1.人気急上昇カマラ・ハリス
狙撃事件の影響でトランプ氏の人気が一時上がったようだが、政治の世界は「一寸先がドブ」、副大統領の人選に失敗し、バイデンの下で飼い殺しにされていたカマラ・ハリスがにわかに人気急上昇のようである。
ハリスの政治キャリアは意外と浅く、上院議員に選出されてから8年しか経っておらず、うち3年間が副大統領職だが、検事としてのキャリアは長く、平検事を18年務めた後にカリフォルニア州の地方検事(次席検事に相当)を7年間務め、合計25年間を検察畑で過ごしている。
こと日本だと検事や裁判官を数年とか、財務省で平キャリアを数年といった人がタレントとか政治家で重用されるが、ハリスのような政治家は日本でも一昔前の政治家にいたタイプで、こういう面子とは格が違い、彼女が「あらゆる犯罪者について知っている」と豪語する言葉はハッタリではない。個人的にはウクライナ戦争やパレスチナ問題で手腕を期待したいところである。
特にパレスチナ問題は原因がイスラエル右翼のネタニヤフと諸悪の根源がハッキリしている。国際司法裁判所から逮捕状も出ており、これを拘束してハーグに送りつけることができるかどうかで新大統領の鼎の軽重も測れることだろう。これはウクライナよりずっと易しい。ネタニヤフの蛮行に眉を顰めているのはアメリカにいるユダヤ人もそうであるからだ。
アメリカの外交官は賢明で、この問題についてはイスラエルとの安全保障条約の締結を慎重に避けていた。アメリカとイスラエルの関係は同国にも多いユダヤ移民に配慮した「特別な関係」で、イスラエル支持=ネタニヤフ政府の支持にならないようケナンやアチソンらが外交関係を周到に仕組んでいた。
これはバイデンみたいに外交委員会の履歴が長い人には当然理解できたことだし、ハリスでも理解できるだろう。無辜の住民爆撃が戦争犯罪であることについては、検事歴の長いハリスの方がより良く理解できるはずのことだ。ハマスが先に手を出したからという理由で過剰防衛が許されるわけではない。そしてこの論理ではイスラエル支持とネタニヤフ政権転覆は矛盾しない。ネタニヤフ逮捕は前からやればいいと思っていた。キッシンジャーならこれはやるだろう。
2.ドルシバ・パイプライン
本題に入ると、実はアメリカの選挙の結果が出るまで、ウクライナ情勢は現状維持がせいぜいだと思っていた。個々の戦区ではそれなりの戦いがあるし、ウクライナ軍がポフロフスクに押し込まれている状況はあるが、ロシアも決定的な打撃力を欠き、新大統領と支援体制の再編があるまで状況は大きく動かないと見ていた。
スームィからのウクライナ軍のロシア領侵入はこうした停滞を打破するものとして注目されている。ウクライナ軍は先のロシア軍のハリコフ襲撃など比較にならないほどの整然とした攻撃をし、3個以上の旅団を投入し、地雷原を突破して国境の街スジャを管制下に置き、クルスクを伺う勢いである。
作戦目的については現時点では誰も説明しないので良く分からないとしておくが、先月のヨーロピアン・プラウダ紙にルクオイル社に対するウクライナの制裁強化の記事があり、ウクライナとハンガリー、スロバキアとの関係が悪化していたことはあった。
この会社とロシアの会社ロスネフチ、タトネフチが供給する原油はウクライナのドルシバ・パイプラインを通って供給されており、スジャは原油・天然ガス供給インフラの一つである。現在までのところ、ロシア産の原油・天然ガスはドルシバ・ルートでしか供給されていないので、ここを押さえるとウクライナに抗議している3国のほか、他のヨーロッパ諸国もガス価格高騰の影響を受けることになる。
実のところ、ウクライナは当初からこのパイプラインを止めたかったのだが、ガスはともかく原油についてはハンガリー、スロバキア、チェコは国内に産出がなく、内陸国で港もなく、他の産地に切り替えるには製油所の改修が必要だったため、ウクライナに懇願して猶予してもらった経緯がある。
ウクライナにしてみれば自国のパイプラインを通って供給された原油・天然ガスはそのままロシアの戦争機械の資金源となるのだから、大っぴらになればゼレンスキー政権の信頼をも揺るがしかねない忌々しい問題でもあった。E・プラウダの記事は詰問調で、制裁がルクオイルだけで、よりプーチン政権に近いロスネフチ、タトネフチにお咎めがないのはウクライナ政府内部の黒い霧があるからだと疑惑を指摘している。と、ここまでのお話は知っていた。
3.シルスキー攻撃
ISWによれば、例によってこの「シルスキー攻撃」は1年近く前から周到に計画されたもので、国境付近の部隊の集結も2月からと取って付けたような話が載っているが、投入された3旅団はウクライナの精鋭部隊で、消耗戦などに用いずに取っておいたことはあったかもしれない。チャレンジャー戦車を含む西側装備も豊富で、その点でも他のウクライナ部隊とは一線を画している。
ウクライナ軍内部ではそう呼ばれているという「シルスキー攻撃」であるが、こちらとしては3月に総司令官をクビになりながら、先月末まで駐英大使に赴任しなかったザルジニー元司令官の方がこういう部隊向きだろうと思ってもいた。そもそも大使を拝命しながら半年近くもイギリスに赴かなかった彼の動向は私も気にしていた。彼は諸兵科連合戦術のエキスパートで、ウクライナ軍が22年の2月以降、曲がりなりにも抗戦し得た背景には彼を含む若手将校たちによる改革がある。
先のハリコフ戦に前後して、ウクライナでは「軍の官僚組織の打破」というお題目でITを用いた軍政改革の提案が頻繁に問義されていた。要するに、昨年6月の反転攻勢が頓挫したのはイーロン・マスクの邪魔のほか、軍の統制組織が実戦で機能しなかったからという反省があり、ほか、作戦を行う半年前から作戦企図がダダ漏れというバイデン政権のせいもあり、そのあたりを改革しようという運動らしかったが、あるいは引退後のザルジニーの仕事はそれだったかもしれない。英国に赴任した彼は戦争の長期化について不気味な予言を残している。
話を戦闘に戻すと、作戦線については、実はこれは正調なロシア・キエフ侵攻ルートである。独ソ戦ではハリコフ攻囲戦、クルスクの戦いが行われた場所であり、特に後者は敗戦した結果、ナチス・ドイツはキエフまで失陥している。クルスクからモスクワ・キエフはほぼ等距離(400キロ)のため、逆の場合にはモスクワが直撃を受けることになり、現にバルバロッサ作戦ではそうなった。
以前見た様子では、このルートは本来はウクライナ作戦軍総司令官のゲラシモフが対キエフ作戦で使いたかったルートである。が、ハリコフの戦いにおけるクレムリンの要らざる差し出口により、ストームZ部隊とチェチェン軍団がスジャ防衛に当たることになり(北部方面軍)、これらを忌み嫌うゲラシモフはドネツク戦域に集中し部隊を配備しなかった。この反目は一昨年あたりからある。
※ ロシア軍の手際の悪さの原因でもある。
そもそも3年間もロシア軍はウクライナ軍の弱点はないかと各戦線で攻勢を掛け続けていたはずである。弱点は余りなく、どの戦線でも人海戦術で数キロ押し込めれば良い方といった戦いを続けていたが、ウクライナの逆侵攻で一挙に30キロも押し込まれたのは単純に守っていなかったからである。上級司令部の明らかな失敗で、これはこれらを頭越しに統御していたクレムリンの失敗である。ハリコフでのちょっとした奇襲の成功に気を良くし、チンピラ軍団など配さなければここまで押し込まれることはなかった。
※ 実はストームZですらなく、国境付近に配置されていたのはロシアの徴集兵という報道もある(CNN)。これはロシア全国民に義務付けられている1年間の兵役で、簡単な訓練しか受けておらず、戦闘には参加しないとプーチンが全国民に約束したものである。戦闘に参加しないので武器を携行しておらず、ウクライナが投降させたクルスク方面での捕虜は最多といわれている。同様の制度を採る韓国などには参考になる事例だろう。
ロシアは当然反撃に出るものと思われる。プーチンがそう言って一週間経つが、問題はウクライナ軍もさることながら、侵攻で生じた難民である。スジャなど1万人くらいだが、州都クルスクは40万人の街で、これが難民としてロシア各地を流浪するとなると、国内の動揺はワグネルなどの比ではないだろう。
4.ロシアのニーズ
この戦争を観察していると、それはマスコミばかり見ていればロシア人はアホで、馬鹿な指導者に騙されて無謀な戦争でむざと命を落としていると見えてしまうが、個人的な印象としては彼らは失政が続いて国力が低迷した我が国日本と良く似た部分もあるように感じている。
まず、「ロシア人=アホ」説だが、ミリヲタやネトウヨが好きそうなこの説は私は採らない。彼らは十分知的だし、一般的な意味で真面目で勤勉でもある。ただ、硬直した社会のため、努力は報われず、多くの才能が無駄に浪費され歳を取っていく構図は我が国と良く似ている。この社会で通用している価値観より、市井の一般庶民の方がより高いモラルと思慮深さを持っていることは我が国も同じだ。
どうしてそう思うのか、いちいち例証は挙げないが、例えば先の東京都知事選のようなものを考えると、ごく正常な知性があったなら、少なくとも4位までの候補者は選択肢に選ばないだろう。ちょっとした調査をし、考えをまとめれば済むことだ。が、選択肢があれでは何を選んでも同じと諦めてしまうことも良く分かる。結果が汚職臭プンプンの小池百合子だとしても、「選んだ東京都民=アホ」と言い切るのは日本人なら躊躇するだろう。当選した彼女が何も成し得ないことが分かっていたとしても。ロシアも同じである。
怖いのは、こういった人々を本気で怒らせてしまうことである。それは政権の転覆に繋がるし、それは歓迎だが、外国に対する敵愾心となることもある。これは避けたい。ロシアには尊敬すべき文化がある。それを忘れてはいけない。
ウクライナが国内に侵攻した理由については、おそらく大方のロシア人は内心では正当なものと理解しているだろう。声に出さないだけで。しかし、この戦争がロシアにとって屈辱的、ただでさえ苦しい日常をさらに苦しくするものとして映った時、戦後の和解はおそらく相当困難なものになる。が、日本の庶民と同じく、彼らの声となって代弁してくれる政治はこの国にはないのだ。
こういう問題を自分でも意味の分かっていない「法の支配」や、慰安婦問題は日韓請求権協定で解決済みとのたまう雑な感性の政治家に取り扱わせたらたまったものではない。返り血を浴びることになるだろうし、それこそ第三次世界大戦の引き金を引きかねない。小池百合子などでは歯が立たないだろう。
何か方途を探るべきである。現時点で良い知恵は見当たらないが、探す努力を怠ってはいけない。