このブログが書き続けられるのはウクライナ軍の参謀報告が「バカ正直」だからだが、戦闘中に部隊が前進後退を繰り返すのは当たり前であるのに、誰も知らないような辺鄙な一寒村でちょっと下がったくらいで、「退却した!」と世界中に流されるのだから、大本営発表のロシアと比べると、ウクライナは「正直者はバカを見る」ところがないわけではない。

 ウクライナ当局の婉曲表現によると、退却は「防衛者の生命を守るため」、「戦術的場所を改善」というのが決まり文句だが、誰もそのようには取らず、「(ウクライナ軍が)負けた」と報じるのが普通である。メディア時代の将軍には戦略戦術の自由はないのだろうか。

 が、バカ正直でもバカではない。謀略の真髄は「9の真実に1の嘘」を混ぜることで、嘘があるのはたいていクリティカルな状況の時である。「ハリコフ付近の軍事的緊張」を理由にゼレンスキーが外遊を取り止めたが、これは虚であろうか、実であろうか。状況は彼がキエフに詰めなければいけないほど深刻とは思われない。そしてゼレンスキーは役者である。兵は詭道である。騙される方が悪いのである。

 ハリコフ付近の戦況は早くも安定しつつあるようである。中央管区軍にこの都市を攻め取る力はないし、ボルチャンスクも市の中心にはホフカ川が流れ、天然の防壁を提供している。ロシア側はグルボコエとルキャンツィ、ブグロヴァトカを「解放」したと主張しているが、地図を見ると国境線からロシア兵が滲み出てきたのかと思えるような場所ばかりで、多くの村落での戦闘は完全に奇襲になっただろう。長い対陣期間で地形調査を綿密にやった形跡が伺える。航空兵力との連携も良い。

 ただ、装備が悪いため多くの損害も出しており、また、孤立した部隊は後詰めがなければ掃討作戦の餌食である。出てきた所からは帰れないのであり、武器弾薬の補給も期待できない。部隊を生還させるにはやはり正面からウクライナ軍を打ち破り、主要道路を使えるようにしなければならない。

 侵入したロシア部隊は昨日には攻勢の限界点に達し、ボルチャンスクの北に集結して再編している様子が伺える。まるで演習のような戦い方だが、いったいこれでどういう教訓をウクライナ軍に与えようというのか、司令官の思惑が気になる所である。

 こちらとしては、ロシア軍の戦術に思いの外柔軟性があったことと、おそらく中堅将校が発案した計画を司令部が承認して実行したことが注目点である。アウディウカ戦線の呆れ果てるような退廃はここにはみられない。他の多くの組織の例に漏れず、軍隊はその上官以上の仕事はできない。下士官や兵は指揮官のミスを補うことはできるが、無能な指揮官による敗北それ自体を防ぐことはできない。

 

 ウクライナには「擬似的人型生物」と揶揄されているロシア兵とロシア将軍だが、自分の頭で考える人材もいないわけではない。ただ、頭を使う方向が間違っているだけである。

 

スプートニク日本による現在のハリコフ戦線、青丸は彼らによるウクライナ軍の砲撃とされる場所で、ほとんど国内でウクライナ領内では戦闘は生じていない。赤丸や赤文字は筆者が書き加えたもの。ロシアと我々とで見ている風景が違うのはいつものことである。

 

 

(補記)

 支援予算の採決が遅れている間、ロシアはミサイル生産を加速させており、ミサイル攻撃の主力は昨年の「カリブル」から、より強力な「イスカンデル」、「キムカンデル(イスカンデルの北朝鮮OEM)」に移っている。ドローンも充実し、ウクライナの防空装備の不足も相まって、ロシアのこれらの装備は潤沢である。

 

 一方で装甲車両の補充は進んでおらず、前線では通常の自動車に加え、ゴルフカート、オートバイを用いた突撃が行われているが、これらは高い死傷率の一因になっているとされる。また、各種の施策にも関わらず兵員は不足気味であり、外国人傭兵に頼る場面もあり、その訓練も不十分である。すでに300機以上が撃破された航空機についても補充の目処は立っていない。

 

 上記のような傾向から、今回のロシアの攻撃は従来型の前線における攻撃と後方へのミサイル攻撃がセットになっており、軍事的影響のみならず政治的影響をも考慮したより複雑な評価が必要になっている。

 

 

 主要戦線でめぼしい戦果がなかったにも関わらず、ハリコフ攻撃後数日で欧米への和平提案と作戦の成功を表明したプーチンだが、予め作戦の政治的影響を計算したものと思われ、これは前線の成果に関わりなく、首都への着弾などあり、決定的勝利を得る手段を欠いている中、ウクライナと米国、世界の世論への影響を十分に考慮して作戦を行ったハイブリッド戦術を前面に出したことが推認される。

 

(補記2)

 となると、作戦にあまり乗り気でないモルドヴィチェフと中央管区軍を動員した理由も想像がつく。これは攻撃が成功するかどうかではなく、攻撃を行ったことが重要であり、中堅参謀の発案でウクライナ軍の無防備地帯からの攻撃で損失を抑えられること、比較的軽度の攻撃で恒常的にハリコフに圧力を掛けられる案であることがプーチンの気に入り、作戦が行われたのだろう。通常の方法で要塞を正面から攻撃したならば、ハリコフ正面だけでも中央管区軍の被害はこの数日で2~3千人に及んだはずである。