であった
  金官加耶(今の金海)

 を入れて六加耶です。




金官加耶は加耶グループの親分とでも言ったとこでしょうか。
そして首露王はこの金官加耶の王でした。

この王には建国神話があります。

卵から産まれたというのです。びっくり
びっくりです。

 天から六個の金の卵が降臨してきて
最初に卵殻から首を出した男児を、
金の卵から初めに首を出したことで

「金首露」

キムスロと名付けたと言います。

これが首露王です。

そして、彼は金官加耶を建国します。

他の五個の卵からも男児が生まれ、それぞれが五つの伽耶の国王になったというものです。

神話です。
が、六個の卵と六加耶、関連はありそうです。
チョキ

この卵が降臨してきたのが
クジボン(亀旨峰)です。

クジボンに行ってみました。
金海国立博物館の真横にあります。

散歩するには丁度良さそうな小山でした。



頂上です。⬆




お知らせ」と書いてあります。
ここに展示されていた六個の卵の石の彫刻を、首露王陵に移した、という内容が書かれています。

首露王陵に行って見ます。

クジボン(亀旨峰)から歩いて20分程です。

首露王陵案内図です。⬇

結構広いです。

立派な陵でした。


修道館です。何のための建物でしょう?
中を見てみます。

修道館の内部です。
この本棚の中に電話帳のような分厚い本がズラーッと並んでいます。
何だと思いますか?


首露王はその姓は「金」です。
金の卵から産まれたので金です。
詳しくは「金海金氏」という金氏です。

上の写真はその「金海金氏」の家系図を保存する修道館で、本棚に収まっているのが家系図なんです。一門の由緒と家系図が記されて、ぶ厚い本になってます。

スロワンから現在に至るまでの家系図が管理されているのでしょうか?

ううむ。

そうなら、凄い事ですよね。

金首露王とその一族。参った✋✋

この「金海金氏」は韓国最大の氏族集団だそうです。


今もその一門と自称する金一族によって、毎年3月15日と9月15日に法要が営まれています。陵の廻りにはその為の建物が数軒建てられています。


亀旨峰の6個の金の卵から、
後漢の光武帝の建武18年(西暦42年)3月3日に産まれたとされる首露王(スロワン)。

金官加羅国の始祖で、金海金氏の始祖。

そして、158年間生きて国を治めて亡くなりました。

えっえっ⁉
そんな~、まさか、

スロワンの時代、金官加耶では祭祀を年2回、行っていたようです。

ということは、一年で二才、歳を取ったと考えると、158才ということは、79才で亡くなったと言うことでしょうか~
(勝手な推測アセアセ)

まだまだ解明されていないことも多いようですが、古と現在とを比べて考えるとき、現在の価値観を一度捨ててみるという試みが歴史を学ぶ姿勢かも。

加耶という国をみていくと国家というものが出来ていく時代に思いを馳せることとなりました。

今の価値観とは全く違ったんでしょう。


さて、
スロワンの妃は阿踰陀国の王女と伝わる

許黄玉(ホファンオッ)です。

インドのアユタヤのお姫様と言われてます。

!?

何故にインド?

次回はスロワンの妃、
ホファンオッ(許黄玉)の陵に行きます。

続く~✌