1.人気急上昇カマラ・ハリス

 狙撃事件の影響でトランプ氏の人気が一時上がったようだが、政治の世界は「一寸先がドブ」、副大統領の人選に失敗し、バイデンの下で飼い殺しにされていたカマラ・ハリスがにわかに人気急上昇のようである。

 ハリスの政治キャリアは意外と浅く、上院議員に選出されてから8年しか経っておらず、うち3年間が副大統領職だが、検事としてのキャリアは長く、平検事を18年務めた後にカリフォルニア州の地方検事(次席検事に相当)を7年間務め、合計25年間を検察畑で過ごしている。

 こと日本だと検事や裁判官を数年とか、財務省で平キャリアを数年といった人がタレントとか政治家で重用されるが、ハリスのような政治家は日本でも一昔前の政治家にいたタイプで、こういう面子とは格が違い、彼女が「あらゆる犯罪者について知っている」と豪語する言葉はハッタリではない。個人的にはウクライナ戦争やパレスチナ問題で手腕を期待したいところである。

 特にパレスチナ問題は原因がイスラエル右翼のネタニヤフと諸悪の根源がハッキリしている。国際司法裁判所から逮捕状も出ており、これを拘束してハーグに送りつけることができるかどうかで新大統領の鼎の軽重も測れることだろう。これはウクライナよりずっと易しい。ネタニヤフの蛮行に眉を顰めているのはアメリカにいるユダヤ人もそうであるからだ。

 アメリカの外交官は賢明で、この問題についてはイスラエルとの安全保障条約の締結を慎重に避けていた。アメリカとイスラエルの関係は同国にも多いユダヤ移民に配慮した「特別な関係」で、イスラエル支持=ネタニヤフ政府の支持にならないようケナンやアチソンらが外交関係を周到に仕組んでいた。

 これはバイデンみたいに外交委員会の履歴が長い人には当然理解できたことだし、ハリスでも理解できるだろう。無辜の住民爆撃が戦争犯罪であることについては、検事歴の長いハリスの方がより良く理解できるはずのことだ。ハマスが先に手を出したからという理由で過剰防衛が許されるわけではない。そしてこの論理ではイスラエル支持とネタニヤフ政権転覆は矛盾しない。ネタニヤフ逮捕は前からやればいいと思っていた。キッシンジャーならこれはやるだろう。



2.ドルシバ・パイプライン

 本題に入ると、実はアメリカの選挙の結果が出るまで、ウクライナ情勢は現状維持がせいぜいだと思っていた。個々の戦区ではそれなりの戦いがあるし、ウクライナ軍がポフロフスクに押し込まれている状況はあるが、ロシアも決定的な打撃力を欠き、新大統領と支援体制の再編があるまで状況は大きく動かないと見ていた。

 スームィからのウクライナ軍のロシア領侵入はこうした停滞を打破するものとして注目されている。ウクライナ軍は先のロシア軍のハリコフ襲撃など比較にならないほどの整然とした攻撃をし、3個以上の旅団を投入し、地雷原を突破して国境の街スジャを管制下に置き、クルスクを伺う勢いである。

 作戦目的については現時点では誰も説明しないので良く分からないとしておくが、先月のヨーロピアン・プラウダ紙にルクオイル社に対するウクライナの制裁強化の記事があり、ウクライナとハンガリー、スロバキアとの関係が悪化していたことはあった。

 この会社とロシアの会社ロスネフチ、タトネフチが供給する原油はウクライナのドルシバ・パイプラインを通って供給されており、スジャは原油・天然ガス供給インフラの一つである。現在までのところ、ロシア産の原油・天然ガスはドルシバ・ルートでしか供給されていないので、ここを押さえるとウクライナに抗議している3国のほか、他のヨーロッパ諸国もガス価格高騰の影響を受けることになる。

 実のところ、ウクライナは当初からこのパイプラインを止めたかったのだが、ガスはともかく原油についてはハンガリー、スロバキア、チェコは国内に産出がなく、内陸国で港もなく、他の産地に切り替えるには製油所の改修が必要だったため、ウクライナに懇願して猶予してもらった経緯がある。

 ウクライナにしてみれば自国のパイプラインを通って供給された原油・天然ガスはそのままロシアの戦争機械の資金源となるのだから、大っぴらになればゼレンスキー政権の信頼をも揺るがしかねない忌々しい問題でもあった。E・プラウダの記事は詰問調で、制裁がルクオイルだけで、よりプーチン政権に近いロスネフチ、タトネフチにお咎めがないのはウクライナ政府内部の黒い霧があるからだと疑惑を指摘している。と、ここまでのお話は知っていた。



3.シルスキー攻撃

 ISWによれば、例によってこの「シルスキー攻撃」は1年近く前から周到に計画されたもので、国境付近の部隊の集結も2月からと取って付けたような話が載っているが、投入された3旅団はウクライナの精鋭部隊で、消耗戦などに用いずに取っておいたことはあったかもしれない。チャレンジャー戦車を含む西側装備も豊富で、その点でも他のウクライナ部隊とは一線を画している。

 ウクライナ軍内部ではそう呼ばれているという「シルスキー攻撃」であるが、こちらとしては3月に総司令官をクビになりながら、先月末まで駐英大使に赴任しなかったザルジニー元司令官の方がこういう部隊向きだろうと思ってもいた。そもそも大使を拝命しながら半年近くもイギリスに赴かなかった彼の動向は私も気にしていた。彼は諸兵科連合戦術のエキスパートで、ウクライナ軍が22年の2月以降、曲がりなりにも抗戦し得た背景には彼を含む若手将校たちによる改革がある。

 先のハリコフ戦に前後して、ウクライナでは「軍の官僚組織の打破」というお題目でITを用いた軍政改革の提案が頻繁に問義されていた。要するに、昨年6月の反転攻勢が頓挫したのはイーロン・マスクの邪魔のほか、軍の統制組織が実戦で機能しなかったからという反省があり、ほか、作戦を行う半年前から作戦企図がダダ漏れというバイデン政権のせいもあり、そのあたりを改革しようという運動らしかったが、あるいは引退後のザルジニーの仕事はそれだったかもしれない。英国に赴任した彼は戦争の長期化について不気味な予言を残している。

 話を戦闘に戻すと、作戦線については、実はこれは正調なロシア・キエフ侵攻ルートである。独ソ戦ではハリコフ攻囲戦、クルスクの戦いが行われた場所であり、特に後者は敗戦した結果、ナチス・ドイツはキエフまで失陥している。クルスクからモスクワ・キエフはほぼ等距離(400キロ)のため、逆の場合にはモスクワが直撃を受けることになり、現にバルバロッサ作戦ではそうなった。

 以前見た様子では、このルートは本来はウクライナ作戦軍総司令官のゲラシモフが対キエフ作戦で使いたかったルートである。が、ハリコフの戦いにおけるクレムリンの要らざる差し出口により、ストームZ部隊とチェチェン軍団がスジャ防衛に当たることになり(北部方面軍)、これらを忌み嫌うゲラシモフはドネツク戦域に集中し部隊を配備しなかった。この反目は一昨年あたりからある。

※ ロシア軍の手際の悪さの原因でもある。

 そもそも3年間もロシア軍はウクライナ軍の弱点はないかと各戦線で攻勢を掛け続けていたはずである。弱点は余りなく、どの戦線でも人海戦術で数キロ押し込めれば良い方といった戦いを続けていたが、ウクライナの逆侵攻で一挙に30キロも押し込まれたのは単純に守っていなかったからである。上級司令部の明らかな失敗で、これはこれらを頭越しに統御していたクレムリンの失敗である。ハリコフでのちょっとした奇襲の成功に気を良くし、チンピラ軍団など配さなければここまで押し込まれることはなかった。

※ 実はストームZですらなく、国境付近に配置されていたのはロシアの徴集兵という報道もある(CNN)。これはロシア全国民に義務付けられている1年間の兵役で、簡単な訓練しか受けておらず、戦闘には参加しないとプーチンが全国民に約束したものである。戦闘に参加しないので武器を携行しておらず、ウクライナが投降させたクルスク方面での捕虜は最多といわれている。同様の制度を採る韓国などには参考になる事例だろう。


 ロシアは当然反撃に出るものと思われる。プーチンがそう言って一週間経つが、問題はウクライナ軍もさることながら、侵攻で生じた難民である。スジャなど1万人くらいだが、州都クルスクは40万人の街で、これが難民としてロシア各地を流浪するとなると、国内の動揺はワグネルなどの比ではないだろう。



4.ロシアのニーズ

 この戦争を観察していると、それはマスコミばかり見ていればロシア人はアホで、馬鹿な指導者に騙されて無謀な戦争でむざと命を落としていると見えてしまうが、個人的な印象としては彼らは失政が続いて国力が低迷した我が国日本と良く似た部分もあるように感じている。

 まず、「ロシア人=アホ」説だが、ミリヲタやネトウヨが好きそうなこの説は私は採らない。彼らは十分知的だし、一般的な意味で真面目で勤勉でもある。ただ、硬直した社会のため、努力は報われず、多くの才能が無駄に浪費され歳を取っていく構図は我が国と良く似ている。この社会で通用している価値観より、市井の一般庶民の方がより高いモラルと思慮深さを持っていることは我が国も同じだ。

 どうしてそう思うのか、いちいち例証は挙げないが、例えば先の東京都知事選のようなものを考えると、ごく正常な知性があったなら、少なくとも4位までの候補者は選択肢に選ばないだろう。ちょっとした調査をし、考えをまとめれば済むことだ。が、選択肢があれでは何を選んでも同じと諦めてしまうことも良く分かる。結果が汚職臭プンプンの小池百合子だとしても、「選んだ東京都民=アホ」と言い切るのは日本人なら躊躇するだろう。当選した彼女が何も成し得ないことが分かっていたとしても。ロシアも同じである。

 怖いのは、こういった人々を本気で怒らせてしまうことである。それは政権の転覆に繋がるし、それは歓迎だが、外国に対する敵愾心となることもある。これは避けたい。ロシアには尊敬すべき文化がある。それを忘れてはいけない。

 ウクライナが国内に侵攻した理由については、おそらく大方のロシア人は内心では正当なものと理解しているだろう。声に出さないだけで。しかし、この戦争がロシアにとって屈辱的、ただでさえ苦しい日常をさらに苦しくするものとして映った時、戦後の和解はおそらく相当困難なものになる。が、日本の庶民と同じく、彼らの声となって代弁してくれる政治はこの国にはないのだ。

 こういう問題を自分でも意味の分かっていない「法の支配」や、慰安婦問題は日韓請求権協定で解決済みとのたまう雑な感性の政治家に取り扱わせたらたまったものではない。返り血を浴びることになるだろうし、それこそ第三次世界大戦の引き金を引きかねない。小池百合子などでは歯が立たないだろう。

 何か方途を探るべきである。現時点で良い知恵は見当たらないが、探す努力を怠ってはいけない。

 

 バイデン氏が大統領選から撤退したが、土壇場まで何が起こるか分からないのが政治というものである。前々回の大統領選でオバマが大統領になることは選挙戦の最初では誰も予測していなかったし、トランプにしてもアメリカ初の女性大統領になるはずだった女性を破って当選するとは誰も思わなかった。

 今回も、民主党がより若く魅力的な候補を立てることができたなら、トランプとてどうなるか分からない。カマラ・ハリスではあまりに弱いことは誰もが知っているだろう。が、大勢は「もしトラ」ではなく、「確トラ」のようである。

 ウクライナの戦いは損失は相変わらず高水準で推移しているが、ウクライナ軍がクリンキとウロジャイネを放棄したことが伝えられている。が、退却そのものは公表された日時より前に行われていたと思われる。というのは、これら作戦を主導していたと目されていたソドル将軍が先月末に解任されており、兵站線の問題から元々かなり難度の高かったクリンキ、ヴァリカ・ノヴォシルカの線は思い切って整理という方向になったことが推察できるからだ。

 両作戦は多少規模の違いはあるものの、海兵旅団による敵地への縦深的進入というスタイルは共通しており、戦争全体が防御戦に移行している状況では戦略的意味も失われていたと考えられる。特にクリンキはドニエプル東岸という死地で、ここの戦闘に問題のあることは以前にも指摘した。ただ、軍事技術の革新で予想以上に抗戦したことがある。

 バイデンが降りたことについては、この大統領は高齢でウクライナ、ガザ地区双方の戦争を主導していくにはスタイルも気力も限界だったことがある。思うに、ウクライナ戦争についてしっかりとした見識を持っていたのはイギリス、そしてフランスであったことから、ことウクライナ方面については戦争指導は両国に任せ、全面的バックアップのスタイルを取った方が良かったと思われる。ここ半年ほどの大統領は末期のルーズベルトのように見え、より若いプーチンに足下を見られていたように見える。

 トランプについては、ウクライナに最初のジャベリンを送ったのは前大統領だと持ち上げるような話もあるが、この言い分の最初は確かウクライナ外相のドミトロ・クレバだが、彼にそれをさせたのは自他ともに認める「トランプ使い」で、問題に精通していたアンゲラ・メルケルである。だからこれは「メルケルが送ったジャベリン」と翻訳し直した方が良く、メルケルに代わるトランプ使いを早く養成しないと「ジャベリンも送ってこない」になりかねないことがある。

 とはいうものの、トランプ自身はこの3年間あまり進歩しなかったが、ウクライナについては3年間の戦いは実績としてムダではなかったと言えよう。これを無視することはトランプでもできず、ボリス・ジョンソンの言うように2022年の線での譲歩はトランプにもゼレンスキーにも呑める案だと考える。

 ゼレンスキーについては、戦争が彼を変えたという説が一般的で、事実そうだと思うが、譲歩しても対応できるナストラムは実は彼が脚本を書き、主演した「国民の僕」にちゃんと書かれている。ドラマでは異端者で投獄されたゴロボロジコ(ゼレンスキー)は再判定で大統領に返り咲いたものの、キエフ以外のウクライナはずべて離反して別の国になっていた。説得も抱き込みも叶わず、万策尽きたと考えられた時、ふと彼は原点に戻ることを思い出すのである。そしてラストでは彼は国を取り戻す。

 現実がドラマのように行くかどうかは分からない。しかし、まさか自分が書いたことを忘れはしまい。政治の素人だった彼が想像を巡らして書いた内容は5年間の任期の中で当たったこともあれば、的外れもあっただろう。しかし、大筋で間違っていなかったことについては、現在の大統領は彼が演じたゴロボロジコそのものだということがある。決断力に富み、進取の気性に溢れ、孤立を恐れない。それで戦争に勝てるかどうかは分からないが、ウクライナ再建の青写真を持っているのは他ならぬこの人物なのである。

 ウクライナに対する支援は、バイデンの優柔不断もあり、あまり順調に推移したとは言えなかった。普通三年も経てば装備は一新され、戦闘のスタイルも変わっているはずである。が、変わったのはウクライナが主導するドローン戦術だけで、戦闘機も戦車も何も変わっていない。ここは大いなる反省点だろう。
 

 3月のアウディウカ失陥以降、全般的に攻勢に出ているとされるロシア軍だが、統計を取ってみると全般的に月あたりの損害が昨年の1.5倍になっていることがある。例えば自動車、昨年は600~700台くらいで推移していたが、最近では月あたり2千台近くになっており、これらがすべて損失となると、他人事ながらロシアトラック市場の心配をしたくなってくる。

 全般的に損害のペースは変わらないが、輸送車両と司令車など特殊車両、ドローンの損失が増えており、また、3月以降では地上破壊も含む12機の航空機も失っている。兵員の損害も月3万人ペースであり、欧米の経済制裁でハイテク機器の入手が困難になっているロシアとしては高度兵器についてはジリ貧で、ローテク兵器も生産が滞るなど、進行当初と比較して歩兵主体のよりプリミティブな軍隊に変性しつつある。ポクロフスク戦線が最も戦闘が激しい。

 ハリコフの戦いは一段落したが、やはり侵出はしたものの帰還が困難な作戦で多数の捕虜が出た模様である。中央管区軍はシヴェルシクに主戦場を移しており、指揮過程における、いつものロシア的混乱が退却の遅れと部隊の孤立に繋がったように見える。奇襲作戦ではあったが、元々がクレムリンの陰謀工作の徒花で、成果を拡大する決め手に欠けていた。

※ セベロドネツクを起点とするライマン近郊のシヴェルシク戦区は情報が少ないが、ハリコフで中央管区軍の用兵巧者ぶりが明らかになったことで、同じく同軍が担当するこの戦区は警戒すべき地域となっている。

 この戦いでは戦場以外にももう一つの戦いがあった。それは国際外交におけるウクライナ平和会議で、主として中国の策動により、共同声明の文案は二転三転し、一時は主要条項のほとんどを削除されたウクライナの離脱すら囁かれた。そのことが暴露されたことによりウクライナ国民が憤激し、最終的な条項案がまとまったのは会議の2日前である。この会議は2回目が近日中に予定されている。

※ ウクライナ戦争が対象の平和会議なので主導国はウクライナに見えるが、実際はEU、中でもスイスが条項策定の主導権を握っている。会議のコンセプトは良く分からないが、ウクライナ版ダボス会議のような運用に見える。なので当事国のロシアや中国が参加しないことについては批判の声もある。

 国際社会で発言力を失ったロシアの代理人は中国であり、このロシア、中国、北朝鮮の枢軸が現在の世界を不安に陥れていることがある。が、中国の民間セクターではロシア離れの動きも見られる。

 英国国防省は戦費不足のロシアが増税することを伝えているが、意外なことにこの増税はロシア国民には悪印象がない。増税の対象が法人税と高額所得者であることがあり、不人気な上級国民に課税することでプーチンの財界掌握を完全なものとすると同時に支持基盤を固めるものであると思われる。が、増税分はいずれエンドユーザーに転嫁されることから、彼らの楽観も当座のことである。

 ウクライナはとうの昔に財政破綻しているが、大統領府は国有資産の売却と投資勧誘に舵を切っている。前にも少し書いたが、この場合の借財はウクライナにとって悪いことばかりではない。売却は国有企業部門を中心に行われるが、元々これらの企業は問題が多く、売却における最大の問題は交渉の最中にロシア軍によってインフラが破壊されてしまうことである。が、驚くべきことは激しい戦闘を続けつつもウクライナが経済成長していることである。

 ゼレンスキーは任期切れで選挙を行うことが望ましいが、今の事情では投票所を設置した途端にミサイル攻撃されるのがオチで、選挙の実施は保安上の理由からもできないものになっている。

 「授人以魚 不如授人以漁(人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていける)」というのは老子の格言という話だが、私は老子で読んだことはなく、実は格言の出所は良く分からないらしい。

 これはどうも中国の古典の影響を受けた西洋の著述家が翻案して自著に記したものという話だが、そんなに昔の話ではなく、つい先日も、それらしい記述を読んだことがある。ここではこんな感じであった。

「人に魚を与えれば一日で食べてしまうが、釣り方を教えれば一生食べていけることができる。さらに良いことは、教えると同時に釣りの道具を与えることである。いちばん良いことは、釣りの道具を自分で作れるようにすることである。このことを今後の途上国援助の指針にすべきである。」

 明らかに現代の文章だが、書かれたのは60年ほど前である。出典はどこかと言えば、現在私が手に取っている本だけれども、このブログ、ヲタクも良く来るので「教えてあげないよ」となる。私はそんなに親切な人間ではない。自分で勝手に調べるがいい。

 同じ本には次のような記述もあった。

「社会の荒廃とは、父親から息子に伝えるものが何もなく、息子からその父親に報いる(伝える)ものが何もない社会である」

 まさに今のサラリーマン社会そのものと思えるが、本のテーマは現代資本主義の進展における人間性の荒廃である。このような社会が形成されつつあることによる人や資源、社会の荒廃に警鐘を鳴らす文章である。

 で、先のススキノ猟奇事件を取り上げると、父親の措置は精神科医でもあったのだから、諸々の行動はそれなりに医学的正当性はあったものだったのだろう。効果もあったことは、娘が知識のない母親には軽蔑の視線を向けていたものの、医師である父は信頼仕切っていたことがでも分かる。異常の三重奏だが、医学というものの限界も思い知らされる話である。父親は精神科の臨床医として診療所ではそれなりに実績を挙げていたこともある。この事件の当事者に単純な倫理的非難はしないと書いたのは、父親の行為に一定の方針が垣間見えたことがある。

 とはいうものの、先に引用した文章はそれなりに一定の妥当性、真実に根ざしたものではないだろうか。真実とは科学的であるということであり、反復適用して同じ結果を期待できるという意味である。

 法律学を勉強していると、実を言うと私の法学教育は通常以上に困難であったし、教師も匙を投げていたものだが、一通り学び、ある程度歳を取ると、実は法学とは説得的な修辞の集積と見切りをつけることになる。裁判とは互譲で解決できない当事者の対立の止揚である。なので裁判官は修辞の限りを尽くして判決文を書くが、三段論法や判例を引用してのそれは、煎じ詰めればそれで説得される蓋然性の高い文章ということだけであり、いわゆる科学的な真実ではない。

※ 最初からそう言ってくれる者がいたら、私のこの教育は坂道を転がる石のように楽なものだっただろう。残念ながら、それほどの人物は周りにいなかった。

 どうも精神医学もそのレベルらしいとは事件を見て思ったが、この父親、自分の措置に疑いを抱くことはなかったのだろうか。彼の本では正しくても、現実に適用した結果があれでは学問に疑問を抱くか、あるいは誤解を疑うべきものと思うが、どうもそんなことはなかったらしい。日々の進捗に科学者としてある種の高揚感はあったかもしれない。とにかく倫理的非難はしないこととしたい。

 ただ言えることは、登校拒否(現代では出社拒否も含む)や、非行というのはどうも現代医学の最先端を持ってしても、解決の難しい問題らしいということである。殺人幇助が治療行為の一環として行われたなら、医師である父親には正当行為として免責される可能性があるが、もちろんそんなことはないと思うが、同じような問題は我々も日々直面するものである。殺人という極端なケースに発展するものは少ないが、それに対する我々の対処も往々にして非科学的、迷信的なものである。テレビのコメンテーターなんかその代表じゃなかろうか。

※ 社会科学なら解決できるかといえばそんなことはなく、その行き着く先がナチスの強制収容所だったこともある。

 とりあえずここでは難しい問題であると把握することにとどめる。少なくとも過小評価するよりはマシであり、問題のスケールと難易度を把握できれば、今は無理でもそのうち解決の方法が見つかる可能性はあるし、備えることもできることがある。

 

札幌・すすきののホテルで男性が殺害され、頭部が持ち去られた事件で、逮捕・起訴された親子3人のうち、母親の初公判が開かれました。裁判では、娘から「私は奴隷です」と誓約書を書かされるなど、いびつな親子関係が明らかになりました。

 凄惨な事件の資料整理をさせられる札幌地裁の事務官が不憫に見えてならない。いびつというより、これは自分勝手な人たちの集まりだったんじゃないだろうか。

 「起きる可能性のあることは必ず起きる」が私の信条だが、一見信じられないような話でも、実際に起きてしまったことは、これは誰にでも起きる可能性のあることなのだと思う方がいい。

 起訴内容については母親は争う様子で、罪状は死体損壊の幇助だが、殺人についてはすでに行われてしまっているので、その後の死体の処理を彼女が容易にしたかが争われる。しかし、状況から見て幇助犯を否定するのは難しいだろう。ただ、死体損壊の刑罰は三年なので、これは初犯で執行猶予が付く可能性が大きい。

 弁護士は付いているはずだし、科刑から見ても否認の理由はあまりないように見えるが、また弁明もこれで理由になっているようには見えなかったが、それでも否認することに、この事件を読み解く鍵のようなものが隠されているようにも見える。

 同じ屋根の下に住みながら、夫と娘が殺人行為に及んだことに関心を払わなかったのみならず、死体が持ち込まれてもなお、警察に通報せず解体のビデオ撮影まで許容したのだから、精神的ハードルがそもそも低かったと見ることができる。たぶんこの一家は全員がこの式で、思うに当たり障りのない範囲内でしか親と子は関わらなかったのだろう。父親は医師で欲しいものは何でも買い与えたが、たぶん愛情は与えなかったのだろう。

 犬や猫が人間の友だちになれるのは、彼らが一日一六時間眠るからである。一日の大半を寝て過ごしているために、彼らは人間に都合の良い時間に付き合えるペットでいられるのである。が、人間はそうはいかない。

 娘が死体を異常な方法で解体したのは、承認欲求の一種だったのではないか。彼女は医師を目指すことを期待されていたが、素行が悪く、年も嵩み、そういう将来は望み薄なものがあった。が、医術の心得がなかったわけではなく、それを認めてもらうために殺人を犯し、医師である父親の面前で死体を要領よく解剖したのである。事件が起きた当時、看護師など医療知識のある者の関与を疑う声は少なからずあった。

 半世紀も生きていると、事実というものは見る角度によって違ったものに見えることをしみじみ感じることになる。進行中の裁判につき、当事者に倫理的な非難を加えるつもりはないが、事件を見て、検察側の言い分を一方的に信じることができないこともまた偽らざる心境である。
 

 3月のアウディウカ失陥以降、一月ほどの迷走を経てのロシア軍の攻勢はやや奇妙なものがあった。ポフロフスク戦線(以前のアウディウカ・マリンカ戦線)はポフロフスクに向かう部隊とより南のクラクホベに向かう部隊が同方向ながら互いに競い合っている風があった。

 ハリコフ・ボフチャンスクへの奇襲作戦はウクライナ軍の虚を突いた手際の良いものであったが、途中で失速し、中央管区軍はこの戦域から手を引きつつある。さらにはハリコフのさらに北、緒戦で用いられたスームィ付近の国境に部隊が集結しているが、これはロシアの囚人兵ストームZと元ワグネルの傭兵部隊という情報もある。

 こういうロシア軍における妙な動きは、往々にしてクレムリン内部の政治抗争が影響していると見るのが、この戦争が始まって以来2年の常識である。プーチンは独裁者だが、カルロス・ゴーンのようなワンマンは独裁者とは呼ばない。本当の独裁者は配下たちの些細な不満を良く捉え、互いに競わせて不満が自分に向かないよう仕向けるものであり、プーチンはそのチャンピオンである。長引く戦争と経済の疲弊でロシア国民の不満が鬱積していることは論を俟たない。

 ショイグやパトリシェフの失脚も連動したものと見るのが至当だろう。ハリコフでの戦闘は、ロシア政治劇場はここでもあり、政治力のない中央管区軍はやはりお払い箱になり、ドヤ顔をして乗り込んできたストームZ(ショイグの手先)が手柄を横取りする勢いである。これも昨年、一昨年に見た光景であった。

 中央管区軍が目立たないのは、いつも良い線を行くものの、成功しかけると誰か(ゲラシモフ、プリゴジン、ストームZ)が乗り込んできて良い所を持って行くことがあり、だからハリコフ攻撃は続かないと書いた。司令部に優れた提案を採用する柔軟さがあっても(私も少し驚いた)、プリゴジンすら見向きもしなかったように、このウラル軍団は政治的には弱者なのである。

 代わってハリコフ攻撃を担当するのは北部方面軍、スプートニク紙以外ではその名を見ない軍団だが、これは北方艦隊ではなく、先にも述べたストームZ(ロシアの半グレ)と国営化されたワグネルが集めたアフリカ人傭兵の寄せ集めで、腎臓病で顔色の悪い二代目カディロフのチェチェン軍と同等か、少しマシくらいの軍団である。スームィを通るルートはキエフ攻撃の最適ルートだが、ここにチンピラ軍団を配したことで、再びこのルートを使う算段をしていたゲラシモフの企図は挫かれることになった。総司令官はプリゴジン軍団を忌み嫌っており、同じ戦域に布陣することも拒否していたこともある。

 ハリコフの奇襲はウクライナ軍に取っても予想外のものがあった。この場所を攻撃されたことではなく(それ自体は警告が何度もあった)、攻撃方法がこれまでのロシア軍と比べ卓抜としていたからで、多くの陣地を破壊、もしくは取られたことから、ウクライナ検察庁は内通者の調査を始めている。が、手引があった証拠は発見されていないようだ。

 ロシアの滑空爆弾は相変わらずその実力以上の戦果を誇示しているが、68歳の老女の住む古びた民家、コイン洗車場、ホームセンターに投下されたこの爆弾は前宣伝より精度が悪いか、あるいは故意に民間施設を狙ったものと解するべきだが、プーチンはウクライナ憲法の規定でゼレンスキーの任期切れを指弾している。ウクライナは苦しい戦いを強いられており、プーチンは正統性のない(継続規定はある)大統領に不満の矛先が向くよう仕向けているが、実は同調するウクライナの議員もある。

 今回の戦いの背後には、新設部隊の投入とか、何かより大きな戦略的布石がありそうにも見えたが、どうもロシア軍は今後も力押しの戦いを続ける以外、奥の手もなさそうである。そのうちF-16がやってくるし、国外で訓練を受けたウクライナの新兵や防空ミサイルもやってくる。滑空爆弾なんか通用するのは今のうちで、今のうちに講和すれば良いものをと思うけれども、これまで散々見たこととして「話がロシア」のロシア軍はプーチンが死ぬかジリ貧になるまで戦いを続けるのだろう。
 

 それにしても大戦争の顛末が、プーチンの扇動でウクライナ国民が任期切れ大統領をマイダンで引きずり下ろすことに期待することだったというのも、あの大統領がそんなことで失脚するはずないが、戦争というものを愚かさバカバカしさを示す、もはや戯画である。

 

 上図はNYタイムズのハリコフ侵攻の図だが、やっぱり衛星写真頼みのこの連中(ISW)、この作戦がどう行われたか掴んでいないんじゃないだろうか。

 

 見るとまあヒルボケ村は書いてくれているが、クラスネ村近くにあったというロシア軍の攻撃ラインは近くに道がないし、北のオヒルツェボも同様だ。だいたいこのあたりで戦闘が行われたことは事実だけども、書いてある地名は、ロシア軍がワープして現れたわけでもあるまいに。

 

※ 衛星写真による観測には昔から知られているある弱点がある。maxerの人工衛星の所在はロシア軍にはとっくの昔に知られており、通過時間に偽装することで部隊の所在や戦術企図を欺罔することができるのである。東大の国際政治学科は何億円か掛けてmaxerと契約したそうだけど、なんとまあ、ムダでバカなことをしたものかと思わせる。

 

 南の侵攻軍の方はヒルボケは抜けてリプシの近くまで来たようだが、実はもう少し東西方向に広がりがある。左端に小さく書かれているショパイン(スラティネ)のあたりは3日前はより深部への攻撃があった。ボルチャンスク周辺ももう少し北(ヴォロヒフカ)やボルチャンスク背後のゼムリャニ・ヤールといった小村にも出没しており、実は上の地図より北に少し長い。重ね重ね書くが、こういう所に揺らぎ出るにはロシア軍は道がないということである。彼らは図のように幹線道路から侵入し、左右に展開したのではない。

 

 今のロシア軍は上の図よりも北に押しやられ、ボルチャンスク付近も小さくまとまりつつあるが、昨日シルスキーを驚愕させたビルイ・コルディアズに向かっていた部隊の消息は杳として知れない。撃滅されたのではなく、たぶん、うまく逃げおおせたと思うが、現在のロシア軍の様子を見ると早くも撤収モードのようだ。それにしても上の図、ドネツ川をちゃんと書いてよと言いたくなる。ボルチャンスクのドネツ河畔の向こう側、スタリィツァも圧力を受けているが、河が分断しているので、両軍とも左右に分断して戦わざるを得ないのである。

 

 この作戦の評価は少し難しい。陽動には全然なっていなかったことは、はるか南側、ポロロフスクでのロシア軍の被害が全然減らないことで分かるし、ハリコフも中央管区軍がこうも簡単に店じまいしては(彼らはいつもそうだが)、スペイン王室の招待を袖にしてハリコフまで出てきたゼレンスキーも肩透かしである。

 

 軍事ばかり見ていると、戦争の政治的効果とか、何か別の戦略目標の所在とか、一見して分からないものの所在をつい忘れる。そもそも最近のロシア軍の作戦は大量流血を伴う力押しばかりで、作戦家が溜飲を下げるようなものはごく少なかった。全てはプーチンの胸先八寸だが、思うに彼らはどこかでシャンパンを傾け、ウクライナ参謀本部もISWも出し抜いた。ささやかな勝利を祝っているのではないだろうか。

 

(補記)

 ウクライナ参謀本部の報告からここ10日間のロシア軍の損失を見ると、10日前と比較して戦車の損失はあまり変わらないが、ハリコフ方面の戦端が拓かれたことにより、装甲兵員輸送車や自動車の損失が1.5倍になっている。反面、長距離砲やSAMの損害は減っており、これは当方の見立て通り、攻撃の中心が軽装備の自動車部隊で、ロシア領内から長射程砲やロケット砲、航空機のスタンドオフ射撃の援護を受けつつ、小部隊ごとに浸透したことを示唆している。航空機は以前と比べると良く出撃しているが、その分損失も増えている。

 

(補記2)

 ドネツ川を挟んで東岸のボルチャンスク付近の戦闘は散開したロシア軍が集結し、T2108線から引き揚げることで、戦いは終息しつつあるが、ロシア軍が浸透した領線の長さはおよそ70キロあり、西岸のスタリッツァ、さらに西端のリプシ付近ではウクライナ軍の撃退行動が続いている。このあたりは退却も困難で、続く計画がないならば、ロシア軍は小部隊ごとに徐々に退却しつつ自領内に撤退するものを思われる。ボルチャンスクとは戦いの傾向がやや違うことから、担当指揮官も違うのではと思われる。

 

 つい忘れてしまうが、現在のウクライナ戦争の主戦軸はアウディウカ・ポロロフスクを結ぶラインで、規模の割に世界中に恐慌を与えているハリコフ戦線はむしろ脇筋である。担当しているのはロシア軍最小最弱の中央管区軍で、この軍団は他の三管区軍に比べると戦術巧者だが、その分深入りはせず、過去の戦いも戦果はそこそこに戦力を温存する傾向があった。なのでロシア四管区軍の中ではいちばん組織の崩壊が少ないことがあるが、今回は少々妙ちきりんな動きをしている。



 この軍団の戦闘がプーチンに強要されたものであることは明らかだが、見ると少しユニークな戦術を取っている。今までロシア軍といえば、ならず者のストームZ(受刑者中心のロシアの半グレ部隊)や民間軍事会社のロシアやくざ、強制徴募されたヒッキーやニートを先頭に、人間失格の擬似的人型生物が数を頼んで突撃してくるイメージがあったが、今回は国境の端々から染み出てくるような浸透の仕方で、構成も小部隊と自動車戦力が中心という、あまりロシア的でない戦法で攻撃している。戦線の長さもせいぜい数キロのストーム軍団に比べ、70キロと長い。

※ ただ前進するだけでなく、航空機や砲兵の適切な援助も受けている。

 気質も違うようで、バフムトやアウディウカで見られたストームニート軍団の兵隊やくざは戦意が低く、後ろから将軍が督戦隊で脅し上げないと戦闘しないし、目標を達成すると終業チャイムの鳴った派遣社員のように動きを止め、さらに行動して戦果を拡大しようとはまずしない指示待ち軍団であったが、今回は小部隊を預かる各指揮官がそれぞれ判断して行動しているようだ。

※ ロシアの不良軍団の場合、そもそも地図が読めず、平均してセンター試験200点程度の頭で、自分がどこにいるのか分かっていない面子が少なからずいた。

 それでも、重要都市が近いことや管区軍の性格、現司令官のシルスキーの気性から、攻撃は割と早い時期に押し止められるのではないかと推測し、事実そのようになりそうだが、ここまではロシア指揮官(モルドヴィチェフ)でも予測できない話ではないと首を傾げていた。侵入した部隊は各々少数だし、そもそも中央管区軍自体にそれだけの兵力がない。

※ ウクライナ軍の対応は、ホリエモン語は使いたくないが、概ね「想定の通り」である。最高司令官自らが出戦し、前線で果敢に指揮を執っている。前任者のザルジニーは知将だが、シルスキーは間違いなく名将である。ロシア人に取ってはゼレンスキーと並び、地雷爆弾で殺したいほど忌々しい相手だろう。

 ところがやってくれたと言うべきか、シルスキーの報告でロシア軍がビルイ・コルディアズに出現という記事を見て我が目を疑ったことがある。これは現在戦線とされている位置からかなり奥にある村で、重装部隊が配備されたボルチャンスクに通じるT2104道路を扼しており、東ウクライナの拠点であるクビャンスクとの連絡を断つ位置にある。今までのストームゾンビ軍団には及びもつかないことだ。

 先に私は今回の作戦は中央管区軍のおそらくは無名の中堅将校の発案によるものと書いたが、確たる根拠があるわけではない。このクラスの将校だとWikiや他のマスコミに履歴が載ることはまずなく、一応調べたが名前などは不詳である。が、ビルイ・コルディアズに向かっている部隊にいるはずである。

※ もっと上級で有名な将校でも、たいてい軍人の履歴というものはテンプレで、読んでつまらないもので、解読が必要なものである。

 いや、何と言うべきだろうか、遠い友人に親近感を覚えるような、朋あり遠方より来るというか、正直な所、私は自分の長い人生で同類と呼べる人間に出会ったことはなかった。政治学や法律学は修めたが、そこに生きる人間とは似た部分はあるものの、どこか違っていると感じてもいた。思い過ごしかもしれないが、今回は奇妙に納得が行く。

 いくら腐敗した人権無視ロシアとはいえ、軍事作戦には犠牲が伴う。今回のように軍事的な成果より政治性が重視されるような作戦でも、戦えば数百人、数千人が死ぬのであり、それは欺瞞で覆い隠していても心が痛むものである。今回の作戦の場合、侵出した部隊は後詰めがなければ個々に殲滅される運命にある。出た所からは帰れないのであり、それは見殺しなのかと少し嫌な気分になっていたことはある。

※ アイディア倒れと一時は考えた。

 国境から浸透し、ホフカ川を渡ってウクライナ軍の側面を廻り込んだ部隊の目的は、明らかに後方を扼してウクライナ軍の後退を促すか、怯ませて前面の攻撃を助けることにある。機動攻撃を仕掛けたのは発案者本人に決まっており、シルスキーもそれは分かっているので機動部隊で迎撃する構えである。が、ボルジャンスクに展開しているウクライナ軍を怯ませれば、それは長すぎる戦線に個々に点在している諸部隊の避退のチャンスになる。彼の考えは味方の生命を救うことであって、これから要撃してくるウクライナ部隊を引き回す策は考えてあるのだろう。ウクライナ参謀本部を恐慌に陥れたハリコフ攻撃は明らかに(戦略的には)一定の成果を挙げたのだから。

※ 実際の戦果よりも政治的効果を見るべきである。

 戦争は人間を敵と味方に割く、個人としてはいかに好感が持て、才智を評価すべき逸材であっても、それが敵ならば殺さなければならない。戦争の非情さであり、やりきれない所があるものである。後難を避ける意味でも、今回は殺した方がいいとは、本来は平和主義者で人道主義者の私でもそう言うだろう。これだけの奇策を発案する人間は、次はもっと精妙な策を考えつくに決まっているからだ。

 もっとも善意というものは信じない方が良い国ロシアであるから、モルドヴィチェフが適切な避退命令を発令しなければ、我が身を挺した彼の自己犠牲は無駄になり、哀れ犬死にするかもしれない。ウクライナにとってはその方が良いし、その可能性は全然、全く、ロシアの平常運転のように小さくないが、先にも述べた通り、およそ組織というもの、軍隊というものは、その上官以上の働きはできないことがある。

 

(補記)

 昨日あたりから「ロシアの北東部攻勢が失速(Forbes)」とか、「新型偵察ドローン(ISW)」などの記事が出るようになったが、失速したのではなく、最初からこういう計画なのである。プーチンが「緩衝地帯」という謎用語を連発していることもあり、ロシアの意図は見にくいが、同時に行われた後方諸都市への一見脈絡のない長距離ミサイル攻撃にもっと注目すべきだろう。これらはウクライナの電力インフラを破壊し、現在のウクライナは計画停電を余儀なくされている。

 

 新型ドローンについては、それはそういうものはあれば使うだろうとしか言いようがない。今までは支援を要請しても飛んでこないロシア空軍が、今回に限っては良く動いていることはこういうものの成果と言いたいのだろうが、そういう機械偏重、ハイテク偏重の偏った考え方が慢心を生み、ロシアの侵略を扶けているのではないか?

 

 

 このブログが書き続けられるのはウクライナ軍の参謀報告が「バカ正直」だからだが、戦闘中に部隊が前進後退を繰り返すのは当たり前であるのに、誰も知らないような辺鄙な一寒村でちょっと下がったくらいで、「退却した!」と世界中に流されるのだから、大本営発表のロシアと比べると、ウクライナは「正直者はバカを見る」ところがないわけではない。

 ウクライナ当局の婉曲表現によると、退却は「防衛者の生命を守るため」、「戦術的場所を改善」というのが決まり文句だが、誰もそのようには取らず、「(ウクライナ軍が)負けた」と報じるのが普通である。メディア時代の将軍には戦略戦術の自由はないのだろうか。

 が、バカ正直でもバカではない。謀略の真髄は「9の真実に1の嘘」を混ぜることで、嘘があるのはたいていクリティカルな状況の時である。「ハリコフ付近の軍事的緊張」を理由にゼレンスキーが外遊を取り止めたが、これは虚であろうか、実であろうか。状況は彼がキエフに詰めなければいけないほど深刻とは思われない。そしてゼレンスキーは役者である。兵は詭道である。騙される方が悪いのである。

 ハリコフ付近の戦況は早くも安定しつつあるようである。中央管区軍にこの都市を攻め取る力はないし、ボルチャンスクも市の中心にはホフカ川が流れ、天然の防壁を提供している。ロシア側はグルボコエとルキャンツィ、ブグロヴァトカを「解放」したと主張しているが、地図を見ると国境線からロシア兵が滲み出てきたのかと思えるような場所ばかりで、多くの村落での戦闘は完全に奇襲になっただろう。長い対陣期間で地形調査を綿密にやった形跡が伺える。航空兵力との連携も良い。

 ただ、装備が悪いため多くの損害も出しており、また、孤立した部隊は後詰めがなければ掃討作戦の餌食である。出てきた所からは帰れないのであり、武器弾薬の補給も期待できない。部隊を生還させるにはやはり正面からウクライナ軍を打ち破り、主要道路を使えるようにしなければならない。

 侵入したロシア部隊は昨日には攻勢の限界点に達し、ボルチャンスクの北に集結して再編している様子が伺える。まるで演習のような戦い方だが、いったいこれでどういう教訓をウクライナ軍に与えようというのか、司令官の思惑が気になる所である。

 こちらとしては、ロシア軍の戦術に思いの外柔軟性があったことと、おそらく中堅将校が発案した計画を司令部が承認して実行したことが注目点である。アウディウカ戦線の呆れ果てるような退廃はここにはみられない。他の多くの組織の例に漏れず、軍隊はその上官以上の仕事はできない。下士官や兵は指揮官のミスを補うことはできるが、無能な指揮官による敗北それ自体を防ぐことはできない。

 

 ウクライナには「擬似的人型生物」と揶揄されているロシア兵とロシア将軍だが、自分の頭で考える人材もいないわけではない。ただ、頭を使う方向が間違っているだけである。

 

スプートニク日本による現在のハリコフ戦線、青丸は彼らによるウクライナ軍の砲撃とされる場所で、ほとんど国内でウクライナ領内では戦闘は生じていない。赤丸や赤文字は筆者が書き加えたもの。ロシアと我々とで見ている風景が違うのはいつものことである。

 

 

(補記)

 支援予算の採決が遅れている間、ロシアはミサイル生産を加速させており、ミサイル攻撃の主力は昨年の「カリブル」から、より強力な「イスカンデル」、「キムカンデル(イスカンデルの北朝鮮OEM)」に移っている。ドローンも充実し、ウクライナの防空装備の不足も相まって、ロシアのこれらの装備は潤沢である。

 

 一方で装甲車両の補充は進んでおらず、前線では通常の自動車に加え、ゴルフカート、オートバイを用いた突撃が行われているが、これらは高い死傷率の一因になっているとされる。また、各種の施策にも関わらず兵員は不足気味であり、外国人傭兵に頼る場面もあり、その訓練も不十分である。すでに300機以上が撃破された航空機についても補充の目処は立っていない。

 

 上記のような傾向から、今回のロシアの攻撃は従来型の前線における攻撃と後方へのミサイル攻撃がセットになっており、軍事的影響のみならず政治的影響をも考慮したより複雑な評価が必要になっている。

 

 

 主要戦線でめぼしい戦果がなかったにも関わらず、ハリコフ攻撃後数日で欧米への和平提案と作戦の成功を表明したプーチンだが、予め作戦の政治的影響を計算したものと思われ、これは前線の成果に関わりなく、首都への着弾などあり、決定的勝利を得る手段を欠いている中、ウクライナと米国、世界の世論への影響を十分に考慮して作戦を行ったハイブリッド戦術を前面に出したことが推認される。

 

(補記2)

 となると、作戦にあまり乗り気でないモルドヴィチェフと中央管区軍を動員した理由も想像がつく。これは攻撃が成功するかどうかではなく、攻撃を行ったことが重要であり、中堅参謀の発案でウクライナ軍の無防備地帯からの攻撃で損失を抑えられること、比較的軽度の攻撃で恒常的にハリコフに圧力を掛けられる案であることがプーチンの気に入り、作戦が行われたのだろう。通常の方法で要塞を正面から攻撃したならば、ハリコフ正面だけでも中央管区軍の被害はこの数日で2~3千人に及んだはずである。

 

 

 

 

 

 

 「緩衝地帯(buffer zone)」とは誰が言い出したか知らないが、ここ数ヶ月の様子ではどうもプーチンらしい。簡明な定義では「対立する国家間などに設ける中立地帯」で、通常は戦略レベルで用いられる。例えばウクライナは西欧諸国におけるロシアの「緩衝地帯」と言われてきた。戦争の大義名分の一つに「NATOの東方拡大」があるように、ロシアが戦争を始めた理由は、ウクライナが西傾化することに危機感を覚えたからとされる。

 上の地図はISWだが、この戦争が始まってからずっとそうだが、あまり信用しない方が良い。あまり教養のない彼らはプーチン語をそのまま用いており、今回のハルキウ作戦は「緩衝地帯」の創設が目的だというが、すでに交戦している二国間に緩衝も何もあるのだろうか。

 これはむしろクレムリン内部のある種の婉曲表現として理解し、戦闘よりも彼らの事情を斟酌した方がより有益だと思うが、現実に戦車で追われている住人にはそうも行かないし、我が国も国際政治学者は東京大学でもクレムリンのことなんか何も知らない。テレビで要人のひな壇の位置をメモしていたソ連時代くらいのレベルである。

 気に入らないのは、ここ数日の西側報道が具体性に乏しいことである。どうも現地を見ていないらしく、全然関係ない場所のチャシフ・ヤールやポクロフスクの戦況がごた混ぜに記述されており、あまり信用できないとなる。ウクライナ側の報道を見ると、上の地図では真っ赤っ赤のボルチャンスクは問題なさそうである。

 むしろマリノフカ付近に3~5万人の部隊が確認されており、数からして中央管区軍のほぼ全軍だが、ヒリボケ・リプシ付近の戦況を観測して、状況に応じて大軍でなだれ込む構えと思われる。それでE105号線にある要塞は破壊され、ロシア軍はハリコフから20キロの位置に大きく近づく。読売新聞や産経新聞は「すでに侵入した」としているが、彼らロシア軍が何で移動していると思っているのだろうか?

近年稀に見るチープなワーキングディナー、米国務長官ブリンケンとウクライナ外相ドミトロ・クレバの会食。ブリンケンは14日、列車でキエフを電撃訪問した。

 ボルチャンスクにしろ、ハリコフに通じるE105号線のあるホプティヴァにしろ、幹線道路が通じているのはベルゴルドである。たぶん中央管区軍の司令部もそこにあり、国境に通じる道路はウクライナ軍が要塞化しているに決まっている。国境のマリインカに大部隊を集結させ、もう一方のボルチャンスクは焼き討ち程度の攻撃なのだから、これはやっぱり適当な所で手打ちにするつもりなのである。

 「緩衝地帯」を攻撃され、村落をいくつも取られたとしているが、何でこの地域がガラ空きでロクな防備も施されていなかったかといえば、道路がないからである。侵攻した部隊は装甲車を運び込むのも難儀なら、退却するのも難儀である。彼らは一見地図には写らない、大型トラクター用の農道のような所からやってきた。こんな場所で大部隊の展開はできない。

 ウクライナ軍は迅速に反撃し、昨日の戦果は平均の約二倍に達した。彼らの戦略予備も多くないが、30台くらいの戦車の掃討はどうということのないものである。進撃はヒリボケで止まり、たぶん、これ見よがしに置いてあるマリインカの主力は動かないだろう。あと、この地域では西部管区軍の部隊も確認されている。

アウディウカ・ポフロフスク周辺の地図、上の赤い丸がポフロフスク、ロシア軍はアウディウカとポフロフスクの中間付近にいる。青線はウクライナ要塞。

 しかしこれ、何のための作戦なのだろうか。視点をアウディウカ方面に転じると、前に二股状態の変な進軍と評したが、北側(E20号線)の方が勢いが良いようで、ポフロフスクにロシア軍が迫っている。南部管区軍は中央管区軍のようなホワイト職場ではないので、これは爆薬を括り付けたロシア歩兵がバンザイ攻撃で突撃して来ているのだろう。色分け地図なんか無意味である。シルスキーがいつまでも鶴翼陣形を維持できるはずはないことは、アウディウカの失陥から分かり切っていたことだ。

※ ハリコフの方は陽動ということなので、それは連動はしているだろう。「作戦指示書」の記述では。役者がその通りに演ずるかどうかは別の問題である。そして中央管区軍には明らかにやる気がない。ウクライナが兵力を分散しなければ、西進部隊は包囲殲滅の危機である。

 付近の地図を見ると、ウメスケ付近のウクライナ要塞は維持されているようで、ロシア軍は前回のままならば南北に二分されており、北側が西に突出している様子になる。E50号線があるため、この要塞への補給は比較的平易である。ポフロフスクに向かう敵に側背攻撃が可能であるが、これは兵力次第だろう。アメリカの援助が遅れなければ、ロシア軍がここまで突出することはなかった。


英国国防省は目標をボルチャンスクとしている。が、現在の兵力で戦闘を継続できる可能性はごく小さいともしている。

 ハリコフに視線を戻すと、ベルゴルドにいるモルドヴィチェフが何を考えているか気になる所である。このまま押してもハリコフもE105線も取れないことは、この将軍には分かっているはずである。この軍団の実力では、兵力を逐次投入しても、やっぱり強力に反撃してきたシルスキーにM1戦車やドローン爆弾の餌を提供するだけである。

 中央管区軍では、この作戦はプーチン当選の御祝儀に「やってやった」感の強いものだが、戦争中はアウディウカの血に飢えた狂気からは距離を置いており、作戦で貴重な戦車を損じた部下たちが不満を漏らしていることも分かる話である。肉挽き戦法はこの軍団では用いられておらず、これはいつ退却を奏上するかだが、迂闊にやるとクビが飛ぶので、彼としてはプーチンが諦めるのを待っているというところだろう。

 

 モスクワにいるラピンやドヴォルニコフなど、彼の元上官の誰に相談しても「戦争自体間違っている」という答えしか返ってこない。プーチンは48歳の彼には父親のような年齢で、ついダーチャにいる年金生活者の父を思い出してしまう。モスクワに彼の理解者はおらず、たぶん、今の彼のことを一番良く分かっているのは、敵であるゼレンスキーや司令官のシルスキーなのだろう。
 

(補記)

 久しぶりにキエフ・インディペンデント紙のツイッターを確認したが、これはISWも報告していたが、ウクライナ軍がハリコフ州ルクヤンスカ村で「兵員の生命を救うため」配置を変更した(退却の婉曲表現)とあるが、地図を見ると分かるが、これは変更して当然である。この村はピルナ・ヒリボケ間にある農道の袋小路で、その農道をロシア軍が西進しているのだから、他に逃げ道がない以上、これは放棄するしかない。むしろ良く脱出できたというものだろう。村にはすでにロシア軍が入っているが、これは世界中にニュースで流すほどの内容ではない。

 

(補記2)

 ショイグが安全保障会議の書紀に、旧書記のパトリシェフが補佐官に変更された人事は両人ともプーチンの側近で、後継者と目されていたことから注目を集めているが、実のところは何も変わらないというのが本当である。ロシア連邦の安全保障会議は旧ソ連にその原型を持つが、旧日本帝国の大本営に相当する会議体であり、超法規的な性質を持つ権能も良く似ている。思うに新国防相のベロウソフ(経済学者)はお飾りで、このような人事をしなければいけなかった理由はウクライナ戦争の進展というより国内向けのものである。二年に渡る戦争で成果を挙げられなかったことにより、ショイグには国民と軍双方の不満が鬱積していた。その矛先をかわし、プーチンが権力を維持し続けるための人事である。パトリシェフはプリゴジン事件以外これといった失点はなかったが、最近行われているウクライナドローン攻撃は安全保障会議が監督する国家親衛隊の管轄であることから、この身近なテロ攻撃で、やはり実質的な指揮者であるパトリシェフへの不満が高まっていたと考えられる。