スペイン対ロシア、ずっと見てました。

スペインの先制、セットプレーとは意外だしオウンゴールはラッキーな感じかもと思いましたが実際に試合を支配していたので順当な感じはしました。

問題はそのあと。ロシアがすぐに返そうとしてシャカリキになるところ、きっちり隙をつけるかどうか。
そういうときに落ち着いてゲームを支配できなければなんのためのポゼッションでしょう。

ピケの与えたハンドは、ふだんリーガでは見逃されているようなプレーなのかもしれませんが、あたればラッキー、偶然を装える、という計算のもとに確信犯でやっている怠慢プレーですね。かつてファブレガスがアーセナル時代末期に似たような無気力プレーでPKを献上したのを見たことがあります。

同点になったあとはロシアがガス欠になるのを待って止めを刺そうとしていたのか、でもその割には相手の裏をかくプレーが見られず消極的なポゼッションに終始。リスクを侵す勇気が足りなかったと言われても仕方ないでしょうか。攻め口がないのも実力のうちですから、敗退はやむを得ないでしょう。

クロアチア対デンマークも、思いの外接戦になり、二試合続けてPK戦にもつれ込みました。デンマークがよく戦った、というべきかもしれませんが、クロアチアの攻撃がそれほど連携がよくなかった、ということも言えますね。ポゼッションを簡単に失う2チームのドつきあい、でも失点はしたくないから、冒険しない、というのは決勝トーナメントに入ってから増えるパターンだろうと思います。2点差以上ついてから、試合がオープンになるのでは、あまり観る側はうれしくないですが。
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1作目が好評だったということで続編が作られたそうなので、1作目を大して評価できない場合は、欠点が増幅されて見えてしまうのでしょうかね。単なる繰り返しから、妻を失った悲しみの起伏が減った分だけアクション頼みの作品になってしまったようです。しかもギミックは特に増えてもいないので。

ジョン・ウィックという人物の読みのなさ、その場限りの判断力、というものにつくづくあきれてしまって、他が楽しめなくなってしまうんですよね。そもそもそんな無茶な誓約にサインしなきゃいいのに、最初に無駄に断って家を焼かれるとか、アホかと。

終盤の鏡の部屋での銃撃シーンは映像的に面白かったですけど。

前回登場したジョン・レグイザモがやはり同じ役で登場。レギュラーキャスト扱いなんでしょうね。ローレンス・フィッシュバーン、こんな世捨て人の役柄ばかりですね。だんだん太っているのが気になります。

コンチネンタルホテルの世界観は相変わらず楽しいです。途中まで戦闘してたのに、窓を破ってホテルに飛び込んだとたんに戦闘を止められるとか、面白かったです。

あと、暗殺者と手話で会話する、というのは新鮮でした。あとは、懸賞金がかかったとたんにあんなにたくさんの人が反応するって、殺し屋に出会う率ってどんなに高いんだろう(笑)
続編が出たので、知っておいた方がいいかな、と思って借りてみました。

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「コンスタンティン」「マトリックス」とスーツ姿が制服みたいになったキアヌ・リーブス。今回も黒スーツです。

奥さんを病気で亡くしたジョン・ウィック。チンピラに因縁をつけられて車を盗まれ、犬を殺されたことから復讐に目覚めるという話。ここから元殺し屋という素性が明らかになるのですが。

ジョン・トラヴォルタ主演の「リベンジ・リスト」というのがありましたが、それとわりに似たストーリーかな。どちらでも言えることは、最初のきっかけとなる災厄が降りかかってきたとき、あまりにも簡単にやられすぎて、元殺し屋とかの凄味が全然ないこと。これが後々のアクションでも切れのなさに見えてしまう。

あとは元相棒のマーカス(ウィレム・デフォー)の立ち位置が完全に相棒役になってしまったのがネタが割れるともう全然面白くなくて馴れ合い感があるし、あとで殺されるのも油断しすぎかなと。

大ボスのヴィゴは、同じ時代をともにした暗黒社会の大物として、どうキャラクターを作るか。息子が殺されてもままいいかな、とか財産をほぼ失ってもあまりキレないとか、最後に襲撃されているときもへんにニコニコしているとか、ロシアンマフィアの類型的な芝居ではなく、この社会にどっぷり浸かって、金も儲けて、どこかマヒしちゃってる変態、として描いたのかなと思います。役者はミカエル・ニクヴィスト。なんか親しみがあって見覚えあるのかな、と思ったら、スウェーデン版「ミレニアム」の3部作で主役のジャーナリストをやった人でした。ちょっと悪役の方が似合うのかー。津川雅彦にも似てますけどね。

殺し屋のソサエティーの不文律だとか、定宿のホテル内で仕事をするとメンバーシップ失効だとか、描き方はちょっと面白くて、警察は立ち入らないけど掃除屋が後片付けをしてくれるとか、裏社会と表社会の棲み分けができていることや、独自の通貨を持っているところもオリジナリティーがありました。

あとはオーレリオという自動車修理工場のオヤジをジョン・レグイザモがやってたりといったプチ贅沢。アクションシーンはそんなに感心しませんでした。銃は至近距離で撃つ方が当たるのは当たり前ですが、接近戦が多すぎて。ちょっとプロレス的な殺陣が多いです。

カーチェイス、爆破、銃撃、高いところから落とす、などいろいろ盛り合わせたけど、あ、これは独自の演出、という感じのするところは少なかったかな。


姿の見えない狙撃手との対決。

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よくダグ・リーマンと呼ばれているのですが、ダグ・ライマンと発音するみたいですね。ボーンシリーズの売れっ子監督がどう処理するのかと思ったら、音楽のほとんどない、ストレート芝居。一番の効果音は砂嵐と無線の雑音というのはユニークです。

二人で潜入、二人とも狙撃されて一人は重傷、軽傷の一人がどうやって生き残れるか、というのがメインの話なのですが、無線での一見なんでもない会話が始まり、相手の狙撃手の目的は?正体は?というところにつながっていきます。

なんでこんなに会話したがるのか、普通ありえないだろうとか、いろいろと思うところはあったのですが、ラストのオチで、ああそれならこの饒舌ぶりもわかるな、という感じになりました。会話が多いとサスペンスとしてはだれますけどね。途中までの会話の中で、これなら明らかに無線をずっと傍受していたんだな、ということが明らかになったりして、最後に相手の用意周到さに戦慄するわけですね。

途中でディーンの死にまつわる真相が明らかになるのが傍流の縦軸になっているのですが、正直なところ、そこまで主人公にもディーンにも肩入れできなかったのは惜しかったです。

無線を狙って壊すとか水のボトルに穴を開けるとか、前の人間も膝の同じところを狙って出血多量で死んでるとか、このスナイパー神業が過ぎないか、と思ってしまうところではありますが。

ラストでやっつけたか、と思ったらやっぱり、というオチですが、この場合は、ヘリが到着した瞬間に、狙撃手を確かめない、というのが致命的にいかんなぁ、と思ったところですかね。確かめようと近寄ったら、銃撃戦になって死傷者多数出るんでしょうが、それでもこの大惨事が伝わる、ということはありますからね。

この後も二次被害、三次被害が続くんだろうな、と思わせるところでおしまい。

銃が着弾してから、銃声が響く、というのはリアリティーに徹すると撃たれる側はそういう感覚なんだな、というのは新しい発見でした。音のスピードは遅いですから距離があるほどそうなるんですね。やっぱり戦争はいやだ、撃たれるのはいやだ、と素直に思いました。
パソコンにHDDケースをつなぐためにインターフェイスカードを使っているわけですが、なかなかめんどくさいです。

PCI Expressのスロットがいくつかあって、前はSFFのデスクトップがメインだったのでロープロファイルに対応できるカードを、という条件が。

それから、ケースの中の複数のHDDを認識するために、ポートマルチプライヤ対応であることは大前提。

次に、PCI Expressでもx16のレーンは1本は必ずグラフィックカードで埋まるわけなので、次にあいているのがx4なのかx2なのかx1なのか。

OSとは適合するのか、ドライバーはどうか。

こんな条件をクリアした上で、OSのソフトウェアRAIDがちゃんと組めるか、確かめなければなりません。
パソコンを立ち上げたあと、つなぎっぱなしのケースをちゃんと認識するか、RAIDは再現できるか、なども検証が必要で、場合によっては再起動ではダメで、完全にシャットダウンしてから電源ボタンを入れる、という使いこなしも必要になります。

そんなこんなで一通り落ち着いたあと、最近は同じeSATAでもバージョンが違う。バージョンが違うと、スピードも全然違う。できることならver.3.0で6G対応にすれば、データコピーのスピードがだいぶ削減できます。

だけどそうなるとカードは買い換え。

今まではラトックシステムズか玄人志向で安定して使えていたのですが、次はマックにも使えるMatheyかな、とかでも相性がどうか、やってみないとわからない。接続ケーブルも対応しているかどうか。ケースの方は対応しているか、などいろいろとチェックしないといけないのがめんどくさい。

今日は、やめときます。
キャスリーン・フェリアーといえば、ブルーノ・ワルター指揮「大地の歌」の歌唱が絶賛されていて、英語のウィキペディアを見てみると、もう国民的な大歌手なんですね。

たぶんイギリスが世界的に評価されるコントラルトを出したレアケースだったのと、そのキャリアの絶頂に乳ガンに冒されて41歳の若さで亡くなったことがその存在をさらに伝説的なものにしたのでしょう。

当時もゴシップ記事やジャーナリズムもあったのでしょうが、今ほど執拗でなかったようで、がんの治療を隠して出演を続けることも可能だったようです。晩年だけが着目されますが、家庭が必ずしも裕福でなかったのが、コンクールで優勝したことからデビューが決まったとか、そのきっかけが夫との賭けだったとか、いろいろドラマチックなエピソードには事欠かないようです。
食わず嫌いを克服しようと思って、トスカニーニを聞いている。

ずっとin tempoかと思うと案外そうでもなく、歌うところは歌っているけれど。やはりオペラを得意にした人で、この人は頑ななまでに音楽の「物語」に忠実。
メロディの受け渡しとその伴奏を区別することに腐心している。

古典派までのシンフォニーや序曲とかには向いているけど、多層性やテクスチャー感がモノを言うブルックナーとかに向かないわけだ。録音の技術の時代的制約が関係した可能性もあるけど、音楽観に関わる部分が大きいように思う。
クライバーとウィーン・フィルの演奏会のビデオを見たことがあります。

モーツァルトの交響曲36番「リンツ」とブラームスの交響曲2番がメインだったと思います。

「リンツ」はブルーノ・ワルターのリハーサルのレコードを繰り返し聞いた大好きな曲だし、ブラームス2番もその魅力に開眼したころだったので、楽しみにして見たのですが、なんだかあんまり楽しめなかった記憶があります。

ちょっと間があいて、音だけを聞いたら、記憶にあったほど悪くないのです。

もう一度映像をみて、気づきました。「これは映像が悪いのだ」。

いや、演奏している人々そのものはちゃんとしているし、クライバーの指揮姿はいつも通り、優雅なのですが、これをコンセルトヘボウでのベートーヴェンの演奏などと比べると、映像にはっきりした違いがあるのです。

それは、リズム。

映像のスイッチングというものをどういうタイミングで行うか、どのタイミングで編集するか。

ウィーン・フィルとの演奏の映像は、この編集のポイントが、多くの場合、音楽のリズムの強拍にあるのです。
一見、これはリズム感覚的には正しいように見えます。しかし違うのです。なぜなら、映像には独自の呼吸があるからです。たとえばクライバーの指揮姿、その拍を打つ前の呼吸があって、始めてそのアクションに意味がある。

奏者の動きでも同じ。どんな音でも、その発する前の予備動作、ブレスというものが必ずあり、その瞬間を見せずに拍の頭からだけ映像をみても不完全なものを見た、という印象が残ります。

演奏がダメなのではなく、映像から受けるフラストレーションが、演奏の印象そのものを左右してしまう。恐ろしいことだと思いました。音楽に映像がついているのだから、それだけでお得、魅力は増すに違いない、というのは思い込みです。映像がよくなければ、音楽の印象はむしろ悪くなるのです。
やはり強行採決されましたね。

国民はサッカー見てれば忘れる、と見透かされてます。本当にその通りになっていいんですか?

現実世界の憂さはサッカーを見て晴らせばいい、という南米型の国民性に移行しつつあるのでしょうか、この国は。そういう国はたいがい軍事独裁政権なんですが。

まあ、高度経済成長などという、朝鮮戦争とベトナム戦争の特需に粉飾された経済を、自力で達成したとか浮かれている間に、民主主義を投げ捨てて自民党と心中することに決めたようなものですね。

あとに残ったのは「戦争怖い」という幼児退行的な現実逃避の情緒だけでした。

日本国民は、過去の体験から学んだわけではないのだす。GHQを新しい神様として崇めただけなんです。そこには民主主義はなかった。

私たちはだまされていた、なんていう言い訳はもう許されないんですよ。だまされたかった人が現実から目を背けただけなんです。
いやー、凄い試合見たな。

ドイツはテクニカルな優位性を具体的な形に結びつけられなかった。エジルが持っても、決定的に崩す形を作れてないのはチームのバランスだと思う。それでもフリーのヘッダーをあれだけ外したらやはり自業自得。チャンスをどれか決めていたら、韓国の決勝点だって生まれたかどうか。

グループステージで、勝てないチームが、本当はいいチームなのに、なんて擁護したらいけない。勝てないチームが敗退するのは当然だ。

あしたは、セネガル対コロンビアも凄く面白そうだな。コロンビアが勝ったら日本が負けたとき得失点差の問題になる。セネガルが勝てば日本は通過。引き分けになったら日本は負けられない。

ドイツはグループ最下位だ。これがフットボールだよ。韓国だってよくやったよ。みんなが全力を尽くしたって、うまくいかないこともあるんだよ。負けてもおしまいじゃないよ。前を向こう。