3月のアウディウカ失陥以降、一月ほどの迷走を経てのロシア軍の攻勢はやや奇妙なものがあった。ポフロフスク戦線(以前のアウディウカ・マリンカ戦線)はポフロフスクに向かう部隊とより南のクラクホベに向かう部隊が同方向ながら互いに競い合っている風があった。

 ハリコフ・ボフチャンスクへの奇襲作戦はウクライナ軍の虚を突いた手際の良いものであったが、途中で失速し、中央管区軍はこの戦域から手を引きつつある。さらにはハリコフのさらに北、緒戦で用いられたスームィ付近の国境に部隊が集結しているが、これはロシアの囚人兵ストームZと元ワグネルの傭兵部隊という情報もある。

 こういうロシア軍における妙な動きは、往々にしてクレムリン内部の政治抗争が影響していると見るのが、この戦争が始まって以来2年の常識である。プーチンは独裁者だが、カルロス・ゴーンのようなワンマンは独裁者とは呼ばない。本当の独裁者は配下たちの些細な不満を良く捉え、互いに競わせて不満が自分に向かないよう仕向けるものであり、プーチンはそのチャンピオンである。長引く戦争と経済の疲弊でロシア国民の不満が鬱積していることは論を俟たない。

 ショイグやパトリシェフの失脚も連動したものと見るのが至当だろう。ハリコフでの戦闘は、ロシア政治劇場はここでもあり、政治力のない中央管区軍はやはりお払い箱になり、ドヤ顔をして乗り込んできたストームZ(ショイグの手先)が手柄を横取りする勢いである。これも昨年、一昨年に見た光景であった。

 中央管区軍が目立たないのは、いつも良い線を行くものの、成功しかけると誰か(ゲラシモフ、プリゴジン、ストームZ)が乗り込んできて良い所を持って行くことがあり、だからハリコフ攻撃は続かないと書いた。司令部に優れた提案を採用する柔軟さがあっても(私も少し驚いた)、プリゴジンすら見向きもしなかったように、このウラル軍団は政治的には弱者なのである。

 代わってハリコフ攻撃を担当するのは北部方面軍、スプートニク紙以外ではその名を見ない軍団だが、これは北方艦隊ではなく、先にも述べたストームZ(ロシアの半グレ)と国営化されたワグネルが集めたアフリカ人傭兵の寄せ集めで、腎臓病で顔色の悪い二代目カディロフのチェチェン軍と同等か、少しマシくらいの軍団である。スームィを通るルートはキエフ攻撃の最適ルートだが、ここにチンピラ軍団を配したことで、再びこのルートを使う算段をしていたゲラシモフの企図は挫かれることになった。総司令官はプリゴジン軍団を忌み嫌っており、同じ戦域に布陣することも拒否していたこともある。

 ハリコフの奇襲はウクライナ軍に取っても予想外のものがあった。この場所を攻撃されたことではなく(それ自体は警告が何度もあった)、攻撃方法がこれまでのロシア軍と比べ卓抜としていたからで、多くの陣地を破壊、もしくは取られたことから、ウクライナ検察庁は内通者の調査を始めている。が、手引があった証拠は発見されていないようだ。

 ロシアの滑空爆弾は相変わらずその実力以上の戦果を誇示しているが、68歳の老女の住む古びた民家、コイン洗車場、ホームセンターに投下されたこの爆弾は前宣伝より精度が悪いか、あるいは故意に民間施設を狙ったものと解するべきだが、プーチンはウクライナ憲法の規定でゼレンスキーの任期切れを指弾している。ウクライナは苦しい戦いを強いられており、プーチンは正統性のない(継続規定はある)大統領に不満の矛先が向くよう仕向けているが、実は同調するウクライナの議員もある。

 今回の戦いの背後には、新設部隊の投入とか、何かより大きな戦略的布石がありそうにも見えたが、どうもロシア軍は今後も力押しの戦いを続ける以外、奥の手もなさそうである。そのうちF-16がやってくるし、国外で訓練を受けたウクライナの新兵や防空ミサイルもやってくる。滑空爆弾なんか通用するのは今のうちで、今のうちに講和すれば良いものをと思うけれども、これまで散々見たこととして「話がロシア」のロシア軍はプーチンが死ぬかジリ貧になるまで戦いを続けるのだろう。
 

 それにしても大戦争の顛末が、プーチンの扇動でウクライナ国民が任期切れ大統領をマイダンで引きずり下ろすことに期待することだったというのも、あの大統領がそんなことで失脚するはずないが、戦争というものを愚かさバカバカしさを示す、もはや戯画である。