流行には疎い人間ですが、インフルエンザにかかってしまいました。

もう熱は下がったのですが、人に接してはいけないし基本外出不可なので、一人でできること。パソコンいじりをしてみました。

もともとうちのMac Pro 2009は、4,1というやつなのですが、これがファームウェアのアップデートで5,1という、後続機種と同じアップグレードができるものになるというのをネットでいろいろ検索して、まずシングルのコアをX5680というやつにアップグレードしていたのがまず手始め。

次に、グラフィックカードがRadeonのHD5770というのが載っていたのですが、近頃の基準ではだいぶ非力なので、
GeForceシリーズが載せられないか、と考えていたら、GTX680だとイケるらしい。しかも、パッチを当てると起動時のリンゴマークも出るらしい、と聞いたのでやらない手はない、とヤフオクで安いのを手に入れてやりました。

GTX680のフラッシュは海外(東南アジア?)のユーチューバーの人の動画がとてもためになり、ほぼそのままをやりました。ロジックボードの電源の6pinを分岐して片方を8pinにしたり、そういう変換ケーブルはAmazonでポチッたりしました。

それでけっこう満足いけるパフォーマンスが出てたのでそこで止めておけばよかったのですが、バカですから。

デュアルCPUのトレイだけをeBayで出品していたりして、たいていは「バカか!」みたいな値段なんですが、時々、「お!」と目を引く値段のやつがあるので、ついポチってしまいました。これに載っているCPUはそれでも最低ランクのやつで、Xeon E5520という2.26GHzのやつ。

今はヤフオクでけっこう上位の物も安くなっていて、数年前の半額以下で出品されているので、どうせならと山っ気をだして、Xeon X5690という、載せられる中では最高ランクのものを2個入手。

まあ、全部中古のセットで、グラフィックカードもCPUも電源食いの物ばっかりのせていいのか、と長期的には気になるところですが、どうせ趣味の延長みたいなものですから。

で、調べていると、CPUの殻割りというものが必要らしいとわかったのですが、これがだいぶ大変そうなので、早々とひよって、ヒートスプレッダには手をつけずにやる方法を選びました。これもいい動画をあげている外国の人とか、それを紹介している日本の方とかいろいろ参考にさせていただきました。(ぺこり)

で、CPUのヒートスプレッダの分の厚み、ヒートシンクが浮くのでその分を埋める3mm厚のサーマルパッドというのが今日届いたので、準備完了。早速手をつけました。

・予想通り大変だった点
ヒートシンクのねじをどれくらい締めるのか、微妙だとどなたも書いていて、本当にその通り微妙でした。
自分の場合、ゆるすぎるのか、きつすぎるのか、どっち方向にずれているのかを把握するのに時間がかかりました。結果的には、自分が当初想定していたよりはだいぶ遠慮なくギュッギュッと締めてやっと赤ランプとおさらばした感じです。

・予想外だった点。
サーマルパッドを貼るサイズ、ヒートシンク両方、同じサイズだとばかり思い込んでいたら、なぜか違うのです。
まあ、途切れている場所もあるので、1片の連続したシートでなくても済みました。

・予想外のトラブル
起動もして、作業も普通にできているように見えたので最後に安心材料としてHardware Monitorで各所の温度を計ってみたら、なぜか105℃という数字が。え?いったい何が?と思ったら、それまで気にしたことのないNorthbridge Chipという場所のようです。調べてみたら、二つのCPUの間にグラグラしているヒートシンクがあって、これは使われていないのかな、と気にもしていなかった場所です。しかもこのヒートシンクを固定していたはずのネジもとれているのが1本見つかっただけで1本は不明。

まあ、右側のヒートシンクを締めるときに押し下げる形にはなっているのでどうっていうことないだろうと思いましたが、まさかこんなところでトラブルのネタになるとは。そもそも、届いたときから、このヒートシンク、グラグラしていたんじゃないのかな、とか疑いたくなってしまいました。

検索してみても、このネジの弱さは悩みの種のようで、同様にヒートシンクが固定できずに温度問題に悩んでいる人が続出しています。

これも海外のフォーラムで悩んでいる人への回答で、中国で補修パーツを小分けにして売っている人がいるというので、先程eBayでポチったところです。なので、Northbridge Chipのヒートシンクは、今はサーマルパッドの端切れを噛ませているだけの状態ですが、それでも、温度は10℃近くさがって95℃付近。ちょっとひやひやですが、フリーズするようならパーツが届くまでは元のCPUに戻して運用しようかと思っています。


けっこうTSUTAYAでブルーレイを借りてます。

で、渋谷と新宿が多いですが、渋谷の方が少しお客の回転が速くて歴史もあるせいか、在庫のディスクに傷が見つかることが多いです。

新宿店は返却したあとにクリーニングをしているようで、バックヤードで研磨の音が聞こえることなどもあって、常にきれいな印象があります。渋谷店は自分で操作できるクリーナーがおいてあって、貸し出し処理をしたあとに自分でクリーニングします。

この時に盤面を確認して「えっ」と思うような傷を発見することがあるのですが、クリーニングではとれません。難しいのはだから再生できないか、というと、案外そうでもないところで、映像/音声に影響のある傷とそうでないものとがある。

見てみていざ止まったりノイズが入ったりすれば返却のときに言えばいいのかもしれませんが、返却ボックスに返したりする時のことを考えると、どうしたらいいのかなと思うときもあります。

でも、案外丈夫なんだな、と思うことが多いです。
CPUの殻割りなんてものをしてみようかと思ったわけです。

Mac Pro 2009 をいま持っていて、これはシングルCPUのモデルだったのですが、ひょんなことからeBayでツインCPUのトレイが安く手に入ってしまったのです。

ただ、これのクロックはベーシックな一番低いモデルのやつ。CPUを買って交換すればほぼ最新モデルにも匹敵する美しいマシンに変身する、はずなのですが、ここで問題が、ヒートスプレッダ。

このモデルのCPUだけ、ヒートシンクを外すと、ヒートスプレッダなしのCPUが出てきます。ヒートスプレッダ付きのCPUをそのままはめ込むとヒートシンクがちょっと浮いた形になり、コネクタなどやや熱センサー系にも問題が出たりするようです。

で、殻割りといって、買ったCPUのヒートスプレッダを外せば問題解決なのですが、これが案外大変そうで、やった人のサイトとかを見ても失敗談もちらほら。

でも何日か寝たり起きたりしているうちに、「なんとかなんじゃね?」とかいう方向に頭が傾いてきたので、古い、取り外し済みのXeon 5160で練習してみました。

全然、無理!

周辺の糊付け部分を取るのがすでに難しく、ハンダをアイロンで溶かすまでもありません。これをやったら、高価なCPUをお釈迦にする!カッターを握ってた指がいまもジンジンします。

というわけで、殻割りをせずに、ヒートシンクの電源ケーブルをいじって対処することに決めました。まだ高さ調整ようのサーマルパッドとか届いていませんが、そっちでやることに決めました。
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日本での不法滞在が発覚してアイスランドに出国したときにずいぶんニュースになりましたけど、実像はそんなに知られていないボビー・フィッシャー。「ボビー・フィッシャーを探して」という映画には本人がでてこないので、伝記的な物語を見たのはこれが初めてでした。

母親が共産党シンパ、ということで、最初から当局にはマークされている、という背景があったことは全然知りませんでした。映画冒頭から、尾行・盗撮されている、と匂わせる演出がたっぷり盛り込まれているので、後半どうなるのかな、と思ったら案外そういう要素は関係なくて、神経質さゆえに半ば破滅的な人生を送ったチェスの鬼才の、キャリアのピークの綱渡りぶりに焦点を当てた作品でした。

飛ぶ鳥を落とす勢いの若手時代に一度こっぴどく敗北を喫して、そのあとは雪辱できるかどうか、絶好の機会が来たのに、神経質な気質から初戦・第2局を落として、あとがない立場になってから、果たして巻き返せるのか、というところ。駒の動かし方もわからない観客にも、どうやら前例のない手を打ったらしい、という意外性や緊迫感はうまく伝えていたように思います。敗北のあと、あまりの見事さにカスパロフが拍手したとか、この辺どの程度実話なのか、調べてみたくなりました。いろいろと、当時の資料映像を応用しているんだろうな、と思えるところはたくさんあって、特にBBCニュースのセットやキャスターは当時のものか、巧妙に再現したものを使っていたと思います。

客観性がどの程度あるのか、は人によって評価が違うでしょうね。でもその才能ゆえのワガママとか、疑心暗鬼ぶりとか、頼るものがないゆえに、新興宗教のような陰謀論の朗読テープに心を乗っ取られてしまう、神と悪魔の同居ぶりが、この現実世界にはあるのだというのは、なかなか説得力のある話です。

ボビー・フィッシャーの才能にほれ込んで、ワガママをなだめすかしながらも、チャンピオンになるまでつきあい続けた人々の苦労というのも、こうやって実際に見てみると、描かれている以上に日常的なことだったんだろうな、とさらに同情してしまいます。

スポーツでも、チェスでも、ベトナム、中国、宇宙開発と、あらゆる局面で米ソが競争を繰り広げていたころ、アメリカは国の威信をかけて、ボビーが対局に現れるかどうか注目していた、というのも、今となってはなんというバカ騒ぎなんでしょうか。どっちに転んだって、試合は試合、国は関係なく栄光は選手のものです。当時のあの空気の中で、それを遠慮なく言い放てたボビー・フィッシャーは、ある意味貴重な存在だった、ただしマスコミはじめとしたオフィシャルな歴史はそれを認めたくもない、といったところでしょうか。

トビー・マグアイヤが製作も手がけて、この神経質ぶりを描いています。対するカスパロフ役のリーヴ・シュレイバーは、「クライシス・オブ・アメリカ」でマインドコントロールにかかった復員兵を演じた人で、クールでコントロールが効いてそうで、どこかに狂気をはらんだ今回の役もはまりどころだと思いました。ボビーが恐れていたのと同じくらいに、当時のソ連当局は、自国の才能が海外に亡命したりするのに疑心暗鬼になっていて、KGBが盗聴器など仕掛けまくってましたからね。
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おとぎ話の王道というか、自然開発が生み出す必然の悲劇というか、わかりやすい物語です。

5歳の時に交通事故で両親を失ったあとにドラゴンに育てられた少年が、ふとしたことから人間に発見されたけれど、ドラゴンとの暮らしに慣れてしまった少年、少年との暮らしになれてしまったドラゴンの二人の選択は?という物語。

森林の伐採とドラゴン狩りとがほぼシンクロしていて、ドラゴンの神話も森林の開発と同時に失われる定め。最初はドラゴンの存在自体もピートの妄想なのかな、と思わせる瞬間があったのですが、それではダイナミックな物語には発展しない。捕まえて見せ物にしようとするデリカシーのない悪者、というのも現れるのはわかりやすすぎるくらいにわかりやすいです。

ただし、その狂気にとりつかれた彼も、いざ家族が危険にさらされると、本当に優先すべきなのがなにか、我に返る、という部分も含めて、カタルシスはありました。

そして、いったん人間社会に戻ってしまったピートには、本当にはもう戻るべき場所は一つしかない。あの日、エリオットの寝ている隙に一人で伐採の現場にさまよい出てしまったこと自体が、ピートのもう後戻りできない成長と、社会への参加を象徴しているのでしょう。

ラストでエリオットにもちゃんと仲間ができている、あるいはエリオットに家族ができている、という出来事にも、エリオットもピートに依存しているだけではいけなかった、自分の社会を持つべきだった、というメッセージを込めているのでしょうかね。
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ウェス・アンダーソン監督のテイストが存分に生かされた映像と、ロケーションだけでも楽しいですが、実力に定評のあるキャストで、意外なほどストレートな少年と少女の逃避行を描きます。

ボーイスカウトを辞める、と置き手紙をした少年サム。実は家庭内でうまくいっていない少女スージーと1年前に出会って以来、密かにお互いの境遇に共感し合って駆け落ちを企んでいた、という話。ボーイスカウトの知識を存分に生かして、子供なりの知恵でサバイバルを実践しようとするサムのいじらしさったら。

あわてて彼らを探し出す人々にもそれぞれに秘密があったり、自分なりの挫折や懊悩を抱えて、でもそれぞれの人生を全うすべく全力で生きています。

いったんは彼らを見つけるのに協力したボーイスカウトの面々が、監禁された二人を助け出すくだりは胸アツです。そこに台風が押し寄せ、奇しくも毎年出し物の「ノアの方舟」のミュージカルを地でゆく洪水が起きる、というクライマックス。

それぞれがどこか、心ここにあらず、といった感じで参加しているこの映画、なぜかブルース・ウィリスだけはまっとうな人の感情やヒロイズムを持ち合わせているように思われて、最後にサムを養子に引き受ける、というオチがすごく唐突に見えてしまいました。

でも、ブリトゥンの「青少年の管弦楽入門」を生かした掴みとか、もうスタイルや映像だけでわくわくしてしまう、快作です。
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ピーター・ジャクソンの古典的な物語に比べると、まあ荒っぽいこと荒っぽいこと。

サミュエル・L・ジャクソンを人間側の悪役に仕立ててしまったのが、なんかもったいないというか、単純化しすぎというか。

元々はモナークという未知の存在を探求する組織が政府の援助を得て、ベトナム戦争が終わったばかりの軍の保護を得ながら髑髏島を探検する、という話。ただし、地質学的調査とだけ偽っていって辺り構わずサイズミック爆弾を落とし始めたからたまらない。しかも彼らは地質が中空だというのを知ってやっているというから始末が悪い。

地底からおそろしいトカゲ怪獣がやってきて、それを退治できるのはコングだけなのに、そのコングを敵視するという錯乱ぶり。

まあ、まずコングに出会ったときのヘリコプター戦のまずさからいって、人間て馬鹿だな、と痛感してしまいました。自分たちは空を飛んでるんだし、銃を持ってるんだから、まず距離をとることを考えるはずが、ちょうど飛びつける手頃なところに密集して飛んで、つぎつぎに餌食になるというお粗末さ。

サミュエル・L・ジャクソン演じるパッカード大佐に、ベトナム戦争で中途半端になった軍人の精神の危うさを託したのかもしれませんが、十分に戦えなかった穴埋めを、自分の指揮のまずさで失った部下の弔い合戦にって、インパール作戦並みの狂気です。

最終的には、コングが大トカゲをやっつけてくれてなんとか帰還できる、という話ですが、コングも家族を大トカゲで失って、このままだと絶滅は避けられない。となると、その後あの大トカゲから人類を守ってくれるのは?と絶望的な予測しか立たないのですが。

エピローグを見ると、これはDCやマーベルと同じく、怪獣世界でユニバースを作っていくための第二弾として位置づけているようで、ゴジラともくっつくんでしょうね。最後の方のスクリュー付きの鎖で鎖鎌戦法を編み出したぐらいですから、戦い方はどんどんプロレス化が進みそうです。オールCGよりは着ぐるみの格闘の方が魅力あるのかもしれませんが。

カメラマンのメイソン・ウィーバー役には「フリー・ファイヤー」のブリー・ラーソン。少しアリシア・ヴィカンダーを思わせるアクティブさとナイーブさを匂わせて、演技の幅を見せたと思います。ジョン・グッドマンの役柄は少し嫌らしかったかな。並んで研究者ブルックスを演じたコーリー・ホーキンズ、見覚えあるなぁと思っていたら「24:レガシー」の主役をやった人でした。


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ベン・スティラーが自ら監督した作品。元々の原作小説は「オズの魔法使」のころにヒットした短編だったそうで、それをダニー・ケイ主演の「虹を掴む男」に映画化したこともあったようですが、原作者ジェームズ・サーバーはその映画はあんまり好きではなかったようです。

前の映画を踏襲したのは、出版界を舞台にしている、ということぐらいで、この作品の特徴は舞台を実在の写真雑誌「LIFE」の編集部に設定したこと。しかも紙の媒体としては廃刊になる間際の最終号をめぐっての物語にする、というのがうまいなぁと思いました。もちろん現実にこんな嫌な経営者がいたり、クビ切りの実態があったのかどうかは謎ですが。

ネガを管理する地味な仕事をしているウォルター・ミティには空想癖が。これ、実は自分にもあって、食事しているときとかよくぼーっとしていて同僚にも不思議がられたのですごく共感します。

ただ、彼は雑誌を代表する写真家ショーンの信頼が厚く、最終号の写真に対しても指定が。ところがその写真のネガが見つからない、というところから密かにショーンに連絡をとらなければ、というのが縦軸。他に、写真部のシェリルが気になって仕方がないのだけど、まずSNSでオンラインデートのサイトでアプローチするのだけど、「ウィンク」が送れないところからサイト運営者と電話で会話して、プロフィールが空っぽであることがわかっていきます。実人生ではまったくの引っ込み思案で、旅行すらしたことがなく、プロフィールに書けるようなことがない。このプロフィールをどうやって埋めていくか、みたいなことも進んでいきます。

白昼夢のシーンがシームレスに起きるので、途中で「これは白昼夢?リアル?」と疑問に思い始めたりする箇所もありましたが、案外途中から素直に実体験になっていくんですね。

話の途中で急にシェリルの存在が希薄になっていくところ、個人的には少し残念で、男目線のラブストーリーとしてラストのオチを生かすには仕方ないのかな、と思いつつも、やや都合のいいストーリー、という感じがオチをチープにしたような気がします。

出会い系サイトの運営であんなふうに親身になってくれる人が現実にいるかどうかは全く違う話ですが、ロスで連絡がつく人が一人だけというの笑いました。
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アメリカ的に論理的に追求してエンタテイメントの公式に載せたら全く成立しないような映画ですが、人間性と地球、ということを本気で追求したらこうなったわけですね。

主人公クリスが宇宙ステーションについた時点ですでにいろんな部品が故障したり、隊員が3人のはずが一人は自殺したあとだったり、そうとうおかしいわけですが、そこにいないはずの子供やおネエちゃんがいるわけで、そこに死んだはずの奥さんハリーが現れると。

これがただの幻想なら普通のサイコスリラーなんですが、これが実体を伴い、ほかのクルーにも見える存在だからややこしい。ご飯食べるシーンはなかったですが、タバコは吸ってるし液体酸素も飲んでますから、消化期間は普通にあるんでしょうね。ニュートリノからできた体なので、ソラリスの海のそばでしか存在し続けられない。しかも自分が死んだ経緯を聞かされて精神的に自分の存在とは?と自問しはじめる。

他の乗組員たちもハリーの存在をそのまま認めるべきかを疑問に思うのですが、クリスは手放したくなくて哲学論議。

その後、クリスが病気になったのは、単なる知恵熱か、海からの働きかけか。今まではハリーだけだったのにうなされて亡き母親の夢を見ます。ハリーの記憶と母親の記憶は、衣装からもずっと混濁していた、という点が示唆されていますが、ハリーが最終的に消えたのは、母親にその地位を取って代わられそうだったから?と深読みしてしまいました。

最終的には、現実世界に戻ってももはや家族は死んだあとだろう、と宇宙旅行の年月が実際にどのくらいかかるものなのかわかりませんが、実家に戻って父親と再会、と思ったらこれもソラリスの海にできた島の上でのことだった、というオチ。映画冒頭でひたすら驟雨に打たれまくるクリスと呼応するかのように、家の中で天井から落ちる雨に打たれ続ける父親が印象的です。

始まってすぐのバートン元飛行士が帰宅する途中のシーンで東京の首都高速の映像が延々流れるのがシュールですね。赤坂見附のあたりと、羽田方向への分岐の標識は今でも見るような景色でした。

ちなみに頻繁に引用されるオルガン曲はJ.S.バッハのコラール「主よ我汝の名を呼ぶ」なんですが、冨田勲さんがシンセサイザーで発表した「ソラリスの海」という曲は、同じバッハでも「3声のインベンション ハ短調」なのです。紛らわしいですが曲想は似ていますね。
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「クロニクル」というタイトルは、映像全体がなんらかの媒体に記録されたものである、という意味合いが強いのかなと思います。普通なら「年代記」と訳すようなところですが、「時系列」みたいな感覚で使ってるんでしょうかね。

アンドリューという、特に取り柄もなくて、母親は病気、父親は事故が原因で引退した消防士で昼から飲んだくれて息子に当たるような男。そんな家庭でコンプレックスを抱えて生きてきた少年が、初めてムービーカメラを手に入れてすべてを記録しはじめる。ここまではなんでもない日常なのですが、従兄弟マットと優等生スティーブと一緒に洞窟探検をしたところから、超常的な力を手に入れていきます。

基本はテレキネシスで、物体を思いのままに動かせる、という能力だけだと思いますが、初めはすぐに鼻血を出してしまっていたのが、次第に能力の範囲や力を強めていきます。

青春にまつわるいろいろなコンプレックスや家庭の問題から、アンドリューがこの力を暴走させていき、次第に悲劇の色彩を帯びていく、というのが脚本のうまさだと思います。自撮り映像、という縛りがなければ、だいぶ平凡なものになったかもしれませんが、なんでも撮らないと気が済まないし、やめろと言われてもやめられない、オタッキーで頑固な気質、というところにアンドリューの気質がうまくミックスされていると思います。

初めは世間から隠そうとか、人には危害を加えないように、とか自分たちで設定したルールで能力の自主管理を試みていたのですが、高校のイベントでナンパに失敗したことから、アンドリューの自閉的気質が悪化、母親の病気の悪化と父親との関係の険悪化などが相乗効果で自暴自棄な境地に達していき、あとは必然的な破局へと向かいます。最後の方の特撮効果はなかなか見物です。

ちょっとヨーロッパ的な香りがするのは、SFの仕立てではあるけれども、彼らが身につけた超能力の根拠や理由については一切ロジカルな説明をしようとしていないこと。途中でマットが度々哲学のセリフを引用したり、そこからアンドリューが自分の能力を正当化するために我田引水な哲学理論をこしらえたりするあたり、SFよりは寓話に近いのかもしれません。

脚本のマックス・ランディスは監督ジョン・ランディスの息子で、これが映画脚本としてはデビュー作、他に「バッド・バディ」もあるから、ユニークな作品に爪痕を残すタイプなんでしょうかね。ホラー版の青春物が「キャリー」だとしたら、SF版青春物、というジャンルがこの「クロニクル」と言えるかもしれません。この男子3人の友情物語、あるいはアンドリューのドツボ具合になんらかの共感ができる人には楽しめる作品じゃないでしょうか。